光が輝いてみえるのは、背後に闇があるからだ。
このことが分らない、分っていない人は多い。困るのは分っていない人の多くが、学校秀才のエリートさんたちだからだ。歴史の授業を年号暗記と時系列列挙で済ませた人たちなので、或る意味仕方ない気もする。
なにが困るって、人間の本能に基づく欲望を公正明大な法令でコントロールできると思い込んでいる。
その典型が東京都知事の石原だ。この人が都知事に就いて以来、都下の歓楽街に不況風が吹きっぱなしだ。風俗規制を強化して、子供を連れて安心して遊びにいける清廉潔白な歌舞伎町を高らかに謳っている。
その一方で風俗業は裏に潜り、闇営業が跋扈して、そこで働く人たちはむしろかえって苦しんだ。裏の営業だけに、納税はなく、労働者の権利は守られず、過酷な労働と性病に蝕まれる悲惨な状況を招いた。
少なくても、かつての歌舞伎町での風俗店なら、納税もしていたし、保健所の検査もあった。そこで働く人たちも、安心して働ける職場であった。それを石原は潰して、かえって悲惨な裏稼業に追いやった。
バカだね。子供には子供向け、家族連れには家族連れ用の場所が必要だと思うが、子供抜きの大人の遊び場だって必要だ。このことは、古来から変っていない。いや、昔の政治家のほうが分っていた。
都市計画に基づいて大通りが整備された町を作る一方で、裏通りや川向こうに歓楽街が存在することを黙認した。それが治安悪化や風紀を乱すことを知りながら、決して絶滅させる愚は犯さず、遠巻きに監視するに留めた。
だからこそ、町は繁栄した。役所や神殿などの公的部門だけでは町は繁栄しない。乱雑な商店街や、ちょっと淫靡な風俗街があってこそ、人は集まり金を落とす。これが古来より統治者の知恵として育まれたものだ。
ところが近代に入り、理性万能主義が跋扈するようになると、人間の本能を否定することを善き事だとする勘違いが蔓延るようになった。
マルクスらの社会主義がその典型だ。旧ソ連や共産中国では、公式には風俗営業などは存在しないことになっていた。しかし現実には裏に潜っただけで、根絶させることなど出来なかった。
20世紀になってブラジルが新首都ブラジリアを新たに作った。ジャングルをナパーム爆弾で焼き、その焼け跡に幻想的なビル集団を築き上げた。まるでSF作家が描いた未来都市だったが、あまりに整備された空間には、人のくつろぐ余地がなく、人が集まらない都市となった。ショールーム・シティと揶揄される有様だった。
もっとも近年、ブラジリア周辺にいつの間にやら妖しげな歓楽街が作られ、ようやく人々が集う首都らしくなってきた。やっぱり綺麗なだけの町なんて魅力がないのが現実だ。
光(国家権力)を輝かすためには、闇が必要なのだ。闇が暗く蠢いているからこそ、人々は光に集う。ただ、その闇は国家権力に従属していなければならない。外部の闇(敵対勢力)には戦争を、そして内部の闇は儀式によりコントロール下におかねばならない。
それが分っていた古代の日本の統治者たちは、都(みやこ)に妖しげな空間を残した。金箔で覆い尽くされた大仏は、現代の感覚では異常にみえるが、古代の感覚では闇を払う光明の役割を果たす。都の入り口には巨大な門を建て、その門には鬼が棲む空間を敢えて作った。闇の世界の住人である鬼さえも、帝の権威に伏すとアピールしてのけた。
闇あってこその光なのだ。
その意味で、表題の作品のタイトル、鬼が作った国・日本はなかなかに巧妙だと思う。ただ、対談形式で語られているので、或る程度日本史の知識がないと、少し読みづらいかもしれない。
私は石原が歌舞伎町浄化を打ち出して以降、新宿で飲むことはあっても、歌舞伎町で飲むことはなくなった。だってツマラナイもの。
まあ、頭がイイだけのバカを選んだ有権者も悪いのだけどね。
このことが分らない、分っていない人は多い。困るのは分っていない人の多くが、学校秀才のエリートさんたちだからだ。歴史の授業を年号暗記と時系列列挙で済ませた人たちなので、或る意味仕方ない気もする。
なにが困るって、人間の本能に基づく欲望を公正明大な法令でコントロールできると思い込んでいる。
その典型が東京都知事の石原だ。この人が都知事に就いて以来、都下の歓楽街に不況風が吹きっぱなしだ。風俗規制を強化して、子供を連れて安心して遊びにいける清廉潔白な歌舞伎町を高らかに謳っている。
その一方で風俗業は裏に潜り、闇営業が跋扈して、そこで働く人たちはむしろかえって苦しんだ。裏の営業だけに、納税はなく、労働者の権利は守られず、過酷な労働と性病に蝕まれる悲惨な状況を招いた。
少なくても、かつての歌舞伎町での風俗店なら、納税もしていたし、保健所の検査もあった。そこで働く人たちも、安心して働ける職場であった。それを石原は潰して、かえって悲惨な裏稼業に追いやった。
バカだね。子供には子供向け、家族連れには家族連れ用の場所が必要だと思うが、子供抜きの大人の遊び場だって必要だ。このことは、古来から変っていない。いや、昔の政治家のほうが分っていた。
都市計画に基づいて大通りが整備された町を作る一方で、裏通りや川向こうに歓楽街が存在することを黙認した。それが治安悪化や風紀を乱すことを知りながら、決して絶滅させる愚は犯さず、遠巻きに監視するに留めた。
だからこそ、町は繁栄した。役所や神殿などの公的部門だけでは町は繁栄しない。乱雑な商店街や、ちょっと淫靡な風俗街があってこそ、人は集まり金を落とす。これが古来より統治者の知恵として育まれたものだ。
ところが近代に入り、理性万能主義が跋扈するようになると、人間の本能を否定することを善き事だとする勘違いが蔓延るようになった。
マルクスらの社会主義がその典型だ。旧ソ連や共産中国では、公式には風俗営業などは存在しないことになっていた。しかし現実には裏に潜っただけで、根絶させることなど出来なかった。
20世紀になってブラジルが新首都ブラジリアを新たに作った。ジャングルをナパーム爆弾で焼き、その焼け跡に幻想的なビル集団を築き上げた。まるでSF作家が描いた未来都市だったが、あまりに整備された空間には、人のくつろぐ余地がなく、人が集まらない都市となった。ショールーム・シティと揶揄される有様だった。
もっとも近年、ブラジリア周辺にいつの間にやら妖しげな歓楽街が作られ、ようやく人々が集う首都らしくなってきた。やっぱり綺麗なだけの町なんて魅力がないのが現実だ。
光(国家権力)を輝かすためには、闇が必要なのだ。闇が暗く蠢いているからこそ、人々は光に集う。ただ、その闇は国家権力に従属していなければならない。外部の闇(敵対勢力)には戦争を、そして内部の闇は儀式によりコントロール下におかねばならない。
それが分っていた古代の日本の統治者たちは、都(みやこ)に妖しげな空間を残した。金箔で覆い尽くされた大仏は、現代の感覚では異常にみえるが、古代の感覚では闇を払う光明の役割を果たす。都の入り口には巨大な門を建て、その門には鬼が棲む空間を敢えて作った。闇の世界の住人である鬼さえも、帝の権威に伏すとアピールしてのけた。
闇あってこその光なのだ。
その意味で、表題の作品のタイトル、鬼が作った国・日本はなかなかに巧妙だと思う。ただ、対談形式で語られているので、或る程度日本史の知識がないと、少し読みづらいかもしれない。
私は石原が歌舞伎町浄化を打ち出して以降、新宿で飲むことはあっても、歌舞伎町で飲むことはなくなった。だってツマラナイもの。
まあ、頭がイイだけのバカを選んだ有権者も悪いのだけどね。