ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

忘れがたき戦争

2019-08-30 12:48:00 | 社会・政治・一般
戦争で失ったものは、戦争で奪い返す。

自信喪失したアメリカを甦らせた戦争が、あの湾岸戦争であった。

イラクの独裁者サダム・フセインのクウェート侵攻に端を発した湾岸戦争こそ、アメリカが正義の看板と勝利を高々と謳い上げることを可能ならしめた。

思い返せば辛いことばかりであった。ヴェトナムの敗戦以来、イランとイラクに振り回され、中米への麻薬戦争で成果を挙げられず、悶々とした日々を送っていたアメリカである。

本来ならベルリンの壁が崩壊し、ソ連は解体され、開かれたヨーロッパが華々しくアメリカの勝利を彩ってくれるはずであった。それなのに旧東欧諸国は西欧になびき、かろうじて中央アジアの貧困国が受け入れてくれただけ。

アジアでは経済成長させてやったシナが押し隠していた反抗心を、ちらほらとみせつけてくる。朝鮮半島では情勢はまったく変わりなく、悩みの種は尽きない。

そんな最中に始まった湾岸戦争では、アメリカ軍の全力をもって勝利をもぎ取った。ステルス攻撃機でイラクのレーダーサイトを破壊し、後続の攻撃機で地上を狩り払う。通信網を断たれてパニック状態のイラク兵を、クウェートの解放という美名の下に終結させた国連軍に、七面鳥狩りよろしく徹底的に打ち滅ぼした。

イラクを壊滅させなかったのは、お情けだ。いや、ウソウソ。

次の戦争(フセイン捕縛)に向けて、余裕を残して撤退してやっただけ。正義の名の下に誇らしげに敵地にアメリカ国旗がはためく光景はいつみても良いものだ。これで世界はアメリカを見直したことだろう。

地下に隠れていた北朝鮮の独裁者が流し目を送ってきたのが、その最たる証拠さ。でもサウジでオハマ・・・なんたらやが騒いでいるようだが、どうせ小物だろう。もう少し大きくなってから叩けば良いだけだ。

次の戦争でも、アメリカの強さを世界に見せつけて、更なる繁栄を享受しようではないか。敵を徹底的に潰さず、残しておいて次の戦争の目を残しておくところが、アメリカの賢いところさ。もちろん次の戦争でも勝利者はアメリカである。

こうして、自信を回復したアメリカは、グローバリズムの名の下に、勝利の果実として世界市場を食い荒らしていくことになる。みんなアメリカ流のやり方(グローバリズム)でやればいいのさ。

かくして、アメリカは20年にも及ぶ好景気を満喫することになる。だが、強すぎるアメリカに反感を抱いたイスラム教徒らが、アルカイーダで神風特攻を仕鰍ッてきたり、イスラム社会内部でISSといった反逆児が登場したりと、むしろ小規模な戦争が増加した時期でもあることは銘記すべきこと。

今一つ、この湾岸戦争で語るべきことがある。それがマスコミ管理である。ヴェトナム戦争でアメリカ軍が誹謗された大きな原因の一つは、マスコミによる戦争報道であった。

米軍の投下したナパーム弾で背中に火傷を負った半裸の少女の写真は、一目で戦争の悲惨さを世界中に訴えた。ダラダラとした戦争は、最前線近くまでフリー記者の取材を可能にしてしまった。

いくらマルクス主義からの防衛を訴えても、ヴェトナムの農民たちの悲惨さを訴える映像には敵わなかった。その結果が、ヴェトナム帰還兵への残酷な誹謗である。あれで心が折れたアメリカの若者たちが如何に多かったことか。

その反省を踏まえて、アメリカはマスコミを巧みにコントロールした。アメリカ軍広報部隊による刺激的な映像が世界に駆け巡る一方で、戦場の悲惨な敗残兵の死体がマスコミの目に触れることは稀だ。破壊されたイラク軍の戦車の映像はあっても、燃え盛る戦車から逃げきれずに焼死したイラク兵の映像はない。

まして民間人が戦闘に巻き込まれての無残な遺体など、まったく報道されなかった。夜間爆撃で炎上するバクダットや、投降するイラク兵の映像はウソではない。でもこれは見事な報道管制であった。

しかし、如何に隠してもその後のイラクの混乱をみれば、あの戦いでイラクの国民が負った悲惨さがあったことだけは確実だと推測できる。その恨みがあるからこそ、フセイン後もイラク国民は、アメリカを許容できずにいるはずだ。でも報道されなかったので、世界は気が付かずに済ませた。マスコミ対策も完璧な戦争であったのだ。

20世紀後半のアメリカを語る上で、絶対に避けて通ってはいけないのが、「忘れられた戦争」こと朝鮮戦争であり、「忘れたい戦争」ことヴェトナム戦争と、この「忘れがたき戦争」である湾岸戦争でした。
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忘れたい戦争

2019-08-29 12:04:00 | 社会・政治・一般
二十世紀、最強の軍事国家それがアメリカだ。

そのアメリカが建国以来、初めて味わった敗北がヴェトナム戦争であった。単に負けただけではなく、その天狗の鼻がへし折られ、国内にどんよりとした嫌な空気を蔓延し、自己不信に陥る始末であった。

その原因は、つまるところ戦う為の看板があやふやであったことだ。元々フランスの植民地であったヴェトナムの独立を巡る戦いが発端である。アメリカが無理に参戦する必然性は薄かった。

だがフランスの立ち回りの上手さと、米ソ冷戦の雰囲気がアメリカの参戦を促した。ちなみにフランスの植民地の独立戦争にアメリカが介入したのは、このヴェトナムだけである。

この参戦には、当時アメリカの政財界で無視できぬ存在となっていた軍産複合体が暗躍したとされている。軍需産業にとって戦争は稼ぎ時であり、大学など研究機関にとっては補助金を獲得する絶好の機会である。アメリカ政府の決定に影響なしとは言えないだろう。

その頃のアメリカはヒステリックなほどに共産主義を嫌悪していたから、ヴェトナムの赤化を防ぐといった看板はあったが、それがアメリカの市民全体に支持されるものであったのかは、些か疑問であった。

これは後年になってから分かったのだが、当時のアメリカ政府はヴェトナムの現況について、呆れるほど分かっていなかった。もっと言えば、あまり関心はなかった。関心は鉄のカーテンが引かれたヨーロッパであり、東南アジアの小国なんて地図上の位置さえいい加減なものであった。

だから最初は少数の部隊しか派遣していなかった。そのため碌な戦果を挙げられず、少しずつ戦力を増強するという下手な戦い方をしている。今更の話だが、序盤で朝鮮戦争や第二次世界大戦参戦時のように多数の師団を派遣していれば、歴史は変わっていたかもしれない。

このアメリカの中途半端な戦い方が、結果的に北ヴェトナムに有利に働いた。アメリカを負かせてその国際的な地位を落とすことを狙ったソ連と共産シナの援軍が事態をますます混迷化させた。

そして、元々やる気の薄かったアメリカの若者たちを幻滅させたのは、助けにいった相手である南ヴェトナム政府の無能と腐敗ぶりであった。ただでさえ湿気が多く蒸し暑いジャングルでの戦いに嫌気が差していたアメリカ兵たちは酒と女だけでなく麻薬に走った。

その麻薬を供給していたのは、かつてイギリスからアヘンを売りつけられたシナであった。麻薬が人の心を蝕む悪魔の薬であることを熟知していたシナ人は、この機を逃さず麻薬をアメリカ兵に蔓延させた。これは後々、アメリカ社会を荒廃させる大きな要因となって今もアメリカを悩ませる。

この戦争は、やる気の乏しいアメリカ軍を追い出す形で、北ヴェトナムの勝利に終わった。アメリカが建国以来、初めて痛感した敗北であった。いや、単なる敗北では済まなかった。

心も体も傷つき、やっとの思いで帰国した若きアメリカ兵を待っていたのは、「子供殺し!」の罵声であった。このヴェトナム戦争は、民間のマスコミが写真やTVと駆使して大々的に取材して報じた最初の戦争である。

今にして思えば、かなり偏向した報道が多かったが、安全なアメリカの地で若きアメリカ兵たちの醜い様を知らされた市民たちの、心無い罵声は帰還兵たちを弾丸以上に傷つけた。

その姿を元に書かれた小説がデビッド・マレルの「ランボー」である。スタローン演じるランボーのアクション映画として大ヒットしたが、本来はアメリカ社会に安住の地を得られずに苦しむヴェトナム帰還兵の心の闇がベースとなった小説である。

実際のヴェトナム帰還兵たちは、ロックと酒と麻薬に浸り、不健全な生活で挫折したアメリカを体現していた惨めな存在であった。奇しくも西ドイツと日本というかつての敵国が経済的に大成功を収めて、アメリカに輸出攻勢をかけてきた。

世界中で最も価値のある通貨であったドルは、西ドイツと日本の前に威厳を失くし、その結果が大幅なドル安となった。戦争で負けて、経済で負けてアンクル・サム(アメリカの通称)は自堕落な生活にならざるを得なかった。

転落の最初の一歩は、ヴェトナムであった。アメリカ人にとって忘れたい戦争、それがヴェトナム戦争であったと思う。
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忘れられた戦争

2019-08-27 11:57:00 | 社会・政治・一般
20世紀後半、アメリカは三つの重要な戦争を経験している。

なかでも朝鮮戦争は、その重要性にも関わらず、あまり注目されてこなかった。そのため、アメリカでは「忘れられた戦争」との異名を持つ。

でも本来はかなり重要な位置付となる戦争でもあった。技術的なことを云えば、ジェット戦闘機同士の史上初めてのバトルが行われたのが朝鮮戦争である。アメリカのセイバーと、ソ連のミグとの空中戦は、プロペラ戦闘機の出番をなくしてしまった。

このジェット戦闘機同士の戦いをみたら、もはやプロペラ機で戦おうとは誰も思わなかった。これ以降、プロペラ戦闘機は新たに開発されることはなくなった。まさに20世紀の主力戦闘機の交替であった。ちなみに、ミグのパイロットは密かに参戦していたソ連兵である。最新兵器を北コリアに渡す気なんて、さらさらないソ連であった。

またヘリコプターが初めて実戦登用されたのが朝鮮戦争である。ただし負傷者の救護用ではあったが、その実用性の高さが立証された結果、軍用ヘリの本格的な開発が始まったのは確かである。ヘリコプターは戦術的に大革新をもたらした兵器であることを思えば、非常に重要な戦争であった。かように技術面では、後世に大きな影響を残した戦争である。

だが現場的にこの戦争は泥との戦いであった。機動力に優れたアメリカ軍をもっとも苦しめたのが、朝鮮半島の泥であった。そのせいで、戦車の運用に苦労し、かえって歩兵の重要性が再確認された。

だが、それは恐るべき結果をもたらした。それが共産シナ軍の参戦であった。北コリア軍はアメリカを中心とした国連軍の敵ではなく敗走を続けた。調子に乗り過ぎたアメリカ軍はシナとの国境まで接近してしまった。

脅威を覚えた共産シナが義援軍として北コリアに味方したことで戦況が変った。ぬかるむ泥に苦労するアメリカ軍の戦車やトラックを尻目に、共産シナの兵隊たちは徒歩で襲いかかってきた。

国共内戦を生き抜いた歴戦の猛者である共産シナの兵隊は、雲霞の如く押し寄せてアメリカ軍を38度線まで押し返してしまった。殺しても、殺しても押し寄せてくるシナの兵隊は、アメリカ兵の悪夢であった。

ここでアメリカ軍の弱点が露見した。アメリカの若者たちは、なぜに自分たちが泥と血にまみれて戦わねばならないのか理解できなかった。ただ上官の命令だというだけで戦っていたので、逆境に弱かった。

更に本来ならば主力で戦うべき南コリアの兵隊がまるであてにならなかった。逃げ出すだけでなく、武器も弾薬も食料さえも放り出して逃げ出す南コリアの兵隊に呆れて、アメリカ軍は戦う気力を失ってしまった。

結局、元の国境線での停戦となり、今日に至る。アメリカにとっては忘れてしまいたいほどに、徒労感が辛かった戦争である。故に「忘れられた戦争」と呼ばれている。

だが、この戦争の影響は多大であった。それまで国連の常任理事国であった台湾(中華民国)は、この後その席を共産シナ(中華人民共和国)に奪われた。アメリカ軍を始め西側諸国が、共産シナの人海戦術に怯えた結果である。

実を云えば、北コリア軍が国境を越えて侵略してきた時、ホワイトハウスも議会も、参戦の必要を感じていなかった。その意味で、アメリカは参戦しないと予測したソ連首脳部の判断は正しかった。

しかし、当時日本列島を管理していたGHQのマッカーサー将軍は違った。朝鮮半島に敵対的勢力があると、日本列島の安全に不安が生じることを実感した将軍は、即座に大統領に参戦を願い出た。これがアメリカ参戦の決め手であった。

同時にマッカーサーは考えを改めた。それまで彼は日本は侵略的意図をもって大陸に進出したと理解していた。しかし、朝鮮半島が敵対的になると、日本人は本能的に防衛意識に囚われることを自身で実感した。

その後、極東軍事裁判で有罪とされた旧日本軍の戦犯たちが既に死刑が執行された者を除き、全て釈放されたのは言うまでもない。その後、自衛隊という日本軍が復活したのは、マッカーサーが従来の考え(日本人は好戦的)を改めたが故である。

一方、アメリカは冷戦がユーラシア大陸の東でも起きていることを実感し、東アジアの防衛体制を再構築することになる。その契機となったのが朝鮮戦争であった。

日本では朝鮮戦争を、敗戦から経済復活の引き金になったと経済面だけで評価する人が多い。それは今となっては危険な考えである。ちなみに、アメリカが朝鮮戦争を真っ当に評価し始めたのは、90年代以降である。

それまでは、本気で忘れたかった戦争であったらしい。アメリカらしからぬ不見識であったと思う。

余談だが、南コリアはこの戦争で、外国の兵隊に国内を蹂躙された。その際、一般婦女子の性的被害を防ぐため、国営の売春宿を経営していた。このことが、後に日本の朝日新聞がねつ造した「従軍慰安婦」に飛び火したことは覚えておいてほしい。

我がコリア政府でさえ戦時には売春婦を必要とするのだから、あの悪逆な日本の奴らなら、強制的に売春婦を集めるくらいやるだろう。そう思い込んだが故に、従軍慰安婦問題は根深い遺恨を両国に残すこととなった。

日本にとって、アメリカから再評価される契機となった朝鮮戦争だが、従軍慰安婦という妄想をはびこらせる土壌となった戦争でもある。このへんの事情は、是非とも忘れずに覚えておいて欲しいものであります。
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国産化の壁

2019-08-26 12:42:00 | 経済・金融・税制
国産化、出来るのかしら。

そう思わざるを得ないのが、今回のホワイト国指定解除に伴い日本から輸入できないと困る高純度フッ化水素などを国産化すると言い出した韓国である。

この国、口先だけは立派だが、結果が伴わないことが少なくない。その具体例を二つ挙げたい。

まずはアジア最強だとの謳い文句で知られる韓国の戦車K2である。この戦車のパワーパックは国産を目指していたのだが、どうも上手くいかない。ちなみにパワーパックとは、エンジンで発生した動力を変速機やシャフトを通じて駆動輪に伝える機構のことである。重さが50トンを超える戦車のパワーパックの製造は極めて難しい。

半導体などITパーツと異なり、製造機器があれば簡単に出来るものではなく、その製造には焼き付け、冷却など公開されていない独特のノウハウが必要となる。その基礎技術のない韓国メーカーでは製造は難しく、仕方なくドイツ製のパワーパックを購入したのだが、契約に違反して勝手に分解して壊してしまいドイツが怒る。

謝罪もせずにヌケヌケと国産化を再び言い出したのだが、やはり上手くいかない。おかげで車体はあるものの、動くことが出来ないK2戦車が倉庫で鎮座している始末である。

更に間抜けなのが、潜水艦である。元々はドイツ製の潜水艦を輸入していた。しかし、日本の最新鋭艦に対抗して、再びドイツ製の新しい潜水艦を購入したが、その際開けてはいけないと契約に明記されたブラックボックス部分を勝手に開封。元々潜水艦はどこの国でも機密事項だらけの兵器だけにドイツが激怒。

修理を依頼しても受けてもらえず、仕方なく国産化を言い出し、無事コピーして韓国製の潜水艦を竣工させた。ところが、こいつが欠陥だらけ。ボルトは抜けるは、浸水は起こるはで、潜水どころかまともに航海さえ出来ない。

韓国製のボルトの欠陥が判明したものの、他にも次から次と欠陥が見つかり、現在もドッグに置かれたまま。ところが呆れたことに、2番艦、3番艦と造り続けて、昨年4番艦も完成した。

欠陥を直さずに建造したものだから、どの艦もまともに航海さえ出来ていない。あげく、狭い、臭いと海軍兵からの評判が悪くて、志願者がいないため、今年になっても一隻も稼働していない。使えない潜水艦が4隻もあり、ドッグを塞いている始末である。

更に厚かましいことに、この潜水艦をインドネシアに輸出する気である。ジャカルタまで航海できるのか、関係者は疑問視しているが韓国政府は意気揚々と輸出成功を誇らしげに語っている。

挙句に更に大きい3千トン級の潜水艦の建造計画をぶち上げている。1800トン級の潜水艦を満足に作れないことは念頭にないらしい。

言うまでもなく韓国は自動車やIT機器のみならず家電製品から鉄香A船舶まで扱う輸出大国である。にもかかわらず、戦車も潜水艦も満足に作れないのは何故か。ここにこそ、韓国の大きな欠点がある。

家電から製鉄、自動車製造、IT機器製造は全て製造システムを外国から導入している。アメリカ、日本、ドイツなどから生産ライン、工作機器、マニュアルなどを全て輸入してきた。その結果、最も効率よく製造が出来たのだが、その反面製造するための現場の苦労を知らずに成長したのが韓国の企業である。

韓国の企業は総じて消費者が欲しがる商品(マーケティング力)を素早く(トップダウン方式)販売することに長けている。その手法は一点集中型であり、大量生産によるコストダウンで世界市場を席巻してきた。

その一方、地味で試行錯誤の繰り返しである製造の基幹部分を外国任せにしてきた。この基幹部分は、職人の勘や非公開のノウハウに拠る部分が多く、容易に真似できない。

一例を挙げれば、イタリアの車やバイクの排気管(エキゾーストパイプ)がある。イタ車の魅力の一つに、あの排気音があることは確かだ。腸に響く排気音に胸をときめかす男性は多いと思う。あの排気管は、大元は機械造りだが最終工程は大半が職人の手作りで、最新の3Dプリンターを使っても同じ音は出ない。

私はあまり詳しくないが、イタリア製のスーツや婦人服も、手縫いの技巧が込められていて、機械縫いではあのデザインは作れないらしい。日本の着物にも、やはり機械では実現できない縫い方などがあると聞いたことがある。

このような人の手による技術は、AIや3Dプリンターでも完全には真似できない(まァ、現時点では、であるが)。今回問題になっている高純度フッ化水素などの加工技術も、長年の基礎化学の積み重ねがベースにあるため、それがない韓国のメーカーでは容易には作れない。

でも油断大敵である。かつては日本の製鉄会社にしか作れなかった自動車用の薄型鉄高ヘ、退職した日本人を高額で雇用して、その製造ノウハウを盗み取った前科がある。同じ手口で、そのノウハウを盗み出したシナの製鉄会社との訴訟で、その実態が明らかになったことを覚えている方もあろうと思う。

多分、同じことをやらかすと思います。独特のノウハウをもった職人たちは定年後も再雇用するなどして確保しておかないと、日本は後で痛いしっぺ返しを喰らうでしょうね。
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生き残ってこそ

2019-08-23 22:04:00 | 社会・政治・一般
戦場では、生き残った者こそが勝者だ。

戦が続く戦国時代、その最後の時期を生き残った者こそ、勝者であるはずだ。私はそう考えている。だからこそ、納得のいかない人物がいる。織田信長の二男である織田信雄(のぶかつ)である。

歴史好きの人たちの間では、あまり評価の芳しい人物ではない。むしろ馬鹿というか、正真正銘のうつけであったとの評が普通である。父である信長は、暗殺、謀殺が珍しくなかった混迷期の尾張を生き延びる方便として、敢えてうつけを演じていたらしい。

しかし、二男である信雄は、演技無しでうつけであった可能性が高い。これは当時から、周囲もそう考えていたからだ。有名なのは、信長の言い付けを破って、やらかした伊賀攻めである。成功していたら、また別の評価もあったと思う。でも無様に惨敗し、多くの家臣を失い、信長から親子の縁を切るぞと脅かされる始末。

余談だが長男である信忠は、危ないから攻めるなとの信長の言い付けを無視して、甲斐へ攻め込み、見事に武功を挙げている。信長も驚き、激賞しているのだが、私はちょっと違うと思っている。

信忠は、うつけで知られた信長の子とは思えないほどに、真面目で勤勉であった。だが、その真面目さが妙な方向にいったのが、政略結婚を目的とした甲斐の武田信玄の娘である松姫との婚約であった。もっとも実際に会ったことはなく、ひたすらに文通を交していただけである。

信長と信玄の同盟関係が破綻すると、この婚約も流れたのだが、どうも二人(信忠と松姫)の気持ちまでは流れなかったらしい。側室は置いても、正室を置かなかった信忠が、信長の言い付けを破って甲斐に攻め込んだのは、どうも松姫を求めてだったらしい。結果として高遠城を陥落させ、武田家を滅亡に追い込み、信長から激賞されている。

そんな信長を尻目に、信忠は松姫を探し求めた。ようやく連絡が付いたのは、本能寺の変の数日前である。信忠はこの時に自害してしまったので、実際に会うことのない2人であった。ちなみに松姫を生涯独身を貫いている。この二人、ひたすら文通だけの交流だったのだから、その想いの深さには驚かされる。

それはともかく優秀な長男である信忠がいたが故に、信雄のダメさが殊更目立ってしまうのは致し方ない。しかも三男である信孝も武将として、信雄以上に実績を残しているから、他の家臣たちの評価が低くなるのも無理はない。

実際、本能寺の変の後、今後の織田家をどうするかを決める清州会議でも、信雄を担ぎ出す家臣は皆無であった。本人は後継者は自分だと、やる気満々であったそうであるから、余計に切ない。でも野心は忘れていなかった。

織田家家臣筆頭であった柴田勝家が秀吉に敗れて後、信孝を担ぎ出した秀吉に対し、徳川家康は信雄を担ぎ出して争ったのが、小牧・長久手の戦いであった。戦場では有利に戦った家康なのだが、信雄が秀吉の甘言に乗り、同盟を反故にしたから立場をなくしてしまった。やり手の政治家・秀吉ならばの起死回生の一手であった。

ただ、この件で信雄のバカ殿との評価は定まってしまった。これ以降、信雄を旗印に担ぎ出そうと考える武将がいなくなったのは当然である。おかしいのは、かつての織田家家臣たちで、あの信雄ならばやりかねないと苦笑して済ませている。

だが、苦笑で済ませられない性格だったのが、三男の信孝であった。既に織田家の威光はないことに気が付かず、秀吉に反旗を魔オて籠城するも、よりにもよって信雄に包囲されて、最後は自害に追い込まれている。切腹も十文字切りと凄惨であったから、よほどの恨みを抱いていたのだろう。

その後の信雄だが、さぞや家康に嫌われているかと思いきや、大阪城でスパイ役をやったりして家康の役に立っていたようで、呆れたことに小大名として徳川幕府成立後もしっかり生き延びている。

織田信長直系で、生き残ったのは唯一このウツケの信雄だけである。この人のウツケは、演技ではなく本物だと思う。本物のウツケであったからこそ、その愚行を許されていたのかもしれない。

歴史の観点からすれば、生き残った者こそが勝者である。

・・・なのだが、いささか割り切れぬ思いを拭いきれないのは何故だろう。まァ何事にも例外はあるのだけれどね。
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