ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

細川藤孝

2020-01-31 11:41:00 | 社会・政治・一般
文武両道。

これを極めることは、古来より日本のみならず世界中で理想とされてきたが、実践できた人はそう多くない。

私が注目してきたのが、戦国時代末期に活躍した細川藤孝である。細川ガラシャの義父といったほうが今では通りが良いかもしれないが、ただならぬ才人であると言わざるを得ない。

剣は塚原卜才に学び、居pも学び、京の大通りを暴走する牛を投げ飛ばした剛腕の持ち主。和歌、茶道、連歌、蹴鞠、囲碁、猿楽と文撃ノも秀で、京都の公家の間でも教養人としての評価が高い。

足利義輝の側近として活躍するも、義輝が三好三人衆に襲われて死亡。その後、義輝の弟である義昭を立てて足利幕府を支える。だが、自身の権威しか頭にない義昭に見切りをつけて、織田信長の配下となる。

明智光秀とは長年にわたり交友があり、最も親しかったと言われたが、本能寺の変での光秀の裏切りを好意的には捉えず、光秀の熱心な誘いを振り切る。光秀の娘ガラシャと、藤孝の長男は既に婚姻していたが、私情を断ち、自身も剃髪し出家することで光秀と距離を置くことに成功した。

戦国武将は生き残ってこそ勝者である。その意味で細川藤孝は正しいが、友を見捨てたとの評が出るのは避けられない。彼が光秀の要請を断った理由ははっきりしてないが、元々光秀は細川家の部下であったので、その旗下に集うことは矜持が許さなかったのかもしれない。

その後は、秀吉の配下の武将としても活躍したが、石田三成とは折り合いが悪かったらしい。秀吉の死後は家康に接近し、家康もこの希代の教養人を評価していたらしく、関ヶ原の戦いでは、家督を譲った息子・忠興が東軍に参戦している。

藤孝は居城である田辺城に立て籠もっていたが、そこへ石田三成傘下の部隊15,000が襲来した。対する藤孝は、わずか500の寡兵をもって籠城して戦う。これが田辺城の戦いである。

圧涛Iな兵力差であるにも関わらず、田辺城は落ちなかった。何故かと言うと、石田方の武将たちには、藤孝の文撃フ弟子が多数いて、本気で戦うことを避けていた様だ。また京都の公家たちが背後で動いた。

細川藤孝は古今和歌集の正規の解釈である「古今伝授」の唯一の伝承者であったため、彼を失うと貴重な文化遺産が失われると浮黷ス。その為に遂には後陽成天皇に勅令を出してもらい、石田方の軍勢を撤退させてしまった。

簡単に田辺城を落せると踏んだ三成の判断ミスであるが、それ以上に自分に反旗を魔オた細川家を許せず、肝心の大局を見失ったあたり、やはり三成は天下人の器ではない。

余談だが田辺城の戦いに前、各大名に妻子を人質に出せと三成は命じている。その時、石田方の軍勢が細川居宅を襲っているのだが、徹底抗戦の覚悟を決めた息子・忠興の妻ガラシャは、この時に亡くなっている。息子までも完全に反・石田三成となったのも当然である。

歴史にIFは不要だが、もし、この15,000の軍勢が関ヶ原に参戦していたら、少なくても半日で勝敗が決することはなかったと思う。徳川が最終的に豊臣家を滅ぼして後、息子・忠興は九州に領地をもらい、幕末まで細川家は残った。もっとも、その子孫が日本国の総理大臣になろうとは誰も思わなかっただろう。

一方、引退した藤孝は、京都に居を構えて、江戸時代の初期まで生き延びて文化人として余裕ある人生を全うしている。よく撃ヘ身を助けるというが、これほどまでに月魔ナ戦国の世を生き延びた人は稀だと思う。
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国鉄分割民営化

2020-01-30 12:28:00 | 社会・政治・一般
些か旧聞になるが、昨年11月に中曽根康弘・元内閣総理大臣が101歳で亡くなった。

かつて金丸信が「一番嫌いな奴」だと放言したようだが、実を言えば私も嫌いだった。個人的な面識もないし、なにか問題を抱えたことがある訳でもない。ただ、あのなんとなく人を見下す姿勢が嫌いだった。

もっと言えば、私は中曽根が見下す側に居た人間であったからだと思っている。たしかにあの頃、昭和50年代に私の周囲に居て親しくしていたのは、労働組合の人たちとか、博徒の人たちとか、エリートが毛嫌いする人たちばかりであった。

見下すのは勝手だが、見下された側にも意地はある。私自身、まだ当時は勉学に興味がなく、成績はどうでもよいと思っていたので、中曽根のようなエリート風情に見下されるのは不愉快であった。世の中、エリートだけで動かせると思うなよ。当時は本気でそう思っていた。多分、周囲の大人たちの影響だろう。

そんな私でも、この点だけは認めている。偉業だとさえ思っている。それが国鉄の分割民営化である。

朝日新聞などマスコミ様は報じていなかったが、当時国鉄の労働組合の横暴ぶりはひどかった。勤務中に風呂に入るのは労働者の権利だと喚き立て、駅長などの管理職を集団でつるし上げ(要はリンチだ)、気に食わないと電車を止めた。

私の周りに居た大人たちは、教職員組合の人を別にすれば、金属労協や土建組合といった人たちが中心だったので、本来は国労の味方であるはずであった。しかし、国労の横暴ぶりはあまりにひどく、とても共感できるものではなかったと思う。

だからこそ、中曽根首相の打ちだした国鉄の分割民営化は大衆から支持された。この分割民営化の真の目的は、国労潰しであることぐらいは子供でも分かった。当時、第二政党であった日本社会党や強固な支持者を持つ日本共産党の票田である国労を潰すことが目的なのは確かであった。

だから朝日新聞を始めとして新聞、TVは国鉄分割民営化反対を掲げて大騒ぎしていた。彼らは敢えて無視していた。国民の多くが、国労の横暴に批判的であることを。だからこそ歴史的な大敗をした衆議院選挙の結果に唖然茫然とした。

この事件以降、日本の政治に大きな影響を与えていた革新と称された左派は、大きく二つに分裂する。すなわち頑なにこれまでの主張を守り、依怙地になった少数派と、失望して政治に関心を失した多数派である。

議会でも、組合でも少数派と化した左派たちは、現実を直視できずに過去の栄光にすがり、ますます支援者が離れて行った。その惨状に「我は正しい」と増長した自民党は、強固な政治基盤を固めるが、その驕りが後のリクルート事件などの温床となり、バブル経済を引き起こす。

私の政治家に対する評価は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる。中曽根康弘は政治家として好きではないが、当時の革新勢力の大きな基盤であった国鉄労働組合を潰したことだけは高く評価している。

率直に言って、功罪の鼎を問われれば、罪の方が多いと思うが、それでも功を無視するのは良くないと思うので記した次第。いずれ機会をみて、罪のほうも書こうと思っております。

しかし、まァ101歳だったのか。タフな爺さんであったのは確かですね。
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我が身を省みて

2020-01-29 17:43:00 | 日記
些細な不満の積み重ねが、大きくなることこそ浮黷驍ラきだ。

私は基本、外国人労働者の受け入れに賛意を示している。そりゃ、日本人だけのほうが気が楽なのは確かだ。しかし、肝心の日本人が少子化で減っている以上、不足を補うための外国人受け入れは必然だと考える。

だが、そんな私でも身近なトラブルが重なると、我ながら理不尽な苛立ちに困惑する。

私の事務所の入っているビルは、いわゆる雑居ビルであり、各フロアーに4~6件くらいの事務所、会社、店舗などが入っている。当然に来訪者も多く、不特定多数の人間が出入りする。

ここ数年は外国人の入居者もあり、貿易会社や人材派遣など多様な仕事をやっているらしい。近くの外国語教室というか、外国語会話サロンの講師の方とは、挨拶や雑談を交したりする。アジア系の方もいれば、中東系の方も散見する。

特にトラブルもないのだが、一つだけ気になることがある。

それがトイレである。ウォッシュレット機能のある便座が常備されているので、外国の方にも評判が良い。特にこの冬の時期だと、便座が暖かいのが嬉しい。

しかし、時折便座が冷たい時もある。もうお気づきの方もいるだろうが、要は便器の蓋を開けっ放しだと、便座は暖かくならない。ところが、便器の蓋を開きっ放しにする奴が複数人いると思われる。

これが非常に腹立たしい。トイレには噴霧式の便座クリーナーがあり、それを使って便座を拭いてから使用する。便座が暖かい状態ならば、すぐに乾いて気持ち良く使える。しかし、蓋が空いた状態だと、便座が冷たく、クリーナーを拭きとっても、すぐ座る気になれない。

ちなみに、トイレには便座を上げたら、蓋を締めるように注意書きのャXターが貼ってある。それなのに、便座の蓋が上がったままの状態であることが度々ある。きっと日本語が読めない外国人の仕業だァ~!

・・・お気づきの方もいるだろうが、便座の蓋を上げっ放しにするのは外国人とは限らない。むしろ日本人、特に中高年の男性の可能性は高い。大体、このテナントビルには不特定多数の人間が出入りするが、大半はビルの賃貸者である。

ウォッシュレットが導入されて、まだ5年たっていない。以前は和式トイレであったので、昔から入居している人のなかには、洋式になって戸惑っている人もいるらしい。

多分、犯人は日本人男性だと思う。冷静に考えればそうなのだが、にもかかわらず「外国人が犯人だァ」と短絡的に私が考えたのも事実である。外国人労働者の受け入れに好意的な私でさえこれである。

国内に住む人の9割以上が、同じ日本人であるが故に、日本人の異国人への感情はやはり排他的なのだと言わざるを得ない。

ある意味、非常に浮「ことだと思います。

小さなストレスの積み重ねが、ある時突然に暴発して外国人排斥へとつながる。既にその兆候はあるのだと思い知らされましたよ。
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カジノ法案

2020-01-28 11:37:00 | 社会・政治・一般
偽善と建前の横行を許してはいけない。

IR法案というか、カジノ法案に反対する人はけっこう多い。とにかく反対するしか能がない野党は当然だが、与党側にも内心反対している政治家は少なくない。

私は若い頃、パチンコにはまり、勉強を蔑ろにしていた前科があるので、賭博の浮ウは知っているつもりだ。あれは脳の一部を麻痺させて、冷静な判断力を奪うものだと考えている。

その意味でカジノも含めて、賭博全般に否定的である。ただし、自分がやらないと決めているだけで、他人が賭博に興じるのを妨げるほどではない。

何故かといえば、賭博自体、もっとも古い遊戯の一つであり、完全になくすことは不可能だと考えているからだ。事実、古今東西、賭博の禁止に成功した国はない。宗教でさえ賭博を完全に止めさせることは出来ずにいる。

多分、人間が生物として進化していく過程で、不確定な条件での勝負を繰り返してきた一つの証が、人の賭博嗜好だと思う。本能的な遊びなので、これを禁じることはまず無理だ。無理に禁止すれば、地下に潜るだけである。これは歴史が証明している。

だから、場所を定めて賭場を開くことは、ある意味公正さに繋がり、裏社会の跋扈を防ぐ効能があるとさえ思っている。もっとも面白い賭場をやることは、生真面目な人には無理で、人間の清濁を飲み込める器量のある人に任せた方が良いと思う。

あれこれ、難しい屁理屈を並べたが、私の本音は「賭博で身を滅ぼす自由があっても良い」に尽きる。自滅する自由は、本人のみが有する特権だとさえ思っている。

もっといえば、カジノ法案に反対する人は、公営競馬やパチンコ、スロットにも反対せねばおかしい。危険性の高いFX取引や、商品先物取引だって同類である。あれを投機といわずして、なにが投機だと言いたい。

そして、もう一つ指摘しておきたい。公営競馬などの賭博事業からは、各地方自治体に莫大な税収が治められている。公営賭博がないと、役所の大規模なリストラが必要となる自治体が少なくないのは公然たる事実である。

またパチンコの景品交換は、警察の利権と化している。断言するが、賭博で身を滅ぼす人の多くが、この公営競馬や黙認されたパチンコ等の遊戯を原因としている。

これら、現実に多くの日本人を賭博地獄に引き込み破滅させている現実を無視して、賢しげにカジノ法案に反対することは偽善でしかない。本当に賭博の害をなくしたいなら、まず現実を直視しろと言いたい。

にもかかわらず、上っ面だけの正論で、カジノ反対を訴える偽善者の多いこと、多いこと。それに加担しているマスコミも同罪ですぜ。
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CAT SHIT ONE80 小林源文

2020-01-27 12:14:00 | 
第二次世界大戦以降、規模の大きな戦争は「朝鮮戦争」「ヴェトナム戦争」「アフガン戦争」それに「湾岸戦争」くらいである。

その十数倍で規模の小さな戦争は起きている。そのなかでも厄介なのは、政治的信条をベースにするテロである。国家としてではなく、政治的信条を同じくする同士で集まった集団が引き起こす小規模な武力攻撃。

このテロが厄介なのは、大衆のなかに溶け込んでいるからだ。つまり、見つけ出すのは非常に難しい。また見つけたとしても、テロリスト集団への攻撃は、市街地戦に成りがちで、関係のない無辜の市民を巻き込むことが多い。

国家対国家の戦争と異なり、国家対テロリストは、両者の規模が違い過ぎて従来の近代的な国家戦争とは異なる戦い方が必要になる。アメリカがそのことに気が付いたのは、ヴェトナム戦争の頃なのだが、はっきり言うとアメリカの対応は鈍かった。

むしろ対応が速かったのは、イギリスやフランス、ドイツ、そしてイスラエルといった国々である。いずれもイスラム社会を寝床とする反欧米思想に凝り固まった宗教的狂信者であるテロリストの攻撃に苦しんでいたからだ。

対テロリストとの戦いに必要なのは大規模な軍隊ではなく、少数精鋭の特殊部隊である。巨大な官僚組織に統治された軍隊ではなく、状況の変化に素早く対応できる臨機応変な小さな組織こそが対テロには一番役に立つ。

おかしなことに軍事大国であればあるほど、この新しい戦争への対応が遅れた。アメリカのグリーンベレーやシールズ、ソ連のスペツナヅなどを思い浮かべた方は多いと思うが、現実には20世紀後半のテロとの戦いでは、アメリカもソ連も相当に苦戦している。

その原因を一言で云えば、大は小を兼ねないからだ。アメリカもソ連も、軍隊及び諜報組織が大き過ぎて、官僚的な会議の積み重ねと、頑なな予算運用が現場の需要に合わず、能力はあっても、その力を十分発揮できなかった。

皮肉なことに、冷戦が終結して軍の大規模なリストラを進めた結果、アメリカもロシアもようやく対テロ組織がまともに機能するようになったのが実態であろう。

そんな変りつつあるアメリカ及びロシアの軍隊の変化を描いたのが、表題の漫画である。アメリカ兵はウサギに、ロシア兵はクマ、イギリス兵はネズミ、フランスはブタなど動物に擬態化した兵士を描いた戦争漫画である。

かなり悲惨な戦いなのだが、動物で戦争を描いているせいか、ある種のコミカルささえ漂う作品になっている。困ったことに、日本では戦争や軍隊をリアルに描いたり、論じたりするとこが教育の現場では出来ない。

そのため、大きく変わった対テロリズムの実態を知るうえで、この漫画はけっこう役に立ちます。前作で主役であったパッキーやャ^たちは、控え目な立場に変り、クマのミーシャ君が主役級の立場に置かれているのが面白かった。

ヴェトナム戦争後の対テロ戦争の流れを学ぶのにも良いと思うので、興味がありましたら是非ご一読あれ。

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