ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

自民党内展望

2020-07-31 12:42:00 | 社会・政治・一般
議会制民主主義に於いては、議会の過半数を握れば政権はとれる。

ウソではないけど、現実は必ずしもそうとは限らないから面白い。多くの場合、議会は政権与党と野党とに分かれる。当然、与党は議会の半分以上を握っている。

しかし、現政権は連立与党である。自民党と公明党であるが、圧涛Iに自民党が多数を占めている。そして自民党は内部に複数の派閥を抱えた連合政党でもある。つまり議会の半数のうち、自民党内部で過半を握れば政権はとれる。

少し極論となるが議会の半分ではなく、四分の一を握れば、ほぼ政権は目前となる。

ところが、今の自民党には、自民党内の半分を握れる可能性のある若手がいない。安倍首相の一強状態が長く続いているのは、まさに若手が育っていないからだと思う。

今の自民党で安倍以外で過半を握れそうなのは、菅官房長官か二階幹事長ぐらいではないだろうか。後は麻生氏か岸田氏ぐらいだが、麻生は元・首相だし、岸田氏は党内人気が薄い。

マスコミ、とりわけ朝日が持ち上げている石破氏は、党内人気が絶望的。この人、頭は良いし、語り口は丁寧で、難しいことを優しく述べることが出来る才人だ。ただ党内での人望が欠如している。

またワイドショーご用達のタレント政治家と化している小泉氏は、石破に負けず党内人望がない。マスコミ人気は、党内人気ではない。非主流派派閥の一員として、自分の立ち位置に気を配っていた親父とは大違いの勘違い野郎である。

期待している向きには申し訳ないが、石破氏も小泉氏も首相の座に就くことはないと予測している。

民主主義とは多数決原理主義である。直接選挙制ならば、マスコミの作り出すイメージだけで人気を得ることは可能であろう。しかし、間接選挙制では、同じ議員から支持されなくては、決して多数派とはなれない。

石破氏も、小泉氏も何故に同じ議員たちから支持されないのか?なぜに人望がないのか?なぜに自分を押し上げてくれる同志を得られないのか?

これが分からず、改善されない限り、彼らに首相の道は開かれないと思います。
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警官の血(下) 佐々木譲

2020-07-30 11:24:00 | 
私がこの本は面白いと評価する基準の一つは、どれだけ夢中になれるか、である。

具体的に云えば、電車での読書中に降りるべき駅を通過するほどの夢中さ、である。

イイ年して、降りる駅を忘れるほどに読書に夢中なのもどうかと思うが、そんな作品は滅多にない。だからこそ、この本は面白いと断言できる。

ただ、ミステリー好きの人だと、犯人に気が付くのは早いと思う。実際、私は上巻で当たりを付けた。でも、そんなことはお構いなしで、この本は楽しめた。

しかし、大菩薩事件を舞台の一つに設定されたことには、嬉しさ半分、不快さ半分ってところだ。

私は小学生の頃には、既に共産主義革命に強い憧れを抱いていたので、もちろん大菩薩事件のことは知っていた。知ってはいたが、知りたくもないことは、敢えて知らずに済ませていた。

日本のTVも新聞も、この大菩薩事件を積極的に報道することは稀だ。知らない人も多いと思う。これは当時の赤軍の一分派が東京の西方向、山梨県の大菩薩嶺での軍事練習をしていたところを、公安警察が察知して銃撃戦まで起きた戦後の大事件であった。

日本では共産党は、平和的革命、すなわち選挙で多数派を握り政権を取っての穏やかな革命を目指すとされている。わたしゃ、大きな声で叫びたい。それは半分は本当で、半分はウソだと。

本来、マルクス主義を掲げる共産党は、ソ連で開催されたインターナショナル宣言に基づき、武力革命を世界で起こすことを目的としていた。ただ、穏健な革命を目指す共産主義者もいたが、本来の共産主義は武力革命こそが本質であった。

しかし、日本では穏健な話し合い志向が強く、日本共産党内部でも多数派はこの穏健派であった。しかし、共産党はプロレタリア独裁を目指す政党であり、その党内運営は断じて民主的ではなかった。

なにせ党の運営は、武力革命の信奉者である宮本謙治に握られていた。だから60年安保闘争に敗れ、穏健派路線に転向のそぶりをみせながらも、その下部組織である民青や、全学連にはまだまだ武力革命支持派がかなり居た。

その武力革命支持派に大ダメージを与えたのが、この大菩薩事件であった。これは武力革命派にとって致命的とも云える失敗であった。この後、日本共産党の武力革命派は二分される。

すなわち今は時機ではないと諦めて潜伏した人たちと、共産党とは袂を分かち、テロリストとして生きる道を選んだ人たちとに。私が共産党の若手の人たちと知り合ったのは、まさにこの分裂期であり、私なんぞは未来の革命戦士の卵だと言われたこともあった。

しかし全体としては、武力革命の炎は消えつつあり、それを憮然たる想いで見つめていた若者たちは、やがてシラケ世代と呼ばれるようになる。私に共産主義が実現するはずの平等で正当な世界の夢を語ってくれた若者たちは、次第に姿を消してしまっていた。

私は失望から共産党の人たちとは次第に距離を置くようになり、登山と受験を理由に立ち去ってしまった。だから、その大きな転機となった大菩薩事件自体が、公安のスパイが潜り込んでいたが故に起きたことを直視してこなかった。

いや、この公安のスパイ潜伏の噂は、民青の若者たちにも深い亀裂を残したとみるべきだろう。本来、同じ夢を共有する同志であるはずが、互いに疑心を抱きつつある不健全な状況を、なんともいえない淀んだ空気だと感じていた。

変な話だが、当時十代前半であった私が、既に二十歳を過ぎている若者たちから重宝されたのは、私がスパイである可能性がほとんどなかったからではないかと思う。もっとも、その私はスパイが潜んでいるかもしれない現実を、見て見ぬふりしていた。

スパイなんているはずないと信じ込みたいだけの子供が当時の私であった。だから本書を読んだ時、その部分だけは、正直ちょっと嫌だった。まぁ、これは私の我儘に過ぎないけど。

読了後、私が思ったのは、やっぱり私は警察が嫌いだってこと。その必要性は認めているし、組織の論理も分からないほど幼くはない。でも、やはり好きにはなれないな。

そんな私の私情とは無関係に、本書は面白い。それだけは断言できます。未読であったら是非、手に取って欲しいと思います。
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警官の血(上) 佐々木譲

2020-07-29 13:16:00 | 
私は子供の頃からの警察嫌い。

とにかく嫌いだった。よくよく思い出してみると、まだ幼稚園の頃に、どこぞの屋敷に潜り込んで虫取りをしていたのを発見されて、交番に引っ張られた時の印象が悪かったのだと思う。

今にして思うと、あのお屋敷、多分政府のお偉いさんのお宅だったようだ。何故なら門ペイの脇にテントが張られていて、警官が警備していたからだ。そしてもちろん私らガキどもは正門なんざ無視して、裏の垣根の隙間から入り込んでいた。

虫取りに聖域なしというか、欲しい虫がいそうな場所ならば、そこが米軍基地の敷地内であろうと平然と張り込むガキンチョの私である。ただ、あの時の警官の態度は悪かった。いや、悪質だっとと思う。怪我の跡が残らないような場所を執拗に痛めつけられた。

嫌なことは数日経つと忘れる、能天気頭の私だが、あの厭らしい痛みは忘れがたく、警官を見ると敵意と警戒感が生じる。特に致命的だったのは、近所のお兄さんがデモに参加して、機動隊の棍棒で頭をやられて植物人間と化した事件だった。

私はそのお兄さんとは、あまり縁がなかったが、そのお母さんと弟さんたちとはご近所での顔見知りであったので、あの悲痛な泣き声は今でも記憶に残っている。米軍基地の隣町であり、当時は砂川事件などがあり、けっこう物騒な街であった。

そのせいで、母からは立川の米軍通りには絶対に行くなと厳しく言われていた。もちろん米軍通りには行かなかった。母は知らないようだが、あの通り自体は賑やかではあるが、金がないガキには無縁の場所だったからだ。

むしろ面白かったのは、その裏通りであった。犬と日本人お断わりの飲み屋街に行けば、酔っぱらった米軍兵たちがうろうろしており、機嫌がイイ米軍兵からは、ハーシーのチョコやペッツのガムが貰えた。

この界隈は日本の警察官は近寄ってこない。ただ、その代わりにMP(ミリタリーャ潟X)が巡回しており、私たちガキンチョを見つけると、市役所通りの方へ放り出される。でも、大柄な白人のMPたちは、概ね優しかった。

ただ、たまに意地悪な奴もいた。特に軍用犬を連れているMPは要注意だった。あの犬たちはマジで浮ゥった。噛まれることはなかったが、あの唸り声だけで、ビビってしまう。犬好きの私であったが、あの犬たちは危ないと本能的に気が付いた。幼馴染のジュンちゃんなんて、本気で浮ェって、ちょっとだけ漏らしていたぐらいだ。

この手の意地悪MPや日本人警官は、けっこう居て、こいつらの顔を見かけたら速攻で逃げ出していた。ところが不思議なことに、学校のクラスメイトには警官が好きというか、将来は警官になりたいなどと言う奴もいた。

だいたいが、クソ真面目な奴が多かった。むかつくことに勉強も良く出来るいけ好かない奴らだった。当然に私らとは仲が悪く、クラスでもいがみ合っていた。後になって分かったのだが、親が警官だった。

カエルの子はカエルであるのと同様に、警官の子は警官、先生の子は先生、そんなケースをよく見かけた。当時の私は、敵の子は敵くらいにしか思っていなかった。ただ、あいつらはイジメの的には出来なかった。それがヤバイことぐらいは悪ガキどもの貧弱な頭でも分かっていた。

後年、大人になってからも無意識に警官嫌いは続いたが、狡賢くなっていたので、それを表に出さない程度の世間知は持ち合わせていた。そのうち、年齢を重ねるにつれ、警官の子が警官になろうとする理由が次第に分かってきた。

理解が遅れたのは、私が基本的に世間の裏通りを好む偏屈な性格だからだ。多分、良家の子女が多く通う大学で4年間を過ごしたことも影響している。やはり最終学歴って大事だと思う。

偏見まみれの私が、多少でもバランスよくなってきたのは、お坊ちゃん、お嬢ちゃん達と知り合う機会があったからこそだ。あいつらと知り合うことがなかったら、どれほど毒舌と偏見を自覚なくばら撒いていたことか。ちょっとゾッとするほどである。

ところで警察嫌いは治ることなく今も続いているが、不思議なことに子供の頃からミステリー好きである。ただ刑事が活躍するものより、私立探偵が活躍するものを好んでいたことは確かだ。

だからあまり警官が活躍する小説は、若い頃はほとんど読んでいないと思う。例外は87分署シリーズぐらいだ。まぁ、あれは外国の話だから許容できた。日本の警察ものは、小説、TVドラマ、映画を問わず嫌っていた。それだけに40過ぎてから、読みだすようになると、警察小説嫌いは単なる食わず嫌いであったことが良く分かった。

そんな代表作の一つが表題の作品だ。(長くなりすぎたので、感想は次回)
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助けが必要な動物たち

2020-07-28 13:31:00 | 社会・政治・一般
生き物を飼うことの責任に気が付かない人は多い。

今年2月以降、新型コロナウィルスによる自粛と自宅待機は、様々なところに影響を及ぼしている。特に人を集めて稼ぐ興業の分野では、深刻な問題が起きている。

それが動物園であり、水族館である。博物館や美術館も同様だが、こちらは物品展示なのでまだ良い。だが動物も魚も生き物である。生きていく為には、食料が必要である。

その食料はタダではない。買わねばならないが、そのお金は施設への入場料で賄っている。特に大型のゾウやカバは大量の飼料を必要とする。またアザラシやイルカ、シャチはかなりの大食漢であり、生の魚が必要となる。これらの餌を購入するための資金が枯渇しつつある。

もちろん餌を給餌する飼育員たちの給料も必要だし、光熱費も馬鹿にならない負担である。だがご存じの通り、新型コロナウィルスの拡散を防ぐため、自宅待機のみならず、営業自粛を求められている。

既に多くの動物園、水族館が経営的な苦境に悩んでいる。多少、補助金を頂いたところで、ゾウさんやアザラシたちの胃袋は満たされない。海外の動物園では、弱い動物を肉食獣の餌に回すことさえ検討しているという。

公立の動物園、水族館は、まだマシだが民間経営のところは深刻に悩んでいる。

私は子供の頃からの大の動物園、水族館好きである。こんな時こそ応援したい。ところがこれが案外と難しい。まず旅行にいけない。行っても休園中である。

そこで通信販売などでグッズを購入してみたい。ダイオウグソクムシの縫ぐるみなんて、ちょっとグロくて楽しいぞ。しかし、ちょっと買うのは躊躇うな。

そこで寄付という手もあるのだが、これに対応していない施設も多い。クラウドファンディングで資金を集める動物園もあるようだが、税法上の寄付金控除の対象となるような寄付制度を設けていない施設も多い。

日本では寄付自体、あまり根付いていないので、寄付を受ける公式な仕組みを分かっていない施設は多い。文化省の認可とか、いろいろと行政上の複雑な手続きがあるのだが、これを機にしっかりと対応して欲しいものだ。

本当は施設に出向いて、そこで直接お金を使うのがベストだとは思う。でも、それが出来ないのならば、せめて寄付とか通販とかで間接的に支援したいと思います。
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現場知らず

2020-07-27 14:03:00 | 社会・政治・一般
現場を知らずに、理想だけふりまわすから、こんなことになる。

新型コロナウィルスの拡散を抑制するためのステイ・ホームと店舗の休業は、規模の小さな事業者には致命傷になりかねない。この程度の予測は政府も出来ていたようだ。そこで「持続化給付金」やら「休業協力金」といった補助制度が急遽、打ちだされたのはご存じの通り。

ただ、その際になるべく申請代行業者などに中抜きされないように、事業者本人に申請を限定した。その意図は良い。でも、大元で電通に中抜きされていたのは呆れた。まぁ、どうせ天下り官僚の懐に収まるのでしょうけどね。

ところで私は5月以来、お目目がクルクル回っちゃうほどに忙しい。その原因が一連の補助金申請のサメ[トである。

正直、それほど難しい申請ではないが、これれを零細事業者本人にさせるのはハードルが高い。もちろん、自分であっさりと出来る事業者もいる。が、出来ない方のほうが多い。

なぜなら、これらの零細事業者は、仕事をして、請求書を出して入金したら満足。その経理処理は、多くの場合会計事務所に丸投げのことが多い。前年比5割減といっても、請求書ベースでの集計すら満足に出来ず、その証拠資料としての会計書類ともなると、なんのことだか分からない人が少なくない。

当たり前だ。それらは私らが商法に基づき、会計原則に従い、複式簿記で記帳して作成している。多くの事業者が私らにまかせっきりなのだから、自分で申請しようとしても戸惑うばかり。

もちろん自分で出来る方も少数だがいる。だが大半はそうではない。そのため、申請をサメ[トする役割は、結局私ら会計事務所の人間がやらざるを得ない。
実は当初は、税理士は補助金申請業務に係るなと連絡があった。でも途中から、それが非現実的だと分かり、サメ[トならいいよと追認してきやがった。

だったら最初からやらせろ!

おかげで時間と手間の無駄がどれほどかかったことか。そのせいで、あたしゃこの二か月、週に1日休むのも厳しかったんだぞ。疲れた~~~。やっと終わり、本業に戻ろうと思ったら、先週新たに家賃補助制度がスタートした。

またか・・・でも、これは役に立つ補助金だ。仕方ない、顧客のためにエ~ンヤコラ~っと。早くこの騒動、終わって欲しいですわ。マジ、疲れたよぅ。
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