ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

自転車屋の閉店

2019-02-28 11:47:00 | 日記
近所に自転車屋がなくなってしまった。

この街に引っ越してきたのは昭和56年だったと思う。当時は近所に3軒の自転車屋さんがあった。そのうち私が通ったのは、祖父が愛用していた店であった。

自転車という奴は、パンクをすることが多く、自転車屋さんには年に数回は自転車を持ち込んでいた。パンクだけでなく、チェーンの締め直しや、ブレーキの点検など、けっこう小まめに整備をお願いしていた。

子供の頃から自転車大好きで、大人になっても車のハンドルを握っている時間よりも、自転車のハンドルを握っているほうが多かった。しかし、数年前から、なるべく歩くことを優先するため、自転車を止めてしまった。

止めたというか、正確には盗まれてしまって無くなったのだが、買い直すと徒歩優先が崩れると思ったので止めたが正しい。歩くよりも自転車のほうが楽なのだが、体重減量のため、なるべく歩くよう心鰍ッている。

だから、気が付いたら馴染みであった自転車屋さんが閉店していた。たぶん、店主の高齢化が原因だと思う。それが2年前のことだった。ところが、その後駅近くの自転車屋が2軒、ひっそりと閉店していることに気が付いた。

徒歩15分以内の自転車屋が全滅である。これ、けっこうショックだ。残すは徒歩で20分ほどかかる店と、車で10分ほどのオリンピックという大規模小売店だけだ。

自転車という奴は、けっこう整備を小まめにする必要がある。十代の頃は、自分でパンク修理から油さしまでやっていたが、やはりプロの手による整備は大事だと思っていた。だから定期的に整備をお願いしていたのだが、その自転車屋がなくなってしまうとは思わなかった。

もっとも世間一般的には、自転車の整備など念頭になく、油が切れて軋んだチェーンのまま自転車を漕いでる若い人も珍しくない。壊れたら捨てれば良いとでも考えているのだろう。

少し車を走らせれば、大規模な自転車屋がある。今はこのようなタイプが流行らしい。時代の流れなのかもしれないが、いささかさびしい気持ちにならざるを得ない。

目標体重まで減量したら、再び自転車を買うつもりだったのだけどなァ・・・
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コーン茶

2019-02-27 11:48:00 | 健康・病気・薬・食事
最近、少し気に入っているのがコーン茶です。

100円自販機で見かけて、試しに買ってみたら、思いの外美味しい。文字通り、トウモロコシから作られたお茶ですが、すっきりした薄味のお茶で、コーンのほのかな甘さが特徴です。

私が飲んでいるのはペットボトルのコーン茶なのですが、他にもパック入りのコーン茶も複数あるようです。調べてみると、コーン茶には、トウモロコシから作られるものと、トウモロコシの髭の部分から作れるものがあるとか。

よく知られているように、トウモロコシ自体は中南米原産なのですが、このコーン茶は韓国で商品化されて、あちらでは美容飲料として人気だそうです。

正直、美容には興味はないのですが、ノンカフェインで、カロリーも低く、ほのかな甘みが気に入っているので、最近はルイボスティと交互に飲んでいます。

ペットボトルのコーン茶に不満はないのですが、量が少ないので、出来たら自宅で作ってみたい。薄味なので、がぶ飲みが出来るのが嬉しい。

私は十代の頃から、ずっと珈琲を愛飲してきたのですけれど、最近は少し飽きがきています。珈琲は甘いお菓子と共に食べていたのですが、体重減量のため甘い物を控えているので、少々珈琲が重く感じてきたのが嗜好の変化の一番の原因だと思います。

実はもう一つ、試してみたいのがゴボウ茶。これも、ほのかに甘いらしいのです。ゴボウ自体は、味噌汁の具にするのが好きで、冷蔵庫に常備しているのですが、これを絞ると飲料になるようなのです。

なんでも、珈琲に似た味だとか。仕事が落ち着いたら、是非とも試してみたいですね。

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天皇への謝罪要求

2019-02-26 12:03:00 | 社会・政治・一般
かつてアメリカの下院議員にリチャード・ゲッパートという人物がいた。

苦学して弁護士になり成功して、アメリカ下院議員になったのだが、その名が全国に知られたのは「アルメニア人虐殺に対するトルコ非難決議」を主導したからである。その後、対日強硬派として名を挙げて、いつのまにやら大物議員に成りあがった。

ちなみに下野後は、トルコのロビイストとなる節操のなさを批判されている。言っちゃなんだが、この人を大物に仕立て上げた要因の一つは、日本がこの口先野郎を過大に評価したことも一因である。

それはさておき、私が今少し気になっているのが隣国の国会議長である。なんでも慰安婦(と言う名の売春婦)に天皇(日王だと言い張ってますけどね)は土下座して謝罪しろと主張している人物です。

日本史を学んだ方なら常識ですけど、実権を握っていた天皇なんて、後醍醐天皇が最後であり、6世紀以上、政治的な権力を握った天皇はいません。明治維新により天皇は最高主権者の地位に祭り上げられましたが、実際は形式的なもので、実権は薩長が握っていました。

つまり天皇は戦前から、君臨すれども統治せずといったイギリスの王のような存在でした。戦争の始まりも、終わりも承認するだけで、天皇本人の意思とは無関係な動きです。

ましてや、従軍慰安婦などという虚構の存在に謝罪する義務も必要もない。まったくもって、不愉快な話です。不愉快ではありますが、この人のことを過剰に取り上げるのは、止めた方が良いと思います。

想像ですけど、この人、おそらく次の大統領選挙を睨んでの反日発言だと思えるからです。現大統領はやること、なすこと上手くいかず、支持率は下がるばかり。唯一、点が稼げるのが反日。

これで生き延びて、南北統一という実績を残すことを夢見ているようですけど、その前に国内経済が破綻しそう。そこで、そろそろ次の大統領選を目指しての、この国会議長さんが「天皇に土下座させろ」と大衆受けする反日発言をし出したのだと思えるのです。

ここで、無名に近かったゲッパート議員を大物に仕立て上げた一因が、日本の過剰反応であったことを思い出して欲しい。この反日議員さんを過剰に取り上げると、むしろ支援することにつながると思うのです。

冷たく無視するのが、良いと思います。
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火の賜物 リチャード・ランガム

2019-02-25 11:40:00 | 
地球において、火を使って調理をして食事をするのは人間だけである。

食材に火を通すことにより、食べやすくなる。この事の意味は非常に大きい。人間が食事に費やす時間は、地球上の生物のなかでも、際立って短い。

例えばライオンだが、獲物を唐オてその肉を食べるのだが、肉の消化に時間がかかる。炎天下のサバンナでライオンが昼寝しているのは、休むというよりも消化のために動かずにいるのが実態である。肉を消化するのは、肉食獣にとってもけっこうな手間なのだ。

猿の中でも、比較的人間に近いチンパンジーは、雑食性だが割と肉を好む。だが、小型のサルを捕まえても、食べるのは柔らかい内臓中心で、筋肉部分は後回しだ。生肉を食べるのは、チンパンジーにとってもかなりの重労働で、平均して一時間は咀嚼しなければならない。

それを厭うて肉を吐き出すチンパンジーもいるという。果実や草葉を食べるゴリラなどは、起きている時間の大半を咀嚼に費やしている。草食動物ですら、反芻という重層的な消化活動をしないと、必要な栄養を取れない。

野性動物が人里に下りてきて人間の残飯などを好んで食べるのは、決して偶然ではない。彼らは知っているのだ。火を通して調理された食材が、非常に食べやすいことを。実際、調理された食材と、日ごろ食べている生の食材を選ばせると、大半の動物は調理済みの食材を選ぶ。

大半の動物が、食材を消化するのに多大な時間をかけている。ところが人間だけは、その時間が非常に短い。それゆえに、消化器官が他の動物に比べて小さい。咀嚼するための口も小さく、噛む力も弱い。

同時に、消化した栄養を多くを脳に回すことが可能な人間は知恵を発達させて、文明を築き上げた。火によって調理された食材が、人間を進化させたとの主張が、表題の書において主張されているのだが、相当に説得力がある。

著者はあまり関心がないようだが、私は読んでいて「鶏が先か、卵が先か」を考えずにはいられなかった。

想像なのだが、人類の祖先である直立猿人が火を通した食材の味を知ったのは、落雷により燃え上がった野火が自然に消火した跡地ではないかと思う。そこで、食べなれた獲物や、木の実などが焼けているのを見つけて、試しに食べてみたところ美味しかった。

しかも消化に時間がかからないことを体感した猿人たちは、やがて自ら火を熾して調理することを覚えた。その結果、噛む力は減少し、消化器官も小さくなり、替わりに脳が大きくなったのではないだろうか。

更に想像してみると、最初の調理法は直火焼きではなく、蒸し焼きではないかと思う。これは地面に穴を掘り、焼けて熱くなった石を底に敷き詰める。更に灰をかぶせ、葉っぱなどでくるんだ肉や木の実を置いて、土をかぶせて埋める。こうして数時間後には蒸し焼き料理が出来上がる。

この方法は現在も荒れ地で野外生活を送るアボリジニなどがよく使う調理法でもある。やがて土器を考案して、煮込んだり、蒸したりするようになったのだろうと、私は想像しています。

してみると、人間は直立猿人たちが、食材を美味しく食べるために努力した結果の賜物として進化してきたのかもしれません。我々が美味しい物に目がないのも当然かもしれませんね。
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ミシェル・ルグランの訃報で思い出したこと

2019-02-22 13:19:00 | 日記
考えたくないことは、記憶の奥底に沈めてしまうことがある。

だから完全に忘れていた。先日、フランス映画音楽の巨匠であるミシェル・ルグラン氏の訃報を耳にして、それが記憶の奥底から浮かび上がってきた。

中学生の頃に手ひどい失恋をして、いささか女性不信の気があった私を癒してくれたのは、高校一年のクラスで隣の席であったY子であった。楚々とした風情の女性であったが、割と自分の意見をしっかり述べる娘で、それが気持ち良かった。

授業をさぼってばかりいる私が成績の良いことを、よく訝っていた。私は予習中心の勉強をしていて、授業には2週間は先行して予習していたから、授業は復習に過ぎなかった。ただ、授業の内容を確認したかったので、さぼった授業についてY子にノートをみせてもらっていた。

そのお礼に、宿題の部分を教えてあげていた。放課後の教室で、たわいない雑談を交わしながら、ノートを見せ合う程度の仲であったと思う。でも、なんとなく彼女の好意は感じていた。

校内マラソン大会の時、路上を走る私に声援をくれたのは、多分Y子だったと思う。文化祭で彼女の所属するクラブのイベントに誘ってくれたりしてくれた事もあった。

ただ、あの頃私は女性に対して引き気味であったので、冷静に距離を保っていた。だから三学期の終業式の時、不在に訝っていたら担任から、彼女は両親の都合でフランスに旅立ったと聞いた時は、文字通り呆然としてしまった。

その前の週の最後の授業の後、Y子がいつも使っていたシャープペンをはにかみながら、「いつも勉強を教えてくれてありがとう」と言い添えて渡してくれた時、あたふたしたことを思い出した。なぜ、あの時理由を聞かなかったのか。

いや、それ以前、三学期時々寂しそうな表情を見せることに気が付いていながら、なにも尋ねなかった己の愚鈍さが恨めしい。あの終業式の日、私は記憶が途絶している。気が付いたら帰宅して、ベッドに潜り込んでいた。

泣いてはいないと思うが、心が麻痺して何も考えられなかったことだけは覚えている。そうだったのか、あの日から私はフランス音楽を聴かなくなっていたのか。

今にしてようやく思い至った次第である。あの時まで、私はけっこうフランス音楽を聴いていた。ャ泣iレフやアズナブール、ピアフ、ベコーなどの他、フランス映画の音楽も好きだった。

そういえばY子と話した話題の一つに、日曜日の夜にTVで放送された「シュルブールの雨傘」というフランス映画があった。小雨降るなか、カラフルな傘が舞う場面のことを話した覚えがある。あの映画に楽曲を提供していたのがミシェル・ルグランであった。

聴けばY子の事を思い出す、だから聴きたくなくなったのか。

なにかをして失敗したのならば諦めることも出来る。でも、なにもしなかったが故の後悔は、思い出すには辛すぎる。だから心の奥底に沈めてしまった。己の未熟さ、愚かさは、やはり苦い思い出である。

でも、ルグラン氏の楽曲に罪がある訳でなく、私の八つ当たりである。本当に素敵な曲ばかりなんですけどね。そのルグラン氏が亡くなったという。CDでも探してみましょうかね。
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