ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

反日ジャーナリストに思うこと

2022-09-30 11:39:33 | 社会・政治・一般
なんで私は反日左翼が嫌いなのだろうか。

よくよく考えると妙なもので、私は天皇崇拝者ではないし、右翼思想が好きな訳でもない。元を糺せば十代半ばまでは、将来は学生運動家になろうと憧れた。共産党の下部組織である民青に入る気持ちもあった。少なくても、私はそのつもりであった。

疑問を持ったのは民青の若者たちが共産党の路線変更を受けて揉めだした頃だ。私が民青の若者たちに惹かれたのは、その武力革命への熱意を知ってからだ。

米軍基地の隣町で幼少期を過ごした私には、話せば分るなんて絵空事でしかなかった。

勝った者が正義、力こそが正義。それを拳で叩き込んでくれたのが近所のアメリカ人の子供たちであった。戦勝国の人間としての優越感を露骨にみせつける白人のガキどもに見下ろされながら、屈辱に涙したことは決して忘れない。

同時に気が付いた。戦争に負けたからといって自分まで負け犬根性に染まる必要はない。自分よりも一回り以上大きい白人のガキどもに喧嘩を売り、小石を握り込んだ拳で殴れば、奴らだって泣き出す。背後に回って首を閉めれば、どんなにデカい奴でものた打ち回る。

不思議なことに、勝とうが負けようが戦ってくる奴に、彼等は構わなくなる。斜め隣に住んでいた白人のガキは、悪戯と口の悪さは私以上だったが、狂人のように噛み付くは、首は締めるはと性質の悪い喧嘩をする私に次第に距離を置くようになっていた。

実際のところは7割がた、私が負けていたはずだが、やり返してくる私に辟易していたらしい。同時に遊び場所でも、不思議な境界線が出来て、いちいちいがみ合うことがなくなった。近所の幼馴染のジュンちゃんに至っては、挨拶を交わしている有様である。

互いに日本語と英語の悪口だけしか話せなかったと思うが、幾度か喧嘩を繰り返すうちに、自然と共存できるようになっていた。でも、私は仲良くは出来なかった。それはお互い様だが、無駄な喧嘩が減ったことはありがたかった。

私は実感として、話し合っても理解できないことがあることを知っていた。同時に、話し合わなくても、互いに戦い合い、認め合えば平和な空間が出来ることも知っていた。

もっといえば、戦う覚悟のない奴は信用できないとさえ思っている。口先だけで綺麗ごとを並べる奴は信用できない。たとえ傷ついても、ぼろ負けしても、自らが正しいと信じることのために戦える奴こそ信用できる。

だから憧れていた民青の若者たちの大半が、選挙による政権奪取を言いだした時の失望感は半端なかった。武力革命の決意はどこへ行ったんだ。どんなに話し合ったって、資本家たちが権力と財力を手放すわけないだろう。それが人間の性というものだろう。

悔しくて悔しくて仕方なかった。でも、私には反論できるだけの知識と知恵がなかった。いや、反論しても、子供の戯言だと軽く扱われることが分かっていた。私は小さく、弱く、無力な子供でしかなかった。

当時は気が付かなかったが、私の怒りと失望を理解していた人たちがいた。彼らは私を政治活動から遠ざけた。ボクサー上がりの青年が「俺は難しいことは分からない、でも今のヌマンタは弱すぎる。もっと強くなれ。身体も心もだ」と言われた時、その通りだと思った。

私が選んだのは、真面目に勉強することであり、山と云う巨大な自然と対峙する登山であった。短気で軽率な私だからこそ、地道に努力を積み重ねることが必要だと強く自覚した。自分の知識不足、実地経験不足、そして心の弱さ。

高校、大学と地道な努力を積み重ね、人並みの企業に務め、大人としての外殻を作り上げた。後は経験を重ねるだけだと思っていたら、難病によりすべて失った。ここで挫折しなかったのは、小さく弱い自分を知っていたからで、やり直せば良いと開き直れたからだ。

文字で書くと簡単だが、実際は悶え苦しみ、時には死すら考えた。生き残ったのは、私は自覚している以上に楽天家で、意外にも執念深かったからだ。自身は淡白な気性だと思っていたのですがね。

その頃からだと思うが、私は反日自虐系の左派ジャーナリストを嫌うようになった。安全な場所でリスクを負わずに覚悟のない平和を賛美するだけ。自分たちの賛同者が欲しくって、学校や塾、予備校に潜り込んで空論を熱心に叫ぶだけ。

そんな彼らを醒めた目つきで遠くから見ている様から「シラケ世代」なんて言葉が作られた。そんな言葉を作ったのは、やはり口先左翼の貯まり場であるジャーナリズムの世界であった。

現在、TVは視聴者の減少に悩み、新聞は売上部数の低下に怯える。当然である。長年にわたり脳内平和に酔い痴れる口先左翼がマスコミの世界にはびこってきたツケを今、払っているだけだ。

私は左翼が嫌いだ。自身に左翼的な考えが今もあることを自覚しているが、それでも現実を直視し、甘えず、たからず、自分の足で動き、手を動かして虚飾を掃う覚悟はある。それでも微かに同情と憐憫はある。

かつて行き場のない苦悩に怯えて孤立していた私を包み込んでくれたのは、たしかにあの人たちだったから。好きだった人を嫌いになるって難しいなァ。
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国葬報道に思うこと

2022-09-29 10:40:52 | 社会・政治・一般
マスコミは情報加工業。

故・安倍晋三の国葬の報道を見ていると、つくづくマスコミって事実を報じるのではなく、自分たちが報道したい真実であるべき空想を報じるのが好きなのだと思う。

国葬の当日は九段下界隈が混雑するのは予想できた。面倒なことに、当日私は神田税務署に所用があり、その帰りに大手町の顧問先に寄る必要があった。

国葬は午後からなので、午前中に済ませるつもりで、早めに神田税務署を訪れる。おや、すでに一般献花の列が出来ているぞ。朝9時くらいで、私がさらっと見た程度で1000人は超えているように思う。

昼前に事務所に戻り、ネットのニュースをみていると、反対派が数千人規模で抗議運動をしていると報じていた。はて?そんなにいたかな。

大手町の高層ビルから見ただけだけど、たしかに反対派と思われる集団はいたが、その集団が小さく見えてしまうほどに一般弔問の参列は長く伸びていたはず。私には反対派は、せいぜい千人いるかどうかだと思う。一方、一般弔問の列はそれよりも遥かに多かった。

一応書いておくと、私は短時間、それも午前中しか実地ではみていない。ラジオから流れるニュース報道では、午後になり一般の献花者の列は数キロに及ぶと報じていた。一方、国葬反対の市民たちも数千人が抗議の声を挙げているそうだ。

一桁多くねぇ?

私は統一教会が大嫌いなので、長年安倍元首相ら自民党が統一教会とつながっていたことは、やはり不愉快だった。そう感じている人は多いと思う。

マスコミは安倍元首相の国葬問題を、国論を二分化したと報じているが、これには納得ができない。反対しているのは、生前から反安倍であった偏向左翼の残滓だけだと思う。数も増えていないが、マスコミにより水増し報道された数字は、安倍首相が在任時から大差がないのが証左だ。

一方、これは確実に統一教会問題が影響していると思うのが、国葬への一般献花者だと思う。もし統一教会問題がなかったら、もっと多かったのではないかと思う。つまり安倍氏の国葬及び自民党に対する信頼を下げた人々は確実に増えた。すなわち無関心層の増加だと思う。

マスコミは反安倍国葬の機運が高まり、自分たちが応援したい野党勢力への支持が増えたかのような印象操作をしている気がする。幸いというか残酷にも、国民のマスコミへの不信は根強く、野党への支持は増えていないと思う。

インターネットの普及に伴い、徐々にマスコミの情報操作が明らかになると、今後新聞の発行部数の現象、TV視聴者の減少などが加速化しているように思えてならない。

私はインターネットからの情報発信は質が低く、フェイクニュースも多いと思っているので、こんな状況時だからこそプロのマスコミの実力を発揮して欲しいと思う。

以前は団塊の世代がマスコミの中核から外れていけば、報道の質は向上すると思っていました。でも最近の傾向をみると、戦争を知らないだけでなく、バブルの恩恵とその後の退潮のなかで育った若者たちのほうが、報道の質が低いように思えてなりません。

ただそんな悲観的ななかにも、少しずつ現実を直視できる報道者も増えているような気もするのです。不思議なことにマスコミ業界以外からの人が大半であることが興味深いと思います。

世界の金融市場に直接関わっていた人や、流通の現場で奮闘していた人、長く海外に駐在して帰国した人など多彩な現場経験を活かしての世界情勢分析が出来る、そんな報道者がネットの世界で散見します。

衰退の一方であるマスコミ業界は、そのような有能な人材のスカウトに活路を見出すべきだと思いますよ。いい加減、顔が売れてる芸能人だよりの報道番組は止めろと言いたいですね。
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りえさん手帖 西原理恵子

2022-09-28 10:57:02 | 
年々ダイエットが悩みの種となって久しい。

若い頃は、少し真面目に運動すれば体重は確実に減った。だからあまりダイエットに真剣になったことがなかった。

しかし、医師から糖尿病予備軍だと云われただけでなく、心臓の疾患に悩みだしてからは真剣にダイエットを考えるようになった。

特に昨年来、4回も入院したおかげで体重は徐々に減少し、この調子なら目標体重までいくかもと期待していた。

ところが夢は脆くも崩れた。酒をたいして飲まない私にとって、美味しい食事こそストレス解消の常とう手段である。それでも、ここ一年ほどは控えていた。

やはり糖尿は怖いし、血圧を下げるのにも体重減少は必要不可欠だ。なにより心疾患が怖い。だが今年春の入院で大幅に体重が減少したことで油断した。

いやぬか喜びしてしまった。

気が付いたら夜食を食べ、間食を食べ、その癖運動はしない。当然に体重は増加した。あっという間に戻ってしまった。

体重ってやつは増やすのは簡単だが、減らすのは至難の業。まったくもって理不尽な話である。

西原理恵子もダイエットに悩んでいたことは、その作品でも度々触れられていた。半ば諦めかけていたようだが、表題の作品を読むとけっこう順調に減量に成功しているようだ。

なんか凄く悔しいぞ。

ちなみに毎日新聞で連載していた「毎日かあさん」を止めて卒母宣言をした西原は、これからは怖い者なしのおばさんとして人生を楽しむとして描きだしたのが表題の作品である。

コンセプトは大阪のおかんだそうだ。そのまんまだろうに。

個人的には作中で淡々と語られていたが、虐待されていて西原が引き取った保護犬のポン美が2018年に亡くなっていたことが大ショック。幸せな余生だったと思いたいです。
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蘇る金狼 大藪春彦

2022-09-27 11:20:52 | 
中学生の頃まで、私の読書の大半は学校の図書室で借りたものであった。

当時、私が住んでいた三軒茶屋には図書館がなかった。電車で世田谷区役所に行けば、その中に図書館はあったが、狭くてあまり揃えが良くなかった。公民館の図書室は雑誌ばかりだし、念願の図書館が下馬に出来たのは、私がその街を転居する一年前であった。

だから図書室に置いてない本は、小遣いを貯めて古本屋を巡って買うか、教会で知り合った大学生の人たちから借りるしかなかった。その学生さんたちは、教会のメンバーであると同時に、毛語録の読書会のメンバーでもあったので、どうしても左派系の本が多かった。

ただ、おかしなことに左派系の本は学校の図書室にもけっこう置かれていた。おかげで私はロシア文学に傾倒し、日本のプロレタリア文学も耽読する左派少年に育った。

しかし、ひねくれた子供だった私はこれで満足することはなかった。中一の頃から古本屋巡りをするようになり、3冊100円のワゴンセールの単行本を読みだした。そこで私はSFの世界を知った。

そのなかでも、ウルフガイ・シリーズの平井和正の後書きから大藪春彦やミッキー・スピレーンを知った。ハードボイルド小説のなかでも、格段に暴力寄りの作家である。大人が薦める良書に辟易していた私は、初めて酒を飲んで酔っぱらう快感を知った酔漢のように、ヴァイオレンス・ハードボイルドに酔い痴れた。

この熱狂は2年ほど続いたが、次第に醒めてきて歴史小説やSFに戻っていった。でも、大藪春彦の作品は、大学生の頃までコツコツと読み続けた。反社会性の強い大藪春彦のもとには、読者からのタレこみ情報が集まっていると噂があった。

その情報は主に政治家や高級官僚たちの不正に関わるものが多かったと聞く。大藪春彦はそれをネタに主人公が悪徳政治家や偽善エリート官僚を暴力で打倒す小説を数多く書いている。

おそらくだが、そのタレこみ情報の発信者は、政治家の部下や一般官僚が混じっていると思われる。だからこそ迫真性があったし、それゆえに政治家やエリート官僚から嫌われた。

でも、大藪春彦の小説は永田町や霞が関界隈でよく売れていたのは隠せぬ事実だ。特に官庁の購買部では売れ筋商品であったらしい。ただ大藪は、反社会性は強かったわりに、野党や労働組合からも評判は悪い。

理由は簡単で、彼ら左派の大衆受けを狙った偽善的姿勢もまた大藪の攻撃対象であったからだ。必然的に日本ペン倶楽部からも嫌われ、文芸協会からも唾棄されていた。

しかし大藪は気にしていなかった。彼の本を買う多数の読者がいる限り、彼は無敵の人であった。孤高の人でもあった。実際、彼の追随者は皆無だった。でも、実は西村寿行を始め幾人かの仲間はいたようだ。

大藪作品に合共通する暴力による問題解決の手法は、望ましいものでも、好ましいものでもない。しかし、多くの人の潜在的欲望を満たしていたのは確かだと思う。

かつて、どこの書店にいっても大藪春彦は専用のコーナーを設けられていたが、今では存在そのものがなくなっている。私はそのことを訝っていたのだが、どうやら電子書籍で売られているらしい。

これまで未読の大藪本は、古本屋巡りで探し出していたが、どうやらそろそろ私も電子書籍デビューしたほうが良さそうである。

ところで表題の作品は松田優作が主演しての映画化がなされた人気作だ。このテーマ曲、元ペドロ&カプリシャスの前田曜子が歌っていたことに今頃気が付いた。はて?私はなんで気が付かなかったのだろう。けっこう好きな歌手だったはずなのですがね。
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アメリカ戦の勝利

2022-09-26 13:06:46 | スポーツ
対ドイツを想定した試合としては物足りない。しかし、勝利は勝利であり、もうすぐ始まるカタールW杯に向けて盛り上げたくなる気持ちは分かる。

でもなァ、これでは不十分だと思った。本番直前にはまだ少し早いこの時期だからこそ、試せることもあろうと思う。それが全然されていない。

いや、森保監督もそれは分かっていたと思う。だからこそ長友や南野を外し、町野や伊藤洋、ダニエルらを交替で使ったのは分かる。ダニエルは合格点だと思うけど、二人はちょっと物足りない。

また評価を落としている堂安や久保も定位置確保には程遠い。板倉が怪我で欠場濃厚で、守田、遠藤だけで大丈夫か。長友にとってかわるはずの中山があれで大丈夫なのか。

私には不安一杯の試合でしかなかった。これを勝った、勝ったと浮かれる気には到底なれない。最大の不安は、やはり森保監督の戦術眼の狭さだ。これは経験不足からくるものであり、必然であることは日本サッカー協会も織り込み済みだと信じたい。

思い出されるのはオシム監督が率いて初の欧州遠征でのスイス戦だ。当時ランキング上位であったスイスは、前半戦日本を圧倒した。しかし、後半になるとまるで別チームのようにオシム・ジャパンは躍動した。

たしか結果は引き分けであったと思うが、前半と後半の違いは15分のハーフタイムでのオシムの戦術指導であったとされる。経験豊富で戦術眼に優れたオシムの手腕が発揮された結果である。この試合でオシムは選手からの絶対的信頼を掴んだとされる。

残念ながら森保監督には期待できないものだ。いや、他の日本人監督でも無理だろう。

この20年で日本サッカーは格段に進歩したと私は評価している。三浦和や中山、中田英、俊輔などのスター選手こそいないが、一人一人の個人の技量が確実に上がっている。それはこのアメリカ戦でも確認できた。

パスを受けた後のボールの置く位置、パスを出した後の走りだし、ボールがない時のポジショニングなどは20年前とはまるで違う。大半の選手が欧州のチームに所属しているのは伊達ではない。ただ、超一流がいないだけだ。平均値は確かに上がっている。

だからこそ、監督やコーチ陣の技量不足が問題なのだろう。カタールW杯で日本が惨敗するとしたら、それは選手ではなく監督及びコーチ陣の問題だと私は予測しています。

でもね、森保監督が4年前よりも落ち着いてきたし、チームを指導する姿もはまってきたことぐらいは私も認めているのです。ただ過剰に期待はしませんけどね。
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