ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

バリ島遭難事故に思うこと

2014-02-28 12:06:00 | 社会・政治・一般

海と山、どちらが怖いか?

人間に限らず、大地に生きる生物の故郷は海である。地球の生物は、海で生まれ進化し、やがてその一部が陸地に上がり、今日の生態系を築き上げた。

古代の海から陸に上がった生物は、生存競争の激しい海を避けて、天敵のいない陸地で暮らすことで繁栄を迎えたとされている。地表の7割を海が占める地球では、海こそが生物の最も栄えた場所であり、それゆえに最も生き延びるのが難しい場所でもある。

それは子孫の残し方をみれば分かる。陸生の生物にも子供を沢山産むものは少なくないが、海の生物に比べれば、その数は桁が違う。一回の出産で一番多産なのは、おそらくマンボウだと思うが、その卵の数は三億個である。そして、そのうち大人に育つのは一桁だというから、如何に生存競争が厳しい世界なのかが分かる。

随分と極端な考えだとは思うが、私は海の世界のほうが生きることは厳しいと思っている。まして水中での呼吸能力を失った人間にとって、海では船などの道具なくして生き延びることは不可能である。

ことろが不思議なことに、人間は必要もないのに海に出ることを止めない。ただ泳ぐため、ただ波に戯れるだけ、そしてただ眺めるためだけに海に行くことだって珍しくない。

私は若い頃、海辺でテントを張って泊まったことがある。一晩中波の音が耳から離れなかったが、不思議なことに熟睡できた。騒音のレベルからすれば、けっこう煩かったはずなのに、むしろ波の音は子守唄の如く静かに脳裏に刻まれた。

快適な目覚めでテントを出て、海辺で朝焼けを眺めながら、やはり生物は海から生まれたからなのか。海こそ失われた故郷なのか、そんな感慨を抱いたことさえある。

さすがに年齢を重ねると、ベトつく潮を洗い流すのが面倒なので、あまり海に入らなくなったが、それでも水族館に行きたがるのは、やはり海が好きなのだと思う。

私は若い頃から山にも海にも好んで出かけていったものだが、どちらも怖いと思ってもいた。山で味わった雪崩や山津波の凄まじさは破壊的であり、腹の底から怯えたものだ。一方、幼い頃に波に巻かれて溺れそうになった経験もあり、海の底知れぬ深さに対する怯えも根深く残っている。

自然の脅威は、山でも海でも変わることはないが、海と山、どちらがより怖いかと問われれば、やはり海だと思っている。

山ならば、大地を自分の足で踏みしめて危険を回避することは出来る。だが海だと海流や波に流されざるを得ない。これは不安だ。しかも見渡す限り果てのない海の上だと、自分がどこにいるかも分からない不安に襲われるだろう。これは怖い。

やっぱり海の方が怖いと思う。

でも、海で遊ぶのが好きな人たちは、海の怖さを知っている。知りつつ、それでも海で遊ぶことを止められないのは、やはり海の魅力にはまっているからだ。

先月にバリ島で起きたスキューバダイビングの事故は、残念ながら全員救出とはならない不幸な事故となってしまった。インストラクターはもちろん、参加者も決して素人ではない。それでも海の事故は起きる。

お気の毒には思うが、危険があるのを承知でダイビングを楽しんでいたはずなので、正直あまり同情する気にはなれない。今回の事故に遭われた人のなかには、これを契機に海を止めることもあるかもしれない。

でも、海の恐怖、事故の恐怖を深く認識しつつも、再び海に潜る人もいるであろうと思う。それが海の魅力であり、自然の魅力でもある。自然を相手に遊ぶ以上、必ずどこかで自然の浮ウを思い知る。その覚悟があってこそ、自然を楽しめる資格があると思います。

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AE86に思うこと

2014-02-27 15:06:00 | 日記

久しぶりに走っている86を見た。
 
86というのは、トヨタがかつて発売していたスポーツカーでAE86レビン/トレノのことである。1983年に発表された旧車ではあるが、現在もカルト的人気を誇る名車でもある。

1970年代の日本を襲った石油ショックにより、車は大幅な改良を余儀なくされた。エンジンの燃焼効率のアップはもちろん、ダウンサイジング(小型化)による軽量化が進み、少しでも燃費の良い車が求められた。

その改良の一つに前輪駆動タイプの車の普及がある。エンジンを前部に置き、駆動輪を後ろのタイヤとするタイプがそれまで一般的であったが、エンジンを前部に置き、駆動輪を前のタイヤとすることで、車内の広さを実現し、更にエンジンの重さがよりかかる前輪を駆動輪とすることで、より駆動力の伝達を効率化することが可能となり、当然に燃費が良くなった。

ただし、この前輪駆動タイプの車は、多少サスペションンが複雑になり、駆動軸などの構造も複雑化する関係上、車の運転に独特の癖が出てしまう欠点もあった。その点、後輪駆動だとエンジンのパワーを道路に伝えるタイヤと、車の方向性を決めるタイヤを別々にするため、素直な運転が可能になる。それゆえ高級車とスポーツカーは、後輪駆動が求められた。

しかし、ガソリン価格の高騰という現実の前には如何ともし難く、大型の高級車以外の車は、総じて前輪駆動の車とならざるを得なかった。この時代は、スメ[ツカー不遇の時代でもあり、後輪駆動のスポーツカーといえばフェアレディZとRX7くらいであった。いずれも当時で300万円を超える値段であり、若者にはおいそれてと手が出せなかった。

そこへ突如登場したのが、後輪駆動で200万前後で買えたレビン/トレノであった。私の記憶では、発売当初自動車評論家筋の評価は芳しくなかった。実はこの車、ベースとなっていたのはカローラなのだが、前輪駆動となった現行(1983年当時)のカローラではなく、後輪駆動であったひとつ前の世代のカローラのシャシー(車の骨格)を流用していた。

だからその走行性能はあまり芳しいものではないと、多数の自動車評論家は捉えていた。それは間違いではないのだが、安い後輪駆動車を待ち望んでいたユーザーの考えは違った。

彼らは車を自動車工場へ持ち込んで、サスペションやタイヤを交換し、トーションバーやレース用のシートを組み込んで改造を重ねていった。この改造されたAE86は、日本各地の山道、峠道を夜な夜な駆け回り、派手に後輪を滑らせながらコーナリングを楽しむ週末レーサーを急増させた。

以前取り上げた漫画「頭文字D」は、このAE86の人気に火を付けたとされており、それまではレビンが圧涛I人気であったのに、この漫画が出てからはトレノまでもが売れるようになったほどだ。

驚くべきことに、この86人気は海外にも波及していて、カルトな人気を誇っている。しかし、元々既に世代交代した車のシャシーを流用していたため、人気にも関わらず生産期間はあまり長くない。

トヨタはその後、前輪駆動のカローラのシャシーを使った後継のレビン/トレノを発売した。それは確実に性能をアップさせていたが、前輪駆動独特の癖のある操縦性は直せず、前ユーザーからはソッモ?ゥれてしまった。

そんな訳で以来、30年あまりたつが、未だに86の後継車はない。本当のところ、前輪駆動であってもスメ[ツドライブが可能な車は、今ではけっこうある。だが後輪駆動の特徴であったタイヤを滑らせるドリフトを、86ほど簡単に楽しめる車は、ついに発売されることはなかった。

おかげで今や86は幻の名車といっていいほど珍しいものとなってしまった。なにせ、みんなタイヤをドリドリと滑らせる乱暴な運転ばかりしており、しかも危険な走行で事故も少なくないため、現在も普通に走れる86は滅多に見かけなくなってしまった。

私自身、公道を普通に走っている86を見るのは、本当に久しぶりだった。そして気が付いた。

86って、こんなに小さい車だったのか。

私はホンダのFITという小型車に乗っているのだが、目の前を走る86はFITに比べても小さく見えた。これは大切なことだ。小さい車だからこそ、日本の狭い道を自由に駆け抜けることが出来た。小さいからこそ、狭い山道も自在にドリフトが出来た。小型車バンザイである。

実は後輪駆動のスポーツカーならば、現在はマツダのロードスターや、スバルとトヨタの共同開発のBRZなどいくつかある。更には四輪駆動のスバル・インプレッサや三菱のランエボなど獰猛なほど速い車もある。

だが、86ほど気軽に乗れて、お手軽に改良が出来て、楽しめる車はやはりない。カルトな人気はあれども、おそらくトヨタもニッサンもこのような車を販売することはないだろう。なぜなら、今日日の若い人はスポーツカーに対する憧れ以前に、免許さえ持たない人が少なくないからだ。

ホンダ車しか乗らない私でも、ちっとは憧れた名車86は、もう二度と現れないだろうと言わざるを得ないのは、実に残念です。

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ジョジョの奇妙な冒険 荒木飛呂彦

2014-02-26 12:03:00 | 

豪華絢爛にして饒舌、それが希代の漫画家・荒木飛呂彦だと思う。

デビューは私がまだ学生の頃だ。SFとモダンホラーが融合したかのような奇妙な絵柄とストーリーであった「魔少年ビーティ」とそれに続く「バオー来訪者」で、初めて日の目を見た。

当時の週刊少年ジャンプ誌のなかでも、相当に個性的な絵柄で、率直に言って浮いていたと思う。だから「ジョジョの奇妙な冒険」が始まった時も、当初はそれほど人気はなかったと記憶している。

人気が出てきたのは、主人公のジョナサン・ジョースターのライバルのディオが吸血鬼化して超人的な能力を発揮するようになってからだ。このあまりに超絶的な怪物にジョナサンは勝てるのか?

この第一部では、後に話題となった波紋やスタンドといった特殊能力を持たない、ただ単に運動能力に優れただけの普通の人間であるジョナサンに、到底ディオを唐ケるとは思わなかった。

しかし、身体能力以上に諦めない強靭な精神力の持ち主であったジョナサンの爆発的な行動により、奇跡的に勝利する。そして、この戦いから2世紀以上にわたるジョースター家の戦いは始まる。

この作品は、今日に至るまで30年以上にわたって連載が続く。まだか、これほど長く人気が出るとは、まったく予想していなかった。多分、作者本人にもこれほど長く続かせる気はなかったのではないかと思う。

私は第二部が一番好きなのだが、忘れがたいのはやはりこの第一部である。後に「ジョジョ立ち」とまで言われた過剰なポージングはまだなく、説明過剰だとも思える饒舌な科白もそれほどではなく、なにより芸術的とさえ云える過剰な装飾や演出も控えめですらある。

だが、それだけに力強く、雄々しく、野蛮でさえある。にもかかわらず、清々しさや人間の生きることへの賛美に溢れている。ジョジョの奇妙な冒険は、まさにこの第一部からこそ始まった。その意味で原点であり、根幹でもある。

途中からでも読めるマンガではあるが、出来るなら第一部から読んで欲しい。たいへんな大長編ではあるが、読むに値する価値があると思うのです。

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ソチ五輪に思うこと

2014-02-25 12:03:00 | 社会・政治・一般

さすがは腐っても鯛。

なにがってロシアである。冬季オリンピックの舞台であるソチは黒海沿岸のリゾート地で、ロシア帝国が奪い取って以降、富裕階級の避寒地として栄えた街である。スターリンをはじめとして、歴代のロシア権力者が豪華な別荘を持ち、外国人を踏み入れさせない秘地でもあった。

グルジア王国の栄えた土地でもあり、その後オスマン・トルコに奪取されたが、露土戦争において取り返し、今日に至るとされている。

しかし、それはロシア側の見解であり、古来よりトルコ系、イラン系などの遊牧民族が占拠し、支配していた土地でもあり、歴史的には紛争の極めて多い地域でもあった。水に乏しいユーラシア大陸中央部にあって、黒海沿岸は豊かな農耕地でもあり、また放牧地域でもあるがゆえに、古来より土地争いの絶えぬ地である。

旧・ソ連時代には、その圧倒的な軍事力をもって黒海周辺部は完全に制圧されていた。しかし、ソ連崩壊後は抑圧されてきた民族感情が噴出し、同じスラブ系であるグルジアさえも一時期は離反したほどである。

ましてイスラム教徒が大半を占めるトルコ系やイラン系の遊牧民族は、古来よりの民族感情をたぎらせてロシアに対して牙を剥きだしている。だから近年のロシアにおいては、この遊牧民族系のテロリストが起こす事件が頻繁に起きていたことは、ニュースに詳しい人ならば常識である。

実際、アメリカのCNNでは、オリンピック開催中にテロの起きる確率は50%以上だとして、渡航は危険だと警告しているほどだ。危機管理にうるさいアメリカならば当然なのだろう。

一方、この原稿を書いている時点(2/21)では、未だソチ周辺でのテロ事件の報道はない。私の記憶では、今年一月に爆弾テロ未遂事件があったはずであり、テロ組織がソチ五輪妨害に向けての活動を止めたとの情報もない。

そうなると考えられるのは、ロシア政府の治安組織が見事にテロを抑え込んでいるか、もしくはテロ事件があっても報道させないで秘密裏に処理しているかの、どちらかであろうことが推察できる。

まだソチ五輪が終わったわけでもないので、安心するのは早計に過ぎると思うが、やはりロシアの治安組織の実力は凄いと云わざるを得ない。冷戦時代より悪名高いかのKGBは、現在はロシア連邦保安局(通称FSB)と名を変えて生き残っており、プーチン大統領がこの組織の出身であることは広く知られている。

FSBがいかにしてテロを抑え込んでいるかは、未だ明らかにされていないが、想像を絶する過酷な手段を用いていることは間違いないだろう。テロを抑える最も有効な手段は、適切な情報による事前の制圧である。その情報を如何に入手しているのか。

テロリストはもちろん、その家族、友人、知人への凄まじい情報提供の強要には、恫喝は当然としても場合によっては拷問、自白剤など非合法な手段が用いられている

可能性は高いと思う。いかにソチの地が風光明媚な景勝地であったとしても、オリンピックの安全は血に濡れれた恐るべき諜報組織が担っていることを忘れて欲しくないものだ。

あまりTVは観てないが、偶に番組を観ると、現地で日本人のアナウンサーやら芸能人とかが浮れているのが妙に気に障る。水と安全はタダではないことをどこまで自覚しているのか疑問でしょうがない。

平和の祭典であるオリンピックに浮れるのは構わないが、平和が如何に守られているのか。ちっとは考えて欲しいものである。

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不気味で素朴な囲われた世界 西尾維新

2014-02-24 12:39:00 | 

愛しいからこそ、憎たらしい。

好きだからこそ、嫌いになれる。

気になる人だけど、気に入られている訳でもない。

家族だからこそ離れられないけど、家族であっても分かり合える訳ではない。

傷つけるから加害者だけど、傷つくのが被害者だけな訳ではない。

こんな文章を書き連ねるのが得意なのが若者から圧倒的な人気を誇る西尾維新である。以前にも書いたが、私はこれほど癖のある文章を書く人を知らない。

同時に、これほど惹かれながら、これほど反発を覚える登場人物を出してくる作家を他に知らない。

とにかく不思議な作家である。ライトノベルの作家でも屈指の人気作家ではあるが、だからといってその文体がライトな訳ではない。

さりとて、その文体が重厚な訳では決してない。むしろ過剰に饒舌であり、その文章の長さに反比例して、的確な描写からは遠い文でもある。

イラストレーターに恵まれているようで、そのイラスト抜きにして、これほどの人気を得たとは思えない。それでも作家として、その文章に魅力があるのも事実であり、むしろイラストとの相乗効果がプラスになっているあたり、ライトノベル作家の理想でもある。

正直、頻繁に読みたい作家ではないが、たまに急に読みたくなるのも確かなのだ。まったくもって、不思議な作家である。

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