ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「動物の言い分、人間の言い分」 日高敏隆

2008-07-31 12:09:35 | 
犬と仲良くなるには、どうしたらよいか。

映画「リーサル・ウェャ唐R」でメル・ギブソンが良い見本を見せてくれている。ギブソン演じるヴィッグス刑事が敵方のアジトに侵入したところ、番犬に見つけられた。唸り声を上げる番犬に銃を向ける同僚の女性刑事を制して、寝転んで、クッキーを見せて、一緒に食べて遂には仲良くなってしまう。

おお!俺と同じだと、感嘆したものだ。警戒心を見せる犬と仲良くなるには、まず目線の高さが大事となる。間違っても上から見下ろしては駄目だ。出来るなら犬と同じ、もしくはその更に下まで目線は下げる。これが非常に重要となる。

食べ物を分け与えるメル・ギブソンの方法は実に有効だ。これで仲間意識を共有できる。クッキーがなくても大丈夫。私は犬に腕を咬ませる。下から腕を差し出し「咬んでみ」と声をかける。咬まれれば少し痛いが、ここは我慢して犬を褒める。ほとんどの犬は、ここで力を緩めて、後は一緒に遊んでくれる。

咬むという行為は、犬にとって重要なものだ。私は挨拶の仕方の一つだと考えている。もし、犬が敵対心をもって、本気で咬まれたら、人間の腕など簡単に引き裂かれる。だからまず、下からの目線で敵対心をほぐす。つぎに咬ませて、こちらに敵対心がないことを証明する。疑っている犬も、咬んでも怒らない相手になら気を許す。私はこの手で、大概の犬と仲良くなれる。

ただし、番犬として本格的に訓練を受けた犬には通じない。この見極めが出来ないと大怪我するので要注意だ。また、人間に苛められて、心がねじれてしまった犬も、簡単には心を許してくれない。哀しいことに、都会の犬には時々散見する。まあ、吼え方と攻撃姿勢から読み取れるが、これが分らない人は真似しない方がイイと思う。

犬にとっては、咬んだり、舐めたり、匂いを嗅ぐことは極めて重要なコミュニケーションだ。犬には犬のやり方があることを理解することが大切だと思う。でも、このことを分らない人は極めて多い。

動物を擬人化して楽しむのはいいが、動物は人間ではない。動物のやり方を理解した上で交流しないと、お互いに不幸なことになると思う。表題の本は、その動物のやり方の理解の参考になると思います。機会がありましたら是非どうぞ。
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南ア予選にむけて

2008-07-30 12:20:24 | スポーツ
北京五輪がもうすぐ始まるが、サッカーは若手の修行の場に過ぎない。やはり本番はワールドカップだ。

ようやくワールド杯、南ア大会のアジア最終予選の組み分けが発表された。

強豪である韓国、イラン、サウジと分かれたのは良かったが、オーストラリア、ウズベキスタンが手強いグループだ。ただ、案外日本はヨーロッパ・スタイルのサッカーのほうが相性がいいので、最悪でも引き分けに持ち込んで欲しい。

むしろ難しいのがカタール、バーレーンだと思う。勝ち点を取らねばならぬ試合になるが、カタールには勝ったことがないし、バーレーンも難敵だ。中東勢に不利な雨季のホームでの試合で、偶然っぽい勝ち方をしているようでは先が思いやられる。

岡田監督の目指すサッカーは、どうも堅守速攻型のようだ。いまのところ守備は出来上がってきたが、攻撃がかみ合わない。エース高原の不調が大きいが、速攻を目指しつつ、実際には遅攻になりがちで、戦術が空回りしている。

現在のチームの中心は、間違いなく中村俊輔と遠藤だと思う。この二人、そろって遅攻が好きなタイプ。本来の岡田監督が目指すサッカーには合わないと思う。思うが、岡田監督の秘蔵っ子、山瀬では通じなかった。縦に素早いパスを出せる中村憲剛も、長谷部、松井も中村俊輔、遠藤らに合わせたサッカーをするので、相変わらず中盤でボールを回すだけの試合をやりがち。

オシム前監督ならば、攻め方を変える戦術が指導できたと思うが、岡田監督にそれは無理。そうなると、後はセット・プレーが頼みの綱となる。事実、三次予選はセット・プレーでの得点が中心だった。

バーレーンもカタールも帰化選手が中心のチームで、個人の能力は高い。この2国に勝てないようなら、南ア大会は諦めたほうが良いと思う。日本のレベルが落ちたのではない。中東勢の向上が目覚しいのだ。昔のような守って、守ってカウンターといった戦術はとってこない。

私としては、稲本、中田浩二の代表復帰を望んでいます。一対一に強く、経験豊富なベテランが、絶対に必要になるのが最終予選なのだから。

多分、今回の予選はフランス大会なみの激闘になると思う。岡田監督にはジーコの強運もオシムの指導力もない。そのかわり、きめの細かい守備の指導は出来るようだ。予選突破の確立は6割程度だと思う。

さて、はらはらドキドキの最終予選が始まります。今から期待でワクワクしますね。

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「ここまで変わった木材・木造建築」 林知行

2008-07-29 18:07:54 | 
知らなくても良いことって、絶対あると思う。

なんでも女性のハイソックスとミニスカートの間に覗ける足の部分を「絶対領域」と呼ぶらしい。

ば、バカらしい・・・こんなクダラナイ知識のために浪費した脳細胞返せと言いたくなる。いったい、誰が呼ぶんだ?

実際、現代社会は情報に溢れている。TV、ラジオ、新聞、雑誌にインターネットと情報媒体は腐るほどあり、その提供される情報が玉石混合だ。必要な知識、知りたい知識、知っているべき知識は数多あるが、それ以上に無駄な知識も多い。

知らなくとも困らない知識も数多ある。身近なことなのに、知らずに済ませていることもけっこうある。そんな知識を、改めて学ぶと、殊更驚かされるものだ。

日本では古くから住宅建築は、木造が中心だった。しかし、近代化を進めるなかで、次第に木造建築は数を減らしつつあった。なかでも太平洋戦争による空爆で簡単に延焼した木造家屋に対する政府の視線は厳しいものであった。

加えて海外からの安い輸入木材の普及もあって、国内の木造家屋は長く暗黒時代を余儀なくされた。安さだけが木造家屋のメリットとされてしまった。実際、私の周囲で家を新築した連中の大半が、木造よりも軽量鉄骨の家を建てている。

うちの事務所のクライアントには、建築会社関係が多い。やはり軽量鉄骨の家が中心なのだが、最近少しずつ木造家屋を扱うケースが増えてきていた。安いからだと思っていたが、その安さが尋常ではない。坪当たり30万円前後で建てられている。どんな秘訣があるのだろうと不思議に思っていた。

表題の本を読んで初めて知ったのがエンジニアード・ウッド(通称EW)だ。従来の木を切って、形を整えただけの建材とは、似て非なる新たな建材だった。このEWがあって初めて木造建築に構造計算が活かされ、安くとも安全な家が建てられるようになったとは知らなかった。

日本で戦後植えられた杉などの建材は悲惨だ。なまじっか肥料などを与えて育てたために、木目が広くスカスカの木が出来てしまった。とても柱には使えないと大工の棟梁が嘆いていた。木は生き物だ。同じ形状の木でも、育ち方により建材としての性能がまるで違ってしまう。だからこそ、二階建て以下の木造家屋には厳密な構造計算は不要とされ、現場の大工さんたちの経験と勘による建築がなされてきた。

しかし、限りなく同一に近い性能を保証されたEWが生まれたことにより、構造計算がなされて無駄をなくした設計が可能となった。だからこそ、安い値段による家屋建築が出来るようになったという。

表題の本によりと、それは1987年以降の革命だそうだ。ただし、当初はなかなか広まらず、契機は阪神・淡路大震災だったとか。地震にも強い設計が求められてはじめてEWが注目されるようになったらしい。

木造家屋は環境にも優しい。二酸化炭素を地上に固定化する機能を持つ木造家屋はもっと普及してもいいと著者は訴える。世の中、知らなくてもいい知識は数多あるが、知っておいたほうが良い知識もあると思う。

将来、家を建てたいと考えられている方は、是非ご一読下さい。
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「桃尻娘」 橋本治

2008-07-28 12:01:28 | 
夏の空は、いつだって蒼くて眩しいものだった。そしてその眩しさに目がくらみ、間違いをしでかしたこともある。

十代の頃は、山に海に遊びまわっていた。山は縦走登山か沢登り、海は遊び・・・ではなく、民宿の手伝いの合間に遊んでいた。伊豆の片隅にある、小さな浜の一角にある民宿だった。

初めて行ったのは小学生の頃だった。母子家庭だった私は、なぜかその宿の親父さんに可愛がれ、中学生の頃からお盆の時期の、民宿の繁忙期に手伝いに行くようになっていた。

浜の朝は早い。朝食の炊き出しの手伝いに始まり、海の家への荷出し、部屋や風呂の聡怩ニ日中は休む暇もない忙しさ。それでも時折休みを貰って、いそいそと磯遊びに行ったものだ。

そのうち、海の家の泊まり番もやるようになった。地元の青年たちと一緒で、毎年忙しい時期にやってくる私も、便利な助っ人として受け入れられていた。大半が未成年だったが、酒やタバコはもちろん、いろいろな遊びを教えてもらったものだ。

あれは大学一年の夏だ。お盆の繁忙期を終え、そろそろ涼しい風が吹き、クラゲが流れ込む夏の終わりを予感させた日の夜だった。その日の夜は、地元の青年と一緒に泊まり番だった。海の家に行くと、なぜか女性が一緒に居た。嫌な予感・・・

案の定、お前俺の車の中で寝ろと言い渡された。逆らっても仕方ないので、駐車場に停めてあった車のキーを預かり、そこで夜を過ごすことになった。

寝つきのいい私が、車のシートを唐オて、一人健やかに眠っていると、深夜いきなり起こされた。件の青年が女性を連れて、車外に立っていた。ドアを開けると、いきなり「急用が出来たから、早退する。後を頼んだぞ」と言いたれた。なんなんだ?

致し方なく、車を降りて、呆然と深夜の駐車場に立ちすくんだ。女性が泣いていたように見えたが、事情はさっぱり分らない。この青年、普段はとっても面倒見の良い、頼りになる兄貴分なんだが、こんな日もあるのだろう。海の家に戻ると、いささか散らかっている。ため息ついて、片づけをして、改めて再度寝入る。

ところが、一時間もしないうちに誰かが入り口を叩く。青年が戻ってきたのかと思い、開けてビックリ。さっきの女性が一人で立っている。忘れ物ですか?と問うと、何も言わず、いきなり座り込まれた。

とりあえず、奥に上がってもらい、長々と愚痴を聞かされる羽目になった。どうやら、さっきの青年は夏休み明けに東京へ出るらしい。一緒に行くか、どうするかの話だったようだ。

白状すると、話の内容は途中からさっぱり覚えていない。話しながら女性の目が潤んできて、身体を密接させてきたあたりから、なにがなんだか、なぜにこうなったのか分らない。まあ、私も心身ともに元気な若者でしたから、仕方ないですね。

問題はその後だ。その女性との関係は、その夜一回だけなのだが、私はいささか焦っていた。ばれたら、半殺し間違いなしだもの。ところがその年の冬に、この二人が結婚したと教えられてビックリ。しっかり二人とも地元に残って、新婚生活を満喫していると聞かされた。その青年にはバレてないと思うが、それでも気まずい。なにせ、彼は地元の青年のリーダー格なのだ。私も世話になっていた人でもあるので、殊更気まずい。

翌年の夏は、車の合宿免許があったため、浜の民宿のバイトは断った。気まずくて、行きずらかったが本音だ。そうこうしているうちに、民宿のおやじさんが急死されて、民宿も廃業となった。以来、私は足を運んでいない。

表題の本は、学園紛争が終結して虚脱状態の若者たちのなかで、いち早く立ち直り、享楽的な生き方を選んだ若い女性たちを描いている。けっこう話題になり、日活で映画化もされた。その主演女優(竹田かほり)に似た雰囲気の女性であったため、この本を読むと、あの夜のことが思い出されて仕方ない。私も思慮足らずだとは思うが、女性がかもし出す怪しい魅力に負けたのも事実。

世間を狭くしてしまった私の短慮が、いささか口惜しい。好きな海浜だっただけに残念だ。
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メタンガスは?

2008-07-25 12:12:38 | 社会・政治・一般
現地駐在の友人の車で、ヨーロッパの美術館を回ったことがある。

道路交通網が発達しており、わずか数日でオランダ、ドイツ、フランスをまわることが出来た。国境を通り過ぎたことを失念するほど、簡単に移動出来たのに驚いた。

もう一つ、私が驚いたことがある。道路の両側はほとんどが牧草地帯で、牛や羊が呆れるほど沢山いたことだ。日本とは食文化が違うのも当然だと思った。

先日、良くも悪くも何事もなく終わった洞爺湖サミット。例によって、実効性に乏しい宣言がされ、各国首脳たちの親睦会で終わったようだ。期待された環境問題も、とりわけ成果がなく、国際的な取り組みの難しさを再認識しただけだ。

私とて、地球の温暖化には気をかけているし、政治的な働きかけが必要だと考えている。ただ、以前から欧米主導の環境会議などには、大いに疑問を持っていた。

二酸化炭素(CO2)の温室ガス効果を考えれば、その削減に取り組むのは必然だと思う。しかし、単純に温室ガス効果を考えれば、二酸化炭素の25倍の温室ガス効果があると言われるメタンガスを取り上げないことには、どうも納得がいかない。

火山などからもメタンガスは発生するが、なにより大きいのが生物の排泄物、つまり糞から生じるメタンガスだ。冒頭で取り上げたヨーロッパの牛や羊も、そのメタンガスの発生源なのだ。

ところが、このメタンガスが環境問題を取り扱う国際会議で、議題として取り上げられることは稀だ。素人の私が知っているぐらいだから、当然に欧米の学者にも問題意識はあるらしい。しかし、無視されている。あの環境テロリスト、グリーンピースらNGOも、何故かしらメタンガスを取り上げはしない。

嘘か本当か知らぬが、どうもNGOらに畜産業界から多額のお金が流れているらしい。日本では小さい業界だが、欧米では畜産産業は、極めて政治力の強い業界として有名だ。飼料メーカーや、農薬業界などを含めれば巨大な産業構造をなす。どうも、彼らが家畜の産み出すメタンガス問題を、環境対策会議で取り上げられることを厭うらしい。

らしいと、憶測含みの文にせざるえないのは、科学的データーの蓄積、整理が十分ではないからでもある。私も十年以上前からメタンガスの問題は知っているが、未だに十分な研究はなされていない。

例えば、アフリカの象は大量の糞を毎日排出する。この糞からは大量のメタンガスが生じるはずだが、計測が難しい。象の糞は、フンコロガシをはじめとした甲虫類の餌でもあり、サファリでは数日で食べ尽くされる。また、遊牧民が草原で大量に保有する羊などの糞は、遊牧民の燃料として活用される。いったい、どのように計測するのか、そのルール作りさえなされていない。

欧米で大量に飼育される牛だが、その反芻からゲップをすることで知られるが、そのゲップにもメタンガスは含まれている。計測モデルの作成一つとっても、未だに統一されていない。企業が研究資金を提供しているとの話も、私は耳にしていない。

ただ一つ、分っているのは畜産農家が保有する牛や羊は、その数を増やしているが、強力な温室効果ガスであるメタンガス対策は、ほとんどされていないことだけだ。欧米主導の環境対策会議への疑問は、いやますばかりだ。
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