ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

7年目を迎えて

2011-11-30 12:03:00 | 日記
気がついたら、準備不足で小学生になっていた気分だ。

このブログを書き始めて、いつのまにやら7年目に突入した。お気づきの方もいるかもしれないが、今年は取り上げる本が小説に偏っている。

理由は単純で、図書館に通う時間がとれず、社会科学や自然科学、歴史、博物誌などの書物をほとんど読んでいないからだ。

原因は分っている。仕事が忙しいだけでなく、母への毎週末の見舞いなど私生活も多忙を極めているからだ。実際のところ、忙しい忙しいと言いつつ、しっかり睡眠はとっている。これは健康を守るための最低限の努力だと思っているので、断固として眠る。

いや、断固たる決意なんぞなくても、しっかり一日6時間以上眠っている。なぜって、疲れているので、眠らねば身体がもたないからだ。

忙しい朝はともかく、夜に帰宅してからも夕食の準備、片付け、洗濯、風呂、アイロンかけと結構忙しい。だから、家でゆっくり読書さえ出来ずにいる。

せめて図書館が夜9時まで開いていればいいのだが、私の地元の図書館は6時に閉館となるため、どう頑張っても借りに行くことが出来ずに居る。

おかげで欲求不満がたまるばかりだ。今年は民間軍事サービスについて掘り下げるつもりだったし、原発関連の本も読みたかった。遺伝子工学や海外の保険制度についての本も読もうと思っていた。

にもかかわらず、まったく読めていない。これじゃ、「あいうえお・・・」も知らずに小学校に進学した幼稚園児みたいなものだ。みっともないったら、ありゃしない。

なんとかせねば、の気持ちは強いが、今のところ抜本的な解決策は見出せない。3月の震災の悪影響は今も続き、とにかく仕事量を確保せねば、資金面で行き詰ってしまう。

お恥ずかしい話だが、先月までは売上が前年割れの状態に甘んじていた。小さい仕事をいくつも積み重ねて、ようやく前年並みの収入を確保する目処はたった。だが、余裕はなく、今も仕事に奔走している。おかげで、相変わらず図書館には通えずにいる。

不景気が悪いと言いたいところだが、要は自分の自覚次第だろう。疲れて帰宅して、休日にスパでゴロゴロしている自分が悪い。ちょっと気合入れて、図書館まで行けばいいだけなのだろうが、年のせいかナマケ熊の本性が甦り、フニ~と寝転んで動けない。

まだ50前だというのに、この有様では先が思いやられる。いっそのこと、銀座界隈の図書館でも使ってみるか。でも、徒歩10分以上かかるのが難点。通勤途上の国会図書館のほうが、まだ近いかも・・・

既に自宅は本の山に閉ざされており、ハードカバーの本は買うわけにはいかない。やはり、地元の図書館の開館時間を延ばしてもらうか、それとも土曜日に仕事に行かずに済むよう、仕事に余裕が出来るしかないか。

うん、やっぱり不況が悪い。でも、今の政府に景気回復は望めないぐらいは分っている。あァ、悩ましい。
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北朝鮮戦の敗北に思うこと

2011-11-29 12:55:00 | スポーツ

海外遠征が足りない。

ワールドカップのブラジル大会出場を目指して、アジア三次予選が各地で行われた。我が日本は、繰上げ出場のタジキスタンを下して、既に三次予選の突破を決めた状態で、22年ぶりに北朝鮮の首都ピョンヤンに乗り込んだ。

結果はご承知のとおり、0対1での敗戦。惜敗といいたいところだが、押されっ放しの90分であり、不様な負け試合であった。

夕方に行われた試合でもあり、私は生中継は観ていない。ダイジェストで観ただけなので、あまり偉そうなことは言えないが、明らかに圧倒されていた。

日本はメンバーの半分を控え選手で埋めたから、一軍半のチームなのは確かだが、それほど格落ちするほどのメンバーではない。代表では控えでも、海外のチームで活躍したり、Jリーグのチームでは主軸となって活躍している選手ばかりだ。

ただ、既に三次予選突破を決めているだけに、選手たちに怪我を恐れる気風があったように見受けられる。特に北朝鮮はガチガチと当たってくるチームなので、それを厭う印象が強かった。本田や長友のように、身体の強い選手は跳ね飛ばすことができるが、そうでない選手はどうしても圧されてしまう。

またDFもGKも控え選手の登用であったせいか、連携が今ひとつであったのも失点の原因になった。これは致し方ない。どの国の代表チームも、この点は苦労している。

実のところ、日本は北朝鮮のようにガチガチとぶつかって来る相手を苦手にしている。現在、チームの中核となっている遠藤なんて、優れたテクニックを持ちながらも、激しく身体をぶつけてくる相手を苦手としていたが故に、長年代表では控えの選手に甘んじていた。

その遠藤を開眼させたのは、オシム監督であった。ピッチを縦横に動いて、相手の激しいぶつかりを避けるだけでなく、チーム全体を活性化させる走るサッカーを叩き込んで、遠藤をピッチの主役に成長させた。海外での遠征試合で、オシムは遠藤を直々に指導して、チームの中軸に育て上げた。

トルシェエもジーコもオシムも、海外遠征を極めて重視していた。日本選手の強化には、海外で強豪国との試合が不可欠だと訴え続けた。もちろん、ザッケローニもそれを望んでいた。

本来、今年はコパ・アメリカ大会に招待されており、この大会が選手強化の柱になるはずであった。しかし、3月の東日本大震災でスケジュールに狂いが出たJリーグを尊重して、出場を辞退せざる得なかった。

また福島原発の風評被害ゆえに、強豪国を日本に招聘することもままならなかった。おかげで、現在の日本代表は、ここしばらく海外での強化試合をほとんど経験していない。

その弊害が、今回の北朝鮮戦の敗北であったと思う。つまるところ、Jリーグを優先して、海外試合を断った日本サッカー協会の判断が敗戦を呼び込んだ。マスコミはその点を断固、指摘して非難すべきだ。

でも相変わらずマスコミは、レベルの低い報道に留まっている。北朝鮮の異様さなんざ、なにを今更のことであり、いちいちそんなことを繰り返すな。真に報じるべきは、日本サッカー協会の醜態であり、自らの見識の低さであろう。

次の最終予選には、元・日本代表監督であるジーコ率いるイラクも出場してくる。どのチームも日本の弱点を研究してくることは間違いない。事実、三次予選でさえアジアの強豪国であるサウジ、韓国、オーストラリア、イランは苦戦している。

次のブラジル大会に、日本が出場できる保証なんてない。そのくらいの危機感をもって欲しいものです。

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一弦の琴 宮尾登美子

2011-11-28 13:32:00 | 

無芸小食、人畜無害が私のモットーだ。

とはいえ、芸事の一つぐらい、やっておいたほうが良かったかもしれないと思わないでもない。なにを今更だが、子供の頃から何一つものになった芸事がない。

最初はカワイのオルガン教室だったと思う。数ヶ月通ったが、年末の発表会では、なぜかタンバリンを叩いていたぐらいだから、よっぽど才能がなかったのだと思う。

続いて、個人宅でのピアノ教室にも通わされたが、分ったのはピアノの鍵盤を足で踏んではいけないことだけだった。

その後は、カブスカウトとボーイスカウトだが、これは結構気に入っていた。しかし、引越に伴い退団せざるえず、新しい街では、近所になかったので自然消滅。もっとも、後年ワンダーフォーゲル部で登山をするようになった下地にはなったと思う。

そのほか、算盤とか書道とかもやってみたが、どれも中途半端で終わっている。中学時代は帰宅部だったので、部活にも無縁であったため、芸事は本当に縁がない。

子供の頃から続いていることといったら、せいぜい読書ぐらいだ。でも、読書は芸事とは言いかねる。これは単なる趣味にすぎず、しかもたいした読書量ではない。おかげで、なんとも芸の無い大人に育ってしまった。

ビートたけしが、壮年になってからピアノを習いだした気持ちが良く分る。自分の気持ちを楽器で演奏することが出来たら、きっと素敵だと思う。

思うけど、そのレベルまでいきつくには相当な修練が必要であることも分る。以前、時折顔を出していたシャンソニエのピアノ奏者に、ピアノを楽しめるようになったのは、何時ぐらいかと訊いたことがある。

そのピアノ奏者は、幼い時からピアノを叩き込まれ、アメリカの名門音楽大学に留学したこともある方だが、私の質問に「30過ぎるまで、楽しいと思ったことはありません」と断言された。

でも、続けたのですよね、と問うと、「ボクには、ピアノしかありませんでしたから」と思いつめたような口調で、答えるというより、自身に確認するかのような言葉を返してきた。

その言葉の背後に過酷な修練があることが、素人の私にもよく分った。怠け者の私は、ここまで耐えられる自信はない。

だから、芸事を極めた人を見ると敬意すら感じてしまう。

表題の作品は、一弦琴の奏者として、またその普及に人生を賭けた主人公の生涯を描いた宮尾登美子の代表作の一つ。幕末から明治の激動の時代に、己の人生を体現するものとして一弦琴を選んだ苗とその弟子の生涯は、読む者を惹き付けてなりません。

芸事とは無縁の私ですが、価値観の相違や時代の違いなどを超えて、一芸に賭けた人生の凄みを知ることは、読書の醍醐味の一つだと思います。機会がありましたら是非どうぞ。

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黄昏のユーロ

2011-11-25 15:19:00 | 経済・金融・税制
ヨーロッパがきな臭い。

ギリシャに端を発した金融不安が、イタリアどころかフランスにまで拡がっている。円高ユーロ安は、かつてないほど進みつつある。

だが、これは分っていたことだ。元々ユーロ自体が、過大に評価されていた。EU自体は、現在世界最大の市場であるのは事実だが、むしろ弱者連合の意味合いが強い。

18世紀の産業革命の発祥の地であり、19世紀から20世紀にかけて世界の過半を支配したのがヨーロッパの国々であった。しかし、二度の世界大戦で疲弊し、植民地の多くを失った。

弱体化されたヨーロッパの利権を奪い取ったのは、ヨーロッパから落ち延びた白人たちの国アメリカだった。アメリカは、ヨーロッパの弱体化に応じて超大国の地位を得た。

これは屈辱であり、ヨーロッパの人々に根強い反アメリカ感情を与えたが、反面容認は出来た。だが、どうしても我慢できなかったのが、アジアの反攻だった。

まず、日本が攻め込んできた。武器は車と家電製品だ。安かろう、悪かろうと侮っているうちに、安いうえに性能がよい製品を売り込んできた。止む無く、ルールを変えたり、非関税障壁を設けて日本製品の津波から逃れようとした。

しかし、これまで自由貿易の理念を高く掲げたが故に、このような姑息な日本製品排除はプライドを大いに傷つけた。結局、日本側の自主規制という温情にすがって、かろうじて市場に生き残れた。

ところが、日本に続いて韓国、台湾、そして共産シナが攻め込んでくると、もはや身も蓋もなかった。もはや一国で耐えることが出来ないとの思いが、弱者連合のユーロを生み出した。

このユーロは単なる弱者連合ではない。背後に東ヨーロッパという未開の地が控えていた。マルクス主義の支配から脱却した東ヨーロッパの経済発展こそが、ユーロがアメリカとアジアに対して有する最大の武器だった。

そのはずだった。しかし、旧・東ドイツでさえ満足に市場原理は働かなかった。旧・共産党の根は深く広く、裏経済だけが肥え太る。既得権にしがみつく官僚の壁は高く、一般庶民の不満は高まるばかり。財政再建のための増税なんて、受け入れられるわけが無い。

元々ユーロは、アメリカとアジアの優勢に、単独では対抗できないが故の弱者連合だ。そのうえ、飴を撒き散らした愚民政策を繰り返した旧・東側諸国向けの債権が焦げ付いて足を引っ張る。

嫌な予想だが、ユーロは解体されかねない危機にある。元々統一体としての自覚も乏しく、身を削って貧者を助ける富者の我慢も限界がある。

もしかしたら、一部分離もあり得るとさえ思う。

地球の反対側の話だと思ってはいけない。日本とて、ヨーロッパ同様衰退の基調にあることは変わりなく、この先如何に衰退していくかが、課題となっていることに変わりは無い。

かつて、ユーロが立ち上がった時に、これを来るべき世界政府のモデルになると、甘い夢を見た人たちは、今こそ現実を直視すべきた。

そして、当然だがアジアでの統一経済モデルなんざ成立する可能性はないことぐらい、いい加減分って欲しいものだ。政界、財界はもとより霞ヶ関にさえ、この甘い夢を信じているお間抜けちゃんが、けっこう居るから恐ろしい。

衰退しつつある日本にとって、黄昏の欧州から学ぶべきことは多いはず。夢に呆けてないで、しっかり現実を見据えて欲しいものです。
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ランゴ

2011-11-24 15:12:00 | 映画

ヒーローになりたいか?

そう問われると困ってしまう。子供の頃からウルトラマンよりレッドキングが好き。仮面ライダーよりもサソリ男が好き。正義の主人公よりも悪役たる怪獣、怪人の類に興味が惹かれる子供であった。

さりとて、まったくヒーロー願望がないわけでもない。幼き頃より世の中には理不尽なことが満ち溢れ、納得のいかない世間の常識に違和感を感じるがゆえに、それを打破してくれる何かを求める気持ちはもっていた。

それを自分の手でなしえてみたいとの淡い願望程度なら、たしかにあったように思う。だが、その矢面に立つ覚悟がないことぐらい察している嫌な子供でもあった。

だから自分がヒーローになりたいと自覚したことはない。むしろ現状を是正する正義よりも、破壊する暴虐さに憧れを抱いていたのかもしれない。

ヒーローになるには、勇気と覚悟が必要だ。では、ある日、ちょっとした勘違いからヒーローになってしまったら、どうする?

それが表題の映画の主人公であるカメレオンのランゴだ。体表面の色を変えて隠れるカメレオンの特技は、ヒーローには役に立たない。隠れては駄目で、堂々正義を掲げて先頭に立つことこそヒーローのヒーローたる所以なのだ。さあ、どうするランゴ。

時間潰しのつもりで観た映画だったが、思いのほか楽しめました。でも、吹き替えがジョニー・デップである必要性があったかどうかは、いささか疑問ですがね。

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