ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ハイビーム

2016-09-30 11:59:00 | 社会・政治・一般

全てを一律に判じることは出来ないが、出来ると思い込むのが役人というものなのだろう。

車を運転する方ならご存知かと思うが、ここ最近、夜間の運転時には、ライトをハイビームにすることになっている。たしか、道路交通法第51条に定められているようだ。

いつ改正されたのかは知らないが、私が運転免許を取得した昭和の頃は、原則ロービームで、ハイビームは乱用しないようにと、自動車教習場で教わった記憶がある。

それが、いつのまにやら、夜間の点灯は原則・ハイビームとなっていた。ちなみに従来、主流であったはずのロービームは、「すれ違い用前照灯」とされて、車がすれ違う時に、適宜使用するそうである。

おい、こら。どこの馬鹿だ、こんなみょうちくりんな規則を考えたのは。

もちろん意図は分かる。夜間における対人交通事故を減らすことを目的としていることくらいは分かる。分かるけど、この規則、作った奴は役人以外、あり得ない。

私は基本、夕刻から深夜までロービームを使っている。ハイビームはあまり使わない。なぜなら、私が走る道の多くは都市部の明るい照明がある道路であり、ロービームで十分だからだ。

そんな私でも、暗い道ではハイビームに切り替える。これは安全を考えれば当然の判断だ。ただし、対向車を見かけたら、すぐにロービームに切り替える。対面する車のハイビームは眩しくて、むしろ危険だから、私は昔からそうしている。

それを原則、ハイビームとするのには、どうしても違和感を禁じ得ない。はっきり言えば、危険だとさえ思っている。実際、後ろの車がハイビームにしていると、それが車内ミラーに反射して、眩しくて仕方ない。眩しくて、ハンドル操作を間違えそうになる。

この改正の意味するところは分かるが、これを全国一律に適用すれば、どこかで弊害が必ず起こる。これは断言できる。政府は公式には否定しているが、警察官の交通違反取締には、事実上ノルマがある。

そのノルマを手早く達成するため、安易な交通違反取り締まりをする馬鹿な警察官が少なくない。私は免許取得以来、大きな事故は皆無であり、人身事故にも無縁の安全運転ドライバーだと自覚している。

ただ、バカみたいな規則には、敢えて従わない頑固者なので、時々この馬鹿な警察官の取り締まりの対象となる。人がまったく通らず、見通しのいい信号機のない交差点での一時停止無視が一番多い。

別に交差点に突っ込んでいるわけではない。むしろ速度を落として、左右を何度も確認しながら交差点に入る。ところが、それをバカは一時停止無視だと切符を切ろうとする。そのたびに最低30分は抗議してやる。断じて素直にサインなんざ、したことがない。

この一時停止無視の取り締まりは、事故の起こりそうにない安全な、すなわち取り締まりがやりやすいと思われる交差点でやられていることが多い。まさに、典型的な点数稼ぎのための取り締まりである。

今のところ、ハイビームにしていないことで切符を切られたことはない。ないけれど、いずれは馬鹿な警官がやらかすだろうと思っている。

これは警察に限らないが、役人というものは、法令ですべてを律することが出来ると思い込んでいる。そして、自分たちは正しい側であると決めつけているので、自分たちの行動、判断が間違っている、適切ではないと考えることが苦手だ。

だから、これまでも馬鹿げた交通取り締まりが蔓延してきた。

ここ十数年、警察の一般犯罪の検挙率は下がる一方だ。その原因の一因は、このような現実離れした馬鹿げた交通取り締まりにあると、私は確信している。

なぜかって?

私は近年、犯罪、あるいは事故現場を見たり、それに関連があると思われる事実を幾つか知っているが、それを警察に教えたことはない。教えてやるもんかと思っている。そのくらい、警察を、特に交通取り締まりをしている警察を嫌っている。

私は今後も警察には協力しないと決めている。そりゃ、傷病人の救護とかなら手伝わないでもないが、間違っても警察の捜査には協力してやらない。ヘンに思われる素直で善良な方もいらっしゃると思うが、他にも警察にはいろいろ嫌な思いをさせられているので、この決意を変える気はない。

ひねくれ者を怒らすと面倒なんだぞ。まァ、これまでも警官相手に散々、話してきたことなんですけどね。

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グランドイリュージョン見破られたトリック

2016-09-29 12:11:00 | 映画

上映が始まってすぐに気が付いた。

これ、続編だと。帰宅してから調べたら、前作「グランドイリュージョン」2013年公開がたしかにあった。率直に言って、この前作を観てからの方が、この映画は楽しめる。

でも、観ていなくても、その奇想天外なトリックの数々は楽しめる。正義の犯罪者集団ホースメンのトリックが勝つか、それともIT企業が勝つか。大雑把にいって、そんな流れの映画なのだが、そのトリックが凄い。

思わず口をポカンと開けてしまう類いのトリックの数々が、惜しげもなく披露される。古典的ではあるが、そのトランプを駆使したトリックが披露されると、映像から目を離せなくなる。

こりゃ、凄いや。

それだけに、前作を観ていなかったことが悔やまれる。DVDで良いですから、前作を観て、それから映画館に足を運ぶのが正解だと思います。

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プロレスってさ リッキー・スティムボード

2016-09-28 12:50:00 | スポーツ

南海の黒豹、それが彼に付けられたリングネームであった。

メ[ランド系アメリカ人の父と、日本人の母の間に生まれたハワイ育ちと紹介されていたが、それはプロレス独特のギミック。実際は東海岸生まれでフロリダ育ち。日本的というか、東洋人の顔つきではあったが、その逞しい体つき同様、意識の上では完全にアメリカ人であったと思う。

全日本プロレスに招聘されての日本デビューであった。肩幅の広い逞しい体つきと、日焼けした東洋的な肌、そして何よりも母から引き継いだ日本風の顔立ちは十分二枚目で、人気レスラーとして期待されていた。

これは私の邪推だが、全日本プロレスの日本人レスラーは、正直二枚目が少なく、そのあたりを補う意味で、日本に定着して欲しいと経営陣は考えていたのではないかと思う。

だが、リッキーはあくまで自分はアメリカ人であると頑なで、日本よりもアメリカを主戦場にしていたため、全日本プロレスの期待には応じられなかった。そのせいか、日本ではそれほど人気が出なかったように思う。

ただし、その温和な顔立ちとは裏腹に、かなり気性は激しかったと思う。全日本プロレスの敷いた路線にこそ乗らなかったが、思わぬところでその実力が認められた。

リッキーはヘビー級ではあったが、超大型ではなく、むしろアメリカ人としては平均的な身長であったことに加えて、ハンサムな典型的なベビーフェイス(善玉)レスラーであったため、その実力が高く評価されることはなかった。

ところが、超大型レスラーであるブロディとハンセンとのタッグ戦で、周囲の期待を大いに裏切る熱戦を繰り広げ、レスラーとしての実力をファンに認めさせた。私はこの試合をTVで観戦したが、あの超獣コンビ相手にリッキーがあれほど戦えるレスラーだとは思わなかった。

その後も、あの重量級のブッチャーをアームドラッグで投げ捨てて、観客を驚愕させたことも印象深い。動きの素早さは知っていたが、技も十分切れる実力派であった。

もし、日本のマットに定着していたら、人気レスラーとして活躍できたであろう。もっとも、彼自身はアメリカを主戦場だと考えていたこと。また全日本プロレスのフロントが、後年彼の売り出しに消極的になったことから、日本ではそれほど有名にはなれなかった。

それが良かったのか、悪かったのかは分からないが、彼自身はあくまで自分はアメリカ人であり、アメリカで戦うことこそ自分のプロレス人生だと考えていたと思う。

今にして思うと、彼が日本的な顔立ちでなかったら、今少し日本でも活躍できた気がします。

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アメリカの本音

2016-09-27 12:19:00 | 社会・政治・一般

時として失言には、本音が露出していることがある。

少し前のことだが、アメリカの副大統領であるバイデン氏が、トランプ候補を非難する演説中に、ついつい本音をさらけ出した。日本の核武装を奨めるトランプ候補だが、バイデン副大統領は、日本の憲法は我がアメリカが作成したもので、日本の軍事力を低いままにしておくことが目的であることを事実上、暴露してしまった。

これは、アメリカの支配階級である白人たちには、当然との認識があるらしく、特段問題とされることはなかった。むしろ失言として困惑したのは日本側で、特に憲法9条信者など護憲派は、このバイデン副大統領の失言にアタフタした。

朝日新聞などは、日本側でもそのアメリカ側から提示された憲法の原案に、日本独自の改正を入れたとか、参考にしただけだとか、見苦しい言い訳をしているのが滑稽であった。

まともな日本語の国語力があれば、現行の日本憲法が翻訳された文であることを察するのは容易い。あの言い回しは、日本的な構文ではないからだ。護憲派の醜態を冷笑しながらも、私はこれはこれで難しいことになったなと考えざるを得なかった。

バイデン副大統領は、特に日本の専門家ではないが、それでもあの程度の知識があるところから察するに、アメリカの支配層といっていいWASPの人たちの、暗黙の了解というか、日本に対する本音が透けて見えてしまった。

要するに、アメリカは今も半世紀前の、日本の軍事上の挑戦を忘れておらず、二度と同じことをやらせないよう、しっかりと手綱を握っているつもりなのだ。ハワイを空爆し、フィリピンからアメリカを追い払い、その後太平洋各地の島嶼で激戦を繰り広げた日本という敵を、二度と復活させてはならぬと今も考えていることを、図らずもバイデン副大統領は漏らしてしまった訳だ。

もちろん、アメリカ側も一枚岩ではない。強力な経済力を持つ日本に、ある程度軍事力を持たせて、アメリカの世界戦略に役立てようと考えているアメリカも確実に存在する。

実際、ヴェトナム戦争までは兵站分野での支援だけに縛っていた紐を緩めさせ、湾岸戦争では機雷除去という軍事行為をさせている。またアフリカ各地へ日本の軍隊をPKO業務に派遣させて、アメリカの補助戦力として使用してきた実績もある。

アメリカ国防省は、日本の軍事力を今後、より一層自国の戦略に組み込むよう、ホワイトハウスに働きかけていることは有名な事実である。だからこそ、アメリカはイージス艦を日本に保有させている。日本の海上自衛隊のイージス艦は、事実上アメリカ海軍第七艦隊の護衛船としての機能を持っていることは、周知の事実である。

またF15に組み込まれた敵味方識別装置は、アメリカ製のブラックボックスであり、日本がどこと戦うのかさえも、アメリカの指揮下に置いている。そして、ブラックボックスを無断で開封してしまった、どこぞのバカな国は後回しにして、最新鋭機のF35を日本に提供している。

F35に搭載された電子システムは、アメリカ軍の情報ネットワークと共有可能であり、それゆえに強大な戦力となっている。少し具体的に書くと、アメリカの情報衛星からのデーターを空母などが受取り、それを元に無人偵察機でより詳細なデーターを入手。それを各戦闘機に配信することで、それぞれの戦闘機は自機のレーダー到達範囲外の情報を入手し、それに基づき適切な行動がとれる。

敵からすれば、レーダーなどの範囲外から突然飛来してくるミサイルに一方的に粉砕されてしまい、訳も分からず業火に包まれて死んでいく。この電子システムを持つが故に、アメリカ軍は世界最強の軍隊でいられる。

日本も、この最新の戦闘システムに組み込まれている。逆に独自の防衛戦略を持とうと志向する国には、この電子システムは提供されない。これを、アメリカが日本を信用している証だと好意的に解釈するのは勝手だが、私に言わせればアメリカ軍の完全な支配下にあるからこそ、その提供が許されたに過ぎない。

この現状と、バイデン副大統領の失言を考えると、とてもじゃないが、日本が独自で憲法改正をすることは、非常に難しいと云わざるを得ない。少なくても、その草案の段かいから、アメリカ側の内諾を得なければならないだろう。

しかも、アメリカ側も一枚岩ではない。従来通り、日本に護憲の道を取らせようとする勢力も必ず出てくる。また、積極的に改正を容認する勢力も存在するであろう。また、表向きは、日本の国内問題だとしながらも、裏ではいろいろ干渉してくる可能性も高い。

憲法とは、その国の在り方を定める基本法ではあるが、日本の場合、アメリカの内諾なくして、憲法を変えることは出来ない。屈辱的ではあるが、それが今の日本の現実であろう。

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キング・オブ・エジプト

2016-09-26 12:53:00 | 映画

多分、評判は良くないだろうが、私は楽しめた。

評判が良くないのは、出演者の多くが白人であるからだ。これは歴史的な事実であるが、古代エジプト文明は断じて白人の文明ではない。少なくてもアーリア系、アングロサクソン系、ラテン系ではない。

だから、古代エジプトを舞台としているのに、人の姿をした神様や、王様、奴隷、庶民などが白人の顔立ちであることはおかしいとの非難が起きてしまう。そのせいで、この映画の評判は悪くなってしまう。

だがなァ~、この映画はアメリカで製作され上映するのだから、当然にアメリカの多数派である白人を重視するのは必然ではないか。しかも、この映画は史実をもとにしたものではない。

むしろファンタジーに属する娯楽映画である。それを白人俳優が演じて、いったい何が悪いのか。一応云っておくと、黒人俳優も出ているし、ラテン系と思われる顔立ちの俳優も多かった。

それどころか、なぜか東アジア圏出身ではないかと思われる俳優もいた。この方が、私には違和感が強かった。でも別段、気にしない。だって、娯楽映画だもの。観ていて楽しければ、私はそれで十分だ。

この映画で大きな役割を果たす古代エジプトの神々だが、率直に言ってかなり史実からかけ離れていると思う。思うけれど、私はいちいち、ケチをつける気にはなれなかった。だって、楽しかったのだもの。

ただ、人種差別に過敏にならざるを得ないアメリカの国内事情は分かるので、悪評は間違っているとまでは云わない。でもね、宗教には寛容というか無節操な日本人なら、この映画、十分楽しめると思いますよ。

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