ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

夢枕に立ったのは

2006-08-31 09:23:47 | その他
ちょっと思い出話です。

私が中学3年の冬の夜だった。朝が早い母は、遅くとも9時には床につく。寝つきのいい人なのですが、その日に限って妙に騒がしい。ふすま一枚隔てて、起き上がったり、引き出しを開け閉めしたりしているのが聴き取れる。

10時頃だったと思うが電話が鳴り、出ると緊張した声の祖父だった。母に代わり部屋に戻ると、妙に落ち着いた、それでいて青白い顔で「おばあちゃんが亡くなったから、これから病院にいってくる」と言い、妹2人を連れて出かけた。高校受験を控えた私は留守番だった。

葬儀を終えて数日たった日のこと。母があの日の晩の事を話してくれた。あの夜、なかなか寝付かれずにいて、ふと気配を感じて目を開けると、そこに祖母が座していたそうです。夢枕に立つなんて言い方がありますが、まさにそのとおり。何も語らず、静かに母を見つめていたそうです。

当然に妙な胸騒ぎがして、起きたり、寝たりしていたそうです。そこへ祖父からの電話。嗚呼、やはりと思い、最後の挨拶に来たのだと納得したそうです。

最初の子供だった母は、妙に祖母とつながっていたと思う。祖母は父との結婚に反対だったとも聞きます。その後、離婚した時も、一番母の味方になってくれたのが祖母でした。そして死ぬ間際まで気にかけていたのが母のことだと祖父が言っていました。

明治生まれの江戸っ子気質を強く持っていた祖母でした。初孫だった私をたいそう可愛がってくれましたが、反面一番厳しくもあった人でした。私は母に叱られるより、祖母に叱られるのを異常に恐れる「おばあちゃん子」でした。厳しさと優しさは表裏一体でなければいけないよと、静かに、しかし断固として私に言い聞かせてくれたものでした。

私の人格形成に一番強い影響を与えてくれたのは、案外祖母だったかもしれません。でも、私の夢枕には立ってくれないんだよなあ~。おばあちゃんの幽霊なら、私遭っても良いのだけれど・・・
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「産霊山秘録」 半村 良

2006-08-30 09:38:00 | 
自分で言うのも何だが、私はいわゆる霊感に乏しい。お化けとか幽霊とか、見たことない。少なくとも見たと自覚したことはない。

ただし、お化けやら幽霊やらを信じていない訳ではない。あれは主観的な存在で、あると信じている者には、確実に存在するのであろうと考えている。

大学4年の頃、8人ほどのメンバーで富士山西の毛無山に登り、、避難小屋で一夜を過ごしたことがあります。小ぎれいな山小屋で、快適な一夜を過ごせると安堵した夜のこと。一人の女性メンバーが夜半に怯えだして、騒ぎになりました。

彼女は先月、可愛がってくれた祖父を亡くしていたのですが、彼女が言うには天井の暗がりから祖父が覗いていると。顔面を蒼白にして震えている彼女が嘘をついているはずもなく、ただ私どもにはその暗がりには何も見えない。

普段は素直で快活なお嬢さんであり、虚言癖があるでもなく、情緒的にも安定している人だったので、皆一様に不思議がりましたが、結局朝まで、彼女が不安がらないよう、お喋りをして過ごす羽目になりました。寝不足はさておきも、そんな精神状態での登山は好ましくないと考え、登山は中止したものです。

わたしに全く見えず、感じ取れなかった彼女の祖父の霊(?)ですが、彼女の心のなかでは確実に存在したのだと思います。

そんな私ですが、実は少し怖いと感じるものがある。それは、まったく明かりのないない、奥深い山奥の夜の山林。そこでは普通より闇が深い、深いだけでなく、なにか人間を拒否しているかのような声なき声が心にかすかに感じ取れる。音がするでもなく、匂いがするでもない。ただ、なんとなく足を踏み入れたくない気持ちにさせられる不思議な威嚇。

古来より日本の山には霊所とか、霊山と言われる場所がありましたが、故なきことではありますまい。もっとも霊峰の頂点ともいうべき富士山で、それを感じたことは何故かありません。ただし、富士山周辺の樹海では、それに近いものを感じたことはある気がします。

ところで表題の作品ですが、半村良の代表作の一つです。伝奇ものですが、霊峰や霊所を巧に取り入れたところが、深く印象に残っています。なぜか2006年のライト・ノベルのベストテンに入っていたから不思議。今の若い人にも通じる魅力があったのでしょうか。だとしたら、とても嬉しいですね。
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「ブラック・ダリア」 ジェームズ・エルロイ

2006-08-29 09:29:37 | 
銀座の地下コンコースを歩いていたら、ある広告に目が止まった。映画の宣伝らしいが、タイトルは「ブラック・ダリア」。まだ確認していませんが、J・エルロイ原作のあれかな?

一言で言えば、癖の強い推理小説でした。初めて読んだJ・エルロイの作品が「ブラック・ダリア」だったので、尚更かもしれません。それほど感銘を受けたとは思えなかったのですが、なぜか記憶に深く刻まれた作品でした。

犯罪を扱ったものですから当然ですが、暗く輝く夜のアメリカ社会の裏面を鋭く深く抉り出すエルロイの筆の冴えは、時として不快な気持ちにさせられるほどです。輝きがきらめくほどに、その眩しさが作り出す陰の何と濃いことか。華やかな都会の影で、ひっそりと花を咲かせる夜の女たちの悲哀を描き出したのが、表題の作品です。

あの広告の映画が、エルロイの小説をもとにしているのかは知りませんが、もしそうならば、ちょっと観てみたい。ちなみにエルロイの作品は他にも末ウれて刊行されてますが、どれも癖の強い作品ばかり。多分、「LA・コンフィディンシャル」が一番有名だと思います。暇と気力が十分あれば、英語で読んでみたい作品でもあります。・・・多分無理だろうけどさ。
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「ハリーポッターと賢者の石」 J・K・ローリング

2006-08-28 15:10:27 | 
世界中で売れに売れた「ハリーポッター」シリーズですが、実は一部のキリスト教関係者の間ではあまり評判は良くない。アメリカの一部の州では発行禁止だの、不買運動だのと騒ぎがあったのですが、その後どうなったことやら。

なぜかって?そりゃ魔法なんぞ、聖書には書かれていないからです。いや冗談でなく、マジメな話です。アメリカには聖書に書かれている一言一句を、その通りに信じている宗派が相当数存在します。ファンダメンタリストなんて言い方をされていますが、どうも日本語に末オづらい。私は勝手にキリスト教原理主義派なぞと呼んでいます。

この宗派は、ハリーポッターどころか、ダーウィンの進化論すら信じていません。なぜって、人間は神が創ったのであって、猿から変化したなんて聖書のどこにも書いてないからです。

現代の常識的感覚からすると、奇異に感じるかもしれませんが、キリスト教の歴史を知っていれば、それほど違和感はありません。

もともと現在の中近東にて生まれたキリスト教ですが、ローマ帝国の庇護を受けるようになり、その勢力をローマ帝国の植民地に広げていくようになりました。しかし西ローマ帝国の滅亡とイスラム教徒の拡大で地中海を失い、西ヨーロッパに限定された形で布教を進めていかざる得なくなりました。

前回書いた森の消失も、キリスト教布教のための一方策でしたが、それと平行して行ったのが、異教徒、異文化の根絶でした。しかし、これはなかなかに難しかったようで、結局異教は根絶させたものの、土着文化には妥協せざる得なかったようです。北欧の世界樹をクリスマスツリーに転化させたり、女神信仰をマリア信仰に衣替えさせたり、様々な小細工を弄しています。しかし、失われた伝承、童話、説話は数知れず。まこと、文化破壊者としてのキリスト教の暗い側面を示しています。

しかし、その努力も宗教革命による権威の喪失と科学の発達が妨げになり、苦労して根絶した異教徒の物語、土着文化がグリム兄弟やアンデルセン、イソップといった人々の努力により、童話として蘇ってしまったのです。挙句の果てには、ドラキュラやフランケンシュタインといった怪物も創出される始末。私はこれをキリスト教の文化支配からの脱却・解放だと理解しています。

それでもキリスト教は、より先鋭的になり反宗教革命というか、反攻を開始し、宣教師を先頭にアジア・アフリカへも出向いて、世界各地の異文化異教徒を滅ぼし、文化的ジェノサイド(虐殺)を遂行してきたのです。一方新大陸アメリカでは、聖書そのものを神聖視して、その一文字一文字を厳密に信じる新しいキリスト教派が生まれ、今日に至っています。

しかし現代人に深く根付いてしまった科学信仰は、もはや宗教に文化の独占を許しませんでした。特に欧米では、剣と魔法の物語が愛好されるようになり、キリスト教の反対も虚しく、魔法使いやらドラゴンやらが娯楽として人気を得ています。十字架が弱点だったはずのドラキュラさえ、その十字架を握りつぶす有様です。

偏見かもしれませんが、かつて異文化ジェノサイドをやってのけた欧米のキリスト教社会が、その思惑とは裏腹に、ハリーポッターのようなアンチ・キリスト教的性格を持つ娯楽本を生み出したことに、少々皮肉な感慨を持たざる得ません。

それにしても、面白いファンタジーである「ハリーポッター」くらい、もっと素直に楽しめないものかなあ~。どうも余計な知識が多すぎる気がするゾ、あたしゃ。
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自然の森

2006-08-26 16:02:06 | 社会・政治・一般
十代の頃、特に大学時代の夏休みは、そのほとんどが山に居座っていた。たまに下界に下りてくると、その暑さにうんざりしたものだった。

もっとも夏の間に登るのは、もっぱら標高2000メートル以上の高山のみ。沢登なら低い山でもいいが、やはり高所登山の爽快さは格別だった。

でも冬場は雪の少ない里山に登ることが多かった。里山と馬鹿にするなかれ、けっこう道に迷いやすく遭難も少なくない。なにせ登山道以外にも、山で仕事をする人たちの仕事道や獣道が錯綜していて、地図読みに自信がある私でも結構迷う。

でも里山には里山独特の暖かさがあって、私は好んで登っていた。なかでも藪漕ぎという特殊な登山方法は好きだった。通常登山道は稜線伝いか、沢沿いにあることが多い。しかし辺鄙な里山だとその道が草木に覆われて、分からなくなっている。そこをコンパスと地図を頼りに、草を分け枝木を刈り払い、猪突猛進して登っていく。気力と根性と体力がものをいう、日本独特の登山方法なのです。

踏み固められていない、自然のままの土の柔らかさ。人間の存在を否定するかのごとき、頑強な草木の抵抗。ふと足を止めると、自分の呼吸音しか聞こえない静寂。時折感じる獣の体臭。藪漕ぎはまさに自然に包まれたが如き、奥深い野山の雰囲気を堪能できる山登りでした。

しかし、「藪漕ぎ」は絶対に夏にはやりません。暑いのもさることながら、草木の抵抗がもの凄く、物理的圧力さえ感じるほどの草の匂いや、鉈で叩いても切れない強固な藪草に、敗北感すら感じたほどです。自然って奴は決して受身の存在ではないことを思い知らされます。庭の雑草に悩んでいる方には、よく分かると思います。

ところでこの季節、TVの旅行番組等でレポーターが、ヨーロッパの森の素晴らしさを語っていますが、はっきり言って馬鹿丸出し。少なくとも西ヨーロッパには自然の森など存在しません。アルプス等の高所に一部あるだけでしょう。ヨーロッパの都市周辺に広がる美しい森は、ほぼ間違いなく皆人造林です。

ローマ帝国がケルトの民と戦っていた頃のヨーロッパは、平野などほとんどない森の大地でした。ローマはケルトの民を武力で退けましたが、その森には手をつけていません。その森を焼き払い、狩り払い、根絶やしにしたのはローマ・カトリック教会でした。

古代のヨーロッパはドルイド教に代表されるように、自然崇拝宗教でした。キリスト教の布教活動はローマ帝国時代から盛んに行われていましたが、なかなかに成果は出ませんでした。そこでキリスト教は、自然崇拝宗教の元である森を伐採し、焼き払い、農地や牧草地に変えて異教弾圧を行い、キリスト教による支配を完成しようとしたのです。

この自然破壊を伴うキリスト教の布教(侵略)活動は、約1000年にわたり続けられました。ドルイド教といった原始宗教は根絶され、13世紀にはほぼ終結したと言われています。しかし、森を根絶したため、様々な弊害(ペストの流行や、魚の減少)が生じ、それゆえキリスト教会は、自ら森の再生をやらざる得なくなりました。厚かましいことに、今では自然保護の守護者的振る舞いをしている有様。

別に知らなくともいい知識ではありますが、無邪気にヨーロッパの森の美しさを語っているレポーターとかいう無知な愚か者のお喋りが、無性に腹立たしく感じます。本当の自然のままの森林など、日本においてすら、滅多になく、それは美しさだけの代物ではない現実を知らないのでしょう。
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