ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

倒木

2011-09-30 12:15:00 | 日記

台風が襲来した夜は、なかなか寝付けない。

窓ガラスの隙間から響く風切音が耳をつく。吹き荒れる風に乗って雨粒が窓ガラスに叩きつけられる。時々、強風が窓ガラスそのものを揺さぶり、そのガタガタ音がなると、外を覗き込まずにはいられない。

そんな寝不足気味の朝は、決まって空が晴れ渡る。だが、台風の被害はそこかしこに見受けられる。被害を受けた方には申し訳ないが、そんな朝は少し浮き浮きしながら、朝の散歩に出かける。

20年前当時、私は長期の病気療養中であり、体力をつけるために一日2時間程度の散歩を欠かさないようにしていた。その日は、台風の残した傷跡を見てみたくて、わざわざ玉川上水沿いの遊歩道を散歩した。

さすがに増水の跡も生々しいが、あちらこちらに倒木があって強風の凄まじさを見せ付けてくれた。遊歩道沿いの小さな神社に近づくと、人が集まっている。

神社の社のなかに聳えていた楢の木が倒れている。神社の社を避けて、倉庫の上にかぶさっている。20メートル近い長さがあるので、取り除くのも大変だと思われる。

ところで、人が集まってなにやら騒いでいるようだが、どうも当リのことではないらしい。近寄ってみて、話好きそうなお爺さんを見つけて、訊ねてみると、なんでも隣の家のご主人が亡くなったとのこと。

さすがに驚いた。この家は近辺では有名な大地主であり、うるさ型で知られた人だ。余談だが、この近所にある私の実家のトイレが、長いこと汲み取り式であったのは、下水道敷設に反対していたこの大地主がいたからだ。

とにかく変わり者で、たしかこの神社の神主さんとも隣同士でありながら犬猿の仲であったと聞いていた。私の記憶に間違いがなければ、不仲の原因は、この20メートルを超える巨木の落ち葉だったはず。

毎年、秋になるとこの楢の巨木は大量の落ち葉を舞わせる。その落ち葉が自分の敷地内に落ちてくるのが不満で、神社に毎年苦情を申し立てていたことは、自治会の会合などで聞いていた。

その苦情は年を追うごとに厳しくなり、勝手に切り倒そうとして、一時は警察も出動するほどの騒ぎになったこともあるくらいだ。この近所は比較的緑に恵まれた風光明媚な場所であり、落ち葉は風物詩に過ぎず、この大地主の我が侭は非常に評判が悪かった。

話好きのお爺さんが語るところによると、大地主が亡くなったのは、丁度この楢の巨木が倒れた同時刻とのこと。お爺さんは訳知り顔で「きっと、楢の木さんが道連れにしたに違いない」と肯いていた。

俄かには信じがたいが、近所の人たちは本気でこの道連れ説を信じていた。なにぶん、この近所では名士なので、うちの自治会でも葬儀に手伝いを出していた。

直後の自治会の会合では、この道連れ説で皆が勝手を言い合っていて、まともな会合にならなかった。普通に考えれば、台風という大きな低気圧が通過し、気圧の低下により体調を崩して亡くなると考えるほうがまともだと思う。

あれから20年近くが過ぎたが、神社の境内には新しく楢の木が植えられ、すくすくと育っている。大地主の家は、なにがあったのが更地にされて、今は数件の分譲住宅が建っていて昔の面影は無い。

近所の人たちは、楢の木さんの呪いだと訳知り顔で噂していた。多分、相続がらみの争いがあったのではないかと、私は推測しているが、本当のところは不明だ。

私がちょっと不思議に思っているのは、神社の神主さんだ。実はまだご健在だ。もう80を超えているはずだが、そんな年には見えないぐらい元気に庭掃除をしている。

新しく植えた楢の木を、大事に育てている様は、見知らぬ人には微笑ましい光景なのだろう。でも、私にはちょっと不気味に思える。多分、あれ以来、若返った気がする。まァ、それだけ隣宅とのトラブルはストレスだったのでしょうがね。

でも、さすがに台風を拝むようなことはしてないらしい。それでも、台風などが通過した後で会うと、妙に生き生きしているのは私の見間違いかな。台風一過の快晴って奴は、なにも天気のことばかりではないようですね。

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ぼくのマンガ人生 手塚治虫

2011-09-29 14:18:00 | 

私は未来に夢をみない若者であった。

高校を卒業する前、「未来の自分」といったタイトルでの作文を出すようにとの宿題が出された。担任の先生に出した作文には、既成の価値観が崩壊した未来、学校で教わった知識なんか役に立たない未来で生きる自分を書いておいた。

元々、相性の悪かった担任の先生ではあったが、私のこの作文にはほとほと呆れたらしく、何も言わずに壁をみるような目つきで返してくれた。

もはや理解の外にあるのだろうことは、容易に察しがついた。だが、私は先生をバカにするために書いたのではない。未来に対する虚無感は、当時の若者に共通するものであったと思う。

50年代から70年代にかけて、日本の若者たちを襲った反戦平和思想という熱気が吹き荒れた。それは反米デモや、学生運動といった形で花開いた。

ちなみに私の高校は、制服はなく、私服での登校が許されていたが、これもあの時代の若者たちの学生運動の成果である。だが、私たちの世代で、学生運動に身を投じた奴はほとんどいなかった。

60年の安保闘争も挫折し、70年の安保闘争は尻つぼみ。学生運動は内輪もめを繰り返し、その焦燥感から日本連合赤軍が浅間山荘事件を引き起こした。

山荘が警察や機動隊に包囲され、巨大な重機の鉄球が山荘を砕く場面がTVで放送されたのを覚えている人も少なくないと思う。

浅間山荘は砕かれ、連合赤軍は北朝鮮に亡命し、残された学生運動家たちは内ゲバと称された内部抗争にのみ暗い情熱を燃やした。

当時、私が住んでいた世田谷の三軒茶屋という街には、ボロいアパートが沢山あり、そこには学生運動家たちが住み着いていた。教会で知り合ったこの若者たちから、耳にタコが出来るほどに、市民が主役の平和な社会の夢を聞かされた。

もし、私が10年早く生まれていたら、その夢に私も引き摺られたと思う。だが、大人への階段に足をかけた私が見たのは、夢が幻と崩れ去って何も残らなかった虚しさに立ち尽くす若者たちの姿であった。

「ボクって何だったんだ?」

そう考え込むお兄さんたちを見る私の視線は、醒めたものにならざる得なかった。必然、私は未来に夢をみることをしなくなった。青春の情熱は、趣味(登山)にだけ注ぎ込み、後はプライベートでの友人たちとの時間に慰めを見出した。

別に開き直るつもりもないし、過去を美化する気もないが、このような醒めた若者を産みだしたのは、戦後の平和絶対主義の民主教育に他ならない。

戦後教育は、子供たちに夢を与えなかった。現実は悲惨で、過酷で、残虐さが満ち溢れている。だからこそ、子供たちにその現実に対抗するための土台としての夢が必要だ。

だが、教科書は無味乾燥した事実の列挙だけを教え、教師は出来もしない平和の夢ばかり語った。人間と言う生物が残虐さと深き愛情を同居させる矛盾を有する現実から逃げた。

家族を愛し、友を敬愛し、郷里を大事にすることが、時として敵を憎み、文化を破壊し、戦争を引き起こす現実を教えようとしなかった。

病魔が家族を奪い、飢饉が友を傷つけ、天災が故郷を破壊してきたからこそ、人は医学を学び、食糧生産の技術を高め、道路港湾などの社会資本を充実させてきた。

悲惨な現実こそが、明るい未来への希望の土壌である。その現実から目を背け、戦争や争いのないという実現不可能な未来を語った。現実の土壌に根付かない夢は、決して花開くことなく、その夢を追った若者は現実に目覚めた途端、むなしさに崩れ去る。

学校も、教科書も、教師も、未来に役立つ必要な夢を与えてはくれなかった。与えたのは現実に花開くことのない、空理空論だけであった。若者が未来に夢をみなくなって当然である。

だが、そんな私でも漫画家の手塚治虫の描いた漫画は、醒めた私にさえ夢を夢見る幸せを思い出させてくれる。

当然である。手塚治虫は子供たちに生きる喜びを与えるためにマンガを描き続けた。当然にそのマンガは現実に根ざしている。だからこそ手塚のマンガには、意外なほど残酷な場面が多い。

爆弾で燃えつくされた遺体や、天災で放置された遺体を隠さずに描く。絶望的な現実を見せつけはするが、それでも絶対に未来への希望を忘れない。生きる喜び、生き延びた安堵、生きてこそ得られるものがあると描いてみせる。

正直言えば、手塚のマンガには売れなかった、つまり人気が出なかったものも多い。だが、若い作家の才能に嫉妬し、事業に失敗して困窮して知った孤独にも負けず、次々とマンガを描き続けた。

描き続けたからこそ、栄光と名声が残された。生きることの喜びを生涯の哲学とした漫画家だからこそ、不遇であっても描き続けた。

そんな手塚の生き様を知る一端になるのが、表題の作品です。ちなみに岩波新書。大嫌いな岩波書店ですが、これは買いました。それだけの価値はあると思います。

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中間決算と申告

2011-09-28 13:39:00 | 経済・金融・税制

繊細なエリートは、時としてヒステリックに対応する。

支払期限までに税金を納めなければ、年率14.6%の利息(延滞税)がかかる。この低金利時代にえらい高率だと思うし、その上必要経費(損金)にならない。まさに懲罰的税金である。

一方、税金が還付される場合には、年率7.3%の利息(還付加算金)がつく。なぜ利率が延滞の場合の半分なのか、よく分らないが、誰もなぜか問題視しない。

むしろこの低金利時代に、これだけの高利率の利息がつくことが不思議なくらいだ。この高利率に目を付けたやつらがいる。

普通、企業の決算は一年である。決算月の2ヵ月後に申告納税することになるが、一年分の利益に対する税金を納めるのは、けっこう大変だ。そこで法人税法は、予定納税といって前年の決算で生じた税金の半分を、年の中途で納めさせることにしている。

もっとも、企業が自主的に中間決算を組んだ場合は、その計算された中間利益に基づく納税も認めてきた。これを利用(悪用といってもいい)した連中がいた。この低金利時代に、年利7.3%の金融商品なんて滅多にない。しかも、日本政府保証つきの利率であり、貸し倒れの危険性はほとんどない。

手持ち資金が一億円あるとしよう。ここで中間決算を組み、半期の利益2億円強で申告する。納税額は、ほぼ一億円だ。そして半年後、確定決算で赤字になってしまった。当然である。中間期に組み込むべき損失を、意図的に下期に入れたのだから、赤字になっても不思議ではない。

すると、中間決算に基づいて申告納税した一億円が全額戻ってくる上に、年利7・3%の利息(還付加算金)がついてくるのだ。これは美味しい。このような還付加算金目当ての中間申告納税が、一部のコンサルなどの営業もあってか、ここ数年激増していた。

そりゃそうだ。実を言えば私も数社、似たような申告をやっている。この過払い(結果的にだが)申告による加算金取得は、別に違法でもなんでもない。まァ、これが出来るのは資金余力があり、しかも、ある程度決算見通しが立つ、しっかりした企業でないと出来ない。

どの会社でも出来る手法ではないので、私としても積極的に売り込みはしていない。確認しておくが、これは違法ではない。中間決算はあくまで見込みであり、それを最終的に期末決算で確定させているのだから、合法であることは間違いないのだ。

この税法の間隙をついた遣り口に、霞ヶ関のエリートたちが地団駄踏んで悔しがっているとの話は、小耳に挟んでいた。しかし、まさか規制してくるとは思わなかった。

今年の税制改正は、国民生活よりも党内抗争を優先する民主党のせいで、遅れに遅れた。一応8月末の段階で、ほぼ9割がた国会を通過した。ようやく、その中味を精査してみたら、とんでもない改正(いや、改悪だと断じたい)が紛れ込んでいた。

それが中間決算義務の無い法人は、中間申告による納税禁止だとされてしまったことだ。よっぽど還付加算金目当ての中間申告に腹をたてていたのだろう。

まァ、心情は分らなくもないが、そもそも延滞税が高すぎるから、還付加算金も高くならざるえない現実を忘れてもらっては困る。なにより、企業の自主的な行為に基づく納税を否定するとは、いかな道理に基づくものなのだ?

おかげで、困ったこととなった。

今年は3月の東日本大震災の影響により、確定決算で赤字を計上する企業が相次いだ。しかし、必死で建て直し、来期には黒字決算の見通しをたてている優良企業も少なくない。

しかし、如何に優良企業とても、一年分の利益に対する税金を一括で納めるのは辛い。だから、半期の中間決算による納税を見込んでいたのだ。私もそのつもりで、決算説明を顧客にしてきた。

ところが、この遅れに遅れた税制改悪のせいで、中間決算納税が出来なくなってしまった。一応言っておくが、ほとんどの会社は還付加算金目当ての中間決算納税なんて、やっていない。あくまで、資金繰りの都合上、中間納税をやっておいたほうが楽だからに過ぎない。

もし、あの大震災がなければ赤字決算はありえず、黒字で申告できたはずだった。必死な頑張りもあって、来期は黒字決算が見込まれる。ところが中間決算納税が出来ない。中間決算は出来ても、前期が赤字なため中間申告ができない。

おかげで、来年の決算期には一年分の納税資金を用意しなければならない。これを読んで、だったら半年定期にでもしておけばいいのでは?と思う方は経営を分っていない。

資金を寝かしてしまうことは、お金を運用しないことであり、事業継続が前提である以上、使われていないお金の存在は経営のマイナス要因となる。余剰資金なんて、まず存在しない。お金はあれば使ってしまうのが、ほとんどの経営者の行動様式だ。

先に述べた中間申告による納付税金の還付目当てなんて、ほとんどの経営者はやらない。やりたくても、やれない。そんな余裕のある企業は極少数だ。還付加算金なんて、銀行預金よりは高利回りだが、事業利回りは通常もっと高い。もちろんリスクはある。でも、そのリスクを噛みしめつつも、チャレンジするのが経営だ。

今回の平成23年度税制改正は、遅れた上に、唐突に規制を紛れ込ませる姑息な改正でもある。今の政府が、経営というものを如何に理解していないかが良く分る。おそらく、この改正(いや、改悪)は民主党主導ではあるまい。

間違いなく霞ヶ関の、お勉強はよく出来るが、現場を知らないエリートが作成して、改正法案に紛れ込ませたものだろう。そして、市民派を気取る前・アホ首相が、なにも考えずに了承したのでしょう。

ごく少数の悪質な事例があることをもって、多数に不利益を押し付ける。ヒステリックとしか言いようが無い改悪であると、私は確信しています。

現在の日本の不況は、相次ぐ天災によるところが大きい。しかし、復興需要は景気回復の土台になるはずだ。でも、未だに復興資金は市中に出回っていない。これはすべて政府の無能無策によるものだ。

私は結果でしか政治をみない。民主党政権は、日本を沈下させた。長年自分たちを支持してきた少数意見にのみ耳を傾け、大多数の国民の声をないがしろにしてきた。このことは、決して忘れるべきではないと思います。

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不快な電話

2011-09-27 12:06:00 | 日記
時として、怒鳴りたくなる。

電話が鳴ったので自ら取る。私は可能な限り、電話には自分で出るように心がけている。ベルがなったら三回以内に、必ず受話器をとる。新人の頃から叩き込まれたビジネスマナーでもある。

16年前、なにも知らずにこの業界に入り、この事務所で働くようになった時、一番に心がけたのは電話を最初に取ることだった。当然になにも分らないので、相手名を聞いて、他のスタッフに回すだけ。

それだけだが、おかげで担当以外のクライアントにも声を覚えてもらった。この小さな努力が、後に事務所を引き継ぐときに活きた。顔は知らなくても、私の声を覚えてくれていたクライアントが多かったので、顧客の脱落を防ぐことにつながったからだ。

ただ、事務所にかかってくる電話には営業電話が少なくない。コピー機や電話機のリース、商品先物取引、未公開株取引と枚挙に暇が無い。

なかでも嫌なのが、政治がらみの電話だ。一時、石原慎太郎・衆議院議員(当時)の秘書を名乗るA氏は、折に触れ電話をしてきて、胡散臭い話をするだけして、おねだりを求めてきた。私たちスタッフは閉口していたが、故・佐藤先生はなにか思惑があるのか、くだらぬ話に適当に付き合っていた。

後で訊いたら、面識があり、また自宅のご近所なので無下にできないだけだと、いささか不満げに教えてくれた。ちなみに、秘書は秘書でも私設秘書であり、当時既に石原事務所を辞めている(確認済み)のだが、それでも石原事務所の人間を匂わすことは止めなかった。

最近だと、選挙のたび、いろいろと電話がかかってくる。これは私が税理士政治連盟の支部幹事に名を連ねているからだろう。私はこの税政連を通じてしか献金はしないので、失礼にならない程度に対応している。

政治や選挙がらみの相手は、敵に回すと面唐ネので、そうならないよう気をつかう。しかし、そうはいっても、本気で腹が立つ電話もある。

「先生、○○です。お世話様です」

はて、失礼だが記憶にないのだけど、どちら様でしたっけ?

「先生、人権のために戦っている△□○×委員会の○○ですよ。今年は人権を守るための戦いが・・・」

電話機を耳から離して、かすかな雑音程度にしておく。とりあえず、喋らしておく。すると

「先生、聞いてますか!」

ええ、一応は・・・すみませんが忙しいので

「先生、人権ですよ、人権!人権を守るための・・・」

すいませんが、来客が見えたので失礼します。ガチャン。

本当は怒鳴りつけたかった。人権をたてにして声高に正義振りを口にする輩の胡散臭さが、電話の受話器からプンプンと漂ってくる。どうせ、人権をおとりにつかった金目当てだろう。

すると再び電話が。私が出ると「・・・」無言電話である。つまらぬ仕返しをしてくる輩である。警戒しているのか、それ以上はなにもしてこなかった。憂さを晴らしているつもりらしい。下種な輩である。

以前だと、同和か在日か、はたまた反原爆あたりが、この手の輩の看板だったのだが、現・民主党政権に倣ったのか、人権を口上に、たかりに走っているようだ。まったくもって、いやらしい奴らだ。
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葉桜の季節に君を想うということ 歌野晶午

2011-09-26 13:18:00 | 

どんでん返しが鮮烈に過ぎて、読み返さずにはいられない。

最初に言っておくと、この表題の作品は作者から読者への挑戦だと思う。犯人と探偵の対決ではない。作者と読者の対決なのだ。そして、ほとんどの読者は作者にしてやられる。

いったい何時、どの頁で、どの場面で?

だから読み返さずにはいられない。

もっと書きたいことは沢山あるが、敢えて書かない。読んだことがない人が、このトリックに気がついてしまうのが悔しいので、これ以上は書きたくない。

未読の方がいらしたら、是非ともチャレンジして欲しい。ビックリすること請け合いですぜ。

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