ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

知らぬが仏

2009-07-31 12:23:00 | 日記
まだバブル経済の残滓が色濃く残る頃のことだ。

税務調査の立会いも無事終えて、クライアントに連れられてある歓楽街の大型キャバレーで一息ついていた。精神的に疲れていたので、お酒は控えめにしていたが、やはり酔いは早い。

この店はバンドの生演奏が売りで、ダンスホールと化すこともあるが、その日はTVでたまに見かける演歌歌手のステージがあった。そのせいか、立ち見が出るほどの盛況ぶりで、席に付くホステスさんたちも入れ替わりが激しい。

ステージが終わった後で、我々の席に付いた女性はまさに絶品の美形だった。褐色の美貌も誇らしげにタイから来ましたと自己紹介をした。突き出した胸と引き締まった腰つきも素晴らしいが、少しかすれた声もセクシーであり、是非歌声を聴きたいものだと言うと、後でカラオケ行キマスカ~と色っぽく誘ってくる。

さてどうするかと思案していると、私に目配せするボーイさんがいることに気がついた。フィリピン人のボーイさんで、当時私がしばしば足を運んだ深夜スナックの雇われ店長をしていた。しかし、この時間はこの店で働いているようだ。気になって席をはずし、トイレに行くふりをして、彼の後についていく。

トイレの前の通路に入ると、彼がニヤッと笑って「センセー、彼女、レディボーイよ。知ってるの?」と言ったのに絶句した。私が呆然としていると「彼女の国、オペレーション(手術)多いね」と教えてくれた。とりあえず彼にお礼のチップを渡し、席に戻って改めて彼女をみると確かに肩ががっちりしている。咽喉仏もこころなしか膨らみが見て取れる。

よくよく見ると、手の指も女性にしては太いと思う。しかし、まあ、あの色っぽい胸の膨らみや、細い脚は女性そのものだ。いささか迷うが、おそらくボーイさんの言うとおりなのだろう。

そのうち彼女は他の席へ移っていったので、アフターしてのカラオケの話は立ち消えになった。ちなみに同席していた社長さんは、彼女がレディボーイだとは最後まで気づかなかった模様。社長さんのお目当ては別のホステスだと知っていたので、この件は最後まで内緒にしておく。

秘密はうかつに漏らすものじゃないし、嘘や虚構もこの世界では必要経費。騙されるなら最後まで騙され続けたほうが、幸せなことも少なくない。

その後のことだが、この店は惜しまれつつも閉店した。件のレディボーイだが、思わぬところからその後の事情が分った。なんと、ある日本人青年と結婚したらしい。もっとも四ツ谷の教会で聞いた噂話だから確証はない。

私が知りたいのは、知ってて結婚したのか、それとも知らずに結婚したのかだ。まぁ、当人たちが幸せなら、第三者があれこれ言うのも野暮だと思うから干渉する気はない。ただ、レディボーイであることは確かなようだ。だって、そのことを教えてくれたのもレディボーイだったから。まるで我が身の話のように凄く嬉しそうに結婚の話を教えてくれたので、まず間違いないと思う。

ま、人生いろいろだわな。
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銀行への評価

2009-07-30 12:27:00 | 社会・政治・一般
時々思う、マスコミってなにを取材しているのだろう、と。

3月決算の数字が出揃い、一部の勝ち組を除けば、この不況下で大赤字続出の決算報告であることは仕方ない。なかでも可笑しかったのが、銀行とりわけメガバンクの決算だ。

3大メガバンクは、いずれも多額の株式の評価損を計上している。3月時点での株式市場で評価すれば、いたしかたないと思う。もっとも、公的資金を入れて再生を図った当初、金融庁との約束で株を買わないとの約束がぶっとんでいることは、もう少し批難されてもいいと思うが、マスコミ様におかれましては黙認のご様子。

まあ、大口の広告主様であられる銀行を批難する記事は書きづらい事情は分らないでもない。でも、企業に融資するよりも、株に投資するほうを選択した銀行経営者を甘やかせ過ぎだと思うが、どの株主総会でもあまり問題視されなかったらしい。まあ、どうせシャンシャン総会の伝統は守られているのだろう。

更に可笑しいのが、メガバンクの落ちこぼれ、りそな銀行の決算だ。実はこのりそな銀行だけは、株式の評価損が非常に少ない。では優良な企業なのか?

ご存知の方も少なくないと思うが、りそな銀行は未だ公的資金の返済を終えていない。それゆえに、金融庁の厳しい監督下にある。おかげで株への投資を控えざる得なかった。そのおかげで、今回の決算では株式の評価損を少なく済んだのが実情だ。

なんてことはない。要するに未だ企業として半人前の駄目銀行であるだけだ。で、なんだ、あの手ぬるい記事は。どこのマスコミとは言わないが、あまりに甘くないか?本気で取材しているのか?
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プロレスってさ 極道コンビ

2009-07-29 12:18:00 | スポーツ
極道コンビ。

すごいネーミングだね。全日本プロレスでかつて活躍した中堅プロレスラー、大熊元司とグレート小鹿のコンビの別名である。それほど大柄ではないが、人相に凄みがある。ぶっちゃけ、怖い。

もし夜の繁華街の路地裏で、この二人に絡まれたら土下座して「ゴメンナサイ」と逃げるしかあるまい。どう見たって、堅気の人には見えない。っつうか、本職のヤクザにだって、これだけ迫力の有る面相の御仁はそうはいるまい。

ところがこの二人、プロレスのリングの上ではやられ役である。ジャイアント馬場が外国から連れてきた外人レスラーに箔をつけるための役どころを負わされた。

事実、私が見た試合のほとんどで、この二人は外人レスラーたちに殴られ、投げられ、得意技を決められて観客を沸かせる試合をよくやっていた。子供の頃は、この二人は弱いと思い込んでいた。

しかし、実際は違うことを後に知った。引退したアメリカのプロレスラーのインタビューなどを聞くと、このやられ役である二人に対して、多くの外人レスラーが敬意をもっていたことがわかる。はっきりと、この二人は凄く強かったと断言するレスラーも少なくない。

外人レスラーたちを売り出すためのやられ役であったため弱いと思っていたが、実際には筋金入りのつわものであった。やられ役であると同時に、新人レスラーの実力を測る役割も担っていた。弱い奴に出来る仕事ではない。

彼らには、もう一つの役割があった。それが外人レスラーたちへのお目付け役。荒くれ者が多いプロレスラーは、プライベートでもトラブルが多い。酒の席はもちろん、女がらみ、金がらみと問題の種は尽きない。暴れる彼らを力づくで押さえつける役割を担っていたのが、この極道コンビだった。

プロレスに詳しいファンの間では、全日プロレスの用心棒として知られた二人だった。本当の実力を、明るいリングの上では、決して披露しない裏方でもあった。

実力ある裏方に支えられて、大きな舞台は動く。それはプロレスだけじゃない。世界的な大企業だって、その背後には地味な仕事を積み重ね、消費者の目の届かぬ先で、堅実な仕事をしている裏方あってこそだ。

昨年来の不況で、この裏方をささえる人たちが次々とリストラの対象とされている。景気のほうは早ければ今年後半には回復の兆が見えるかもしれない。しかし、これまで地道な仕事で支えてきた人たちが欠けている。

あたしゃ予言者ではないが、景気回復しても、このリストラが足を引っ張ると思う。
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ブラウン神父の童心 G・K・チェスタートン

2009-07-28 12:38:00 | 
子供にとって、転校というものはリスクが高い。

私は小学生の頃、2回ほど転校しているが、最初の転校は決して幸せなものではなかった。幼馴染みたちとの離別と、新たな町で、新しいクラスメイトたちとの出会いは、子供にとって相当なストレスとなる。

それでも子供というものは適応力が高い。最初の軋轢を乗り切れば、後はなんとか馴染めるものだ。そのはずだった。

事の起こりは下の妹の通う幼稚園で起こった伝染病騒ぎであった。赤痢の発生が起きてしまった。妹ももちろん感染したが、それは家族にも波及した。我が家など3人兄妹全員が隔離病棟に入れられる羽目になった。ただ、重症ではなく2ヶ月ほどで退院できた。

隔離病棟では、私は年長組であり、幼い子供たちから慕われていた。そのせいだと思うが、退院後復帰した学校では「赤痢の親分」などと囃し立てられる羽目に陥った。

しかし、当時のクラス担任の先生がしっかりしていた。私ら感染者に対して差別的言動を許す人ではなかった。おかげで、それほど不愉快な思いはしないで済んだ。しかし、しこりは残っていたことを後に思い知らされる。

進級して新しいクラス担任に変った。この先生は、世界の人たちが手を取り合えば、世界は平和になるだなんて絵空事を真剣に語る世間知らずだった。閑静な住宅街のなかの学校では、この麗しき理想はそれなりに輝いてみえたのだろう。

しかし、米軍基地の隣町で育ち、白人のガキどもの差別的言動に揉まれて育った私には「バカじゃねえの、このセンセーはよ」と吐き捨てる程度の価値観でしかなかった。口には出さなかったと思うが、態度に出ていたのだろう。私とこの先生との相性は最悪であった。

この先生にはずいぶんと嫌われたと思う。そうなると、そのことを察した子供たちが調子に乗って私に絡むようになってきた。赤痢の件も随分とひどい言い様で罵られたものだ。そして、この先生はそのことを放置した。事態は加速度的に悪化した。

私は学校の内外で問題を起こし続け、その結果として再び転校することとなった。この転校はありがたかった。

そんなときに読んだのが表題のミステリーだ。推理小説の世界では古典的人気作であり、シリーズ化されていた。外見はさえない小太りの温和な神父さんだが、その智謀のさえは驚異的。名探偵をむこうにまわし、大泥棒を捕まえたり、あるいはその大泥棒を部下に従えたり。まったくもって一筋縄ではいかない。

しかも、必ずしも正義の味方とは言いがたい面もある。そのやり口に驚き、呆れ、失望もしたが、よくよく考えてみると大人って汚いこともする。それが大人であり、あの先生も汚い大人であり、私もいずれはその汚い大人の世界で生きていくのだよなと納得できた。

大人に対して、教師というものに対して不信感をもっていた私だが、この本を読んで少し落ち着いたと思う。そうか、大人って汚いこともするんだよな。

相前後して、私はキリスト教の団体に入るようになり、神の前で善いこと、悪いことを白黒つける習慣を身につけた。私の場合、神さんに詫び入れているのだから、先公だろうがマッメi警官)だろうが頭下げる必要はねえ!と妙な理解をしていたが、それでも無邪気に大人を信じるような幼稚な考えから卒業できたことは良かったと思う。

最後はさておいても、ブラウン神父の推理ものは小学生当時の私でも十分楽しめた良作だと思います。機会がありましたら是非どうぞ。
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奴隷になったイギリス人の物語 ジャイルズ・ミルトン

2009-07-27 12:16:00 | 
世に驚きの種は尽きないらしい。

白人奴隷と聞いて思い出すのは、ギリシャ・ローマ時代の奴隷か、さもなきゃスルタンのハーレムに囚われた女性たちぐらいだった。

まさか100万を超えるヨーロッパの白人が、イスラム社会で奴隷として辛苦を舐めていたなんて、まったく知らなかった。それも19世紀初頭まで、白人奴隷は苦難の道をたどっていたとは驚きを禁じえない。

しかも、その白人たちを監督し、時には残虐な処罰を与える管理者が、アフリカの黒人だったという。あの時代、既にアフリカから新大陸へ多数のアフリカの黒人たちが奴隷として運ばれ、鉱山や農園で過酷な労働を強いられていたはずだ。

同じ時代に、アフリカの黒人たちがスルタンの親衛隊としてイスラム社会で活躍し、さらには白人奴隷を虐待していたという。この逆転現象に歴史の辛辣さを感じざる得ない。

それにつけても、私が学生時代に教科書で学んだ世界史の、なんと薄っぺらいことよ。表題の本で取り上げられたイギリス人の少年は、伯父が船長を務める商船の見習い船員だった。当時、モロッコのサリ港をねぐらとする海賊に襲われ、モロッコの地でスルタンに売り払われる。

18世紀はヨーロッパの帝国主義華やかな時代だと思いきや、当時の庶民は海をわがまま顔で暴れまわるイスラムの海賊たちに怯えていた。船を襲うだけでなく、スペイン、フランス、オランダ、イギリスなどの沿岸の町や村を襲い、財宝だけでなく市民を拉致して、奴隷市場で売りさばく。

当時のモロッコのスルタンは、ヴェルサイユ宮殿をはるかに凌ぐ巨大な王宮の建築を部下に命じた。その建築には数十万の白人奴隷の強制労働により賄われた。一日15時間の労働と、黒人監督の虐待。蚤や虱の跋扈する不衛生な牢獄に押し込まれ、病弱なものはつぎつぎ処分される。そしてキリスト教を捨てて、イスラム教への改宗を強引に迫られる。

生き延びるために主人公の少年は、イスラム教への改宗を選択せざるえなかった。そして、そのことが帰国の障害となった。キリスト教社会であるヨーロッパでは、イスラムへの改宗は裏切りであり、背教でもある。

イスラムへの改宗を拒んだ白人奴隷たちは、過酷な状況下で次々と死んでいく。かろうじて生き残った者は、稀に本国へ買い戻されることもある。しかし、それもスルタンの気まぐれ次第。その上イスラムへの改宗者には救いの手が伸ばされることはない。

主人公の少年は、何度もの失敗の後、苦難の末に帰国を果たすが、それはかなり珍しいことのようだ。15世紀から18世紀にかけての奴隷といえば、アフリカの黒人ばかりが念頭に浮かぶが、ヨーロッパからも無視されてきた白人奴隷。なぜに無視されたのか。

世界史というカテゴリーは、元々は遅れた蛮族の地であったヨーロッパのキリスト教国が、本来の先進国であるアジア、イスラムを侵略した際、その行為を正当化するために編み出された。その観点からすると、キリスト教に背信した白人奴隷の存在など無視したくなる気持ちは分らないでもない。

しかし、今日の近代西欧社会とイスラム社会の軋轢を理解するうえでも、このような事実が存在していたことを知るのは有意義だと思う。多少は歴史の知識があると思っていた私ですが、まさか1800年代初頭まで、近代西欧がイスラムの奴隷狩りの脅威に曝されていたとは驚きです。当時のヨーロッパは、あきらかにイスラムの強大さを浮黶A自分たちを格下に感じていたことがよく分りました。

改めて産業革命の偉大さを知ると同時に、今日の第三世界の貧困の問題は、近代ヨーロッパのみならずイスラムも深く関与していたことが確信できました。そしてなによりも、西欧とイスラムの対立の根深さをも。

世の中、まだまだ勉強すべきことって沢山あるのですね。
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