ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

今年を振り返って

2012-12-29 17:03:00 | 日記

恐ろしいことに、今年もあと一週間もない。

忙しかったせいもあるが、気が付いたら年末である。そこで今年読んだ本について振り返ってみたい。

まず未読本では長年読みたいと熱望しつつ版元が絶版にしていたため読めずにいた「スワンソング」(ロバート・R・マキャモン)を挙げたい。世界規模の核戦争により荒廃した大地に生き延びてしまった人たちの苦闘と、その絶望の淵より甦り希望の灯となった一人の少女を巡る物語。如何なる困難な時でも希望さえあれば、人は立ち上がれる。

SFホラーとでも言いたくなる内容だが、今のところマキャモンの最高傑作だとも断言できる。キング、クーンツに劣らぬ力量を持ちながら、なぜか日本では不遇な感が堪えないマキャモンだ。しかも、この作品は版元の福武書店が絶版扱いしているため、図書館で借りるか古本を探すしかない。だから、もし目にする機会があったら、必ずや読んでみて欲しい。

入手が困難な作品を挙げるのは不親切に思うので、次点として「わたしを離さないで」(カズオ・イシグロ)「燃える男」(A・J・クィネル)を挙げておきます。前者は読書のすご味を、後者は読書の楽しみを満喫できると思います。

続いて国産だが、これは迷った。迷ったが衝撃度で「告白」(湊かなえ)を選んでみました。自分が担任を務めるクラスの生徒が、我が子を殺したと知った時、女性教師が何を思い、何を実行したのか。その衝撃の告白には打ちのめされました。

次に漫画ですが、新人賞として「暗殺教室」(松井優征)ですね。最悪の破壊者が最良の教師となっていることに私は妙に共感を覚えました。私が通った中学はいわゆる暴力(体罰)を振るう教師が沢山いましたが、悪いことは悪いと理屈ではなく拳骨で教えてくれる最良の教師たちでした。話せばわかるなんて空虚な理想に囚われたダメ教師たちへのアンチテーゼとなりうる不思議な作品です。ただ、良く考えたらまだこのブログでは取り上げていなかった・・・なにぜ単行本が出たのが今年の冬なもんで。

ちょっとルール違反(ルールなんて、あったのか?)ぽいので、基本に戻って挙げさせてもらうと・・・悔しい、取り上げたくない。でも、やっぱり一番記憶に残ったのは「HUNTER×HUNTER 31巻」(冨樫義博)でした。この記事をアップする頃には32巻も出ているでしょう。プロ失格の漫画家だと思うけど、この面白さは無視できない。

悔しいので四コマ漫画の「中国嫁日記」(井上純一)も挙げます。尖閣問題で日中関係が怪しくなりましたが、この厄介な隣国との付き合いは続く訳で、単に好き嫌いで済むわけない。シナ人の生き方は、政府向けとプライベートでは大いに異なる。反日=反北京政府であり、愛国=格差社会への不満でもある。シナ人は世界中で活躍(侵略でもあり侵害でもある)しており、日本とも今後より一層トラブルは続くでしょうが、その一方日本で暮らし、日本人と家族になるシナ人も多数。その意味で、この漫画は日常的なシナ人との夫婦生活を、淡々と描いており、それがまた楽しい。

今年は久しぶりに映画をけっこう観たので、そのなかで記憶に残ったものを挙げると、「Frends もののけ島のナギ」でした。大ヒットには程遠かったと思いますが、ハリウッドとは異なるアニメの3D画像には好感を持てました。原作の「泣いた赤鬼」の出来の良さもあると思いますが、あまり話題にもならなかったので、機会がありましたら観てみて後悔はないと思います。

さて、私はこれから大掃除で今年こそ本棚で立ち止まることなく、しっかりと掃除を終えておきたいものです。多分、来年には引っ越すかもしれないので、出来る時に掃除片付けをしておかないと、後で絶対後悔するでしょうからね。

それでは、良いお年をお過ごしください。

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やっぱり後悔

2012-12-27 12:46:00 | 日記
一人事務所に出て仕事をしています。

昨日が仕事納めであり、私も残務整理のための出社です。

こうして静かな事務所で今年を思い返すと、やはり先月亡くなった母のことばかりが思い起こされます。

平成21年2月に自宅から救急車で搬送されて入院し、一度も家に帰ることなく病院で亡くなった母。一度でいい、家に帰してあげたかった。最初は動けないことからの恐浮ゥらか、帰宅を拒否していた母でした。

しかし、入院が長引くうちに帰りたいとの思いは募っていたはず。見舞いに行った時、私が早くリハビリを終えて家に帰ろうね、と話すとうっすらと目に涙を浮かべていた事が忘れられません。

一時帰宅でいい、家に泊まらなくてもいい、数時間の滞在でいいから家に帰したかった。いや、今年10月に病院長から電話をもらい、先が長くないことを知らされてからは、家に連れて帰って住み慣れた実家で最期を迎えさすことも考えた。

だが事態は思ったより急激に進み、胃ろうによる流動食の摂取さえ吐き戻し、高熱を発して危ない状態にまで進んだ。その後、しばらくして落ち着いたので安堵していた矢先だった。

私には分かっていた。母が年を越すことは難しいと。

だから密かに家に連れて帰ることさえ考えていた。だが、家での介護は誰がやる。仕事に追われる私には無理だし、妹たちも無理だと分かっていた。それでも可能性はあると思い、ヘルパーをやっているフィリピン人に連絡をとり、非公式な介護ができるか打診してみた。なんとか2人ほど確保し、後3人ほど揃えればなんとか家で介護が出来るかもしれないと思っていた。

それも深夜の妹からの電話で無駄に終わった。

もう少し早く行動していれば、母は家で最期を迎えることができただろうか。いや、それより設備の整った病院のほうが良かったのだろうか。

もっと私に出来ることがあったのではないか。そんな思いが頭を巡る。無駄と分かっている悩みではあるが、悩まずにはいられない。

穏やかな母の死に顔だけが心の救いでもある。

それでも、苦労に苦労を重ねた母には、もっと幸せな人生を終えて欲しかった。後悔は尽きることはない。

力不足の息子でゴメンね、お母さん。
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デフレ脱却の日

2012-12-26 12:08:00 | 経済・金融・税制

最近、ある方からの紹介を受けて幾つかのNPOの主催するパーティーなどに参加することが多い。

はっきり言えば、資金集めのためのパーティーなので、会費の割に提供される食事はお粗末だ。でも、その差益が恵まれぬ子供たちへの学費支援に使われたり、被災者支援の物資になるのならば仕方ないと諦めている。

実際、ある船上パーティーでは提供されたのは、紙パックのジュース一個。でも、パーティー主催の趣旨は親のいない子供たちへの学費支援だと思えば、笑顔で我慢できる。これは某キリスト教団体の関連事業であるようだが、大使館や銀行の支援もあるようで、参加者にも外国人が少なくない。

先だって、その在日の外国人らを招待しての温泉スパでの忘年会にも参加してきた。一応書いておくと、税理士業務とは直接の関係がないので、守秘義務には反しないと思う。

男性の外国人4名ほどを私が案内したのだが、皆片言の日本語は喋れるので助かった。なにせアメリカ、イタリア、トルコとてんでバラバラなので、内心けっこう不安だったのだが、思ったより上手く出来た。

幸い、4人とも温泉ホテルなどへは行ったことがあるようなので、マナー的には問題ない。ここは関東でも指折りの大型スパであり、屋内屋外プールもあるのでたいへん気に入ってもらえた。

なかでも広い露天風呂は気に入ったようで、4人ともなかなか出てこない。面白かったのは、四人ともタオルで局部を隠さないと風呂に入れないようで、誰一人すっぽんぽんにはなれなかった。一番筋骨隆々の黒人男性が最もシャイで、周囲を気にしながら入浴していたのが可笑しかった。一方、巨漢というより太り過ぎの白人男性が一番、くつろいでいたようで、タオルで隠すのも時々忘れて同僚に注意されていた。

片言の日本語と、英語交じりで話したのだが、一番興味深かったのは彼らが日本で仕事をしている理由の一つに円高があったことだ。母国の通貨が安すぎるので、日本円を主たる通貨として使っているうちに日本で仕事をするようになった人たちらしい。

彼らは今回の選挙で円が下がる、つまりドルやユーロが上がることに関心が強いようで、露天風呂で国際通貨論議が始まってしまった。議論が過熱すると英語に切り替わるので、私は半分くらいしか分からなかった。だが、なんとなく彼らが当分、円が強い状態が続くと考えているが、いつかは必ず下がるはずだと考えていることが感じ取れた。

一人はいささかホームシック気味で、早く故国に帰りたいようだが、帰っても仕事がないので、日本で当面働く(マネージャークラスだと思う)つもりであるらしい。稼いだ金をいつ円からユーロに変えるか、そのタイミングに悩んでいるらしい。

日帰り旅行であったのだが、その帰り際一人から「日本人はもっと自国の経済に自信を持つべきです。そして稼いだお金を世界にうまく投資することを覚えるべきでしょう」と忠言された。

ちょっと顔をしかめざるを得ない。彼らは日本の経済が強いからこそ、この日本で仕事をしている。強い通貨を駆使できることの強みを良く知っているのだろう。だからこそ投資下手の日本に困惑するのだろうと思う。

貯蓄から投資へ、と大蔵省が提唱したのは十年以上昔だが、外国人からみるとまだまだ投資は十分ではないように見えるようだ。現在の日本に不況感が強いのは、お金が世間を回っていないからだ。つまりデフレ不況である。

果たして、安倍新政権はデフレ不況からの脱却が出来るのであろうか。

期待はするつもりだが、私は難しいと思っている。少なくても日本政府が主体的に動いてのデフレ脱却は、まず無理だと思っている。短期国債の日銀買い取りは、今までもやってきたし、これでデフレ脱却は難しい。

そうなると、建設国債のような長期債券の日銀買い取りが現実味を帯びてくる。しかし、これが禁じ手なのは、それ相応の理由がある。やるなら期間限定とかの一定の制約を付けないといけない。それゆえ国内からの批判と抵抗が大きいことが予想される。

そう考えると、まだデフレ脱却は遠いと言わざる得ない。

私は二つの可能性を考えている。一つはアメリカ・ドルの大幅な切り下げだ。いわゆるデノミという奴だ。これはけっこう現実味があるとみている。円はドルとの連動性が強いので、間違いなく円相場は大混乱に陥り、日銀が切望するデフレ維持は不可能となる。

もう一つは、資産インフレ、すなわち石油の枯渇にともなう原油価格の大幅な上昇だ。化石燃料を輸入に頼る日本にとって、原油、天然ガスなどの値上げこそがインフレのもっとも切実な原因となりうる。それは破滅的である可能性も秘めているだけに、恐ろしいと考えるべきなのだ。

ちなみに可能性は低いが第三の可能性は世界規模の戦争であり、第四の可能性は石油に替わる代替エネルギーの開発と実用化による経済発展という夢物語。

いずれにせよ、デフレ脱却は非常に難しい。だから、一番現実的なのはデフレ下で幸せな生活をつかむこと。いわゆる年収300万円で幸せな生活が送れることだ。

たしかに正論だと思うけど、私はちょっと嫌。だから困難と知りつつも、新政権にデフレ脱却を期待してしまいます。

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なぜ日本経済は世界最強と言われるのか ぐっちー(山口正洋)

2012-12-25 13:44:00 | 

やっぱり日本のマスコミはおかしいと思う。

日本政府が抱える借金は、国と地方合わせて1000兆円を超える。だから消費税の増税が必要だ。TVも新聞も、皆同様に報道する。まるで財務省の広報機関のように思えてならない。

複式簿記の知識がある方なら分かると思うが、借金(貸方)がある以上、必ず相手勘定となる資産(借方)があったはず。その資産は現在どうなっている。すなわち資産の時価評価なくして、ただ一方的に負債勘定(借金)だけを取り上げるのは、会計的におかしい。

土地の評価はともかく、日本政府は莫大な外国公債(大半はアメリカ国債)を保有しているはず。この資産の時価評価なくして、反対科目の負債だけを取り上げるなんて、あまりに幼稚すぎる。

経済専門紙である日経を筆頭に、どこのマスコミでも大学などで経済学を学んだ記者が相当数いるはずだ。それなのに、何故このような偏った記事を垂れ流すのか。

意地悪な私は、ついつい日本のマスコミは財務省の意向に従い情報操作に加担しているのではないかと邪推せざるを得ない。

表題の書は、外資系の投資銀行で国際金融の最前線で働いてきた金融マンの山口氏が、自らのブログ、有料メルマガ等で書いてきたことを抜粋して刊行したものです。アメリカ、ヨーロッパ、中国の金融の世界で、山口氏が自らの実体験から感じた日本経済の姿について、それがあまりに日本のマスコミ報道とかけ離れていることへの疑問と反発から書き記したもの。

国際投資銀行の世界で働く人らしく、その観察眼は経済面に限られるが、それだけに説得力がある。分かりやすく書いたが故に、専門的知識のある人にはいささか物足りなさも残るが、あの複雑怪奇な国際金融の世界を分かりやすく書く力量には感服。

私の従来の考えと一致する部分もあるが、どうしても経済それも金融の分野に立脚しての意見なので、政治や軍事、歴史に関する切り込みが浅い。もっとも、それを補って余りあるのが国際金融の最前線で仕事をしてきた実体験からくる知恵だろう。

経済の素人でも分かりやすく書かれているので、既存のマスメディアの経済報道に疑問をお持ちの方にはお薦めです。ただし、その内容を盲信することはお薦めしません。自分で判断すること、これこそが投資における大原則。それが分かった上でなら読む価値ありだと思います。

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街角にはクリスマスツリー

2012-12-21 12:09:00 | 音楽
クリスマスには寂しい思い出ばかりが記憶に残る。

週末にはクリスマス、子供の頃はプレゼントだ、クリスマス会だと心浮き立つ記憶が多く、思い出すだけで笑みがこぼれる。

ところが思春期を迎え、家族や友人とではなく女性と過ごすクリスマスを考えるようになると、思い出すのは寂しい記憶ばかり。

街角にはクリスマス・ソングが流れ、華やかなイルミネーションが夜景を彩る。本来なら心ウキウキと楽しみたいのに、実際にはつまらないことで喧嘩をしていたり、口もきかない冷戦状態に陥ったりと、碌な思い出がない。

今になって思うのは、クリスマスに過剰な期待を抱いたが故の気持ちのすれ違いが原因だったように思う。男と女って、同じ夢を語っていても、その夢の中身はだいぶ違うと気付いたのは30も過ぎてからだった。

もっとも、だからといっていつも寂しいクリスマスを過ごしていた訳でもない。どちらかといえば、友人同士で過ごしたクリスマスの方が楽しい思い出が多い。友達同士の間柄なら仲良くやれて、男女の仲になると上手くやれないのだから人間って難しいものだと思う。

寂しい思い出ばかりと冒頭に書いたが、不思議なことに一人で過ごしたクリスマスの夜には、さほど寂しさは感じなかった。むしろ寂しかったのは、お互いの気持ちがすれ違っていることを自覚している時の二人のクリスマスだったように思う。

一昨年以来、高校の同級生との交流が復活したせいか、妙にあの頃の思い出が夢で出てくる。空振りに終わったクリスマス・イブの晩のことや、馬鹿騒ぎに終始して肝心なことを言えなかった後悔ばかりが脳裏に浮かぶ。

そんな思い出ばかりが強く記憶に残っているせいだろう。私にとってのクリスマスソングは山下達郎の「クリスマスイブ」となって久しい。

作曲:山下達郎
作詞:山下達郎

雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night

心深く 秘めた想い
叶えられそうもない
必ず今夜なら
言えそうな気がした
Silent night, Holy night

まだ消え残る 君への想い
夜へと降り続く
街角にはクリスマス・ツリ-
銀色のきらめき
Silent night, Holy night

雨は夜更け過ぎに
雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない
ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night


白状すると、若い頃は嫌いな歌であった。あてつけがましいんだよ、コン畜生!と思っていた。しかし、歳月の重みが吹き積る風雪のように気持ちの歪みを押しつぶし、今は素直な気持ちで聴けるようになった。

実らなかった恋ではあったが、思い出として残っていることはそれほど悪くない。少なくても何もなかったよりはマシだ。思い出がないより良かったと思っている。もはや未練などないが、相手の期待にそえなかった自分の未熟さを悔やむ気持ちだけは残っている。

多分、一生忘れないだろうな。


コメント (14)
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