ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

狼が来たぞぅ~

2015-08-31 12:01:00 | 社会・政治・一般

徴兵制が復活して、無理やり戦場につれていかれるぞ!だから安倍政権にNO!(狼が来たぞぅ)

新安保体制は、再び日本を戦争する国へと変貌させるぞ!だから安倍政権に反対!(狼が来たぞぅ)

安倍政権は、日本を戦場にするぞ!だから安倍政権は退陣すべきだ!(狼が来たぞぅ)

安倍政権は、憲法違反の安保法制を強行しているぞ!野党勢力の結集を!(狼が来たぞぅ)


で、これで政権が取れると思っているのかな?これが国民から支持されると思っているのかな?

私の観たところ、国民の過半は、新安保法制が憲法違反だと内心気が付いている。でも、徴兵制が復活するわけないと思っている。アメリカの意向を受けて、新安保法制が作成されていることも分かっている。

なによりも、アメリカとの安全保障条約あてこその、日本の平和だと考えている。ただ、安倍政権の下で、若手の軽率な発言も多く、それが支持率を減らしているのは事実だ。

でも、選挙になれば、おそらく安倍・自公政権が勝つでしょう。それが声なき多数派の本音だと思います。それは消極的な選択の末であるのも確かですが、野党がこれほどアホでは、他に選ぶ先がない。

野党、新聞、TV、そして憲法学者やら、なんやらは、一度イソップ童話を読みなおしてみるべきです。嘘吐き少年の末路を自身に当てはめる想像力ぐらい、あって欲しいものです。

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NARUTO外伝 七代目火影と緋色の花つ月 岸本斉史

2015-08-28 12:01:00 | 

長く連載が続いた人気漫画NARUTOだが、その外伝という形で発表されたのが表題の作品。

主人公は、ナルトではなく、ナルトの息子でもなく、サスケとさくらの一人娘サラダとなる。孤児として育ったナルトと異なり、誇りに思っていた家族を兄の手により失くしたサスケは、兄への愛憎があまりに深すぎたのか、あるいは里への贖罪の気持ちが強すぎるのか、家庭を顧みない。

そのため、父の姿を知らずに育ったサラダは、まだ見ぬ父の姿を求めて里を出る。その道中で遭遇した謎の写輪眼を持つ少年と、サラダを追いかける七代目火影ナルトと、母さくらの追跡行が物語の主軸となる。

NARUTO連載中に結婚し、子供をもうけた作者・岸本斉史の家族への想いが強く刻まれた作品だと思う。週刊誌に毎週漫画を連載する作業は、かなり過酷なものとなる。まして、週刊少年ジャンプでも屈指の人気作品であるNARUTOだけに、作者も相当な重圧の中で仕事をしていたのだろう。

これは想像だが、週刊連載する漫画、アニメ、映画その他ノベリティグッズ等の関連商品など仕事は多忙を極めたはずだ。そうなると、岸本氏は必ずしも良き家庭人ではなかっただろうと思われる。

だが、決して家庭、家族への想いを忘れていたわけではなく、むしろ多忙だからこそ深い想いを抱いていたのだろう。そんな気持ちがこの作品を描く動機になっていたのではないかと私は感じました。

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北の南進

2015-08-27 11:59:00 | 社会・政治・一般

またもや、朝鮮半島がきな臭い。

もっとも、北が戦争をするぞ、するぞと煽るのは毎度のことではある。危機感を演出しないと、国家の体面を守れない憐れな貧困国の窮状を証明するものであることは明白だ。

一応、書いておくと、北には単独で戦争をする能力がない。単発でミサイルを打ったり、ロケットを飛ばすことなら出来る。しかし、戦車を動かす燃料は不足している。飛行機を飛ばしたくても、磨滅した部品の交換すら出来なくて飛ばせない。なにより兵士を喰わせる十分な糧食がない。

ロシアかシナの支援なくして、戦争の出来る国ではない。そして、ロシアもシナも現時点では、北に戦争をさせる気はない。北に南進を許せば、アメリカが出てくるのは明白であり、アメリカと対峙する余力がロシアもシナもない。

だから、北は「戦争するぞ、するぞ」と脅して、小さな攻撃を仕鰍ッてすぐ引く。それが精一杯である。私の予想では、もし北が本気で南進するとしたら、それはシナが北を実質的な支配下に置く手段としてだと思う。

北には、まだ膨大な鉱業資源が眠っており、シナはそれに目を付けている。既に企業を進出させて、試削を始めている。北を実質的に支配下に置くには、シナの軍隊を駐留させる必要がある。そのための口実としての南進、それならあり得る。

もっとも、シナもアメリカとの直接対峙は時期尚早と考えており、すぐに撤退するだろう。その時には、北の支配者は、シナの傀儡政権と化していることは確実だと思う。

だが、今の北の指導者たちは、シナの野心に気が付いている。シナしか頼れる相手がいないことは分かっているが、断じて傀儡と化すつもりはない。だからこそ、本気で戦争は出来ない。北の指導者たちは、自分たちの特権が独裁体制あってのものだと知っているし、その状況を危機に追いやる戦争は避けたいと考えている。

言い換えれば、北の政府ほど戦争を恐れる国は珍しい。だからこそ、防衛兵器としての核兵器は必需である。絶対に攻め込まれたくない、その想いが過剰な軍備に表れている。本能的に知っているのだ、戦争を避けるには戦争への覚悟が必要だと言うことを。

それはさておき、我が国内において憲法9条を崇め奉る方々は、何故に北の首領様に憲法9条を採用するよう進言しないのだろうか。

もし、本当に憲法9条に平和を守る効果があるのならば、是非とも輸出するべきだろう。きっと首領様も感謝するに違いないと思うのだがね。そう考えなければ、おかしいと思うのだが、如何なものだろう。

それとも、憲法9条は日本国内でしか効力がないとでも?ということは、やはり日本の平和は在日米軍あってのものだということなのか?それが露呈するのが嫌で、憲法9条を他の国々へ奨めることを避けているのかな。

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敗戦の反省とは

2015-08-25 16:38:00 | 社会・政治・一般

毎年、8月になると日本の首相は、第二次大戦と戦後に関する談話を発表する。

すると、条件反射のようにシナやコリアが、偉そうに謝罪だ、反省だと喧しい。余計なお世話である。負けた戦争をした日本政府に反省が必要なのは当然である。

しかし、同じ大日本帝国国民であったコリアにうだうだ云われる筋合いはない。コリアに必要なのは、なぜに自分たちがシナや日本の属国となったのかを反省することであり、自分たちの愚かさを他国のせいにすることではない。

シナに至っては、むしろ感謝して欲しいぐらいである。大日本帝国陸軍と戦っていたのは、蒋介石率いる国民党軍であり、毛沢東率いる人民解放軍(当時は八路軍)は逃げ回るだけであった。

毛沢東は、経済手腕はボンクラだが、戦争指導者としては卓越していた。自分たちより強い日本軍と戦う愚は避け、ひたすらに逃げ回った。逃げて、逃げて逃げまくった。これを長征と強弁している。

実に賢い指導者だと思う。日本の軍人のように正面から戦わないのは卑怯だなどという感情論を排し、徹底的にリアリズムに基づき一番賢い選択をした。すなわち国民党軍と、日本軍を戦わし、両者が傷ついたところで漁夫の利を得る。

実際、日本軍は国民党軍を滅せず、互いに疲弊するのみ。アメリカに敗れたことで日本軍は敗退したが、国民党も中国共産党も、日本軍を追いかけて無駄な疲弊を避け、最終的な敵と戦争に備えた。

ひたすら逃げ回っていた人民解放軍は、疲弊した国民党軍を破って大陸における覇権を握る。毛沢東が偉大な戦争指導者であることは間違いないと私は確信している。つまり、現シナ政権は日本軍とは戦わず、逃げ回ることで戦力を温存し、国民党との戦いに勝ったがゆえに大陸の覇権を握った。

で、なんで日本がシナに謝る必要がある。少なくとも人民解放軍は日本に感謝すべきだ。日本の敗北後、人民解放軍の主戦力は、日本の関東軍の配下で鍛えられた林彪率いる精鋭部隊であることは隠せぬ事実である。

本来、シナ南部の出身である毛沢東の意思がどうであろうと、北方軍出身の林彪がいたからこそ、国民党との最終決戦に勝てた。だからこそ、シナの首都は本来の中原でもなく、また広州や南京でもなく、北方民族の中心地である北京にある。

日本がシナを侵略したのは事実だが、侵略なしで築かれた国なんて南コリアぐらいだ。あれは棚から牡丹餅で建国された冗談のような国だ。侵略なくして建国なしが、歴史上の鉄則である。

その日本の侵略があったからこそ、中国共産党は大陸を支配出来た。日本政府が敗戦の反省をするのは必要であり、しなくてはならない。しかし、謝罪など不要というか、むしろ有害である。

謝って済まそうとする安易な平和信仰を助長するだけで、真摯に政治判断の誤りを検討するような実りのある反省こそが必要となる。

私は、未だ日本政府は敗戦に終わった第二次世界大戦の反省を済ませているとは考えていない。なぜ、関東軍は政府の意向を無視して独走したのか。なぜ、当時の日本政府は陸軍の独走を止められなかったのか。

この原因をしっかりと認識してこその反省であり、謝罪なんて時間潰しというか、誤魔化しでしかない。繰り返すが、何故あの当時、日本政府は戦争を止められなかったのか。結果には原因がある。その原因を明らかにしてこその反省である。

長くなるので詳細は省くが、私の考えは簡単。明治憲法を始めとした有事法制の不備、これに尽きる。法制度はあった、しかし不完全であったがゆえに、政府は合法的に軍部を抑制できなかった。だからこそ、戦争を止められなかった。

謝罪が反省だなんて、妄想であり、誤魔化しに過ぎないと確信しています。

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地を這う虫 高村薫

2015-08-24 11:58:00 | 

人は自由に生きられる、どんな生き方だって出来る。

そう云われることが多いが、それほど自由ではないと思う。不況によるリストラや、震災等の災害により生き方を制限されることは珍しくない。自分の思う通りに生きられることなんて、むしろ稀ではないかと思う。

またその生き方は、その育った生い立ちや、最初の職場での環境に大きく左右される。いや、縛られると評した方が現実に近いと思う。特に社風が確立(停滞とも云うが)した大企業や、定型的な職場姿勢が求められる官公庁を最初の職場に選ぶと、必然的にそれに染まる。

表題の作品は短編集なのだが、主人公は警察の出身者ばかりだ。途中で辞めた者、今まさに辞めようとしている者、それぞれ警察から離れても、警察という組織の鋳型にはまった人生を引きずる。引きずらざるを得ないのが、警察という組織に染まった者の宿命であるかのように。

その生き方は不器用であり、いささか滑稽でさえある。正義と、その反対のものとの狭間に身を潜めながら、正義の矛盾を感じつつも、不正に加担することは拒否する。

自由な選択肢があっても、敢えて地味で不器用な道を選ぶのが警察なのか。その生き方は地を這う虫のようにちっぽけではあるが、確実に目的に向かって進んでいく。迷いはあれど、妨害があろうと、真っ直ぐ目的に向かっていく。

それが、警察という組織に身を置き、その中で生きてきた男たちの生き様なのだと、表題の書は教えてくれる。

入院中に院内図書室から借りた本ですが、一晩で読みきれる快作でした。機会がありましたら、是非どうぞ。

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