ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

サッカー・アジア杯に向けて

2007-06-30 12:45:09 | スポーツ
浅薄なマスコミの報道が嫌いだ。

もうすぐサッカのアジア杯が始まる。東南アジア4カ国による共同開催でもある。なんといっても、日本の三連覇がかかっているとマスコミが騒ぎ立てる。アホじゃなかろうか。

2000年のレバノン大会は、日本の高度な戦術的戦い方の圧勝だった。苦戦したのは決勝のサウジ戦のみ。でも、これは強豪国の準備不足だったと思う。韓国なんて、チーム作り以前のレベルだった。これはフランス大会での敗退からの混乱が続いていたからだと思う。イラン・・・なぜかアラブの地はアウェーなので苦戦した模様。

2004年の中国大会は、反日感情の嵐が吹き荒れるアウェーでの優勝だったが、薄氷の勝利であったことは否めない。西アジアのレバノン、オマーン、カタールといった新興国の戦い方が変わったのが印象的だった。あきらかにヨーロッパ風の戦術的戦い方をしてきたため、伝統的戦法に固執してたUAE、サウジが早々に敗退してしまった。準備不足の韓国、イランも相当に苦戦した。日本が勝ち抜けたのは、僥倖としか言いようが無い。中田英不在のこの大会こそ、ジーコジャパンが一番まとまっていたのも実に皮肉であった。

そして今回の大会だ。すでに合宿入りしてるアジア各国に比して、日本の準備不足が断トツで目立つ。今や日本は、アジア各国から弱点を研究され、狙われる立場となっている。おまけに強豪オーストラリアが参戦してきている。監督がオシムであろうと、誰であろうと、今大会は絶対に苦戦する。楽な試合など、一つもあるまい。

ところが、大会が近づくにつれ目立つのがマスコミの「目指せ三連覇!」ある。馬鹿もほどほどにして欲しい。三連覇どころか、予選リーグすら敗退の可能性は半々ではないか?優勝なんざ、3割程度に私は考えている。

JリーグとACLの過密日程のため、既に主力選手に怪我が続発している。選手の故障が浮ュて、各クラブは代表合宿に選手を出すことに赴Cずいている有様だ。それに甘える選手も選手だが、それを知りつつ「三連覇」などと喚くマスコミの浅薄さは実に腹立たしい。

ドイツ・ワールド杯の予選敗退後、マスコミは散々日本サッカー協会に対して反省が足りないと非難しておきながら、安易な決勝リーグ突破を夢見て扇動していた自らの反省は、まったくしていない結果がこれだ。マスコミこそ反省せい!
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「文明の海へ」 川勝平太

2007-06-29 09:30:15 | 
侮れないなと思った。

国立民族博物館の名前は以前から知っていた。が、その設立の由来は知らなかった。表題の本の著者によると、70年代冷戦の最盛期に、イデオロギー対立の終焉後には必ず民族主義が燃え上がるはずだから、いまのうちから研究をしようとの趣旨で作られたそうだ。う~む、文部省侮りがたし。

正直、私は霞ヶ関のエリートさんたちには、かなり批判的であることが多い。しかし、このような事実を知ると、やはり見直さざるえない。70年代の冷戦期に、このような長期的視野にたった施策がなされていること自体驚異と言っていい。イデオロギー崩壊後には、民族主義と宗教が復活すると言われだしたのは、私の記憶では80年代だとばかり思い込んでいた。予見するだけならまだしも、予算を組み国立民族博物館という研究拠点を設けていたとは、ついぞ知らなんだ。

いろいろと学ぶことの多かったこの本だが、一番印象的だったのは、左派勢力のアメリカ嫌いと、明治維新前後の攘夷思想との共通点を挙げている点だった。全面的に納得できたわけではないが、たしかに一理ある考えだと思う。

少し説明すると、幕末の尊王攘夷派も、開国派も最終的には欧米の排除を目指していた点では変わりは無い。ただ、開国派が一度欧米文化の導入をして国力を十分付けた後に、攘夷を目指した点だけが違っただけだった。一方、マルクス主義は欧米の資本主義による市場社会を超えたものとして認識されたがゆえに、本質的に攘夷思想を持つ日本人の知識階級に受け入れられたと著者は主張する。

若干異議はあるのだが、日本の知識階級にみられる反・欧米傾向を解き明かす一試論としては面白いと思う。また、大陸中心に歴史をみるだけではなく、地球の7割を占める海に浮かぶ島々といった視点から歴史を鑑みるのは、なかなかに興味深いものでした

このような本を読むと、つくづく自分の勉強不足を思い知らされる。冒頭で「侮れない・・・」などと書いているが、まさに夜郎自大もいいところ。まだまだ学ぶべき事が多々あることは、幸いなることだとも思う。

最近は本を読むばかりで、博物館に足を運ぶことが激減した。そろそろ仕事にも余裕が出てきたし、行ってみるかな。
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「ベルセルク」 三浦健太郎

2007-06-28 09:34:30 | 
目を逸らすことを許さない、壮絶な残酷さに驚いた。

白泉社という出版社がある。「花とゆめ」という少女マンガ雑誌を発行しているので知られている。その白泉社が、青年層以上を対象としたマンガ雑誌・ヤングアニマルを創刊したのが、今から十数年前だった。漫画雑誌というものは、年間数十点が創刊されるが、3年以内に大半が廃刊に追い込まれる。かくも厳しい市場に、見事に勝ち残ったのがアニマルだった。

当初は月一発行だったと記憶している。人気が出てからは、隔週発売に変わり兄弟誌も発刊されるに至った。今でこそ、どこの書店、コンビニでも売られているが、10年以上前は置いてくれる本屋も少なく、コンビニも置いてないケースが多かった。私とて、近所のマイナーなコンビニ店での立ち読みが始まりだった。

掲載されるマンガも、ずいぶん変わったが、今も連載され未だに終わりが見えないのが表題のマンガだ。凄まじいまでの苛烈なドラマが展開される。あまりの過激さに、読みながら「発売禁止」されるのでは?と危惧したぐらいだった。

弱いものが、これほどまでに蹂躙され、踏みにじられる描写は他者の追随を許さない。主人公ガッツの生き様も凄まじいが、親友であり、復讐の的であるグリフィスの苛烈さも筆舌に尽くしがたい。舌を切られ、手足の腱を切られ、人生の可能性を奪われたグリフィスの姿は、当時難病によりもがき苦しんでいた私さえ絶句せざる得なかった。

人間、苦しいと自分だけが苦しいと思い込む。自分こそが、この世で最も苦しんでいると一人勝手に思い込む。そんな独りよがりの思い込みを、この作品はぶち壊してくれた。

以来、必ず目を通している。この物語の行く末を知らずして、人生の終焉を迎えることは断固避けたいと思う。

印象的な場面は数多いが、一番好きなのは、悪夢の夜を乗り切り、美しい朝焼けを背景に今日を逞しく生きることを宣する少女の場面です。もがいて、あがいて、それでも生きようとする健気な姿が輝くのは、子供の夢を奪った残虐な現実があってこそだと考えています。
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厚生労働省の失政

2007-06-27 09:32:02 | 社会・政治・一般
TVはあまり観ないが、けっこうラジオは聞いている。事務所でBGMとしてFM放送を流しているからだが、案外重宝している。

先週のことだが、ラジオで特別養護老人ホームの運営を医療法人にも認めたと報じていた。アナウンサーが、これで介護老人施設の不足は解消されるでしょうとの厚生労働省の見解を淡々と伝えていた。

馬鹿言うもんじゃない!

事の発端は、医学的に入院が必要と思えない高齢者の長期入院問題だ。病院が老人ホームの代替となっていて、本当に入院が必要な患者が困る事態になっていた。この問題は、高度成長時代から続いている。

背景にあるのは、核家族化が進み、高齢者を家で介護できないことから、病院での介護を望む家族の意向がある。また、手間がかからず、安定した収入を確保できた病院側の事情もあった。

しかし、増大する医療費に根を上げた厚生省は、病院の老人ホーム化を食い止めることに本格的に着手した。医療法を改正して、療養型のベッド(35万床)の大幅な削減(10万床)を目指した。米の減反じゃあるまいし、お上の傲慢ここに極まれりだと思っていた。病院を放り出されたリハビリ難民が続出したことは、ニュースなどで報じられたとおり。

お役人の狙いは、自宅介護と介護保険老人施設への移転であったようだ。しかし、在宅医療が失敗したのと同様、自宅介護は難しく、また介護保険施設は完全に不足。頭のいいエリートさんたちの目論見は、ものの見事におおはずれ。

特別養護老人ホームの運営は、社会福祉法人にのみ認めていた従来の方針を覆して、元の鞘に戻す醜態ぶり。またしても、霞ヶ関のエリートさんたちの机上のプランは大失敗。療養型ベットの廃止に多大な出費を強いられた病院が、今どれほど不信感を募らせているのか分かっているのだろうか。

またしても・・・?

そう、近年厚生医療行政の分野での失態が頻発している。日本人は忘れやすく、マスコミはスキャンダルを追い回すことに集中しがちだから、この失政は誰も責任を追及しない。

ほんの20年くらい前までは、医者余りとさえ言われたが、現在医者不足は社会問題化している。担当医が確保できず閉鎖に追い込まれた診療科を抱えた病院は少なくない。小児科や産婦人科が大幅に減っていることは、ニュースなどでも大きく報道されているが、具体的な対策はまったくない。ついには地域医療の中心を担うはずの病院自体が閉鎖された地方もある始末。

看護師と準看の問題は、相変わらず先送り。医療過誤による訴訟の急増と、事なかれ主義の医療行政のミスマッチは医者からの行政不信をいやますばかり。医療費の増大に危機感を抱く一方で、製薬会社の利権保護に奔走する矛盾は、若手官僚たちからも不信感を持たれる始末。

一応書いておくと、前・小泉首相は厚生族。厚生族のボスだった橋本派の駆逐にせいをだしていた一方で、肝心の厚生行政は失態続き。おねだり妻で有名になってしまった某厚生官僚のスキャンダル追及には熱心だったが、その背後にある介護、医療の現場での矛盾拡大は、ほんの一部のマスコミが追う程度。私が嫌いな朝日新聞は、たまにいい記事書くのだが、続かない・・・

今、健康で元気な人には遠いニュースだとは分かっている。でも、自分が病気になっても、入院する施設がなく、自宅で苦しむばかりとなって、初めて分かるでは遅いと思う。医療行政は、素人には分かりづらいのは事実だが、あまりに無関心だと手痛いしっぺ返しを食らう。せめて、厚生族の国会議員に頑張って欲しいのだが、最近のメンバーみてると、頭がよくてお役人の主張に理解がある御仁ばかり。あたしゃ、不安と不満ではちきれそうですわい。
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アロエ屋さんは何処へ

2007-06-26 09:28:13 | 日記
馬鹿と煙は高いところが好きだと言う。困ったことに、私は高い所が好きなだけでなく、高い所から飛び降りるのも好きだった。

東京育ちの割りに、比較的緑の豊富な町で育ったため、木登りは得意だった。実のところ、登るのはさほど難しくはない。難しいのは降りることだ。とりわけ降りる間際、地上から3~4メートルくらいの高さが危ない。気を抜いて、滑って墜落することが多いからだ。

高さを上手く見極めて降りるのが、木登りを安心して楽しむこつだと思っている。私はわりと足腰が頑丈な子供だったので、飛び降りるのは得意だった。この自信が後で事故につながった。

年に一度の墓参りの帰りは、親族一同で浅草へ行くのが慣行だった。浅草寺で御参りをして、近くの天ぷら屋での会食がお決まりだった。その浅草寺でのことだ。

賽銭箱に小銭を放り投げ、適当にお祈りした直後だった。素直に階段を下ればいいものを、持ち前の遊び心がムクムクと持ち上がり、飛び降りることにした。

浅草寺はかなり大きなお寺で、賽銭箱のある壇上から階段の下まではけっこうな高さがある。この高さなら飛び降りたことがあると考えた私は、助走をつけて飛び降りた。

着地した瞬間、これまで経験の無い痛みが脳天まで響いた。「ウキャキャ~」とサルみたいに声をあげ、地上を跳ね回った。妹たちがケラケラ笑っている。そりゃ、変に思えたのは無理ない。私自身が、自分の行動を理解できなかった。とにかく、痛くて痛くて、じっとしていられなかった。

原因は石畳だ。私が普段飛び降りているのは土の上だった。石と土では堅さが違う。足を引き摺りながら、家族に追いついたが、どうもまともに歩けない。こんなとき、私のおばあちゃんは厳しい。が、あまりの痛がりように、足を挫いたと思ったらしく、アロエ屋を探してくれ、アロエの葉を裂いたやつを足に貼ってくれた。ひんやりと気持ちがイイ。

しかし、帰宅しても痛みがいっこうに引かない。結局数日後医者に行ってレントゲンをとると、足のかかとの骨にひびが入っていた。痛いはずだわな。石膏で足首を固められる羽目に陥り、大いに後悔したことは言うまでもない。

ただし、治るとすぐに忘れた。その数年後、何を思ったか、下駄をはいたまま、3メートルあまり飛び降りる馬鹿をやっている。下駄がパッカリ割れて、私は痛みで飛び回っていた。やっぱり骨にひびが入った。またも石膏で足を固められ、親からおおいに呆れられた。

さすがに懲りた。以来、飛び降りることは控えるようになり、もっぱら登ることに専念した。

実は数日前、仕事で浅草界隈に赴いた。少し早めに行き、懐かしい町並みを探索したが、件のアロエ屋は見つからなかった。アロエの葉は、捻挫の患部を冷やす他にも、いろいろな薬効があるとされて、地元の人々に愛用されていたはずなのだ。しかし、無かった。出店の方に尋ねてみると、だいぶ前に引退したとのこと。出店のおじさんが「保健所がうるさかったからなぁ」ぼやいていたのが気になる。

最近ではアロエ・ヨーグルトなる商品もコンビニの店頭にさえ並ぶのに、出店での販売はあまり好ましくないとされたらしい。もしかしたら医療法がからむのかもしれない。捻挫のシップにアロエを貼ることを、医者が目くじら立てるのか疑問だが、いずれにせよ世辛い世になったものだと思う。
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