ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

新聞の見栄

2009-01-30 12:15:11 | 社会・政治・一般
不況の風は、マスコミにも吹き荒れる。

年末年始のTVは、例年以上にツマラナイ番組が多かった。なによりも再放送が多かった。なにせ、スポンサーからの広告収入が激減している。ゆえに新しい番組を制作する資金的余裕がない。それゆえの再放送の頻発だった。

広告収入の激減はTV界だけではない。当然に新聞業界にも不況の風は吹き荒れた。先月、竹中・元大臣の講演で聞いた話だが、新聞の広告欄を出版広告が埋め尽くしているという。これぞ広告不況の証拠だそうだ。

帰宅して、改めて新聞を読み直すと、確かに出版社関連の広告記事で埋まっている。ちなみに、半年前の新聞と比較すると、その広告の違いが歴然と分る。当時はマンション販売の広告で埋まっていた。

大手新聞の場合、一面広告を打つと3000万円はかかるという。しかし、この不況を受けて広告の依頼は激減しているのが実情だ。これまで多くの広告を出してくれた金融、不動産が埋めてくれていた広告のスペースは、簡単には埋まらない。

さりとて、宗教団体などの広告は、あまり積極的には出したくない。出来るなら占いや健康食品の怪しい広告も願い下げだ。こんな時の救いの手が出版業界だ。もちろん不況の風は出版業界にも吹き荒れているのは分っている。だから、この業界にだけはダンピング(値下げ)も認めちゃう。

本だって広告しないと売れないのは、出版社も分っている。普段より安い価格で広告が打てる不況時は、絶好のチャンスでもある。新聞からしてみると、本の広告は新聞の品位を落とさず、紙面の価値を貶めないとの思いもある。

かくして、両者の思いは一致して、不況になると新聞の広告欄は、本の宣伝で埋め尽くされる。ただ、広告される本が良い本かどうかは別問題。それはさておき・・・

最大の問題は、広告ではなく、報道の中身だ。こんな時ほど、地道に取材して、分りやすい記事を書いて欲しいものだ。企業の広報部や、官庁の記者クラブで配布される資料の丸投げ報道をマスコミの使命だと思ってもらっちゃ困る。

とりわけ困るのがワイドショーまがいのセンセーショナルな報道だ。具体的には「100年に一度の大不況」がそれだ。

何を根拠にしての100年に一度なのか、はっきり明示してみろ。多分、出来ないと思う。ただ、空騒ぎして、読者の目を惹き付けたいだけだ。スメ[ツ新聞(東スモネら、なんでも許すゾ)や、タブロイド誌みたいな報道をするな。

広告を出版関連で埋めることで、紙面の価値を保ちたいのは分るが、根拠無き、煽動報道で紙面を誤魔化すな。見栄の張り方が間違っているぞ。
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怪人二十面相 江戸川乱歩

2009-01-29 12:24:07 | 
子供の頃から、ヒーローよりも敵役に憧れた。

ウルトラマンよりレッドキング。仮面ライダーよりも蜘蛛男。ガメラよりギャオス。ピグモンよりもガラモン(ちょっと違う・・・か)。

ヒーローが輝くには、魅力的な悪役が必要不可欠だと思う。場合によっては、主人公を食う敵役があってもいい。そんな代表が名探偵明智小五郎のライバル、怪人二十面相だと思う。

昨年のことだがkinkachoさんのブログで取り上げられていた映画「Kー20」が怪人二十面相のことだと知ってビックリ。なんでも略せばイイってものでもなかろうに。

ただ、急に読みたくなった。昔はポプラ社の本を持っていた記憶があるが、どこへいったか分らない。仕方なく地元の図書館に予約を入れたら6人目だった。ちょっと諦め気味だったのだが、先日行ったら借りられた。

あっという間に読みきれた。こりゃ順番待ちが早いはずだ。司書の方から予約が他に多数あるので、早めの返却を御願いされたので、その日のうちに返却ポストに入れておいた。

このシリーズは明智小五郎と少年探偵団シリーズとして有名だ。多分、男の子だったら、小学生の頃におどおどしい表紙画に惹かれて、一度は読んでいると思う。

再読してみると、子供向けだけに物足りなさはあったが、エンターテイメントとしては十分楽しめる内容だった。小学校の図書室を思い出して、懐かしい気持ちに浸れたのも、嬉しい副作用だ。

あの頃は読む本、読む本全てが新鮮だった。若干人間不信の気があった私にとって、本を読むことで拡がる無限の世界が、未来への道標だった。ただ、やっぱりひねくれものの子供だった。

どちらかといえば、明智探偵や小林少年よりも、悪役である怪人二十面相に憧れた。今にして思うと、明智小五郎の活躍よりも、二十面相の暗躍ぶりにこそ惹かれていたと思う。

多分、当時から正義というものに対して、言葉には出来ない不信感があったのだと思う。そりゃ、盗みは悪い。だからといって、高価な貴金属などのお宝を貯め込んだ金持ちどもから盗み出す怪盗の活躍に、心ひそかに喝采を挙げる自分にも気がついていた。

まだマルクス主義の洗礼を受ける前ではあったが、持たざる者の持てる者へのやっかみが心の裡に芽吹いていたのだと言わざる得ない。そういえば、当時の遊び友達は、皆貧乏人が多かった。もちろん、我が家も貧しかった。

私が裏社会に染まる機会は十分あったと思うが、それでも堅気の人間として陽の当たる人生を歩めたのは、貧しくとも明るい未来を信じていたからだと思う。

憧れた怪人二十面相は、どんなに暴れまわろうと、結局は逃げざる得なかった。正義と言う名の体制に勝つことは叶わなかった。いかに陰で暗躍しようと、表で堂々と正道を歩む強さには及ばない。それが現実だと思う。
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キャプテン翼 高橋陽一

2009-01-28 12:52:44 | 
ボールは友達の翼君、登場だ。

この漫画を思い出すと、ちょっと気恥ずかしい。この漫画が登場した頃の日本のサッカーは、ものすごく弱かった。日本代表の試合で思い出せるのは、必死に走りながらも、あっさりと点を奪われる場面ばかりだ。

当時の日本のサッカーは走るだけだった。さすがに社会人チームとなると、日系ブラジル人などの外国人プレイヤーがいるので、多少はマシだった。それでも日本代表の試合は観るのが辛いレベルであった。

でも、高校サッカーは違った。少なくとも、当時でさえ世界ユース大会で堂々プレー出来るレベルにあった。これが微かな望みだった。でも、20を超える頃になると、海外のサッカーとは差が開くばかりであったのも事実だ。

そのことが分っていたので、この漫画で海外のチームと好勝負を演じる姿に、どうしても引け目を感じざる得なかった。現実とあまりに乖離しすぎていたからだ。

ところが、この漫画は世界でも大人気の漫画であった。イタリアを始め世界各国で、子供達に大人気のアニメなのだ。驚いたことに、それは遠く中東の地でも同様だった。

日本の自衛隊が、イラクに駐留していたとき、なるべく現地の人たちのとの交流を増やそうと考えて、翼君の力を借りることにしたらしい。もちろん、作者の了解を得てだ。

イラクの村々を回る給水車に、この翼君のイラストを描いてみたところ、子供達が集まる、集まる。そのせいか、子供達を心配した親から、自衛隊を狙うテロの情報が事前に知らされることもあり、自衛隊はテロの被害を負う事がなく済んだらしい。

翼君の人気、恐るべしだ。

実際、かつてはマイナーなスポーツであったサッカーを日本の子供達に広めた功労者でもある。この漫画なくして、Jリーグの成功はなかったと断言できる。

ただ、読み出す前は、登場人物の区別がつかなかった。だって、みんな同じ顔に見えるのだもの。それが読み続けるうちに、区別できるようになったから不思議。

ヨーロッパやアジア、中東でも人気だそうだが、この区別しにくい顔だからこそ、人気が出たのか?ちょっと不思議に思っています。
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宇宙船ビーグル号の冒険 A・E・ヴァン・ヴォークト

2009-01-27 12:26:38 | 
子供の頃から、動物園や水族館は大好きだった。

サル山の猿なんざ、何時間眺めていても飽きないものだ。同じように見えて、実は個性も様々。あるいは水族館の水槽の前で、呆けたように泳ぐ魚達を眺めるのも好きだ。なんて幻想的なのだろう。

でも、現実の世界では、あのように動物を観察できることはない。餌付けでもしてあれば別だが、野生の環境では、動物たちは警戒心が強く、その素の姿を見せてくれることは少ない。

ムササビという動物を知ったのは、まだ小学生の頃の図書室で読んだ動物図鑑だ。しかし実際に動物園の檻で見たムササビは、じっと動かず、大きなリスとしか思えなかった。正直、ツマラナク思えてならなかった。

ところが、野生の状態で見つけたムササビは、息を呑むほどの俊敏であることを知り、驚愕した覚えがある。

あれは大学一年の春合宿だ。九州は宮崎から熊本へ入り、海老の高原を目指す日の早朝だった。山裾の神社の境内でテントを撤収して、荷物をまとめ、軽い体操をして出発する間際だった。

ふと気配を感じて振り返ると、すぐ背後の杉の木の表面が動いた。よく観ると、樹の肌に巨大なムササビがしがみ付いていた。スルスルっと昇りだし、あっという間に木の枝の中に消えた。目測で15メートル余りを登るのに、わずか5秒たらず。カメラを取り出す時間すらなかった。

動物園でみたものとは大違いの素早い動きに唖然呆然。私はその間、一歩も動けなかった。まだ朝靄の残る山間の神社で起きた一瞬の遭遇は、なにか神秘的なものを感じたぐらいだった。

動物図鑑で知り、既に動物園で見たはずのムササビでさえ、実際の出会いはこれほどの感動なのだ。冒険における未知との生物の出会いは、これ以上に感動的なものなのだろう。

ましてや、広大な銀河宇宙においての未知との生物との出会いは、きっと想像を絶するほどに感動的なものとなるだろう。そんな夢を元に著者ヴォークトが書いたのが表題の本だ。

この作品が書かれた頃は、宇宙生物なんざ子供向けのアニメの題材に過ぎなかった時代だけに、大人の観賞に耐えうる作品であった本作は、とても衝撃的だった。

SFファンなら誰しも、ビーグル号が宇宙の果てで遭遇した怪奇なエイリアンたちにワクワクしたはずだ。その影響は、決して小さくはない。RPGゲームであるFF(ファイナルファンタジー)のファンならよくご存知のクワールは、この作品からの転用だと思う。

お城の地下に突然現われたクワールに襲われ、絶滅した経験は忘れ難い。きっとFFのシナリオライターも、ビーグル号の冒険に夢中になった口だと思うぞ。

もっとも、この作品が書かれてから早30年余り、未だに地球外生物は見つかっていない。でも、きっといると信じたい。いつか出会えると思いたい。出来るなら、その遭遇は平和なものであって欲しいのですが、こればかりはちょっと分らない。

まあ、それまでは自由気ままに夢を見させていただきますかね。
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不確実性の時代 ジョン・K・ガルブレイス

2009-01-26 12:16:18 | 
少し前にアメリカ経済学会の「のっぽさん」がお亡くなりになった。

私を経済学に導いてくれたのは、小室直樹と長谷川慶太郎だが、どちらも経済学が本業ではない。経済学者として、私に経済学の面白さを知らしめてくれたのが、表題の著者ガルブレイスだった。私は彼を「のっぽさん」と呼んでいた。

なんで「のっぽさん」かというと、2メートルを超える長身なのだ。何度も日本を訪れているが、80年代に訪日された際、私は講演会に行ったことがある。通訳の人がイマイチで、講演の内容はよく覚えていないが、突き抜けて長身であったことはよく覚えている。

ただでさえ長身なのに、その上講壇に昇っての講演だから、殊更見下ろされる感覚が強烈だった。ただし、ガルブレイスの研究の内容は、見上げるというより、下から積み重ねた実証型(専門的には甘いらしいが)のものであり、それゆえ説得力があった。

高校生の頃は当時主流であったマルクス経済学を学ぶつもりだったが、学生運動から遠ざかり、なんとはなしに疑問を感じるようになった。マルクス経済学では、高度成長の最中にあった日本経済を説明できないと思えたからだ。幸い入学した大学は、マルクス系の経済学部ではなかった。

大学の講義は、まずは基本のアダム・スミスから入り、需要と供給の曲線のグラフの勉強、すなわち市場原理の講義が中心であった。原理は分るが、これでは日本経済は説明できぬと疑問を呈すると、講師の方に当然だと言い放たれた。

そこで勧められたのがガルブレイスだった。大学時代に読んだ経済学の本で、面白いと思ったのは彼一人であった。

多分、他にもあったのだと思うが、私は大学を社会に出て働く前の休養期間だと考えていた。だから、最低限の出席と留年しない程度の勉強で済ませるつもりだった。実際、私の大学時代は、その8割がWV部での登山に充てられていた。

今にして思うと、もう少し勉強すれば良かったと後悔している。それでも、ガルブレイスを知ったことは、私に学問の世界の一端を知らしめる効果はあった。

ただ、当時の経済学部長が中曽根内閣のブレーンの一人であり、レーガノミックスの影響を強く受けた人であったため、ガルブレイスは講義の主流ではなかった。そのため、ガルブレイスの学説の一端を知るだけで終わってしまった。

仕事が一段落したら、是非とも再び大学の門を叩きたいものだ。多分、十代の頃よりずっと真剣に勉強できると思う。
コメント (4)
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