ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

鬼がつくった国・日本 小松和彦 内藤正敏

2010-02-26 12:19:00 | 
光が輝いてみえるのは、背後に闇があるからだ。

このことが分らない、分っていない人は多い。困るのは分っていない人の多くが、学校秀才のエリートさんたちだからだ。歴史の授業を年号暗記と時系列列挙で済ませた人たちなので、或る意味仕方ない気もする。

なにが困るって、人間の本能に基づく欲望を公正明大な法令でコントロールできると思い込んでいる。

その典型が東京都知事の石原だ。この人が都知事に就いて以来、都下の歓楽街に不況風が吹きっぱなしだ。風俗規制を強化して、子供を連れて安心して遊びにいける清廉潔白な歌舞伎町を高らかに謳っている。

その一方で風俗業は裏に潜り、闇営業が跋扈して、そこで働く人たちはむしろかえって苦しんだ。裏の営業だけに、納税はなく、労働者の権利は守られず、過酷な労働と性病に蝕まれる悲惨な状況を招いた。

少なくても、かつての歌舞伎町での風俗店なら、納税もしていたし、保健所の検査もあった。そこで働く人たちも、安心して働ける職場であった。それを石原は潰して、かえって悲惨な裏稼業に追いやった。

バカだね。子供には子供向け、家族連れには家族連れ用の場所が必要だと思うが、子供抜きの大人の遊び場だって必要だ。このことは、古来から変っていない。いや、昔の政治家のほうが分っていた。

都市計画に基づいて大通りが整備された町を作る一方で、裏通りや川向こうに歓楽街が存在することを黙認した。それが治安悪化や風紀を乱すことを知りながら、決して絶滅させる愚は犯さず、遠巻きに監視するに留めた。

だからこそ、町は繁栄した。役所や神殿などの公的部門だけでは町は繁栄しない。乱雑な商店街や、ちょっと淫靡な風俗街があってこそ、人は集まり金を落とす。これが古来より統治者の知恵として育まれたものだ。

ところが近代に入り、理性万能主義が跋扈するようになると、人間の本能を否定することを善き事だとする勘違いが蔓延るようになった。

マルクスらの社会主義がその典型だ。旧ソ連や共産中国では、公式には風俗営業などは存在しないことになっていた。しかし現実には裏に潜っただけで、根絶させることなど出来なかった。

20世紀になってブラジルが新首都ブラジリアを新たに作った。ジャングルをナパーム爆弾で焼き、その焼け跡に幻想的なビル集団を築き上げた。まるでSF作家が描いた未来都市だったが、あまりに整備された空間には、人のくつろぐ余地がなく、人が集まらない都市となった。ショールーム・シティと揶揄される有様だった。

もっとも近年、ブラジリア周辺にいつの間にやら妖しげな歓楽街が作られ、ようやく人々が集う首都らしくなってきた。やっぱり綺麗なだけの町なんて魅力がないのが現実だ。

光(国家権力)を輝かすためには、闇が必要なのだ。闇が暗く蠢いているからこそ、人々は光に集う。ただ、その闇は国家権力に従属していなければならない。外部の闇(敵対勢力)には戦争を、そして内部の闇は儀式によりコントロール下におかねばならない。

それが分っていた古代の日本の統治者たちは、都(みやこ)に妖しげな空間を残した。金箔で覆い尽くされた大仏は、現代の感覚では異常にみえるが、古代の感覚では闇を払う光明の役割を果たす。都の入り口には巨大な門を建て、その門には鬼が棲む空間を敢えて作った。闇の世界の住人である鬼さえも、帝の権威に伏すとアピールしてのけた。

闇あってこその光なのだ。

その意味で、表題の作品のタイトル、鬼が作った国・日本はなかなかに巧妙だと思う。ただ、対談形式で語られているので、或る程度日本史の知識がないと、少し読みづらいかもしれない。

私は石原が歌舞伎町浄化を打ち出して以降、新宿で飲むことはあっても、歌舞伎町で飲むことはなくなった。だってツマラナイもの。

まあ、頭がイイだけのバカを選んだ有権者も悪いのだけどね。
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民主党政権で税制はこう変わる 月刊「税理」編集部

2010-02-25 15:10:00 | 
民主主義の国にとって、有権者の信任を得た議員が法律をつくり、その法により統治されることが原則だ。

この当たり前のことが、当たり前でないのが税務の世界。

事の発端は、明治政府にある。国会(帝國議会)を召集する前、明治30年において政府は急遽租税法を作り上げて発布した。税法だけは、議会に関与させる余地を与えずに、まず先に枠組みを固めてしまった。

明治、大正を経て昭和に入っても、税法は役所の縄張りであって、議会の関与を容易には許さなかった。ただし、金と力を持つ財閥と政治家を黙らせるために、時限立法である租税特別措置法という飴玉は用意しておいた。税の負担を軽減する措置法は、目に見えぬ補助金としての機能を有するからだ。

敗戦によりアメリカの統治が始まると、税の世界も新しい支配者の干渉を受ける羽目に陥った。これがシャウプ勧告である。だが、混乱する国内統治の安定と、アメリカから見て未熟な民主主義意識を考慮して、税法は役人の縄張りであることを温存した改革とならざる得なかった。

なんといっても、政府(税務署)有利に税法は仕組まれている。断じて主権者(国民)と政府は対等ではない。むしろ圧倒的に国民に不利なかたちで税法は作られ、運用されてきた。

例えば、平成20年度の確定申告を終えて、一安心していたら、後から領収証が出てきた。これがけっこう大きい金額だった。そこで申告の訂正をしようとする。これを更正の請求というが、これには期間制限がある。平成20年分の申告期限(平成21年3月15日)から一年後までだ。これを過ぎたら駄目なのだ。

なお、税務署長に御願いするといった「嘆願」という方法もあるが、これは行政側の判断に委ねられる。やむを得ない事情があったと認められる場合を除くと、却下されることも珍しくない。

一方、平成21年度の確定申告を終えて、ほっとしていたある日、突如税務署から呼び出しを受けた。恐る恐る税務署に行ってみたら、税務署職員から売上の計上漏れを指摘された。しかも、過去3年にわたっての修正を求められた。事実なので応じざる得ない。ちなみに追加で納付する所得税、住民税以外に過少申告加算税と延滞税とやらも納めねばならないと説明された。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

さて、税額の減少を求める権利は一年しかないのに、税額の増加は3年(不正等の場合は7年)とは、どう考えてもおかしい。おかしいのだが、税法がこのように規程しているので、手続き的には適法とされる。

民主主義の原点は、納税と参政権がセットとされる。納税は義務であると同時に、政治に口を出す権利を担保するものでもある。英語だと As a Taxpayer という言い回しに表わされる。税金を払っている立場として言わせてもらうぞ、これが有権者の権利意識の表れだ。

だから、納税者と政府は対等の立場であるとされる。これを明文化したのが納税者憲章なのだが、先進国中唯一、納税者憲章がないのが我が日本なのだ。余談だが、韓国でさえ近年、納税者憲章を定めている。

しかし、我が国では納税者の権利を明文化するような動きは、断固排されてきた。自民党税調や政府税調でも、いちおう議論の対象となったことはあるらしい。でも、いつの間にやら消えうせていた。

我々税理士会でも度々取り上げてきたが、これまでは無視されてきた。かなりサボり気味ではあるが、私も税理士政治連盟に名を連ねている。どう考えても不平等だと思うが、この問題に関しては無力感を長年味わってきた。

どうやら、民主党はこの問題を取り上げてくれそうな気配があることが、表題の本から分る。藤井氏は既に退任しているが、まだ他の議員は残っている。是非とも国会の議論のテーマとして欲しい。これまでは、国会に届く前に潰されてきたのだから。

正直、民主党には相当失望している。いや、あきれ果てているぐらいだが、それでも微かな期待は残っている。もし、納税者憲章を定めることに成功したのなら、私は堂々見直してあげる。支持するか、どうかは微妙だが功績を評価することにはやぶさかではない。

私は実績しか評価しない。どんなに努力しても、結果が出ない努力は無価値だと切り捨てる。そのかわり、出した結果に対する評価は、嫌いな相手であっても公正明大に評価したいと思っている。

どうか、私の期待を裏切らないで欲しい。
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NARUTO皆の書 岸本斎史

2010-02-24 12:18:00 | 
表題の漫画は、いわゆるファンのための副本のようなものなので、「NARUTO」ファン以外は読む必要のないものです。

好きな漫画ではありますが、特に買う必要性は感じなかったのですが、「HUNTER×HUNTER」の冨樫氏との対談が収録されていると知り、さっそくに購入。これに参った。

漫画の魅力は3点あると思うのです。それは絵柄であり、ストーリーであり、科白である。少年漫画に関する限り、現在「ONE PIECE」「NARUTO」「HUNTER×HUNTER」の三点がずば抜けていると私は考えています。ちなみに、いずれも週刊少年ジャンプで連載されている。

科白の面白さなら「ONE PIECE」ですね。男の子だったら身震いするようなカッコいい科白で溢れています。一方、絵柄の表現力なら「HUNTER×HUNTER」でしょう。なんて表情を描くのだと感服する。そして一番バランスがいいのが「NARUTO」だと思うのです。

対談の中で、二人の漫画家が互いに読者を惹き付ける漫画の作り方を語っている。やはり絵柄に対するこだわりは、両者ともに半端ではない。指の先から全体像まで、凝りに凝って執念を燃やす。

そして二人の漫画家が共に力を入れているのが、ストーリーの意外さ。読者の期待を裏切るような、想像を超えたストーリー展開にこそ漫画家の力量が出る。ここで岸本氏が三択選択法というアイディアを語っているのが興味深い。

岸本氏はおそらく秀才型だと思う。他の漫画はもちろん、映画の研究にも余念がない。単にアイディアを積み重ねるだけでなく、自分なりに研究して工夫を加えて作品として提示してくる。この努力を十年以上続けている。

単に上手いだけではない。このような目に見えぬ努力の積み重ねが、世界中から高い評価を受ける漫画を産みだす下地になっているのだろう。あらためて感服しました。

一方、「NARUTO」や「ONE PIECE」とほぼ同時期に始まりながら、ページ数では半分に満たないのが「HUNTER×HUNTER」だ。とにかく原稿を落とす。あげくに長期休載と短期集中連載でしのいでいる。週刊誌に掲載される漫画としては異例というより、プロ失格と言いたい醜態だ。ほとんど休載がない尾田氏や岸本氏とは比較にならない。

現在10ヶ月近い休載を経て、新年号から再開している。呆れているファンは多いと思う。私もその一人ではある。しかし、再開された漫画の力量はさすがだ。思わず何度も繰り返して読んでしまう絵柄の上手さ。よくぞ、あれほどの表現力を出せるものだと感心するしかない。

しかも、読者の期待、予測を裏切ることに見事に成功している。しかも嬉しい裏切りなのだ。力づくで読者を惹き付けてしまっている。

いや、読者だけではあるまい。岸本氏も尾田氏もきっと注目しているに違いない。これだけの作品が出れば、同業者として、あるいはライバルとして気持ちに火がつかない訳がない。週刊少年ジャンプは今、もっとも目が離せない雑誌となっている。

・・・この忙しい時期に困ったもんだ。
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ロックフェラー対ロスチャイルド 藤井昇

2010-02-23 12:26:00 | 
物事を二分化して把握する方法はたしかに便利だ。

単純化することで見えてくるものがあるのは、私でも分る。だが、単純化することで切り捨てられ、見過ごされる情報もまた大切なものではないかとの疑念が拭いきれない。

シロかクロかで判断することは迅速であると同時に明白でもあり、二分化把握法が有益であることは私も認めている。

だが、人間ってそれほど単純なものなのか?理屈だけでなく、情理に左右される矛盾だらけの生き物が人間だと思う。人間の行動原理は単純ではない。意地や矜持、執念と怨念など理性的でなく、賢明でもない動機で動いてしまうことがあるのが人間だと思う。

私は日頃、錯綜する情報を単純に二分化することは避ける。必ず第三の道筋を空けておく。二分化するメリットは分るが、その二分化の定義にしたがって世の中が動くとは限らないからだ。

そう考えるが故に、表題の本については疑念がついてまわる。私がこの著者の文を最初に目にしたのは1980年代前半に刊行された「世界経済大予言」であった。

以前、このブログでも取り上げたが、その内容に共感する部分があるとは思ったが、著者の見下す姿勢が不快で、素直に信じる気にはなれなかった。だが、気に留めておくべきものだとも考えていた。

あれから30年、見下す姿勢は大分軽減された。若かった著者も年齢を重ねて、少しは丸くなったのかもしれない。だが、日本のマスコミが見過ごし、気がつかずにいる現実に対する苛立ちは、相変わらずなようだ。

物事を二分化して判じる姿勢も、また相変わらずなのだが、説得力はある。表題の本が刊行されたのが94年であるにもかかわらず、16年後にも通じる判断を下していることは大いに評価できる。

ユダヤと反ユダヤという以前の表現はやわらぎ、シオニズムと反シオニズムあるいは反グローバリズムとグローバリズムという二分法に変っている点も高評価だ。

もっとも、第三社会の反欧米思想(イスラム原理主義)を過少評価している点は、いささか戴けない。まあ、この本が書かれた90年代前半では、今ほど過激ではなかったから二分化の枠から漏れてしまったのだと思う。

不満がないわけではないが、やはりこの著者侮れないと思う。若い頃読み感心してた長谷川慶太郎や落合宣彦への評価が落ちたのとは対照的に、この著者への評価は上がりました。今後も用心しつつも注目していこうと思います。
コメント (2)
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雪降る夜に思うこと

2010-02-22 12:41:00 | 日記
雪の降る夜は、いつもよりも静寂が深い。

あの日の晩も、雪が降っていた。最初は気づかなかったが、湯気で曇った台所のガラス窓にチラチラと陰影が舞うので、窓を開けると雪だった。

降り積もった雪は、音を吸収するのだろうか。雪が降った夜は、とても静かで、ついつい考え事にはまってしまう。こんな時は、電灯を消して蝋燭に火を灯してみるのもいい。

暗闇をぼんやりとやわらげる蝋燭の灯火は、心を静める。本を読むには暗すぎるが、考え事を整理するには役に立つ。

ほんの数時間前だが、救急車の救急隊員から呼び出された。大慌てで病院に着くと、そこにはベッドで休んでいる母の姿があった。命に別状はないようだが、元気な姿とは程遠い。

とりあえず入院の手続きを済ませ、帰宅して妹たちに連絡をとり、それから台所にたって晩飯を作って食べた。風呂に入り、身体を温めて気持ちを落ち着かせた。

いつもなら、これで静かな気持ちになれるのだが、この夜はさすがに駄目だった。小さくなった母の姿が思い出されて、心にさざなみが立つ。

点滴を受けながら寝入る母の姿は、40年ちかく前のおばあちゃんを思い起こされる。当然と言えば当然だが、そっくりだった。

年齢を考えれば、驚くことはないはずだが、それでも平静ではいられない。まあ、おばあちゃんは無事退院して、数年後に自宅で亡くなっている。母も命に別状の或るものではなさそうだから、大丈夫だと思う。

子供の時から問題児で、厄介ごとをたっぷり背負わせた不肖の長男坊としては、せめてもう少し親孝行してからにして欲しい。自宅の改築を望んでいるのは知っているが、私の財政状態がそれに応えられるだけの余裕がない。

とはいえ、あまりのんびりもしてられないようだ。車の買い替えも先送りして、少し貯金に励むかな。私の場合、団体生命保険に加入するのが難しいので、住宅ローンも容易ではないはず。やはり難病のハンデは大きい。

シンシンと降り積もる雪を眺めながら、将来の計画にいささか変更を余儀なくされた現実を確認する。多分、なんとかなるだろう。でも後2年は猶予が欲しいな。

雪の降る夜は、考え事をするのに向いている。つくづくそう思った夜でした。
コメント (14)
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