ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「花埋み」 渡辺淳一

2006-09-30 13:29:12 | 
渡辺淳一は現在の日本文学を代表するベストセラー作家の一人だと思います。映画化されたり、TVドラマで放送されたりと、人気のある作家であることは間違いないと思います。でもね・・・

私は銀座という華やかな街(事務所は地味なオフィス街ですが)で仕事をしてるおかげで、渡辺氏の華麗な遊び振りの噂話を小耳に挟むことも、時折あります。本当か嘘か分からないスキャンダルネタを聞かされたこともあります。なぜかマスメディアには出ませんから、多分虚報なのでしょう。

まあ、私はその手の券\情報には疎い方なので、どうでもいいことです。しかし、その小説の評価となれば話は別。銀座のクラブのお姉さま方のお勧めやら、なんやらで読まされたこともありますが、あまり好意的な評価は難しい。正直、それほど好きな作家ではない。

だとしても、一点これだけは、この作品だけは評価したい。それが日本初の女性医師を取り上げた表題の作品です。

私は日本が伝統的な男性社会だという主張には、必ずしも同意しません。女性に、というか主婦に財布を握らせる(管理させる)社会のどこが男性社会だと思う。少なくとも欧米の社会とは異なるもので、それが60年代の男女平等運動の国際的連帯の失敗の要因の一つだと考えています。まあ、上野先生あたりは認めないでしょうがね。

しかし、仕事上(公務上といってもいい)では、明らかに男性有利の社会であることは事実だ。そんななかで、女性医師として最初の第一歩を切り開いた萩野吟(吟子)を取り上げた本作は、それだけで価値あるものだと思う。

これからの日本は、子供が減少し老人が増える少子高齢化社会を迎えます。社会の中核を担う若い世代は、ますます減少していくでしょう。もう男だから、女だからなんて言っている余裕なんてなくなるでしょう。男女を問わず、優秀な人材を活用していかねば、社会そのものが立ち行かなくなる。

だからこそ、その先駆者である萩野吟子を世に広く知らしめた本作は価値があると思うのです。
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指導力不足の教師たち その2

2006-09-29 09:25:37 | 社会・政治・一般
誰もが胸を躍らせる小学校入学。新しいランドセル、新しい筆箱、そして新しい友達と新しい先生との出会い。自分が一歩、大人に近づいた気さえしたものです。

率直に言って、たしかに私は問題児だったと思う。じっとしているのが嫌いで、興味がないことには関心を示さないわがままぶり。だから先生の話も、面白くないとすぐに飽きて、筆箱をいじくったり、余所見したりして、先生の注意と叱責の対象とされた。

はじめて親を呼び出されたのは、清掃時間にゴミの上に乗っかって滑って遊んでいたことを咎められたのが原因だった。わずか3ヶ月あまりで3回、親を呼び出され叱責された。最初は先生と一緒に私を咎めていた母も、あの先生はちょっとヘンね、と私に言うようになった。

子供ながらに、私は気が付いていた。実は同じクラスに、所謂「智恵遅れ」の子供がいて、彼は授業を勝手に抜け出したり、大声を急に上げたりして、担任の先生の頭痛の種になっていることを。でも、さすがにその子には叱ったりしなかった。ただ、苦情は校長などに言っていたらしく、2学期からその子は特殊学級に移ってしまった。

問題は、その子を叱るかわりに私を叱っていた形跡が観られること。最悪なのは、それを子供達に気付かれていたことだった。同じクラスの子たちも、どちらかといえば私に同情的だった。それがますます気に障っていたらしい。

しかし、問題はじきに片付いた。夏休みを終えて二学期になると初老の女性が担任に代わっていた。なんと出産のための長期の産休を理由の担任交代だった。妊娠によるストレスがどのようなものか、私には分かりませんが、影響がまったくなかったとは言えますまい。だとしても、その教師としての適性には問題があると思う。

小学校の初めての担任の先生がこれでしたから、私はいつのまにやら、先生というものに対して極めて醒めた見方をするようになっていた。もう30年以上昔の話ですが、当時からいたのですよ、指導力不足の先生はね。

ちなみに「おばあちゃん子」だった私は初老の女性教師には、すっかり馴染み問題児の汚名は返上しました。もっとも一年半後に転校先で、またしても問題教師に出会ってしまうのですが、それは以前書いた(「シャーロック・ホームズの冒険」参照)通りです。
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指導力不足の教師たち その一

2006-09-28 09:47:22 | 社会・政治・一般
文部教育省の発表では、指導力不足の教員が今年は506名だとか。この数が多いのか、それとももっと潜在的にはいるのか、疑問が残りますが、驚くべき実態なのは確かです。

私はなぜか、子供の頃から教師というものに対して、子供らしからぬ醒めた視線を持っていた。私自身がトラブルの多い問題児だったのもさることながら、教師としては問題がある先生と出会うことが少なくなかった。

初めて先生というものを強く考えさせられたのは、幼稚園の上級クラス、つまり5歳の時だった。たしか学芸会の発表だと思うが、当時のアポロ宇宙ロケットの月面着陸が話題になっていたので、私のクラス(紫組とかいったかな)では、宇宙をテーマにした製作をしていた。

クラスの皆が包装紙をくり抜いてセロファンを貼ったり、銀紙を丸めて延ばして星を作ったりしていた。で、その輪からはずれて、教室の片隅で私は一人孤軍奮闘していた。牛乳瓶の空き瓶とサランラップの筒を組み合わせて、天体望遠鏡もどきを作ろうとしていたのだ。

しかし、使える道具は鋏とセロテープだけだったから、なかなか上手くいかず、見かねた先生に手伝ってもらった。夕方までに出来上がったものは、なんともみっともないガラクタだった。振り返って皆が協同で作った展示物の、なんと素晴らしい出来上がりだったことか。私は敗北感と挫折感につつまれて、惨めな気持ちで帰宅した。

翌日の発表会では、多数の父兄がやってきて、展示物を見学していった。私の作ったガラクタ天体望遠鏡もどきは、片隅におかれていたが、私としては片付けてしまいたいくらいだった。しかし、手伝ってくれた先生は皆の前で言った。たいへん個性的で、最後まで投げ出すことなく創り上げた努力の形です、と褒めてくれた。

褒められても、あまり嬉しくなかったが、意外だったのは、先生のものの見方だった。なるほどと思った。先生というのは、子供の可能性を伸ばす役割があるのだなと。製作物としては失敗作だと思うが、それでもそこから褒める見方を示したことに感心した。

私はそれまで先生とは、子供を管理する人だと考えていたが、子供の可能性を広げて伸ばす役割を持っているのだと認識した。5歳の子供らしからぬ考えかもしれないが、これが私の先生というものを初めて認識した最初の経験だった。

しかし、小学校の最初の担任とは最悪の相性だったと思う。長くなるので、それは次回書きます。
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「高い砦」 デズモンド・バグリイ

2006-09-27 12:13:28 | 
私は十代の頃、山登りに夢中だったが、高山病になったことはない。登った山が日本国内だけで、富士山や北、南アルプスなどの3000メートル級の山では、気圧こそ低いが高山病の可能性は少ないためだ。

そのため、ヒマラヤの山行記録などに出てくる、薄い空気に喘ぐ状況は体験したことがない。そのせいか、妙な憧れを持っている。身体を壊し、もう山には登れないからか、なおのこと憧憬を持たざる得ない。苦しみが大きければ大きいほど、その解放からくる喜びは大きいと単純に信じているからで、別に苦しいのが好きなわけではない。

ヒマラヤの巨大な山群に匹敵するのが、南米アンデスの脊梁山脈だ。そのアンデスを舞台にした冒険小説が表題の作品。主人公らの乗った飛行機が、あのC47というのが泣かせる。第二次世界大戦当時の名輸送機ですが、それだけにオンボロなのは仕方ない。

アンデスの高山に不時着しただけでも大変なのに、正体不明の武装集団に襲われ、老人や女性を連れての逃避行。最初から最後まで目を離せない、スリル満点の冒険小説です。

D・バグリイの小説には常に厳しい自然が付きまとう。私のような元・山屋にはそれがたまらない。多分、もう二度と体験できない厳しさ、辛さだけに、そこから解放される悦びを体感できることはないと思う。だから冒険小説を読んで、頭の中で自然の厳しさを思い浮かべる。

登山なんて苦しいだけだと嘆く人は多い。私も苦しいと思う。しかし、その苦しい瞬間に自分が生きていることを実感できる。山は、人が生きる努力をしなければ、人が生きることを許さない厳しい場所だ。苦しみを乗り越えて、生き延びる悦びを知り、自然の崇高な美しさを知る。それを思い出させてくれるがゆえに、バグリイの小説はたまらなく魅力的だと思う。
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包丁に罪ありや?

2006-09-26 09:31:45 | 社会・政治・一般
昔々、大変仲の悪い夫婦がいたました。毎日、夫婦喧嘩が絶える事はありません。。

いろいろ積もり積もったものがあったのでしょう。ある日、旦那が奥さんを包丁で切りつけてしまい、大騒ぎになりました。結局、お巡りさんがやってきて、旦那さんは遠くへ連れて行かれました。

それ以来、その家では包丁は禁止になりました。包丁があるから傷つく人がいる、包丁は夫婦喧嘩を思い出させて不愉快だ。そう言って、奥さんは子供たちにも孫たちにも言い聞かせ、その家では包丁は禁制物になりました。

調理が出来ないので、外でお惣菜を買ってきて、それをおかずにするのがその家の家風になりました。でもある日、孫の結婚した相手が、勝手に包丁を持ち込み料理を始めました。そのお嫁さん曰く、家族に美味しくて健康な人生を送ってほしいから、家で料理する事は絶対必要です。そのためには包丁は必要です、と。

かつて包丁で傷ついた老婦人は怒り心頭です。夫婦喧嘩が起こって切りつけられたらどうするの!と孫の嫁に怒鳴りつけました。しかし、孫の嫁は冷静に、夫婦喧嘩をしないようお互いに協力しあえばいいだけです。包丁は料理の道具で、夫婦喧嘩のためのものではありませんと、すましています。

ちなみに、その孫の嫁の持ち込んだ包丁の名前は「日の丸君が代」とのこと。はてさて、包丁があるから、夫婦喧嘩は起きるのでしょうかね?
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