ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

タコ焼き屋の思い出

2010-10-29 12:29:00 | 日記
だって知らなかったのだもの。

大学生の頃、この時期は文化祭で忙しなかった。私が4年間を過ごしたWV部では、毎年のように模擬店を出していた。基本的に飲食店であったと思うが、なにを売るかはその年次第。

まあ、要はOBの人たちが店で飲み食いできればイイのであって、儲ける気もなければ、盛り上げる気もなかった。だって、接待だもの。

そうは言っても、まわりの雰囲気にも流されて、気がつけばお祭り気分で盛り上がる。その年はタコ焼き屋をやることになった。

あまり関心のなかった私も、当日には店頭にたって「タコ焼き~、美味しいタコ焼きは如何ですか~」と叫んでいた。初日は平日だったので、売上も低調だった。

実は毎年、模擬店とは別にお握りの訪問販売をやっていて、こちらが売上の主力だった。当然に女子部員たちが売り子である。男子部員の半分はキャンパスの裏側にある部室で、米炊きとお握り作りに奔走していた。残り半分は、模擬店でOBの接待と、タコ焼き売りをやっていた。

このお握りの訪問販売は、うちの稼ぎ頭である。たっぷり売り上げたお握りの代金を計算しながら、余ったタコ焼きを女子部員たちに振舞う。すると関西出身のS子が「ヌマンタさん、タコが入ってませんよ」と言ってきた。

へっ?

タコ焼きって、丸いからタコ焼きじゃないの?タコを入れるのかい?と聞き返すと、「え~~~!!!」と叫ばれた。タコ無しのタコ焼きなんて詐欺ですよと、真剣に抗議された。

だって、知らなかったのだもの。

いや、本当。東京育ちの私はタコ焼きなんて、ほとんど食べたことがない。多分、子供の頃から数えても片手で指が余る程度だと思う。食材の買出しに行った他の部員(これまた東京育ち)もタコが本当に入っているなんて知らなかったようだ。

慌ててスーパーへタコを買出しに行かせ、女の子たちに調理法を聞き、翌日からはタコ入りのタコ焼きを堂々売りに出した。めでたし、めでたしである。(過ぎたことは後悔しないのさ)

天候にも恵まれ、思ったより売上は上がり会計係の私はホクホク顔である。でも最終日の夕方になると上級生がやってきて、その売上全部で打ち上げ用の酒と肴を買って来いと言われてしまう。

この打ち上げの酒の量が半端ではない。買った酒以外に、酒を手土産に参加してくるOB、OGが多く、その夜は飲めや歌えやの大騒ぎとなる。

当然、家に帰れるはずもなく、狭い部室に雑魚寝で朝を迎える。酔いつぶれた私も、目が覚めると寝袋の中。どうも誰かが入れてくれたらしい。

私は酒をたらふく飲むと、なぜか早起きになる。その朝も5時に目を覚ましてしまい、寝袋から身を起すと、辺りは酒の臭いが漂う暗い部室である。咽喉が渇いたので、部室を抜け出し、まだ薄暗い夜明けの道をとぼとぼ歩きだす。

大学の正門傍のコンビニに飛び込み、ポカリスエットを買い込み、レジで精算していると、店員さんが妙な顔つきで私を注視する。

なんだろう?と思っていたら、おもむろに店員さん「顔のマジック、油性ですか?」と訊いてくる。

や、やられた~!

私が酔いつぶれている時に、先輩たちがマジックで悪戯書きをしてくれたようだ。鏡を見ると、猥雑な絵柄がおでこから顎まで書き込まれている。この顔で外を出歩いたのかよ、俺は。

まったくもって人気の少ない早朝で助かった。下手すりゃ痴漢扱いだぞ、この絵柄は。仕方なく油性マジックを消すための石鹸を買い足し、部室に戻って洗面所でゴシゴシと顔を洗う。

なんとか消せたと安堵していると、他の奴らも起きてきた。さすがに互いに顔の悪戯書きに気がついたらしく、皆文句を言いながら洗面所にやってきた。

犯人はもちろん先輩とOB連中のようだ。怒るに怒れない。私があの顔のままコンビニに行ったことを知った先輩、大笑いである。

行きつけの喫茶店でモーニングを奢ってもらいながら、憮然としていると「俺も去年、やられたんだから仕方ねえだろ」と言い放たれた。これだから体育会系のクラブは困ったもんだ。

実のところ、私の顔に書かれた悪戯書きは軽いほうで、なかには全身、しかもパンツの中までマジックで書かれた奴もいた。でも、その悪戯書きを知らずに、外に出歩いたのは私だけだった。

だって、知らなかったのだもの。でも、まさか・・・タコ無しタコ焼きの恨み?なんてね。いずれにせよ、学生って奴はバカやるものです。
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ザック・ジャパン始動

2010-10-28 12:03:00 | スポーツ
ホームでアルゼンチンに1-Oで勝利し、アウェイで韓国に0-0で終わったザック・ジャパン。

どちらも親善試合ではあるが、勝ったことがないアルゼンチンに対する勝利は日本のレベル向上を証するものであることは間違いない。ただし、あのアルゼンチンを本気だと思ってもらっては困る。

本気のアルゼンチンはもっと汚い。上手くて強くて汚いのがアルゼンチン・サッカーだ。アルゼンチン国内での試合であったら、まったく逆の結果が出ていたはずだと思う。でも、まあ、今回はちょっと嬉しかったね。

で、次のアウェイでの韓国戦だ。近年まるで勝てない苦手な相手にもかかわらず、良くぞ引き分けたと思う。サッカーに関する限り、韓国はワンランク上の相手だと思うので、親善試合とはいえ引き分けたことは評価していい。

二試合を観ただけで判じるべきではないが、それでも感じたのは、攻めの速さだった。日本は中盤に好選手を揃えている。そのためか、中盤でやたらとボールを回したがり、それが遅攻になりやすく、相手の守備固めの時間を与える結果となることが多かった。

オシムがその改善に着手していたが、志半ばで退任。後任の岡田監督になると俊輔、遠藤がゲームを仕切るためか、どうしても中盤でボールを回しがたる悪癖が出てきてしまった。弱い相手なら、むしろ上手いゲーム運びが出来る戦法なのだが、強豪相手では通じない。

そのため南ア大会前の強化試合は不様な負け試合が続く惨状であった。ところが大会直前に開き直った岡田監督は、不調の俊輔をはずし、徹底して守備を固めてのカウンターに戦術転換したことが吉と出た。

弱いチームがとるべき最上の戦術が、徹底しての守備固めとカウンター攻撃なのだ。中盤で攻めの形をつくることを伝統的に好む日本は、最後の最後で現実に目覚め、結果として予選トーナメントを突破してのベスト16だった。

この記憶が選手たちの間に鮮明に残っているようで、そのことが今のゲームに結びついているようだ。そこに現れたのがイタリアで過去の名監督であったはずのザッケローニ氏だ。

二試合を見る限り、やはり守備の意識の高い戦術だと思えた。攻撃サッカーを好むとの前評判のザッケローニ監督だが、やはりイタリア人。基本の守備から指導に入っているらしく、またその指導は非常に細かいらしい。

トォーリオと中沢という二大CBが怪我で不在にも関らず、今野と栗原という急造CBコンビは二試合を通じて、ほとんど破綻することのない守備を見せたことは驚きでもあった。

来年からはアジア杯の予選が始まるが、日本相手に守備を固める国ばかり。ここからがザック・ジャパンの真価が問われるはずだ。まだまだ不安だが、相当に期待が持てる新生・日本代表チームであることは嬉しい限りです。
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作並温泉

2010-10-27 12:23:00 | 日記
「月末の土日は空けて置くように」

事務所に戻ると、いきなり所長から言われた。別に予定もないので構わないが、なにかあるのですかと問うと、東北に旅行に行くとのこと。

はぁ?

で、所長は席を立ち、旅行代理店へ行って予約してくると言って、事務所をそそくさと出て行った。キョトンとして、他のスタッフを見渡すと、皆苦笑いしている。

なんでも長年の付き合いである某会社の社長さんと大喧嘩したらしい。この社長さん、いわゆる唯我独尊の親分タイプであり、日頃からわがままの目立つ人であったが、うちの先生は温和な性格なので、大概のわがままには我慢できた。

だからこそ30年以上も顧問契約が続いていたのだろうが、さすがに今回は堪忍袋の緒が切れたようだ。ストレスがたまったので、その発散に旅行を思い立ったようだ。

奥様に先立たれた所長は、高齢ゆえに旅館が一人での宿泊を嫌がるので、旅行もままならない。おまけに糖尿病のためにカロリー制限をしているので、旅館の食事は多すぎる。

そんな訳で、所長のストレス発散旅行につき合わせられることになった。いささか急に過ぎるのが難だが、大名旅行なみの贅沢は味わえるので、それ程嫌ではない。

木曜日の午後、早めに仕事を終えて一路東北へ向かう(金曜日は臨時休業)。八甲田、奥入瀬とまわり、最後の宿は仙台郊外の作並温泉であった。

連日続く豪勢な食事に飽きていたのだが、ここの宿の食事は別格であった。とにかく美味しかった。食材の新鮮さもさることながら、出来立ての味わいがあり、また味付けも濃すぎることがない絶品さ。

作並温泉は、その湯質の良さで有名だが、食事の印象が良すぎて、温泉自体の記憶が薄いほどだ。この宿には、再びお世話になりたいものだと思いながら帰京した。

ちなみに所長と顧問先の社長の喧嘩の原因は最後まで分らなかったが、数ヵ月後、奥様に引っ張られるように社長が事務所を訪れ、再び顧問契約の依頼があったが、お互いそっぽを向いている始末だ。

まったくもって高齢者同士の喧嘩は面倒臭さい。これを機に私がその会社を担当することになり、今に至る。その社長さんもお子さんに席を譲り、うちの所長の葬儀の際にも列席された。雷親爺もいつのまにやら孫に目尻を下げっぱなしの好々爺である。

あの喧嘩から十年が経ち、先日奥様から当時の経緯を伺うことが出来た。もしかしたらと思っていたが、やっぱりもの凄く下らない原因だった。

いや、下らないからこそ意地になったのだろう。くだらな過ぎて、逆に冷静な判断が出来なかったのだろう。これだから男って奴は・・・

もうすぐ、所長の一周忌だ。思い出の作並温泉を再び訪れたいが、実は件の温泉宿はもうない。数年前に温泉の無届採掘で処罰を受けて、廃業となったと聞いている。正直、かなり残念。

せめて料理長の名刺でも頂いておくべきだったと、いささか後悔しています。
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大阪ハムレット 森下裕美

2010-10-26 17:41:00 | 
可愛い絵柄に散りばめられた悪意、それが森下裕美の漫画の特徴だった。

人生って奴は、おそろしく不平等で、いかな努力も受け付けない不利な条件は誰にでも付きまとう。情けなくってイライラさせられるダメ人間はどこにでもいる。

外見の不細工さよりも、内面のえげつなさから敬遠される嫌な奴は、なぜかどこにでも必ずいる。どんなに一生懸命努力しても、生来の不器用さから失敗を積み重ねる不運な人も、決してなくならない。

森下の四コマ漫画は、素直な少年や、可愛らしいアザラシ(少年アシベ)で人気を博す一方で、その登場人物には必ず救いようのないダメ人間たちを登場させる。そこに森下の隠された悪意を読み取ることができる。

私はその悪意が気になり、面白いと思いつつもあまり積極的に読みたい漫画家ではないと思っていた。その森下が一皮向けた。

心に積もり積もった悪意が、底のほうに沈殿して、その上澄みが上質な香りを放つようになっていた。

登場人物たちは、いずれも可愛らしくもなく、むしろ不細工であったり、ダメ人間であったりする。故意にそのような人物ばかりを主人公に取り上げる。

だが、決して悲惨ではない。不器用な優しさや、控えめな心配りが読者の心を打つ。大阪の下町を舞台に繰り広げられる人間ドラマは、誰もが人生という舞台のハムレットであることを教えてくれる。

おそらく漫画家・森下裕美の代表作になるのではないかと私は思っている。絵柄で敬遠しないで、最初の一編だけでも読んで欲しい。半端な文訣?iが、裸足で逃げ出したくなるような珠玉の人間ドラマを鑑賞することが出来ると思うのです。
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動く島の秘密 ジュール・ベルヌ

2010-10-25 14:23:00 | 
技術の進歩は、人を幸せにするのだろうか。

西欧文明が世界の主流となりえたのは、その基盤に科学があったからだ。科学の進歩は、間違いなく我々の生活の質を向上させた。

化石燃料を燃やすことで得られる火力エネルギーの使用により生産力は飛躍的に増大した。鉄道や動力船、自動車といった運輸手段の高速化、大量化は世界を狭くした。医療技術の進歩は、生存率を高め、人口の増大に大きく貢献した。

なにせ蛇口を捻れば水が出る。スイッチひとつで部屋は明るくなる。かつては手に入らなかった食材も、よういに口に出来る。情報は多量にもたらされ、選択肢は限りなく拡がった。

だが、これで人は本当に幸せになったのだろうか。物質的な豊かさだけが幸せの基準ではない。物質的に貧しくても、幸せは十二分にある。要は気持ちのあり方次第なのだろう。

それでも科学の進歩は、多くの人に物質的な豊かさをもたらした。だが、その豊かさゆえに、争いもまた飛躍的に巨大化した。かつては不可能であった世界規模の戦争は、科学の進歩があってこそだ。

物質的な豊かさに目覚めた人類は、その欲望を留めることなく増殖させた。その欲望と欲望とが合い争う局面も、また争いを巨大なものへと化けさせた。

空想科学小説の走りといっていいフランスのジュール・ベルヌは、科学の進歩性を信じる一方、人間の欲望のどす黒さをも分っていた。だからこそ、彼の作品は単純な科学技術への賛美に終わらない。あくまで主役は人間なのだと、強く訴える。

どちらかといえば、「海底二万哩」や「80日間世界一周」などの作品のほうが有名だと思うが、少年期の私の心に深く刻まれたのが表題の作品です。

技術の粋を集めた人口島を作るのも人間なら、それを破壊するのも人間。技術がいかに進歩しようと、人の心まで進歩させるわけではない。

いかにIT技術が進もうと、遺伝子改良技術が進もうと、人の心、道徳心までもが進歩するわけではない。科学の進歩が賛美された時代にあっても、その背後に潜む危険を予見したベルヌの慧眼には感服です。
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