ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今後の産油国と、厭な予測

2016-02-29 12:03:00 | 社会・政治・一般

ガソリン価格の下落が止まらない。

何度か書いているが、貴重な地下資源である原油は、おそらく今世紀中には枯渇する。既に採掘可能な油田の大半が、自然噴出は無理で、海水注入など圧力を加えて原油を採取しているのが実情である。

であるならば、むしろ原油の価格は上昇するのが自然である。しかし、昨年の相次ぐ値上げをピークに、現在は下がる一方である。これは、なにを意味しているのだろうか。

私の考えでは、産油国の危機感の顕れだと思う。原油を輸出することにより、膨大な外貨を稼いできたが、それゆえに原油以外の産業が育っていない。それなのに、産油国の政府も国民も、豊かな生活に慣れ過ぎて、生活レベルを下げることが出来ずにいる。

それどころか、生活水準を下げさすことは、政府への不満を爆発させる結果になりかねない恐れがある。いや、それは既に現実化している。イスラミック・ステートの躍進こそが、その現れである。

西側先進国に原油を売ることで豊かな生活を享受してきた産油国は、いかに不満があろうと、欧米とは妥協せざるを得ない。それが敬遠な普通のイスラム教徒には納得しがたいストレスとなっている。

無邪気に欧米の近代文明を目指すことが、自分たちの幸せだと信じていた時期は、もう既に終わっている。実際に欧米で暮らすことで、むしろ近代文明に不信感を抱き、西欧的な価値観を疑い、イスラムの教えに回帰することに憧れる。

それがISの躍進の原動力であり、産油国はそれに気が付いて恐れている。如何に同じイスラム教徒であろうと、ISの進入が浮ュて、サウジもイランもシリア難民を受け入れることが出来ずにいる。

それどころか、国内の不満分子を抑えるためにも、どしてもお金が必要だ。そのためには、どうしたって原油を輸出して外貨を稼ぐ必要がある。

だから、産油国が集まって生産調整をしようとしても、決して上手くいかない。かくして原油の輸出は増えて、原油価格は下がっていく。

原油が枯渇して、それが露呈するのが何時なのか、実は誰にも分かっていない。分かっているのは、徐々に原油の産出が難しくなっていることだけだ。

狡猾なアメリカは国内に原油の油田を温存している。しかし、輸出する余力はそうないと思われる。残された原油は、おそらく南極大陸と、北極などの深海の海底油田だけであろう。

今世紀中に、原油採掘を発端とした新たな紛争が、南極などで起こることは、ほぼ確定だと私は予測しています。大量に石油を消費する大国である日本も、もちろん南極に基地がありますから、無関係ではいられないでしょうね。

でも、大丈夫。憲法9条、憲法9条と唱えていれば、戦争は起きないそうですから。

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ウォータースライドをのぼれ ドン・ウィンズロウ

2016-02-26 14:55:00 | 

本来、滑るためのもので、上っちゃいけないのがウォータースライドだ。

ヒネクレ者の私は子供の頃、このウォータースライドに登りたくてしかたなかった。でも、大概監視員がいて、「そこの子、登っちゃだめだよ」と注意されるので、仕方なく、スゴスゴと引き下がっていた。

その夢が叶ったのは、十代後半で、沢登をするようになってからだ。夏場の渓流で、緩やかな傾斜の滝を、草鞋の履いた足で、慎重に登っていくのは、実に爽快であった。

いや、爽快なのは、夏の暑さを吹き飛ばす水流のシャワーあってこそであり、実際には落ちてくる水流は結構な負担であり、足場を慎重に定めないと簡単に落下してしまう。

滝を数本遡ると、疲労が色濃く残るのは確かで、楽しいけど、相当な重労働であることが良く分かった。でも、滝を回避することはせず、きついと分かっていても、滝を遡ることを選択していたのが、若き日の私であった。

なぜかと問われると、困ってしまう。特に明白な理由があったとは思えないが、楽して遡行するよりも、より困難なルートを選ぶことに、自虐めいた喜びを感じていたのは確かだ。

そして、滝の激流に押し流されぬよう筋肉を張りつめ、落ちる恐怖に怯えつつも登ろうとする自分に、内心呆れていたのも、また事実であった。登り切った後の充実感は、他の何事にも代えがたい喜びであったが、失敗して滝壺に落ちて後悔したことも再三あった。でも、決して止めることはなかったと思う。

ところで、表題の作品は、ストリート・キッズ(路上の浮浪児)上がりの探偵である、ニール・シリーズの第四弾である。ニールに私が惹かれる理由は、彼が敢えて困難な道を選んで進んでいくところにある。

頭の回転が速く、機敏で、目先の効くニールではあるが、安易な道を選ばず、厳しい道程を選択する。もっと楽に、お手軽にやる方法もあるだろうが、彼は自らに修行を課すかの如く、より困難な手段を選らんでしまう。

かくて、彼はウォータースライドを遡る羽目に陥る訳である。その理由を知りたかったら、本書を読むほかない。ここ暫く多忙な私ではあるが、電車の中の読書で、あっという間に読みきれた快作です。機会がありましたら、是非どうぞ。

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野党結集に思うこと

2016-02-25 12:20:00 | 社会・政治・一般

なぜに多くの有権者の声に耳を傾けないのか。

民主党、維新の会、日本共産党、社民党など野党が、統一して今年の選挙に挑むという。また、民主党と、維新の会の統合も取り沙汰されている。

民主主義とは、数こそ正義であるのだから、力を合わせるといった方向性は間違いではない。間違いではないが、民主主義の根幹が蔑ろにされているのに、何故に気が付かないのか。

自民党が下野し、民主党政権が生まれたのは、自民党の失政あればこそだ。小泉・竹中による構造改革は、結局のところ弱者切り捨てであった。天下り官僚や、業績を悪化させた経営者は温存され、立場の弱い派遣労働者や、下請け孫請けの零細企業を切り捨てることで、改革だと誤魔化した。

だからこそ、有権者は自民党に見切りをつけた。新たな民主党政権に希望を託した。

しかし、民主党政権は、その有権者の思いに応えなかった。過去に掲げ続けた善意と正義の政策の実現の機会としか捉えなかった。長年、野党であった自分たちを支持してくれた少数の有権者(労働組合、反日自虐マスコミ)の希望を実現しようと奮闘してしまった。

だから、民主党政権は3年で見切りをつけられた。国政を託すに値せず、これが有権者の判断であった。

はっきり言うが、野党が連合を組もうと、選挙協力しようと、そんなことに多くの有権者は関心を持たない。今の野党に必要なのは、声の小さい多数派の有権者の思いに耳を傾けることだ。

間違っても、声がでかいだけの愚かな少数派を大衆の声だと勘違いしないことだ。マスコミやら識者やらが賢しげに語る与党批判に耳を傾けるのではなく、アベノミックスの恩恵とは縁遠い庶民の声こそ、耳を傾けねばならない。

率直に云って、安倍政権は失政が多い。それは経済面で顕著であるのは、各種経済指標に表れている。いくら、霞が関の官僚が、統計数値を恣意的に解釈しようと、景気低迷は明らかだ。

それなのに、野党もマスコミも、大臣や閣僚の失言ばかり報じている。肝心要の国民の惨状には目を背け、国民の嘆きには耳をかさない。本気で政権を取りたいのなら、この姿は小さく、声も小さい大衆にこそ関心を向けるべきだ。

有権者は、いくら野党が力を合わせようと支持したりはしない。有権者の思いに応える可能性がある政党にこそ、投票する。現時点では、与党はその思いに応えているとは言い難い。

チャンスは十二分にあるはずだ。しかし、今のままでは野党は自滅の道をひた走る。彼ら野党に見えているのは、長年自分たちを支持してくれた少数の有権者と、最近ポヤっと出てきた世間知らずで、不満だらけの一部の若者だけ。

このまま、選挙に入ったら、えらい投票率の低い選挙になり、他に選択肢がなかった有権者の消極的投票により、安倍政権が続くだけであろう。安倍政権もまた、大衆の小さな声には耳を傾けないので、日本は当面低迷すると思います。

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意外な日本土産

2016-02-24 12:04:00 | 社会・政治・一般

予めお断りしますが、守秘義務があるので、大幅に脚色はしていますが、大筋は事実を元に書いています。

都内某所での講習会の後のことであった。見知らぬ方から声を鰍ッられた。講習の内容についての質問であったので、私の分かる範囲でお答えした。口調からして、ある程度日本語を話せる外国の方であるようだ。

もっとも、その研修では私も受講者の一人であり、なぜに私に質問に来たのかが分からない。その後、誘われて軽く珈琲をご一緒した。どうやら、某東南アジアにお住いの華僑の方であるようだ。

当初から疑問に思っていたので、なぜに私に声をかけたのか、それとも以前会ったことがあるのかを尋ねてみた。

すると、その方が言うには、他の日本人はスマートフォンばかり見ていたが、貴方は本を読んでいた。きっと、勉強熱心に違いないと思ったからだと言う。

実のところ、私はスマホを持っていないだけだし、本はハードカバーのミステリーなのだが、そこは黙っていた。妙なところに注目するものだと思った。

名刺を交換し、翌日には連絡があった。投資用に幾つか不動産を探しているので、案内して欲しいという。不動産は、それほど得意という訳ではないが、話の内容からして運転手として案内して欲しいようなので、予め料金を打診して、了解を得たので半日、付き合うことになった。

郊外の不動産を数件見て回ったが、納得した物件はなかった。私が驚いたのは、その評価の基準である。一言で云えば、投資効率のみでの評価であった。これには驚くと同時に感心した。日本人の買い方ではないと思ったが、今後人口が減少する日本では、このような外国人の投資が大きな役割を果たすことは確かだ。いい勉強になったと思う。

その帰りのことだが、ホテルに戻る途中で、某ショッピングセンターに寄った。土産物を買うと言う。なんと、某キュー○ーのマヨネーズばかり、段ボール4箱分お買い上げであった。これには驚いた。なんでも、このマヨネーズは海外では、プレミアが付くほどの大人気な商品であるそうだ。卵の黄身だけを使った、このマヨネーズは他社製品と比べても格段に美味しいと評判なのだそうだ。

再び日本に来るので、その際もよろしくとのお言葉を頂きお別れした。海外の人は、その着眼点からして違うものだと驚いたものだ。

そういえば、車内での会話のなかで、「日本人、スマートフォンで遊んでばかり。あれは良くない」と語っていたのが、妙に記憶に残った。私はスマホは持ってないが、PCゲームには結構はまっているので、内心赤面しながら運転していた。そうだよなァ、時間は大切にしないとねぇと思いつつ、再び風雲をやっている私。

ふむ・・・もう少し読書の時間を増やしましょうかね。


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探偵ガリレオ 東野圭吾

2016-02-23 12:04:00 | 

透徹した論理に導かれた解答を呈示された時の快感は、たしかにあると思う。

世の中、分かっているようで、実は分からないことが多い。そんな訳の分からない世の中であるからこそ、科学的な分析と、そこから導かれる論理的な解明には、多くの人が納得してしまう。

だが、人間という奴は妙なもので、論理だけでは納得しない。

正確に云えば、論理だけでは答えは導けても、事件の解決は出来ない。あるいは、上手く解決に導けない。

事件を起こすのは人間であり、その事件は論理的に発生した訳ではないことが多い。ふとした感情のもつれとか、小さな行き違いの積み重ねによる鬱積とか、人の心の歪みが事件の背景にあることが多い。

だから、名探偵は単に優れた推理力により、論理的に事件の謎を解くだけでは、事件を解決できないと知っている。人を理解する叡智なくして、名探偵は成立しえない。

実はこれが、一番難しい。人の心は複雑だ。平静にみえて、激情が隠れていることはよくある。幸せそうな笑顔の奥に、癒しきれぬ不満を鬱積させていることもある。人の心を理解することなくして、名探偵はありえない。

探偵ガリレオこと、湯川先生は科学者として難事件を解決に導く論理的かつ科学的な思考の持ち主である。しかしながら、それだけでは名探偵になれない。人を観察し、その奥底に隠れた人の心を察する能力あってこその名探偵なんだと思う。

多分、名探偵は学校教育では作れない。観察力、洞察力、想像力が見事にバランスをとり、一見難解な事件の謎をひも解いていく。だからこそ、このシリーズは人気があるのだと思います。

コメント (2)
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