ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ジャクソンビルの闇 ブリジット・オーベル

2018-05-31 11:58:00 | 
非常に興味深いのだが、どの国でも嫌われる虫の一つにゴキブリがある。

同じような黒い虫でも、カブトムシは大人気だし、コオロギだってそれほど嫌われてはいない。

嫌われる理由の一つは、この虫が人間の生活圏内に潜むからだろう。本当のことを言えば、ゴキブリのうち人間の生活圏内に棲息するのは数種類に過ぎない。世界中にいるゴキブリの大半は樹林帯に棲む。

腐った木や落葉を食べる自然界の聡怏ョであり、生態系においては重要な役割を果たしている。同時にゴキブリは多くの捕食生物のエサであり、生態系のピラミッドでは底辺に近い位置にある。

ただし、イエゴキブリと呼ばれるように、人間の家の中に棲み付くようになったゴキブリは、人間の生活圏の拡大と共に、大きく生息域を広げた。主に人間の食べ残しや、ゴミなどを食べるため、聡怏ョの役割を果たしているのだが、決して歓迎されることのない不遇な生き物である。

理屈では、それなりに存在を認めている私でも、目の前で見つけたら即座に殺意が湧いてしまう。その存在が許しがたい不快感を伴うことが不思議でならない。他にも蚤、ダニ、蜘蛛などが家の中に棲息する虫なのだが、ゴキブリほど嫌われる虫は珍しい。

外見で嫌われる蜘蛛はともかく、蚤やダニのように人間に直接害になることはない。ただ、蜘蛛以上にその外見的特徴、すなわちあのヌルヌルした体表面が不快で、しかもコソコソと徘徊するため不快感がいや増すのだろう。実際、私も嫌いですしね。

そんなゴキブリがアメリカの南部の町ジャクソンビルで大量に発生した。その後、町では、残虐な殺され方をした死体の発見が相次いだ。いったい、何が起こっているのか。

待ち望んだ夏休みに浮かれていた少年が知った驚愕の真実。

この作品は、GWの最中部屋を片付けている最中に発見した未読の本でした。てっきりサイコ・ミステリーだと思って読み始めたら、ゴキブリもビックリのホラーでした。

ただねぇ・・・物語の背景が曖昧に過ぎる。あたかも続編を用意しているが如き印象があるのがマイナスャCント。もっといえば、映像化を期待しているのかと勘繰りたくなる。

これだからマキャモンは「ホラー小説はホラー映画には敵わない」と言って、ホラー脱却宣言したんだよなァと納得できてしまう。この作品、惜しいというか、もっと登場人物に深みを持たせて欲しかった。そこが一番残念です。でも、ゴキブリのインパクトは凄い。

ゴキブリが嫌いな方は、ますますゴキブリが嫌いになること請け合いの作品です。でも、浮「もの見たさに読んでみてもいいかも。B級ホラーだと思いますけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Eメールの変更

2018-05-30 11:56:00 | 日記
私がインターネットを始めたのは、1998年だ。

WINDOWS98を搭載したパソコンが、一気に普及した年でもあり、私もその流れでデスクトップのパソコンを購入した。雑誌のおまけについていたCDを使ってAOLというプロバイダーを通じてインターネットの世界に触れた。

Eメールアドレスもその時に取得した。以来、20年にわたりAOLの世話になってきたが、もう止めようと思っている。

最近の事だが、クライアントからEメールを送ったが、返信がないとの問い合わせがあり慌てた。いくら探しても受信の記録がないからだ。しかたないので、もう一つ持っているGOOGLEのGメールに再送信をお願いして事なきを得た。

呆れたことにAOLのメーラーには、一週間以上たってから受信された。いや、受信されるだけマシだ。結局、受信されていないものもある。私が送信したメールも一部行方不明である。

AOLに苦情を申し立てたが、この返信が腹立たしい。典型的な定型文の使い回しである。慇懃無礼なのはともかく、役に立たない。

私はOUTLOOKが嫌いなので、使い慣れたAOLのメールアドレスを仕事にも使っていたが、これでは業務に差し支えるどころか、守秘義務保持の観点からも承服しかねる。

過去のメールなどをコピー、移管したうえで、近いうちに解約するつもりだ。最近はご無沙汰の方もいると思うので、私事ではあるが、敢えてこのブログを使て連絡させていただきます。

まったくもって、面唐ネのですが、このままでは信用失墜になるでご了承のほどをお願いします。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

けものフレンズ

2018-05-29 15:05:00 | アニメ・コミック
メディアミックスという言葉がある。

元々は広告業界で使われていたようだが、実のところ、そのビジネス手法は古くからある。

私が子供の頃に夢中であったウルトラマンを例にとれば、TVドラマがメインだが、同時に漫画化もされたし、映画にもなっている。そしてなによりも関連商品の売り上げが凄まじかった。

私のおもちゃ箱には、いつだってウルトラマンと怪獣の人形が仕舞いこんであった。柔らかいプラスティックで出来た人形であり、これを手に取って怪獣ごっこに夢中であった。

他にも仮面ライダーとか、魔法使いサリーちゃんとか、関連した商品が多数あるものは珍しくない。概ね、原作があり、それをTV局や広告代理店、出版プロダクションらが仕切って、ビジネスとして展開されていた。

この手法は、かなり広まっており、このメディアミックスを採用することは、今では当然のこととされている。以前はマスメディアや、出版社、広告代理店などのプロが採用するビジネスであったが、最近はプロだけでなく、アマチュアまでメディアミックスを展開する有り様である。

最近の成功例は、なんといってもあの「妖怪ウォッチ」であろうが、正直今では最盛期ほどの勢いはない。代わって現在、子供たちに大人気なのが表題の「けものフレンズ」だそうだ。

私は当初、この「けものフレンズ」を見かけた際、男の子というか男性目当てのメディアミックスだと思っていたが、実のところ女の子のほうが人気は高いらしい。

ほぅ~と思い、よくよく見てみると、どこかで見た絵柄である。誰の絵だろうか?

ネットで調べたら、なんとあの「ケロロ軍曹」の吉崎観音(みお)であった。そういえば、顔の造形が、ケロロに出てくる女性キャラに似ている。ただし、吉崎氏の関与は、もっぱら絵柄のデザインであり、作品自体は「けものフレンズ製作委員会」が主導しているという。


もはや作者とか主人公が主体で作られるのではなく、如何に売れるかを真剣に考えての作品作りが主流であるらしい。正直、少し違和感というか、なんとなく寂しさを感じたのは、私が古い人間なのだからであろうか。

ところでこの作品は、動物たちを可愛い女の子に擬人化してデザインされたようで、主人公格は、あのアフリカでもマイナーな動物であるサーバルキャットのサーバルちゃんである。

白状すると、それだけで私なんぞは脱力してみる気が失せるのだが、可愛らしい絵柄なのは確かなので、男の子というかおたく男子に人気が出るのかと思いきや、実際には女の子に人気だと聞いて妙に思っていた。

先日、CS放送で長時間、アニメを一気に放送していたので、少しだけ見てみて納得した。登場する擬人化された女の子キャラ同士の関係が、もろに実際の女の子たちの実態に近い。

一般論だが、女の子のほうが男の子よりも精神的な成熟が早く、また人間関係の複雑さも男の子のそれをはるかに超える。それだけに、個性的な動物キャラたちの微妙に繊細で、時には過激に走る会話などは、男の子よりも女の子に共感されるのではないだろうか。

短時間、見ただけの感想なので確信がある訳でもないのだが、子供向けアニメも馬鹿に出来ないなァと思った次第。

余談ですけど、私は野生動物の愛玩化には反対なのです。犬や猫のように人間と共生できる動物は、長年の育成と改良の成果であり、本来野生動物と人間は、どちらかといえば敵対関係にあることが正常だと考えているからです。

ネットなどで時折、野生動物に安易に近づいて大怪我をしたニュースなどを見かけると、野生動物への異様な親近感を求めるのは先進国の人間だけのようです。安全で快適な先進国だと、野性との適切な距離の取り方が分からなくなるのかもしれませんね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

候補者男女均等法の成立

2018-05-28 12:23:00 | 社会・政治・一般
森友だ、加計だ、麻生辞任だと騒ぎ、受け入れられないので審議拒否していた野党だが、世間が評価してくれない現実を無視できなくなったので、再び職場(国会)に戻ってきた。

で、やらかしてくれましたよ。おバカな法律を賛成多数で可決しやがった。もちろん、野党の面子を考えた自公も悪い。だけど、もっと審議が必要ではなかったのかと思う。

>選挙で男女の候補者数をできる限り「均等」にするよう政党に求める「政治分野における男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が16日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。女性の議員を増やすことを促す日本で初めての法律だ。(朝日新聞より)

まったくもって馬鹿らしい。

民主主義社会における政治の目的は、有権者の最大幸福を図ることだ。有能な政治家が政治に参画できるように改正するなら分かる。また人口動態の変化に応じて、選挙区の区割りを変更することも必要だろう。

だが、男女平等というか、女性の議員を増やすことを目的とするのは本末転唐セ。

必要なのは女性議員ではない。有権者の最大多数の声を政治に反映させる政治家こそが必要だ。そして、国際情勢の変化、国内社会の変化に応じて法制度を柔軟に変える提言の出来る政治家こそが求められる。

つまり、求められているのは、男女といった性差ではなく、また肌の色でもなく、言葉でもない。政治家として有能な議員が政治に容易に参加できることこそが大切なのだ。

その結果、議員の大半が女性でも問題はない。大切なのは政治の中味であって、性差ではない。

はっきり言うが、日本の議会政治に於いて、女性議員が少ないのは、その女性議員たちが有権者に支持されなかったことの証であって、男女差別の結果ではない。

台所感覚を国政の場に、は決して悪くない。でも、で、なんで安易に消費税増税に賛成したのか。せめて代替案くらい提言してみろ。

子供を戦場に送りたくない、は多くの親が思う当然の感覚である。ならば、戦争を避けるための具体的、かつ効果的な方策を提言できたのか。

男女を問わず、口先だけの綺麗ごとで当選し、議員になった政治家は多い。だが、現実に議会の席上に立ったのならば、現実的な妥協と交渉で、少しでも有権者の想いを反映する具体的な法案審議に参加して、少しでも理想を現実に近づけようと努力するなら分かる。

しかし、短命で終わった女性議員の多くは、実績を残せず、口先だけで任期を終えてきた。だからこそ、日本の政治では、女性議員の割合が少ない。

私のみたところ、日本の女性議員は二つに分かれる。

一つは、社民党や立憲民主党によくいる。決して採用されぬ少数意見を声だかに叫ぶか、与党の重箱の隅をつっつくかしか出来ないタイプ。

もう一つは、官庁の出身もしくは企業の経営者クラスからの転身で、現実に法案作成に携わる官僚たちと実務レベルでの交渉が出来るタイプ。

日本では、前者が圧涛Iに多く、それゆえに多くの有権者から支持を得られずに女性議員の割合が少ないという結果となっている。後者のタイプは、まだ少数派であるだけでなく、男性議員との利権争いなどから劣位の立場に置かれることも少なくない。

有権者からすれば、自分たちの想いを実現してくれれば、議員が男であろうと女であろうと関係ない。要は結果である。

あまり話題になっていないマイナーな法案だけど、この候補者男女均等法では女性議員は増えないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界青春放浪記 僕が11か国語を話す理由 ピーター・フランクル

2018-05-25 12:01:00 | 
少し驚いた。この方、ユダヤ人だとは聞いていたが、ユダヤ教の信者ではなく、無宗教だそうだ。

では、ユダヤ人って何?

どうも私の理解は中世で止まっていたようだ。たしかにユダヤ教徒はユダヤ人であるが、現代ではユダヤ人の母親から生まれた人はユダヤ人であるとか、宗教とは関係なく、文化的集団としてユダヤ人は規定されているようだ。

著者はTVにもよく出演している方ではあるが、生まれはハンガリーであり、ハンガリー系ユダヤ人なのだろうが、驚くほどハンガリーに対する帰属意識は乏しい。

それどころか、徴兵から散々逃げ回り、渋々応じた徴兵期間で嫌気が頂点に達して亡命してしまった。ある意味、自由人だとも思うが、正直理解しがたい。

考えてみれば、日本人ほど亡命に縁遠い人たちは少ない。他国へ亡命した日本人はいることはいるが、その数は驚くほど少ない。戦国時代末期の山田長政らを別にすれば、近代以降は亡命者は滅多に出なかった。

この百年あまりで日本から亡命した日本人は、せいぜい30名程度である。そのほとんどがイデオロギー理由である。つまり共産主義者が東側に逃げたケースである。もっとも強固に亡命を主張した人は少なく、帰国している者もいる始末。

亡命者が極めて少ないのは、日本社会がゆるやかに閉鎖的だからではないかと思う。村八分はあっても、残り二分は残しておく。近代以前から閉鎖的であっても、完全に相手を排除したりすることが少ない。

それは狭い社会で、相互に助け合って暮らしてきた人々の知恵なのだろう。国境を越えれば容易に他国へ逃げられる国とは異なり、海を渡らねば他国へ行くことが出来ない島国であることも影響したのだろう。

だからこそ、亡命という行為は日本には馴染まない。もっとも、亡命者の受け入れという点では、あまり優しくない国でもある。いや、理解が追い付かないと言うべきなのだろうか。

優れた数学者である著者にとっては、ノートと鉛筆があれば仕事が出来る。国に拘る必要がないし、世界中どこでも(先進国限定だと思いますけど)暮らしていける。

ユダヤ人として故国に執着がない故だとも思うが、この方、イスラエルに移住する気はまったくないところが興味深い。ユダヤ人差別がまったくない日本に居ついてしまっていることも大きいとは思うが、この作品で書かれているように、若い頃にもイスラエルへの郷愁がまったくみられない。

ただ、生まれ育った国であるハンガリーに対する愛着こそないが、それなりの郷愁はあるようだ。この程度では、亡命してしまうのもやむを得ないのだろう。自由な人だとも思うけれど、なんとなく理解しがたい。

数学者として優秀なのは確かなようなので、このような人材が自らの意志で日本に留まってくれるのは、良いことだと思います。この先、人口がゆるやかに減少していく日本社会では、出来るだけ優秀な人材を受け入れていけたらよいのですが、こればっかりは難しいでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする