ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

金正日に悩まされるロシア ペトロフ&スターソフ

2009-08-31 12:22:00 | 
これは辛辣としか言いようがない。

表題の作品は、ロシア人の歴史研究者が匿名で書いた北朝鮮研究の本だ。ご存知の方も少なくないと思うが、元々北朝鮮という国は、旧ソ連の策謀により作られた国だ。

ソ連軍の大尉に過ぎなかったキムが、ソ連の支援の下、朝鮮半島の北半分を支配する社会主義国家を任された。このキム大尉はたいへんに権勢欲が強く、一度つかんだ権力の座を離さず、遂には独裁者となりおせた。

あげくにソ連からも共産中国からも距離を置き、完全なる独裁国家を確立させた。この実績は或る意味、英雄の名に値すると思う。ただ、この英雄は戦争が下手で、経済運営がド下手で、弾圧と懐柔だけが上手かった。

この本では、朝鮮戦争はキムの負け戦だと酷評する。これはロシア側だけでなく、シナの側でもそう考えているらしい。戦争は下手だが、謀略は得意なキムは、ロシアとシナとの間を行きつ、戻りつしながら巧みに泳ぎ渡る。

戦争が下手なだけでなく、国内の経済振興は更に下手。おかげで世界最貧国となるも、国民を騙して強圧的に支配するのは上手。必要なのは、キム王朝を支える臣下たちと自らの贅沢を支える贈り物だ。自分たちさえ良ければいいのがキム王朝の実態だ。

南北朝鮮の統一という悲願でさえも、キム王朝には自らの権勢を保持するスローガンに過ぎない。そして金日成が選んだ、あるいは選ばざる得なかった後継者は、わがままバカ息子。常識はなくとも、猜疑心の強い狡猾な悪知恵だけは発達している。ロシアからすると、親父よりも性質が悪い隣国の新たな統治者だと考えざるえない。

私が意外に思ったのは、ロシア側では北朝鮮を同盟国だとはみなしていなかったことだ。一応安全保障協定は結ばれているのだが、ロシア側ではそれに縛られることを嫌がっていた。一方北朝鮮ははじめから協定を守る気がない。この国の国際感覚の異常さがよくわかる。

そのくせ、ロシアが韓国に接近するとヒステリックに騒ぎ立て、ロシア側を困惑させる。非同盟諸国に摺り寄り、自分たちの歪んだ主張が受け入れられぬと分ると、あっさりと捨て去り、ロシアとシナに戻る。やがてロシアもシナも協力的でないと分ると、今度はアメリカ相手に騒ぎ立てる。

この駄々っ子としか言いようがない政治姿勢は、わがままで放任されて育った金正日の個人的性格に由来するとロシア人研究者は喝破する。

しかも、ただの駄々っ子ではない。核兵器をもったわがまま息子なのだ。さしもの大国ロシアも困惑せざるえない。ただ、北朝鮮国境に軍隊を駐留させて、万が一に備えることは怠らない。

ロシアとしては、別に朝鮮半島に領土的野心(私は潜在的にはあると思う)を持っているわけではない。この信用できない隣国からの戦乱を恐れての防衛措置だとしている。もちろん、北京政府も同様の措置をとっている。

読んでみて改めて思ったのは、極東アジアでは冷戦が終わっていないというより、異常な武装国家が冷戦のおかげで生き延びてしまい、今もおねだり国家として存続している歪さだ。

国家間の同盟も、平和条約も国際会議も通用しない異常な国家が、我が国の隣国として存在する。ロシア側から見た北朝鮮という新たな視点は、ますます日本の平和憲法の無意味さをはっきりさせてくれると思います。
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野犬が見ていたものは?

2009-08-28 12:28:00 | 旅行
なにが見えていたのだろう?

あれは小学校3年の夏だった。当時、私はボーイスカウトの下部組織であるカブスカウトに入団していた。その夏合宿が冨士山ろくで営まれた。

昼間はコンパスを使ってのオリエンテーリングや、スイカ割りなどを楽しみ、夜は冨士の樹海に点在する洞窟探検だ。もっとも年少組の行事なので、たいしたことない洞窟探索であり、私としては少し気抜けしたほどだった。

ところが、その帰り道の途中で野犬の群れに囲まれた。おそらくは十頭に満たない群れだとは思うが、その唸り声は私たちが怯えるに十分な迫力だった。なにより暗闇に光る犬の目が怖かった。なにせ冨士の樹海のなかであり、踏み跡程度の道があるだけで、周囲は暗い森である。月夜の晩であったと思うが、森のなかは暗いばかりで、私たちの足元を照らす懐中電灯だけが頼りだった。

あの当時、野犬はけっこういて、それは単なる野良犬と異なり危険な存在であることは、子供の私たちでも知っていた。間違っても背を向けて逃げ出してはいけないことぐらいは分っていた。

だから、ゆっくり後ろ向きに歩き、自然と洞窟に戻るかたちとなった。洞窟といっても、横に拡がった程度の窪みに過ぎず、隠れたり登ったりするような場所はない。ただ、奥に祭壇が飾られているだけだった。

野犬の群れに追い込まれる形で、奥の祭壇のまわりに私たちは集まり、手に持った懐中電灯で犬たちを威嚇するのが精一杯だった。正直、もう駄目かと悲観していた。

ところが不思議なことに、野犬の群れはそれ以上私たちに近づくことはなかった。恐ろしい吼え声は、なぜか唸り声に変っていた。それでも十分に恐ろしかったのだが、よくよく見ると犬たちは、もはや私たちを見ていなかった。

なぜだか知らないが、私たちの頭上を見て唸っているのである。はて?岩の天井があるだけで、なにもないはずである。数枚の御札が張ってあるようだが、別に怪しいものはない。だが、犬たちはたしかに上に向かって唸っていた。

そうこうしているうちに大人たちが駆けつけてきた。キャンプファイヤーから持ってきたと思われる火の松明を掲げて、大声で私たちを呼んでいた。

私たちが返答するのと同時に、野犬の群れは逃げ去っていった。全員その場に座り込んで、安堵のため息をついた。大人たちに手を引かれて、テント場に戻った後は一瞬で寝てしまった。多分、精神的に疲労していたのだと思う。

翌朝、目が覚めて昨夜の事件を思い出し、身震いしたものだ。それにしても、あの時野犬たちは何を見て唸っていたのだろう。森の中では確かに私たちを睨みつけていたはずだ。あの赤い眼に睨まれた恐浮ヘ、今でも思い出せるほどなのだ。

しかし、洞窟にはいると犬たちは私たちを睨むのを止めて、その上に目線を向けていたと思う。正直言うと、そのことに気がついたのはリーダーのA君と付き添いのボーイスカウトのお兄さんと私の3人だけだった。ほかのメンバーは、まったく気がつかず、ただ野犬のことしか頭になかったらしい。

大半のメンバーは野犬の恐ろしさだけが記憶に残ったようで、野犬の目線など思いも寄らぬことで、話すとむしろ不審がられたほどだ。そのせいで、この話は立ち消えになってしまった。ただ、付き添いのボーイスカウトのお兄さんが、後で祭壇に拝みに行ったことを教えてくれた。

どうやら、なにかが祀られているらしい。幼いときのことゆえ、それっきりになってしまったが、もう一度あの洞窟に行って、祭壇を確認してみたいものだ。

犬や猫がなにもないところを注視している話は時折聞かされる。どうやら、人間には見えないものが、彼らには見えるらしい。あの洞窟で見えたものは、いったい何だったのだろう? 

夏になると思い出す、あの洞窟。もう場所さえ覚えていないのですがね。
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本当はヤバイ!韓国経済 三橋貴明

2009-08-27 12:29:00 | 
数字というものは、時として残酷だと思う。

これまで数百件の決算書を作成してきた。決算書の作成は、会計基準というルールに基づいて行われる。原則的には、誰が作っても同じ結果が出るように作られている。

実際には解釈の余地もあるし、多少の思惑は加味される。しかし、完全なる架空の決算は不可能だ。一期だけなら架空の決算書も作れるが、連続しての決算書を読み解けば、疑わしき数字が必ず浮かび上がる。

経営者の永年の夢も、人生を賭けた熱き情熱も、会計基準の下では冷徹に数値化されてしまう。そして、市場はこの数字にこそ企業の実態が表わされると考えて、論理的に判断を下す。

企業と同じく、国家も数値化されて評価することができる。日本人が過度に好むGNPとか、国際収支や外貨準備高といった専門用語で表現されるため、大学で経済学を学んでおかないと、いささか理解が難しい。

ちなみに私の大学時代の経済学の成績は「可」である。最低限の出席で、単位を落とさなければ善しが私のモットーだったので、当然というか必然の結果でもある。当時はまったく悔いることはなかた。

やがて社会に出てみると、思いのほか経済学の知識がないと分らない情報が巷に溢れている現実に気がつく。が、用語の理解すら怪しい身では、ほとんど理解できずに読み流すことが多い。

表題の本は、中小企業診断士でもある著者が、経済学の知識を活用して韓国経済の実態を暴きだす。下手な経済学のテキストよりも分りやすく書いてあるので、国際経済に関連する特殊用語がよく分らない人にも理解しやすいと思います。

実際、経済学に弱い私なんぞ、読んでいてけっこう赤面したぐらい。ほんと、お恥ずかしい限り。でも、私と同じぐらいに誤解、誤読している人もきっと沢山いると思うぞ。

それはさておき、この本に書かれていることは私にもある程度実感できる。近年、日本のサービス業、とりわけ飲食店や風俗店に若い韓国人が増えていると実感していた。なかにはかなり優秀な人材に思える人もいて、訊いてみたら韓国の大学出身。日本でならば名門エリートであるはずなのに、なぜに日本の風俗店に?

本人が語るところによると(かなり綺麗な日本語でした)韓国ではコネがないと就職できないので、夢のために日本に来て稼いでいますとのこと。恥じる風もなく、堂々と話してくれたことが強く印象に残っています。その後のことは知りませんが、彼のように韓国に見切りをつけて出国した若者はかなりの人数にのぼるらしい。北朝鮮を脱出した脱北者なら知っていたが、彼のような若者は脱南者というらしい。

表題の本では、それらを経済学により統計化された数値で解説してあり、私としても大いに実感できたものでした。気になったのは、自国の教育環境に絶望した母子(小学校低学年)が海外留学に出て、それを韓国に残った父親が仕送りして支えていること。そして成長した子供は韓国に戻ることに積極的でなく、現地に留まる傾向が強いことでした。

日本の日教組も真っ青なぐらいの平等教育。その実態は一番出来の悪い子供に合わせる悪平等。教える中味は、北朝鮮の独裁政権に擦り寄った教育だというから驚きだ。これじゃあ逃げ出したくもなる。

フィリピンやインドネシアなどでは、親が単身働きに海外に出て、母国に仕送りして家族を支える。しかし、韓国では逆に親が単身残って海外留学の母子に仕送りをする。

この現象が統計数値から読み取れてしまうのだから、けっして小規模なものではないことが分る。大丈夫か、この国は?

ところで著者はやっぱり日本人。当然に日本の実情にもひとくさり。正しく経済情報が読まれているのか、マスコミは正しく理解して報道しているのかと苦言を述べる。

たしかに他国の惨状にニヤつくよりも、自国の惨状にこそ関心を持つべきだな。なかなかに、耳に痛い諫言でしたね。
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日本サッカーの現状

2009-08-26 13:50:00 | スポーツ
いい気になりすぎだ。

近頃、日本サッカー協会のお偉いさんたちの増長ぶりが目に余る。たしかに昔に比べたら日本のサッカーは強くなった。今のお偉いさんたちが現役選手の頃のヘタッピぶりが嘘のように強くなった。

少なくともアジア・レベルでは間違いなく上位に入る強豪になった。だからといって、かつてのヘタッピ・プレイヤーたちの技量が上がった訳ではない。レベルが上がったのは現役選手たちであって、日本人監督やコーチのレベルは、せいぜいアジアの中位程度だと思う。

とりわけFWの指導や、GKの指導になるといささか心もとない。これは未だに世界に通用するFWを育てた実績がないことからも立証できる。GKに関してはなにより川口ら現役選手らが外人コーチの指導をこそ求めていることからも、まだまだ日本人コーチの技量の低さがわかる。

それでもガンバ・ユースや広島ユースの躍進ぶりをみると、日本人コーチの技量も上がってきていることは確かだと思う。それは認めてもいい。

一番の問題は、日本サッカー協会の幹部たちのレベルの低さだ。彼らは日本サッカーが人気がなく、不遇な時代からサッカーを支えてきた功労者だ。また川淵氏の尽力により、プロサッカーを実現して、日本サッカーの強化に貢献したこともたしかだ。

だが、いかんせんアマチュア上がりのサッカー好きに過ぎない。世界で戦うための確固たる方針を示し、それを実現するだけの技量に致命的に欠ける。

これはサッカー協会の幹部だけの問題ではない。日本各地にある各サッカークラブの幹部たちにも共通する課題だ。その典型が大分トリニータの幹部たちであろう。

このチームは設立以来苦難続きであった。スポンサーに逃げられての資金難は毎年お馴染みの恒例行事。何度もJ1入りを目指して奮闘するも、なかなか結果が出ずに苦しんでいた。

そこに現われたのが、ブラジル人監督のシャムスカだった。ブラジル本国では選手としての実績はないに等しいが、青年監督として頭角を顕し、3部のチームを全国優勝に導いた。その手腕を見込んで大分が招聘したところ、監督として見事/な手腕を発揮して、ついにはナビスコ杯での優勝まで果たした。

しかし、このチームは資金力がない。シャムスカ監督は若手の発掘、指導に関してはJリーグ屈指の名コーチでもあるが、その若手をチームに留めるだけの資金がない。おかげで毎年有力な若手選手が他のチームに取られてしまう有様だ。

従って大分トリニータは、いつも守備的な試合をやらざる得なかった。金がないので、若い選手を育て、技量の未熟な選手たちを率いて勝つためには、守って守ってのカウンター攻撃に活路を見出すしかなかった。だからこそリーグ最小失点のチーム作りをシャムスカはやらざる得なかった。

弱いチームが勝つには、まず守りから。これは世界共通の鉄則だ。これを徹底すれば、弱小チームにだって強いチームに勝つことができる。Jリーグでこれを最も徹底して行ったのが大分トリニータというチームだった。

それをよりによってツマラナイ戦い方だと蔑んだのが、日本サッカー協会の某幹部だ。この人は、Jリーグ屈指の金満チームのフロントから協会幹部に横滑りした人だけに、資金力のないチームの戦い方が分ってない。

またサポーターも悪い。守備的な戦いから、見ていて面白い攻撃的なチームへの変貌を求め、その意向を受けた大分トリニータの幹部までもが、シャムスカに戦術変更を求める有様。

ここで選手も勘違いをした。ナビスコ杯での優勝や、リーグ戦での上位の成績を真に受けて、攻撃的なチームへの変身ができると思い込んだ。おそらくは、シャムスカ自身もそのような変化にトライしたい気持ちはあったらしい。

しかし、そのためにはより一層の選手のレベル向上が不可欠であり、そのための補強も絶対必要だった。その補強を求めたが資金難に喘ぐチームにその余力はないと断られる。これで勝てというのだから、いくら名将シャムスカでも頭を抱えた。

そのうえ、いざリーグ戦が始まるとチームの中核を支えるベテラン選手たちに故障が続発した。なかでも二人のブラジル人ボランチの欠場が痛かった。しっかりと守ることが出来なくなった上に、中途半端な攻撃がむしろかえって隙を作り、気がついたら連戦連敗。

にもかかわらずフロントはチームの補強に及び腰。これでは勝てない。とうとうシャムスカ監督解任の事態に追いやられた。さすがに新監督は外国から求めたが、おそらくはJ2落ち確定だろう。これはチームのフロントの責任であり、ちょっと勝っていた程度で増長したツケでもある。

私としては、この名監督に次期オリンピック・チームの監督をやらせてみたかったが、アホな日本サッカー協会の幹部から、次も日本人監督でとの鶴の一言があって立ち消えになったらしい。しかも解任された監督には任せられないとの捨て台詞つきだとか。(ならば、マリノスを首になり浪人中だった岡田現日本代表監督は何だ?)

私にはシャムスカ以上の監督が日本人に居るとは到底思えない。日本人選手の技量が上がったことは確かですが、だからといって日本人指導者の力量が上がったわけではない。これこそが、日本サッカーの弱点であり、この増長を直さない限り、日本のサッカーが今以上に向上することは難しいと思います。
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動物のお医者さん 佐々木倫子

2009-08-25 14:41:00 | 
世の中、どうしようもなく理不尽なことがある。

あれは小学2年の頃だと思う。学校から帰宅すると、家に保健所の人がきていた。我が家の愛犬ルルに予防接種でもしにきたのかと思ったが、どうも様子が変だ。

母に呼ばれて居間に行くと、保健所の獣医だと名乗る大人が私にむかって、なにやら小難しい顔つきで説明をはじめた。

ルルが雑種犬であることは知っていた。柴犬とポインターという西洋大型犬の雑種だと聞いていた。そのせいで、最近急激に大きく育っていた。

その獣医の人の言うことには、ルルはこの先もっと大きくなって、女子供には扱いかねる犬に育つとのことだった。そうなると人も犬も不幸なことになるので、この犬は誰か大人の男性のいる家庭に譲ったほうが良いとのことだった。

私はあまりの衝撃で、しばらく硬直していたと思う。それから黙って庭へ出て、ルルに抱きついたまま小一時間泣いていた。日頃はじっとしているのが苦手なルルが、このときに限ってじっと私の抱きつくままに大人しくしていたことだけは、今も忘れずにいる。

その後ルルは、斜め向かいの大工さんの家にもらわれていった。今にして思うと、父との離別を覚悟していた母の思惑が強く働いたのだと思う。その後、父母の離婚が決まり、私たち母子は祖父母の家に引っ越すこととなり、ルルとは会えなくなった。

もし、父と母の離別がなければルルは家にいたはずだと思うし、子供の私にだって扱えたはずだ。あれは方便に過ぎず、母と獣医との意図が働いた結果だと推測している。そのせいか、どうも獣医には、いささかの隔意が拭いきれない。

表題の漫画は、日本全国にシベリアン・ハスキーを知らしめ、ハスキー犬ブームを引き起こした。寒い国の犬を、蒸し暑い日本に連れてくるなんて、なんともヒドイ漫画だとも思ったが、漫画自体には罪はない。

実際、子犬のハスキーときたら、おっそろしく可愛らしい。ムクムク、コロコロと愛らしく、愚直な性格が可愛らしさに拍車をかける。おかげで沢山のシベリアン・ハスキーが日本の暑い夏に喘ぐこととなった。まったくもって理不尽な話である。

なぜか獣医である主人公ハムテルの恋愛話が一切出てこない不思議な少女漫画だったが、そのせいで少女漫画から離れていた私にも読みやすかった。

犬は健気な動物だと思う。犬の幸せは、その犬を飼う人間次第だ。あの黒いつぶらな瞳で飼い主を信頼してやまない。だからこそ、人間は犬を幸せに飼える環境を作らねばならない。それが出来ないのなら、犬を飼う資格はないと私は思う。

私は今でもルルを手放したことを悔いている。次に犬を飼うとしたら、必ず最後まで面唐ンるつもりだ。
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