ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

日本婦道記 山本周五郎

2019-09-30 11:59:00 | 
読み終えると、背筋を伸ばし、凛とした気概を持つことを自らに課したくなる作品だ。

短編集なのだが、この原稿が書かれたのは太平洋戦争中であったそうだ。原稿用紙にも物資不足の影響で不足する時代、そのせいか文章は切り詰められ、無駄な文章がない。

だが絞り込まれた文章から描き出される侍の時代における妻や母たちの暮らしの厳しさは、清貧などという言葉ではとても言い尽くされない。

近代に入り人権思想が至上の価値観とされ、男女平等が当たり前のこととされた私だと、封建時代の女性の置かれた立場に違和感を感じない訳ではない。おそらくこの作品が発表されて以来、ウーマンリブ運動家や進歩的文化人から誹謗されたこともあったと思う。

時代が違うのに、異なる価値観で過去を誹謗することは滑稽だと思う。私自身、子供の頃から成人に至るまで、男女平等こそ正しいと教わり、江戸時代のような封建主義の価値観はおかしいと刷り込まれた世代である。

だから、この作品で描かれる女性たちの姿に、ある種の憤りに近い感覚がない訳ではない。でも読後に貧しさの中でも妥協せず、厳しい生き方を自らに課した女性たちへの畏敬の念が生じるのは避けられない。

このような妻、母がいたからこそ、日本は近代化に成功し、欧米の侵略に抗しえたのだと思う。時代が違えど、彼女らの生き方を尊敬せざるを得ないのは、人として自然な感情だと思う。

日本の今日があるのは、過去の積み重ねの成果である。外国から賞賛される日本の豊かさ、公正さ、清廉さを育んだのは、貧しい中でも守るべき矜持を持ち続けた家庭があったからだ。その家庭を支えてきた主役が、妻であり、母であった。

最近は専業主婦をバカにする輩が増えていると聞いているが、そのような輩こそ読むべき作品だと思いますね。

ちなみに、この作品は直木賞を受賞したのだが、周五郎はあらゆる文学賞を辞退しており、あくまで大衆小説作家であることを自らの矜持として、その生涯を終えています。

貧しかろうと、金持ちであろうと、心の持ち様こそが大切であることを語らずして分からせてくれる作品でもあると思うのです。未読の方は是非とも目を通して欲しい作品です。
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鎖場

2019-09-27 12:02:00 | 日記
過保護に過ぎないかと思うことがある。

9月に北アルプスの剣岳で単身の登山者が滑落死した。この事故を調べているうちに、気になったのが岩稜帯にある鎖場である。

実のところ、私は現役で登っていた頃から、この鎖場が嫌いであった。岩稜帯の登山道を登るのは好きであったし、鎖を設置してあるような難易度の高いルートは大好きであった。

しかし、この設置してある鎖が嫌いであった。

もちろん、この鎖は登山者の安全のために行政の許可の下に、地元の山岳会などの協力を得て設置されたものである。違法でもないし、危険を防ぐための措置として妥当なものだとの認識が一般的であった。

でも、私は当時から疑問に思っていた。この鎖、本当に必要なのか? 本当に安全に役に立っていると云えるのか。

岩稜の登山道は、足元が不確かなので危ないのは確かだ。だが、鎖を設置してしまうと、初心者は鎖にしがみ付き、足元を疎かにする。私からすると、危なくって仕方ない。

岩場の昇り降りの基本は、足場をしっかりと確保することだ。足の置き場所さえ間違えなければ、たとえ岩場であってもさほど危なくない。ところが初心者は、浮ウからか、足元をしっかりと確認しないで、安易に鎖に頼ってしまう。

斜面では、斜面から上半身を離すほど下半身は安定する。これは物理的な法則であるのだが、恐武Sから上半身を斜面に近づけてしまい、却って不安定な状態になっている初心者は多い。

岩場において鎖が張られていると、初心者はついつい鎖を掴んでしまう。そのために足元への注意が疎かになることが多い。鎖に気をとられて、しっかりと足場を確認することをさぼるから、簡単に足元を滑らし、結果鎖にしがみ付いて動けなくなる。

そんな初心者を幾人も見てきたので、私は鎖はむしろ邪魔ではないかと思っていた。実際、私は鎖場で鎖を掴むことは滅多になかった。ただ、滑落しそうな状況、例えば岩場に雪が氷結していたりする状況下では鎖があることは安心に繋がるとも思っていた。

鎖そのものは悪くない。むしろ鎖に頼り過ぎることで、岩場の大原則である足場の確保が不注意になることが問題なのだ。

ついでだから書いておくと、岩場は登るよりも降るほうが難しい。剣岳の鎖場であるカニの横這い、カニの縦這いの場合、後者が登り様のルートとして設定されている。岩場を得意とする私でも、カニの縦這いを降りるのは避けたいと思うから、ルートを設定した人は賢いと思う。

一方、カニの横這いは若干難易度が低いので、こちらが降り用のルートとなっている。私は二度ほどこのルートを使っているが、どちらも鎖を掴まずに済ませている。でも、氷結していたり、雨に濡れていたら、鎖に軽く手を添えるくらいはすると思う。

更に書き加えておくと、先だっての剣の事故のような岩場での滑落事故は、案外と危険な個所では起こらない。むしろ危険な個所を通り過ぎた後とか、比較的安全な箇所で事故は起こる。

別に不思議でもなんでもない。誰しも緊張している時は、そうそう事故を起こさない。その緊張感が解けた時こそ危ない。油断大敵とよく言うが、よく言われるのは、油断が原因の失敗が多いからこそである。

つくづく思うけど、私にとって山は学校であった。ここでどれだけ多くの教訓を学んだであろうか。多くの場合、私は痛い目に遇いながら、あるいは怒鳴られながら覚えたものだ。

当時は辛いと思っていたが、今となってみるとあれは貴重な経験であった。人間、安全な場所で学ぶよりも、危険な場所で学んだほうが身に付くものだと思います。

まぁ私が怠けものだからこそかもしれませんけどね。

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鳥房の閉店

2019-09-26 12:01:00 | 日記
またお気に入りの店が閉店してしまった。

駅前商店街の一角、交番の隣にある鶏肉専門店「鳥房」が9月最初の金曜日に閉店してしまった。この店は、鶏を店内で解体して店に出すことで知られていた。

正直言うと、格段に美味い訳ではないと思う。小柄な鶏を解体しているせいか、タレで焼かれた焼き鳥の串焼きも、わりと小粒で有名なブランド鶏肉と比べても、さほど美味いとは思っていなかった。

しかし、鮮度が違う。これは痛み易いトリモツに顕著に表れた。レバーも美味しかった。なにせ、捌いてすぐに下処理して店頭に出すのだから、新鮮でプリプリのトリモツが売られていた。

また焼き鳥のレバーも身がしまった美味しいものであったと思う。でも、料理によく使う鳥腿や胸肉は、大手スーパーのものと比べると、差が付くほど味が違う訳ではなかったように思う。

これは、牛でも豚でも同じだが、肉は基本、高額なほうが美味しい。露骨なくらい差がついてしまう。私は鳥房よりも美味しい焼き鳥屋を何件も知っているが、値段を考えれば鳥房は良心的であったと思う。

私は主に、週末の帰宅時に家でビールのツマミとして、この店で焼き鳥串を数本買うことが多かった。冬場には、トリモツ鍋を作るので、ここでモツを買うぐらいなので、上客ではなかったと思うけど、かれこれ30年近く愛用していた店である。

だから9月に入り、週末に閉店の張り紙を見た時は驚き、そしてがっかりした。

もっとも以前から、そう遠くないうちに閉店するだろうとは思っていた。老夫婦二人で切り盛りしている小さな店であり、後継者がいない以上、いつかは閉店するのは必然だ。

それは分かっていたが、なんとなくまだ大丈夫だと思っていた。思い込んでいたのだが、それは希望的観測に過ぎなかった。予兆はあったと思う。この店は夜9時閉店のはずなのだが、最近は8時前後に閉めることが増えていた。

私は8時半から9時くらいに駅を降りて自宅に向かうので、いつも閉店間際に買い物していた。だから、最近閉店が早まっていたことが不満であり、不安でもあった。

実際、閉店告知の張り紙には、老齢を理由にしての閉店であると記してあった。ここ最近は忙しく、帰宅も夜9時過ぎが当たり前だったので、最後の夜に買い物出来なかったのが残念だ。
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かつて神だった獣たちへ めいびい

2019-09-25 12:06:00 | 
へ~んしん!

何時の時代でも、子供たちの憧れは変身ヒーローである。ウルトラマンから仮面ライダーまで、私の子供の頃にも変身ヒーローは大人気であった。

それは今も変わらないようだ。男の子だけかと思ったら、プリキュアとかセーラームーンとか女の子向けの変身ヒロインの人気も相当なものだ。

変身には理由がある。変身することで、通常の力を超えた能力を実現できる。また日常的な姿を隠れ蓑とすることで、敵からの奇襲を防いだり、諜報活動を可能にしたりする。

だが、長所と短所は背中合わせである。変身前の普通の姿では弱く、敵からの攻撃で傷つきやすい。また変身前の日常生活は、ある意味弱点にもなる。自分だけでなく、周囲の人も巻き込む可能性があるので、変身を隠さねばならない。

変身ヒーロ―には悩みが多い。子供の頃から、それはお約束であった。悩みが多いからこそ共感できるヒーローでもあった。それが人気の秘密でもあったと思う。

しかし、大人になると素直に変身ヒーローを楽しめなくなる。とりわけ理屈っぽい私は、妙なことばかり考える。スーパーマンのような衣服を着替えるだけなら問題はない。しかし、身体の構造まで変化させる変身ともなると、科学的な整合性がとれなくなる。

変身するためには膨大なエネルギーが必要になる。芋虫が蝶になるため、どれだけ多くの食料を食べなくてはならないのか。庭の花木や、畑の野菜などを虫に食われる被害にあっている方なら分かると思う。

ぶっちゃけ、普通の人間が特殊能力を持つヒーローに変身するためには、原理的に膨大なエネルギーが必要になる。そのエネルギーはどこから調達するのか。真面目に考えると、変身ヒーローの持つ物理的、科学的な矛盾点はどれも解決不可能に思えてならない。

でもエンターテイメントを目的とする変身ヒーローに、そんな悩みを持ちこんじゃいけない。あれは楽しければ良いのだ。変身することで、超絶的な能力を手にして、悪い奴らをぶっ唐キ。それでいいじゃないかと思う。

そう思いたいが、近年になると変身ヒーローたちの苦悩を描いた作品が次第に増えてきている。表題の作品もその一つだ。

ここでは変身したかつてのヒーローたちが悪役として描かれている。戦争に勝つため、擬神兵として改造され、祖国を敗戦の窮地から救った英雄である。

しかし、戦争が終わると、その恐ろしげな能力と姿は浮黷轤黶A嫌われるようなる。そうなると英雄としての自分が信じられず、遂にはその恐ろしげな姿に相応しい悪行を重ねることになる。

そんなかつての部下たちを始末する擬神兵の上官と、その上官に父を殺された娘の旅が、物語の中心となっている。祖国を守るために、敢えて恐ろしげな獣に変身した者の苦悩は悲痛ですらある。

その一方で、悪の獣と化した英雄たちを再結集させて、新たな国を作ろうと目論む者も出てくる。この物語が、どのような結末を紡ぎだすのか、私はけっこう興味深くみている。

頼むから、ありきたりのエンディングにしないでね。素材というか、題材は良いと思うので期待はしています。

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夢は統一コリア

2019-09-24 11:56:00 | 社会・政治・一般
太平洋戦争が終わった時、その敗戦こそ資本主義が間違っている証拠であると確信した日本人は案外と多かった。

彼らは当然に、これからの日本は社会主義を基本にした国になるべきだと期待していた。しかしながら彼らの期待は裏切られた。日本を破り占領したアメリカは、日本を社会主義の国にする気なんて全くなかった。

これは再確認であるが、私も日本が戦争に突き進んだ原因の一つに、社会の富が不均衡であったことがあると思っている。明治維新以来、欧米に侵略されないように富国強兵を目指した日本である。

そのために、資本を集中させて大企業、財閥を作って世界史的にも稀に見る軍事的高度成長を遂げたのが明治末期から昭和初期の日本である。しかし、資本の集中は富の偏在を招き、世界がアメリカ初の大不況に陥ると、日本では貧しい者ほど苦しんだ。

しかし、大企業、財閥は大不況下でも生き延びた。それゆえ日本の民衆に不満がうっ積して、5,15事件、2,26事件などを引き起こした。その不満を緩和するため、当時の日本政府が採ったのがシナ大陸への進出であった。これこそが後の太平洋戦争へと突き進む発端であった。

その意味で、日本の敗戦は資本主義の歪みから生じたものであるとの解釈は、そう間違っていないと思う。しかし、その日本を打ち負かしたのは、資本主義の権化であるアメリカである。ここを観てみないふりをしたからこそ、戦後の左派政治家は政権を執ることが出来なかった。

しかし、日本は本来社会主義国を目指すべきとの信念を正しいと盲信したがゆえに、左派政治家、左派に肩入れする学者、マスコミ、教師、労働組合は頑迷なまでに現実を直視することを避け続けた。

だからこそ、決して多数派にはなれなかったのが、戦後の心情的社会主義者たちであった。正しいはずなのに受け入れられないことが、彼らを反米、反日、自虐路線へと走らせた。

実は似たようなことが、朝鮮半島南部でも起きていた。ただし、1990年代以降に顕在化したことが特徴である。もっといえば、ソウル五輪の後からである。経済的に実力を付けた南コリアのホワイトカラーは、ソウル五輪の成功で自信をもった。

曰く、日本の支配から脱したコリアは、本来は統一国家となるべきであった。しかし、日本とアメリカがそれを妨害した。この妨害さえなければ、北の偉大な首領様と力を合わせて、我々は強大な統一コリアとなっていたはずだ。

でも、現実はアメリカ軍の基地が駐在しており、自由に北の首領様と会うことも許されない。朝鮮戦争? あれこそ、統一の絶好の機会だったのに、アメリカが妨害した。アメリカこそ統一コリアの最大の敵である。

でも面と向かってアメリカを敵視するのは浮「ので、アメリカの金魚の糞である日本を叩けばいいじゃないか。叩けば、あいつら金を出すから便利、便利。サムソンやヒュンダイなんて、アメリカに尻尾を振る一方で、コリアの民を搾取する資本主義の悪魔ではないか。

こんな現状を変えなくてはいけない。そう思って南コリアの政界に登場して、遂には大統領に上り詰めた。半導体産業が危機だ?自動車工場が撤退する?

それがどうした。我らが目指すべき至上の目的は統一コリアである。多少の損害なんかに負けてはいけない。統一さえすれば、全ての問題は解決するに決まっている。

目標達成は、もう目前である。諦めてはいけない。断固として戦わねばならない。


・・・たぶん、こんなことだと思いますぜ。話し合い?通じる訳ないでしょう。こんな時こそ冷静、冷徹、冷淡に日本の国益を守ることを考えるべきだと私は思います。世の中には話し合いが通じないことがある現実こそ、日本は認識すべきです。
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