ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2023-12-31 15:08:16 | 日記

後数時間で令和5年が終わる。

形式上ではあるが、コロナ禍が終わった年であり、猛暑の年でもあった。私個人としては長年働いていた銀座の街を離れて神田へ移った記念すべき年でもある。

特段、記事にはしなかったが今年一番のイベントはやはりWBCにおける日本の活躍であろう。準決勝の対メキシコ戦の逆転劇も痺れたが、決勝の対アメリカ戦のトラウトvs大谷の勝負は、まさに手に汗握る大一番であった。野球はスポーツの王様なのだと痛感した一年でもありましたね。

一方、私が贔屓するサッカーでまず取り上げたいのは、女子サッカーの活躍です。近年低迷していたが復活の兆しありと思っていた。でも予想以上の頑張りでワールドカップ大会では惜しくもベスト8で敗退したが、その試合内容は胸を張れるものであったことは声を大にして言いたい。特に日本のマスコミ様は冷淡なので、改めて取り上げた次第。

男子サッカーは、アンダー世代の頑張りが目立ったが、やはりまだ粗が目立つ。個人技のレベルアップには驚かされるが、チームとしてみるとディフェンスに欠点が散見する。これは選手というよりもコーチたちの指導力不足というか引き出しの少なさが原因だと思う。

しっかりと事前に相手チームを研究し、その対応策を練った上での試合ならば、世界相手でもある程度成功している。しかし、相手チームが途中で戦術変更してくると、それに対しての対応策が十分ではない。これは日本人コーチに拘り過ぎた弊害だと思う。

森保監督や大岩、森山といった選手出身のコーチ陣のレベルアップは確かに実感できるが、やはり経験値不足、対応力不足は否めない。対ドイツ戦や対スペイン戦のことは忘れて、コスタリカに負けた試合をよくよく思い出して、初心に帰って奮闘して欲しい。アジア予選が厳しいのは毎度のことなのだから。

ところでgooに引っ越してきて最初の年末である。毎年年度末にはその年の読書などを振り返り、印象に残ったものを取り上げている。

今年に関しては歴史ものが強く印象に残った。一つは「ノモンハン戦争」 田中克彦だ。私はノモンハン事件として教わった口だが、これは良くない。責任をとるのが大嫌いな日本のエリートの誤魔化しであり、2万人近い軍人が死傷したノモンハン戦争として銘記されるべきだとの主張には大いに納得できた。

もう一冊は、「歴史がおもしろくなる東大のディープな日本史」 相澤理 である。私は日本の国公立大学は官僚養成学校だと思っていたので、講義の内容も重箱の隅を楊枝でほじくるようなものだろうと、勝手に思っていた。ところがどっこい、これは面白かった。よく考えているというか、考えさせられる内容だった。凄いぞ、いいぞ。私も聴講したいぞ。

でも、ひねくれ者の私であるからして一言文句。なんでこんな立派な講義を受けての行政が、あれほど稚拙なのだ?

次に漫画なのだが、今年はこれといった新作がなかった。強いて言えば、私が早くから注目されていた「デッドマウンドディスプレイ」がアニメ化されて、ようやく日の目を見たことだろうか。なにせ漫画を専門に扱う書店でさえ、店員に尋ねても聞き返される知名度の無さだったが、さすがに11月に新刊が発売された時は、店員がすぐに対応してくれた。これはこれで嬉しい。

アニメ化といえば、「薬屋のひとりごと」なのだが、我が家のTVはアナログなので、まだ視てない。CS放送は視れるので、こちらで放送されるかネットで視るかのどちらかだと思う。ちなみに近年地上波のTV局の低迷ぶりには嫌悪感すら抱いているので、当分は地デジ対応TVを買う予定はない。

そして幾度も書いているが、また書くぞ。富樫!仕事しろ。もちろん「H×H」である。なにやらネット上では最終回について議論がされているようだが、間違っても田中芳樹みたいな書き捨ては許さんぞ。それにしたって週刊誌で連載しながら一年以上休載とはねェ・・・集英社も連帯責任だぞ。

そして映画だが、もう3年以上映画館に足を運んでいない。これは医師の指示であったが、実はもう解禁されている。ただ仕事が忙しすぎて映画館に行くよりも、家で寝転ぶことを優先しているからだ。でも、絶対に「ゴジラマイナス1」は年始に観に行くぞ。これは家でのDVDではなく、映画館の大画面で観なけりゃダメだ。

でも、そのためには年末に十分身体を休めなければならない。昨年の二の舞は御免である。あの二度の入院のせいで、どんだけ苦労したことか・・・

文句言いつつも、この年で仕事が途切れずに続いていくことは、本当にありがたいと思う。顧客の寛容さと、スタッフの頑張りに助けられた一年であったことへの感謝も忘れずにしたい。さて、そろそろ仕事を切り上げて銀座のデパートで歳末の値引きを狙っての買い物に行きましょうかね。

皆様におかれましても、よいお年をお迎えください。

 

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錣山親方の死去

2023-12-28 09:44:53 | スポーツ

私は相撲を見るのは好きだが、正直言えば相撲取りはあまり好きではない。

何故かと言えば、相撲取りになるような人は子供の頃から大柄で横柄で傲慢な奴が多いからだ。実際、近所の二つ上のガキは、大柄というよりもデブだったが気性が荒く、こいつに公園などで出くわすと必ずちょっかいをかけてきた。

今にして思うと、乱暴者過ぎて同級生から嫌われていたのだと思う。でも、その腹いせに年下の子供たちをどつくのだから性質が悪い。頭も悪く、高校には進学せずに親戚の紹介で相撲部屋に入門した。

その年の夏の盆休みの時に帰省していたのだが、二回りは痩せていた。しごきで痩せたのだと考えた私とTちゃんは、夕方奴が一人でいるのを見つけて仕返しのつもりでケンカを吹っ掛けた。しかし、私らを見ても、つまならなそうな顔つきで通り過ぎようとした。

無視されたと激昂した私らは二人で挟み込んで突っかけたが、ほんの十数秒でぶっ飛ばされた。痩せたのではなく、脂肪が落ちて筋肉の塊になっていたらしく、下腹部に頭突きをかました私など首が痛くなったほどだ。半年前とは別人のような強さに唖然としてしまった。

以前とは異なり、弱すぎる私らに関心はないとばかりに、何事もなかったかのように立ち去ってしまった。まだ髷も縫えない下っ端にしてあの強さである。肉体的な痛みよりも、精神的なダメージが大きくて、私とTはしばらく落ち込んだ。以来、相撲取りには絶対にケンカを売ってはいけないと肝に銘じた。

実際、空手や柔道、あるいは総合格闘技の経験者ほど相撲取りの強さを認める人は多い。なによりも実際に相撲取りのあの異様な巨体を視てみるのが一番だと思う。ガチガチの筋肉の上に脂肪の鎧を着込んだ異常な生き物だ。

ただ、そのせいだと思うが相撲取りは一様に短命だ。あの異様な食生活により造られた異質な身体が原因なのは、多くの医療関係者が述べているところだ。今年亡くなった錣山親方(寺尾)は、現役の頃二枚目力士として人気を博したが、いわゆるそっぷ型の体形であった。

そのスリムな体形は力士としては苦労したようだが、少なくとも糖尿病などの力士に多い病気とは無縁であったと思う。しかし心臓疾患に悩み、61歳の若さで亡くなっている。正直あまり強い力士ではなかったが、それは寺尾関が角界屈指のガチンコ相撲をとっていたからだと云われている。

実際、引退後のことだが角界の改革を訴える貴乃花が理事選挙に打って出た際、彼を応援した数少ない親方の一人が錣山親方であった。格闘技にも関心が深く、特に旧UWF勢との交流は有名であった。彼の訃報を耳にしたプロレスラーなどからも、彼を惜しむ声がずいぶんと出ている。

相撲を大切に思っていた寺尾関だけに、他の分野に出ることはしなかったが、総合格闘技にも関心を寄せ、トレーニングの近代化を目指していたと聞いたこともある。正直その早すぎる死をとても残念に思います。

守秘義務があるので詳しくは書けないが、角界のタニマチ筋の間での寺尾関の人気は伝説級でした。にもかかわらず浮いた噂がまったくない堅物。酒豪ではあったようですが、酒乱の噂は聞いたことがありません。

相撲取りなんて乱暴者ぞろいだと信じていた私にとっても異例というか、特別な存在でもありました。謹んでお悔やみ申し上げます。

追記 実は今日が仕事納めです。でも、仕事が溜まっているので、年末年始もちょくちょくと仕事のため出勤します。なお、ブログの年内最終稿は31日に上げるつもりです。

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タクシー不足

2023-12-27 09:04:31 | 社会・政治・一般

日頃あまりタクシーを使わない性分なので気が付くのが遅れたが、タクシーが最近捕まらない。

心臓疾患のせいで自家用車を手放したので、時折タクシーを使っていたが、基本歩くのが好きなので気が付かなかった。

先月のことだが夕刻から発熱し、時期的にもコロナかインフルエンザを心配したので、近所の総合病院に電話した。ところが発熱外来は予約が必要なので、今夜は応じられないとのこと。

仕方なく毎月通っている大学病院の緊急外来に電話したら、すぐに来て欲しいとのこと。そこで近所の総合病院前ならタクシーを捕まえられると踏んでいってみると、タクシー乗り場は空っぽだった。大手のタクシー会社に送迎を頼むが、自動音声によるご返事は「近くに伺えるタクシーはございません」と切れてしまった。

この時は発熱でフラフラしながら駅まで行って、なんとかタクシーを拾ったが、駅までの距離が疎ましかった。いつもなら十数分の道を4割増しのフラフラ歩きだから辛いのも当然だ。

そして昨日の朝、大学病院で検査を受けるため、近所の総合病院前まで行ってタクシーを捕まえるつもりだった。朝ならタクシーが常駐しているはず、少なくとも以前はそうだった。しかし、朝にも拘わらずタクシーは居なかった。もっとも10分ほど待っていたら来たので、無事大学病院まで行けた。だが朝の気温の低い最中、タクシーを待つのは辛かった。

午後、事務所に出て空いた時間に検索して軽く調べると、やはりタクシー不足は問題になっているようだ。原因としては、タクシードライバーの高齢化、外国人観光客の飛躍的増加、低賃金、悪条件の労働環境のイメージなどが挙げられている。

タクシー業界のみならず運輸省や警察庁までもが問題視しているが、未だに抜本的な解決策は打ち出せていない。既に10年前に比べて2割近くタクシードライバーは減っている。そのことはコロナ明けの忘年会シーズンを迎えているが、以前のように深夜まで飲み騒ぐ人は減っている。

だから繁華街の飲食店でも21時前後で店を閉めることも珍しくないそうだ。原因の一つは帰りの足、すなわちタクシーが捕まるかが不安なために電車で帰宅する客が多いからだという。実際、私の事務所でも今年の忘年会は赤坂の某寿司屋でやったのだが、21時で散会である。店を出ると、以前ならばタクシーが行列をなしていた場所はガラガラであった。

女性タクシードライバーの増加や、外国人タクシードライバーの採用など対策は既に行っているが、十分な結果が出ているとは言い難い。私の予想だが、たぶん白タク、つまり非正規のタクシーが増えるとみている。実際、外国人が既にやっているし、警察も目を光らせているが、如何せん監視の目が届かないほどだ。

特に日本に永住している外国人が、郷里の国から来た親族を自家用車で運ぶケースなどは、警察も取り締まりが難しいらしい。ただ、日本よりも親族の範囲が広い東南アジアの国だと、どこまで本当の親族なのか疑わしく思っている。

また交通事故が起きた場合、ドライバーが本国に逃げ帰るケースも多い。タクシー不足は、21世紀に日本に起こる少子化による人口減少の始まりの一歩ではないかと思いますね。

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百姓貴族 第八巻 荒川弘

2023-12-26 14:14:49 | 

都市部で暮らしていると気が付かないが、地方とりわけ農村における農協の支配力は凄い。

農協は単なる協同組合の域を超えている。まず第一に巨大な金融機関としての顔を有する。その資金力は都銀に匹敵するもので、出資者である農民を守るためにバブルにより発生した大量の不良債権の処理が遅れた背景には、住専に投資していた農協を守るためであったことは確かだ。

同時に農協は自民党における票集めの役割を担っており、農協を守ることが自民党の長期政権維持の重要な要素であった。だからこそ農協が多額の出資をしていた住専を守る為、大蔵省は多大な負担を国民に強いた。

しかし本来の農協の役目は、農家の保護である。文字通り共済組織として農家を守ってきたことも事実である。ただ、組織が大きくるに連れて、農家を守るよりも農協という組織を守ることが顕著になってきたことも事実である。

私は都市に住む消費者であるため、その視点は非生産者としてのものであり、卵不足やバター不足などが生じると、農協は何をやっているのかと憤りを感じてしまう。しかし、その一方で卵の価格が低水準で安値安定していることは失念している。

だからこそ今年の猛暑の最中、卵の市場価格が数十年ぶりで上がったことに憤りを感じるが、農家からすればこれまで安値で提供してきたことを感謝されない不満はあることは、なかなか実感できない。しかし冷静に考えれば、卵の値段はずっと農協が仲介して安定した価格で市場に提供されていた訳で、私のような都市生活者はそのありがたみに無知であっただけだ。

農協とは、たしかに生活に必要な農作物、畜産物を市場に安定供給するために重要な役割を担ってきた。ただ、その一方でバター不足に代表されるように、安定供給に失敗したこともある。だが、案外と畜産農家の方々は、この失敗に対して寛容であることを知ったのは、表題のエッセイ漫画を読んだからだ。

作者はプロ農家というか荒川農園で育った生粋の農業従事者だけに、現場の苦労が分かっている。現在、荒川農園は畜産は止めてしまったそうだが、そのあたりの事情は下手な新聞報道よりも、よほど分かりやすい。

正直言えば冒頭に書いたように、私は農協に対して批判的だ。荒川先生のこのエッセイを読んでもなお農協に対する批判的なイメージは、なかなかに覆らない。でも、私の考えが現場知らずの頭デッカチであることも分かる。だから今では農協に対して以前ほど攻撃的にはなれない。

少し前に小泉の馬鹿息子が農協改革を言い出して、コテンパンにやり込められていたが、あれは完全に勉強不足。巨大な組織である農協は、その末端において確かに農家の手助けになっている。それを永田町の屁理屈で変えようとするなんて無謀に過ぎる。それでも農協には問題が数多あることも確かだ。

霞が関の現場知らずのエリート官僚様が改革を志向しても跳ね返し、マスコミ様期待の若手政治家を前面に出しても、農協の厚い壁は簡単には破られない。しかし、その農協をもってしても解決できない難問がある。

一つは農家の減少である。元々日本は中長期的にみても人口減少は避けられないが、なかでも農業に就労する人たちの減少は確実に数字に表れている現在進行形の課題である。実のところ、農業に就労したいと志す人たちもいるのだが、農業法の壁や農協による規制と支配が妨げとなる。なによりも農家が長年守ってきた慣習こそが、農業離れを引き起こしている。

私はこの農業エッセイ漫画を楽しく読んでいるが、現実の農業に思いをはせると、いささか陰鬱な気持ちになる。反対したり、批判するのは簡単だ。しかし、その代案を出すのは難しく、更にそれを実行するのは、それ以上に大変だ。

21世紀の課題は、水資源、化石燃料資源、そして農業資源だと考えているが、日本は水以外は輸入頼りである。燃料に関しては原油価格の避けられぬ高騰が解決の発端になると思うが、農業に関してはいささか悲観的にならざるを得ない。

おそらく21世紀後半には深刻な問題となると思います。そのころには私は生きていないと思いますけど、やはり心配ですね。

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差別は金になる

2023-12-25 09:49:10 | 社会・政治・一般

差別は金になる。

このことを在日の外国人に教えこんだのが日本の行政だった。敗戦国である日本ではあったが、戦災の被害をまったく受けていなかった半島よりは生活水準が高かった以上、半島人が流入してくるのは必然だった。

たしかに半島よりは生活水準は上だったが、それでも必死に働く必要はあった。そして日本には働けるチャンスがあった。ところが北コリアが攻め込んできて状況が変わった。難民として半島から日本に渡ってきた半島人のなかには仕事がうまくいかないものも多かった。

しかし自己正当化癖の強い半島人だけに、同じ敗戦国の民であったくせに、いつのまにやら日本に勝って独立したと脳内変換したらしく、上から目線で日本政府に生活の面倒をみろと開き直った。誰が教えたのか、日本の生活保護制度を自分たちにも適用しろと役人を脅した。

かつて石原都知事が「三国人がぁ~・・・」と発言して物議をかもしたが、終戦後から高度成長が始まる頃まではきわめて暴力的な示威行動により、半島人に対して生活保護が認められることが多々あった。生活保護だけでなく、公共事業にも無理やり参入したりしていたのはマスコミが書かない歴史的事実だ。

要するにマスコミもまた在日コリアを甘やかし増長させた消極的な要因であった。当時の日本人には敗戦による罪悪感があったようで、その罪悪感を植え付けたGHQもまた加担者であると私は考えている。そして、当然に政治家のなかにも日本=戦争犯罪者意識が強かったものが多く、彼らもまた役所にプレッシャーを与えていた加担者である。

冒頭に日本の役所が主犯であるが如きに書き記したが、当時の政治情勢から言ってもやむを得ぬ判断であった一面があることは私でも否定はしない。しかし、その一方、彼ら半島人の横暴を金で黙らせたことも事実であり、それが後の従軍慰安婦騒動の下地になっている。

今の政治情勢からは想像しづらいとは思うが、1950年代は敗戦国としての劣等感が日本全体を覆っており、それ故に日本共産党や日本社会党といった左派勢力が輝いて見えた時代でもあった。当時の彼らは、この日本人の弱体化に付け込み、弱者の味方面をすることで支持を集めていた。

否定的に書いているが、この政府による弱者救済といった提案は後々、霞が関の官僚だけでなく地方の小さな自治体でも広く採用された。私が二十代の頃に恩恵を受けた難病患者に対する医療費助成制度は、その一環であったから、決してすべてを否定する気はない。

実際、京都や北海道、長崎、広島では左派の革新系の知事が登場して長期政権を続けた。首都である東京でさえ革新系の美濃部都知事のもとで極めて左派的な政策が実行されていたぐらいだ。ただ、いずれの革新系首長も経済には弱く、高度成長により民間が活性化するとともに、それまでのばら撒き政治が負債を膨らませての退陣となっている。

東京ならば美濃部の後を受けた鈴木知事がその象徴的存在であった。しかし社会主義的恩恵を受けた人々は、この流れを受け入れることに強く抵抗した。その代表的な事件が国鉄の民営化への反対運動であった。しかし、既に民意は革新系の政策に嫌気を指しており、圧倒的な大差で中曽根政権は生まれ、民営化されたJRが生まれた。

この頃からであるが、従軍慰安婦訴訟など日本に長期滞在する外国人が、日本政府から金をむしり取ろうと画策し始めた。生活保護を始めとして革新系の地方政権から受けた甘い汁に慣れ過ぎて、時代の流れに対応するのを厭う人々でもあった。

しかし、民意は既に弱者救済政策には冷たくなり、選挙では勝ち目がない。そこで強く言いだしたのが差別である。彼らは知っていた、日本人が差別に敏感なことを。この感情に付け込んで、なんとか日本政府から金を引き出すことに執着した。

差別ならばなんでもいい。外国人差別反対、LGBT反対と声を上げたが、何故だか自分たちが差別主義者であることは無視した。差別に反対する一方で、自分たちがする差別は特権だと思っているらしい。

現場に疎い岸田政権には、これが分からない。ただ弱者の味方面すれば支持が増えると思ったのだろう。今、岸田政権は支持率10%台の低迷であり、その原因を安倍派の裏金問題にすり替えようとしているが、本当の原因はLGBT法案のような弱者の味方面した偽善ぶりにあることは、よくよく認識した方が良いと思う。

本当に救済すべきは、声を上げる元気もない経済的弱者たちなんですけどね。

ただし、金をばら撒いての救済ではなく、働く機会を与える救済のほうが良いのですが、前者の方が簡単なのでそっちへ流れるのも予想の範囲内だから頭が痛いです。

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