ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

米軍基地移設問題

2006-03-31 09:50:25 | 社会・政治・一般
アメリカ軍の再編にからんで、普天間や岩国における在日米軍基地の移設問題が最近賑わしく新聞紙面を飾っています。私は幼少期に、近所に米軍基地がある街で暮らしたことがあるので、住民が嫌がる気持ちも分からないではありません。

しかしながら、これが敗戦国の現実です。いくら地方自治体レベルで騒いでも、解決できる問題ではありません。せいぜい日本政府からの地方交付税やら、補助金やらの増額で手を打たざる得ないのが実情でしょう。

おそらくは、知事さん達も分かっているはずです。分かっていても抗議せざる得ないのは、有権者に対するメ[ズの意味合いが強いからでしょう。

ジェット戦闘機の騒音や、治安の問題など様々な不安があるのは分かります。でも、基地に反対したところで無駄。日本人は平和を尊ぶあまり、軍事よりも経済や平和を優先的に考えますが、これは世界的にみて非常識。やはり軍事的安定あってこその平和であり、経済活動の自由があるのが世界的常識でしょう。

もし現実的にアメリカに譲歩を促したいのなら、騒音の少ないジェットエンジンの開発と技術提供あるいは、アメリカの軍事的負担を軽減するような具体的方策でも示さない限り、アメリカは交渉にすら応じないでしょう。未だ冷戦が終わらぬ極東アジアの地政学的状況がある限り、アメリカの態度が変わるはずはありません。

まして近年著しく軍事力を増強している共産中国の存在を考えたら、在日米軍基地周辺住民の不安など、政治的判断の下に葬り去られるのが当然なのです。無駄と知りつつ反対を口にせざるえない知事の苦悩は分かりますが、それに乗じて付け上がる平和市民運動家の傲慢ぶりが不愉快でならない今日この頃です。
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寿司プリーズ (加藤裕子)

2006-03-30 12:21:15 | 
旅行の楽しみの一つに食べ物がある。地元の名物料理を食べるのもいいが、私は地元の食料品店やスーパーなどを覗くのも好き。東京ではあまり見られない食材が売られているのが楽しい。

アメリカ本土へは渡ったことはないのですが、ハワイやグアムのスーパーで見かける「寿司もどき」としか言いようのない、不思議な品揃え。どうやら「すしロール」というものらしい。カルフォルニア巻きなら、日本でも時折目にするし、けっこう美味しいと思う。でも「すしロール」には、まだチャレンジしたことはない。食べてみたいが、ちょっとつまむには巨大すぎる。

渋谷や六本木の回転寿司店に入ると、大概外人さんが寿司をほうばっている姿を目にすることが多い。寿司の国際化が言われるようになって久しいが、その国際化された寿司を目にすると、やはり珍妙さが目に付く。でも、これが国際化の現実なのでしょう。日本で人気のイタリアン料理やフランス料理も、イタリア人やフランス人から見れば、やはり違和感はあるのでしょう。

面白いことに国際化という言葉には二通りある。世界の文化を日本に持ち込み普及させる、これが日本では多い。一方、自国の文化を外国に持ち込み普及させる、これも国際化。どちらかといえば、後者の方が世界的には、多い感がある。韓国人や中国人が国際化を口にする場合、間違いなく自国の文化を世界に受け入れさせることを意図している。アメリカやヨーロッパの人たちに至っては、自国の文化こそが世界標準であると信じきっている。

ところで、外国の人に寿司を上手く説明できますか?いや、寿司に限らず日本の文化習慣を、外国の人に説明することは、案外難しい気がします。普段、無意識に、あるいは無自覚にしていることだけに、改まってみるとその難しさに頭を抱えるものです。でも、改めて分かったこと、理解できたことも多々あり、これはこれで結構楽しいものです。

通勤電車の車中で一気に読破しましたが、なかなかに面白い内容でした。ただ、読んでいてお腹がすいてくるのには参りましたがね。

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ホワイトバンド

2006-03-29 12:33:07 | 社会・政治・一般
先週の雑誌「ニューズウィーク」は、なかなか興味深いものでした。私がかねてから胡散臭いと思っていたホワイトバンドを取り上げています。その内容は読んでいただくのが良いでしょう。

かつては南北問題と呼ばれ、現在は貧困の問題として捉えられているアフリカ、中南米の極端に貧しい人々の存在。以前から国連、ユネスコらが補助金をばら撒き、ミュージシャンらが義援金をまき散らかして、貧困問題の解決を願っていました。されど一向に状況は改善しません。

私に言わせれば、貧者への援助なんてアル中患者に酒の肴を渡すようなもんです。酒を渡すよりはましですが、それだけでしかない。

貧困を抱えている国々の大半は、かつてのヨーロッパ諸国の植民地でした。ヨーロッパによる侵略により、社会そのものを破壊され、伝統や文化、食習慣、宗教などを失った国々でもあるのです。社会を形作る枠組みそのものを失ったため、いくら援助を注ぎ込んでも溜まることなく、流れ出てしまうのです。

彼らが再び社会を再生するためには、彼等自身の自主的な社会建設のみが、彼らを救うのみ。いくら井戸を掘ってあげても、彼らはそれを使い尽くすだけ。自分で井戸を掘り、自ら井戸の管理をしなければ駄目なのです。

豊かな先進国の人間が、余ったお金を貧困の救済目的に支払ったところで、それは単なる自己満足にしかならないのです。ホワイトバンドを身につけるなんて、まさに自己満足そのものです。

日本を始めアジアの国々が貧困から抜けさせたのは、完全に植民地化されず、固有の社会基盤が残っていたからです。それでも旧来の社会制度のなかから抜け出せず、貧困に喘ぐ人々はまだまだいます。全ての人間が豊かになるなんて、有り得ない夢物語ですが、それでも夢を持てるだけの可能性を持った社会なら、現実的に実現可能なはずです。でも、ホワイトバンドじゃ役に立ちませんがね。
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永田議員の弁明

2006-03-28 16:35:37 | 社会・政治・一般
情けないの一言に尽きますね、永田議員さんの対応ぶりは。口では謝罪していますが、内心は自分が悪いとは思っていないのが透けて見える。

お勉強のよく出来るイイ子ちゃんに、あのような対応は時折見かけます。困ったことに霞ヶ関界隈で働きたがる傾向が強い。で、永田の坊やは勉強はよく出来るが、人間として未熟なので、霞ヶ関で辛抱できずに永田町(内心馬鹿にしていたはずですが)で偉ぶりたくって先生様になった。

なったはいいが、自分が思うほどには世間は自分を重要視してくれない。そこをエセジャーナリストにつけ込まれた。この西澤某も、実は似たような人間。ガセネタを大手出版社に持ち込んで注目を集めたはいいが、裏づけのないゴミネタ。結局裁判で負け、大手出版社には出入り禁止の問題児。

永田議員の自己正当癖は、民主党に対する政権党への期待を大きく引き下げる結果となりそうです。私は次の選挙は、前回自民党が勝ちすぎたがゆえに、民主党有利と踏んでいましたが、このままでは野党の自滅になりそう。

出処進退を見誤ると、人生に大きな禍根を残すことになる典型にならなければいいのですがね。
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公示価格

2006-03-27 09:49:35 | 経済・金融・税制
23日、国土交通省から公示価格が発表されました。都市商業地での価格上昇がクローズアップされていますが、よくよく見ると全国平均では下がっている。以下は以前掲示板で書いたものの再掲です。

土地の公示価格とは、国土交通省が全国の不動産鑑定士に依頼して、毎年1月1日現在の各地の地価を公示しているものです。とかく価格が一般には不透明な土地取引の指針となるべく定められたものですから、それなりに権威があります。なお似たものに都道府県が毎年7月1日現在の実勢価格をもとに発表する地価調査価格(基準値価格)なるものも存在します。

とりもなおさず、一応「お上」が作成したものだけに一般消費者、官公庁(実はここが問題!)には信頼されることが多い土地の時価(評価額)と言えるでしょう。

ただし問題点もあります。まず評価の基準となる土地は、現在3万箇所あまり。やはり場所が限られていることから、実務上使いづらく、またその選定にも疑問があります(後述します)。また評価には時間がかかるため、実勢価格とは2年ほどずれてしまいます。

土地の公示価格制度は、昭和54年に始まりました。当初国土庁は「地価抑制」の目的を併せ持っていたため、必然的に実勢価格よりも低い評価となり、だいたい相場の4~5割り程度の評価額にとどまっていました。

そうなると世間の信頼度は低下するため、国土庁は「評価替え」という手法を行使して、公示価格をすこしずつ引き上げていきました。いかなる基準で基準となる土地の変更をしたのかは、官僚の判断次第だったようで、これが後々大問題となります。一時期日経平均だかなんだかで、選定する株式の入れ替えをやったところ、おおいに信頼度を下げたことが株式市場でもありました。時の大蔵大臣からも批判されていたと記憶しています。しかし、公示価格の評価替えに関しては一部のメディア(たしか週刊エコミストだった)が騒いだときも、国土庁は違法性なしとして誤りを認めなかった。

不動産バブルの始まりと終焉、異常な土地価格急上昇とその後の急落は、なんと実勢価格よりも高額な公示価格を生み出してしまいました。この影響はかなり大きいといわざる得ない。

まず固定資産税が急激に上昇した。都心の地主さんたちは大慌て。現在の固定資産税は昭和六十年代の4倍くらいに跳ね上がっています。時価が下がっているのに、固定資産税評価額は高止まりしているわけで、行政側すら説明できず困っているありさま。まあ、地方自治体の重要な財源となっているため、急激に下げられない事情もあるようです。

さらに困った立場に追い込まれたのが国税局。公示価格は当然、路線価評価額にも大きな影響を与えており、やはり実勢価格よりも路線価が高いケースが出てきた。この土地を物納されたものだから、いざ競売等で処分すると、必ず売却損が出る始末。こうなると今まで否定してきた不動産鑑定士による土地評価額を認めることもある(時価が路線価を大幅に上回っている場合)と通達を出して、我々を大いに驚かせてくれたものです。

そんなわけで私個人は、公示価格を参考にすることはほとんどなく、むしろ「公示価格は破綻している」と考えています。

 2005/09/20
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