私は少し頭がおかしいのかもしれない。
先月末より新聞紙面を賑わしている元・厚生省事務次官及び配偶者の連続殺人事件が批難されるのは当然だと思う。連休中に犯人と称する男性が自主したが、訳の分らぬ動機を語っているらしい。単独犯のようだが、やくざの鉄砲玉のような怪しい印象も無きにしも非ず。やはり年金行政の怠慢を憎んでの犯罪との予想が一番相応しい気がする。
だとしたら、巻き添えとしか言いようのない奥様の死は非業だと思う。
ただ、やっぱり私は異常なのかもしれない。この事件を知った時、小さな喝采を挙げてしまっていた自分に気がついたからだ。
率直に言って、社会保険行政はひどい。年金を単なる財源としか看做さず、公共事業の名の下に金をばら撒き、天下り先を増やしていった厚生省の高級官僚は万死に値すると思っていた。所得の再分配を名目に税金をばら撒くなら、それなりに名義は立つが、保険ならば運用益の確保と投資資産の時価算定は当然だと思う。しかし、厚生省及び社会保険庁は単にばら撒いただけだ。
当然に年金財源は不足して、今じゃ一般財源たる税金から補填されている有様。民間の保険会社ならば、これは破綻状態であり、会社更生や倒産などの処理が必要とされる事態だが、誰一人責任を取らず、感じずが今の厚生労働省及び社会保険庁の面々だ。
あれだけ失政失策を重ねながら、誰一人罪を問われず、追求もされず、のうのうと天下りを重ねる。そのたびに退職金を積み重ね、豊かな老後を満喫していた高級官僚の傲慢さは、いつかは罰せられるべきだと内心思っていた。
その罰が殺人というかたちで実現したことに、ある種にカタルシスを感じざる得ない。配偶者については、なにもそこまでと思わないでもないが、元・高級官僚当人は無理もねえと考えてしまう。
私が法治国家を理想に置くこととあい矛盾するとも思うが、失政失策の責任を決して取らないキャリア官僚たちを放置してきたことが、今日の行政の硬直化を招いた主要因だと思うがゆえに、このような異常なテロ行為に共感する気持ちを禁じえない。
もっとも、現時点では30年前の犬の処分を根拠だとか、胡散臭い情報が流されている。つまり行政テロではないらしい。でも、疑いを持つ人は多いらしい。根拠無き憶測で、いい気になって語るのも幼稚なので、少し冷静に考え直したい。
もし仮に行政の悪行を理由にしての殺人だとしたら、その影響は計り知れない。能天気に考えれば、これで官僚たちが襟を正し、真に国民を思う良き行政を心がけるようになるかもしれない。
日本では、伝統的にお役人に政を任せる傾向が強い。事実、大半の役人たちは、その期待に応えんと誠意を持って仕事をしてきた。基本的に真面目だもんね、日本人は。
ただ、権限ふるえど結果責任は取らずに済む慣行が、キャリア官僚たちを傲慢に育てたことは否定できない。減点主義の人事慣行が、事なかれ主義を蔓延させて、なにもしないこと。すなわち失敗がないことが出世への第一条件であることが、行政を慢性的な怠惰状態へと落とし込んだ。
そこに、今回の行政テロ事件だ。心を入れ替えた官僚たちが、緊張感をもって仕事に向かうようになれば、これはこれでありがたい。
・・・まあ、実際はそうなるわけがない。むしろ、後ろ向きの行政になる可能性が高いのが実際だろう。既にHP上の名簿を削除したりして、個人名がわからなくする行政に戻そうとしている。
今後は誰がどのような政策を考案し、実施したかが分らなくなるような密室型の行政が蔓延る方向に向かうとの予測が、一番現実的だと思う。
開かれた行政ではなく、密室での無責任行政が加速的に広がる可能性が高い。主権者たる国民は、そのことをよく認識したほうがいいと思う。
多分行政テロでないとしても、行政の密室化は進行すると思う。テロそのものより、こちらのほうが問題だと、私はけっこう危惧しています。
先月末より新聞紙面を賑わしている元・厚生省事務次官及び配偶者の連続殺人事件が批難されるのは当然だと思う。連休中に犯人と称する男性が自主したが、訳の分らぬ動機を語っているらしい。単独犯のようだが、やくざの鉄砲玉のような怪しい印象も無きにしも非ず。やはり年金行政の怠慢を憎んでの犯罪との予想が一番相応しい気がする。
だとしたら、巻き添えとしか言いようのない奥様の死は非業だと思う。
ただ、やっぱり私は異常なのかもしれない。この事件を知った時、小さな喝采を挙げてしまっていた自分に気がついたからだ。
率直に言って、社会保険行政はひどい。年金を単なる財源としか看做さず、公共事業の名の下に金をばら撒き、天下り先を増やしていった厚生省の高級官僚は万死に値すると思っていた。所得の再分配を名目に税金をばら撒くなら、それなりに名義は立つが、保険ならば運用益の確保と投資資産の時価算定は当然だと思う。しかし、厚生省及び社会保険庁は単にばら撒いただけだ。
当然に年金財源は不足して、今じゃ一般財源たる税金から補填されている有様。民間の保険会社ならば、これは破綻状態であり、会社更生や倒産などの処理が必要とされる事態だが、誰一人責任を取らず、感じずが今の厚生労働省及び社会保険庁の面々だ。
あれだけ失政失策を重ねながら、誰一人罪を問われず、追求もされず、のうのうと天下りを重ねる。そのたびに退職金を積み重ね、豊かな老後を満喫していた高級官僚の傲慢さは、いつかは罰せられるべきだと内心思っていた。
その罰が殺人というかたちで実現したことに、ある種にカタルシスを感じざる得ない。配偶者については、なにもそこまでと思わないでもないが、元・高級官僚当人は無理もねえと考えてしまう。
私が法治国家を理想に置くこととあい矛盾するとも思うが、失政失策の責任を決して取らないキャリア官僚たちを放置してきたことが、今日の行政の硬直化を招いた主要因だと思うがゆえに、このような異常なテロ行為に共感する気持ちを禁じえない。
もっとも、現時点では30年前の犬の処分を根拠だとか、胡散臭い情報が流されている。つまり行政テロではないらしい。でも、疑いを持つ人は多いらしい。根拠無き憶測で、いい気になって語るのも幼稚なので、少し冷静に考え直したい。
もし仮に行政の悪行を理由にしての殺人だとしたら、その影響は計り知れない。能天気に考えれば、これで官僚たちが襟を正し、真に国民を思う良き行政を心がけるようになるかもしれない。
日本では、伝統的にお役人に政を任せる傾向が強い。事実、大半の役人たちは、その期待に応えんと誠意を持って仕事をしてきた。基本的に真面目だもんね、日本人は。
ただ、権限ふるえど結果責任は取らずに済む慣行が、キャリア官僚たちを傲慢に育てたことは否定できない。減点主義の人事慣行が、事なかれ主義を蔓延させて、なにもしないこと。すなわち失敗がないことが出世への第一条件であることが、行政を慢性的な怠惰状態へと落とし込んだ。
そこに、今回の行政テロ事件だ。心を入れ替えた官僚たちが、緊張感をもって仕事に向かうようになれば、これはこれでありがたい。
・・・まあ、実際はそうなるわけがない。むしろ、後ろ向きの行政になる可能性が高いのが実際だろう。既にHP上の名簿を削除したりして、個人名がわからなくする行政に戻そうとしている。
今後は誰がどのような政策を考案し、実施したかが分らなくなるような密室型の行政が蔓延る方向に向かうとの予測が、一番現実的だと思う。
開かれた行政ではなく、密室での無責任行政が加速的に広がる可能性が高い。主権者たる国民は、そのことをよく認識したほうがいいと思う。
多分行政テロでないとしても、行政の密室化は進行すると思う。テロそのものより、こちらのほうが問題だと、私はけっこう危惧しています。