ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

秘められた知恵と力 NHK「世界遺産」プロジェクト

2009-11-30 12:15:00 | 
鳩山政権の下でなされた事業仕訳に対する賛否が喧しい。

たしかに稚拙な判断も目立つし、なにより拙速に過ぎる。しかし、これまで霞ヶ関の密室で官僚が好き勝手に決めていた税金の使途を、国民の目にさらして判断(つまり決定ではない)するパフォーマンスには、多くの国民が溜飲を下げたことは間違いない。

予想はされていたが、予算を切られる官僚側の反論が実に情けない。今まで納税者たる国民に対する説明などする慣習がないので、いざ国民を前にして税金の使途を説明することにアタフタしている有様だ。

もっとも最終的な予算決定は、やはり財務省が握っており、つまるところ財政赤字削減のためのパフォーマンスに過ぎないとの評は一面の事実であることは否定できない。

ただ、費用対効果の基準で科学振興予算を論じるのは如何なものか。とりわけ基礎科学の分野は、長期的な視点で考えていかねばならぬ。いくら予算をつぎ込んでも、その成果が出るのは不確定なのが基礎科学なのだ。それでも、資源の少ない日本にあって、最も大切な資源である人材育成の観点からも、基礎科学への国の支援は必要不可欠だ。

また、文化遺産や歴史的施設の保守管理も地味ながら貴重な分野であり、国家が財政的支援を地道に続けなければ守ることの出来ないものだ。人間どうしても派手な分野に目がいきがちだが、文明は維持管理が十分になされぬ限り、必ず衰退する。箱物を作るのは簡単だが、それを維持することは地味に難しい。

その困難な作業を1000年以上維持してきたのが、法隆寺の五重塔であり、宮島の厳島神社だ。必ず腐食し老朽化する木材建築による建造物を維持管理するノウハウは、未だに完全に解明されていない。

なぜ、地震や台風といった自然災害にも耐えられたのか、今日の科学をもってしても完全には解明できていない。コンピューター解析の技術を使ってもなお、その不思議な仕組みは全貌を明らかにしてはくれない。

しかし古来よりの知恵が職人たちに継承され、自然災害や戦争などの人災からも守り続けられてきた文化遺産の数々。どうやって守ってきたのか。その謎に挑んだのが表題の作品だ。

これはNHKの特集番組で企画されたものを、改めて本に書き直したものだ。私は当初、TVで観てうろ覚えだった部分を、この本でより詳しく知ることが出来た。

まったくもって、古代の知恵の深さには驚愕を隠せない。木材という均質でもなく不安定な建材を用いて、不朽の建造物を夢見た古代の職人たちの技術の高さは驚異としか言いようがない。そして、それを保守管理する知恵が継承されてきたことにも驚きと敬意を表さざる得ない。

ハイテクではなく、ローテクにこそ日本伝統の叡智は込められていると思う。手間賃は高いけど、職人を大事にしなきゃいけませんね。
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なぜ中国人は互いに憎しみあうのか 陳恵運

2009-11-27 12:37:00 | 
如何に中国人と付き合っていくか。

少子高齢化を迎える21世紀の日本では、流入するであろう外国人と如何に付き合っていくかが問題だと思う。外国人の流入に危惧を抱く人は多いと思う。風習も違うし、近隣トラブルが増加するのは分りきっているからだ。

実のところ、私は中国人の流入に関して寛容な気持ちだった。私が知る中国人たちは、昔の日本人のように勤勉で、学習意欲が高く、仕事熱心な人が多かったからだ。

だが、表題の本を読んで、少し認識を変える必要があると思った。著者が語るように、昔と今では別人の如く意識が違うようだ。実際、外国人犯罪の多くが中国人である現実がその見解を裏付けている。

イデオロギーが崩壊した国では、民族意識が高揚し、宗教が支持され、そしてなにより金銭への執着心が増大するという。ロシアを始めとして東欧諸国が既にそうだ。

そして、毛沢東が掲げた理想の政治が、鄧小平の「金儲け優先」の現実に突き崩されたシナにおいても、凄まじいまでの金銭欲が人々を狂わしている。

もちろん、その欲望が経済発展として国を豊かにしているのは事実だ。経済が停滞する日欧米にとっては、成長路線のシナ経済は希望の星でもある。バブル崩壊後の日本経済の復興は、中国との貿易が大きな役割を果たしたのは隠せない事実だ。

シナはたしかに大きく経済発展を遂げた。されど、その富の果実は国民の一部の層(官僚と富豪)だけが享受して、大半の国民は今も貧困に喘ぐ。

かつてのシナ人は貧しいことを恥はしなかった。貧しくとも充実した社会保障が幸せな人生を保証してくれたからだ。だが、人民公社は崩壊し、国有企業は赤字に悩み倒産していく。社会保障はいつのまにやら霧散させられた。

国民の共有財産であったはずの農地や企業設備は、狡猾な官僚と強欲な経営者たちに払い下げられ、新たな私営企業として暴利を貪る。社会保障を奪われ、職場を失い、生活の安定を奪われた貧しき庶民は、昔よりも貧しい生活を強要された。

金は欲しい、でもいくら真面目に働いても雀の涙ほどの報酬しか得られない。この不満が三つの問題を引き起こした。一つは政府への不信と不満だ。既に年間1万件をこえる騒動が起きている。この不満は反アメリカ、反日本感情の仮面を被っていることが多い。インターネット上の掲示板において加熱する対外感情は、中華思想(自分たちが一番偉い)の高揚とあいまって暴走気味だ。シナの政府は、この裏側にある反政府感情に気づいており警戒を隠せない。

二つ目は富裕階級への憎悪だ。裕福な者たちへの嫉妬は憎悪を育み、それは犯罪を誘発する。強盗、恐喝、誘拐などの反社会的犯罪の増大は、貧富の差の拡大と見事に比例する。官僚や企業経営者たちは不正な手段を使って富みを蓄えているのだから、我々だって不正な手段で富を収奪してなにが悪い!かくして犯罪は飛躍的に増加した。

三つ目が、不信と差別だ。シナの大地は広い。南と北ではかなり民族感情が異なることは外国人の私でも分る。だが、これほどの地域差による差別感情が深いことは、この本を読むまで知らなかった。貧富の差の拡大は、差別感情を増大させて、相互に不信感を募らせる。

かくしてシナの大陸においては、憎悪と不満と不信が渦巻き、暴発する怖れがことさら北京政府を強硬化させる。内政の失敗は外交(侵略)で補うのはよくある手だ。核兵器もミサイルもある。後は戦う口実だけだ。とはいえ、覇権国であるアメリカと正面対決は避けたい。(少なくとも今しばらくは・・・)

なれば、国内の不満分子は外国に出してしまえ。そんな訳で出国する金のあるシナ人は世界に飛び出す。不思議なことに、嫌いな国の不動の上位であるアメリカと日本が大人気。受け入れる側こそ良い迷惑だ。

さりとて、少子高齢化の日本では人手不足(3K職場)は今後増える一方だ。人手不足で社会システムが機能不全に陥る危険が迫ってきている。

なるべく良質な人材の流入こそが理想だが、如何にしてそれを実現するか。少なくとも従来の政策では選別は出来ない。不法入国を抑制することは或る程度可能だが、家族ビザで来日する外国人を拒むのは難しい。既に日本人の国際結婚の第一位はシナ人だ。

どうする、日本?難しい問題だと思うぞ。
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野村監督に思うこと

2009-11-26 12:15:00 | スポーツ
この人が監督だったら、野球はやりたくないな。

そう私に思わせるのが、名監督として名高い前・楽天イーグルス監督の野村氏だ。野球をよく知っていることは、野球は素人レベルの私でも分る。選手としての実績も知っているし、監督としていくつもの球団で実績を挙げていることも分っている。

それでもだ、私はこの人の下で野球をやりたいとは思わない。だって、絶対楽しくないもの。

「ぼやき」の野村で知られている人だ。ぼやくだけなら許せる。問題はそのボヤキが長い上に、人を腐す。なにが嫌だって、ウジウジ、ダラダラと説教を長引かせるのが嫌だ。

自分が叱られているのでもないのに、これほど嫌がるのも何だが、当然に選手はもっと嫌だと思う。そのせいだと思うが、野村監督の教え子と言われる選手たちで、野村氏を慕う選手は少ない。むしろ嫌われるか、敬遠されているのが実情だと思う。

野村ID野球の申し子といわれたヤクルトの古田でさえ、公式の場では野村監督の教えに敬意を示すが、彼が私生活で野村氏を慕っているとの話は聞いたことがない。むしろ距離を置いているように思えてならない。

野村氏のもう一つの欠点は嫉妬心が強いことだ。とりわけ人気選手を腐すのが得意だ。ヤクルトの栗山、一茂、阪神の亀山、楽天なら岩隈だろう。嫌気が差して、選手を辞めた者もいる。野村再生工場が笑わせる。

嫌われたって、正しいことを教えて選手の技量を上げて勝利を目指すことは否定しない。それどころか敬意を払っても良いと思う。憎まれ役だって必要なのは確かだ。

にもかかわらず、私が野村監督を敬遠したくなるのは、この人自身の功名心の高さが不快に感じるからだ。本当の名指揮官は自分ではなく、選手こそを持ち上げる。この人の談話を聞いていると、野球をするのは監督なのかとの疑問が拭いきれない。

野村監督は、自分を王、長島と比して月見草だと卑下するが、そのわりに出たがりの性分は、控えめな月見草からは程遠い。コンプレックスをばねに奮闘してきたのは認めるが、度が過ぎると不快に感じざる得ない。能ある鷹は爪を隠すというが、野村監督は人を腐すボヤキを隠す自制心こそが必要だと思う。
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銭ゲバ ジョージ秋山

2009-11-25 12:10:00 | 
紙幣と言う名の紙切れが、私たちを捕らえて離さない。

純金の硬貨ならばまだ分るが、この紙っきれが通貨としての財産価値を持つことには、一応疑問を抱いたほうがいいと思う。

誰が言ったか忘れたが、我々は貨幣経済という名の妖怪に取り付かれているのかもしれない。いや、むしろ神と称すべきなのか。貨幣経済という名の宗教の信者であり、紙幣や通貨は神の恩寵なのか。

物々交換から始まった経済行為は、市場の成立と通貨により飛躍的に広まり、人間社会を繁栄に導いたことは否定しない。私はなにも経済原理否定論者ではないし、ここで経済学的見解を披露したいわけでもない。

ただ、それでもだ、金銭に取りつかれることへの危惧は隠せない。

どっかのCMではないが「よ~く考えよう、お金は大事だよ~♪」と唄われるとおり、お金は大事だ。お金は自由を保障してくれる。欲しいものを手に入れる自由。食べたいものを食べられる自由。悦楽の時間を過ごす自由。お金=自由なのだ。

だが、その自由を得ることは決して自由ではなく、むしろ縛られる。自由を得ようとして頑張っていたのに、気がついたら不自由な境遇に喘ぐ自分に気がつくことがある。

通貨は欲しいものを手に入れ、受けたいサービスを享受するための手段なのだ。手段でありながら、富みとしての性格を持つがゆえに、目的化してしまうことが多い手段でもある。

金で買えないものはないと断言するほど軽薄にもなれないが、金自体を蔑む気持ちもない。金で買えない価値観の存在を大事にしたいが、金で購える自由を大切にもしたい。

少なくとも「銭ゲバ」と蔑まれるような生き方はしたくない。でも、「銭ゲバ」と呼ばれるほどの努力を出来る人は稀だとも思う。真似したいとは思わないが、あれほど必死に金にしがみ付く様は反面教師にはなると思う。

表題の作品は、私が小学生の頃にヒットした怪作だ。高度成長著しい日本にあって、ハングリー精神をもって金儲けに執着した人は今よりも多かった気がする。その生き様は阿漕で醜悪だったのかもしれないが、今どきの金を浪費するだけのグウタラどもよりも、よっぽど生きている印象はあった。

銭ゲバには、良くも悪くも強烈な逞しさを感じたものだ。あの金への執着心が、やがてバブル経済というあだ花として弾けて飛散した。貧乏=不幸という等式が常識として蔓延している。

お金は大事に使いたい。でも、お金にとり付かれることは避けたい。お金がなくとも幸せはつかめると信じたいからね。
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踊る腹のムシ 藤田紘一郎

2009-11-24 17:01:00 | 
分っていても、なかなか出来ないぞ。

近年、寄生虫が見直されている。良くも悪くも見直されている。いや、以前は悪い方だけだった。寄生虫を如何に駆除して、清潔で健康な生活を送ることに重点が置かれていた。

小学生の頃、嫌だった検査の一つにギョウチュウ検査があった。朝、起き抜けにお尻にシールを貼り付け、それを提出するやつだ。一度だけ、ギョウチュウの卵が見つかってしまい、駆除薬を飲んだことがある。その日一日、景色が黄色く思えたもので、嫌な検査だと思っていた。

よく手を洗い、生ものを食べず、十分火を通して食べることが大事だと、保健室の先生に言われたと思う。ただ、よくよく思い出すと、なぜ寄生虫が悪いのかはあまり教わらなかった気がする。

それでも百科事典などに載っている寄生虫の写真は気持ち悪い。こんなのが身体のなかに入っているなんて、とてもじゃないが我慢できない。寄生虫は悪いもんだと信じ込んでいた。

ところが近年、その寄生虫が病気の治療に使われている。花粉症のような軽微なアレルギー疾患を初めとして、難病として知られる潰瘍性大腸炎の治療にもサナダ虫が活用されている。

人間の大腸に寄生したサナダ虫が、自身が寄生しやすいように人間のアレルギー疾患を治癒してしまうのだ。現在その仕組みの解明が医学者によってなされているが、未だ研究途上なのだ。しかし、長年にわたり人類に寄生していたサナダ虫がアレルギー疾患の治療に効果があることは、否定しがたい事実なようだ。

花粉症に悩む私としても、実に興味深い話である。アレルギー疾患だけでなく、ダイエットにも役立つという。大腸に寄生したサナダ虫が栄養を吸い取ってしまうので、努力せずに体重が徐々に減るという。なんと素晴らしい~!しかも、このサナダ虫は寿命が2年半たらず。人体の中では増殖できずに、自然と老衰して死滅する。

この本にも書かれているが、この一見無害なサナダ虫もアフリカなどの貧困国では大問題だ。ただでさえ食糧事情が悪いのに、その上サナダ虫に栄養を取られてしまえば、人間に有害であることは間違いない。

しかし、日本のようにむしろ過食と栄養過多ならば、このサナダ虫の寄生はむしろ有益なのだろう。もっとも、このような安全なサナダ虫は一部の種に限られ、危険な寄生虫のほうが多いのが実情だ。だからこそ、専門家の手を借りて、安全なサナダ虫に寄生してもらいたいではないか。

実際、寄生虫の専門家でもある著者のもとには全国から「サナダ虫を下さい」との要望が相次ぐという。ところが残念なことに、この安全なサナダ虫自体が現在は希少種になりつつあり、滅多に捕獲されないと著者は嘆く。

密かにこのサナダ虫に寄生されることを夢見る、怠け者(努力してダイエットなんかしたくない!)の私にも残念な話である。しかしまあ、寄生虫に寄生されることを夢見るなんて、やっぱり異常だわな。脳に虫でも湧いているのかね?
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