ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

残念無念

2023-10-31 09:04:50 | テレビ

残念で仕方ない。

TBSの日曜午前中のお楽しみ、サンデーモーニングの司会を長年務めた関口宏が番組を下りてしまわれるそうだ。日本を代表する反日自虐番組として、私はけっこう楽しみにネットで視ていた。ちなみに我が家のTVはアナログなので、普通には視れないが、よく話題になる番組なのでネット上によく取り上げられていた。

特に第二次安倍政権が選挙で圧勝した時の放送は面白かった。先週の番組では、この選挙で自民党が大敗して野党の時代がやってくると期待に満ち溢れた顔をしていただけに、苦虫を嚙み潰したような関口宏の司会ぶりは、可笑しくて堪らなかった。

他のレギュラー出演者も反日自虐大好きな方ばかりなので、まるでお通夜のような雰囲気で笑ってしまった。先週はあれだけ盛り上がっていたのにねェ。

近年では正月特番で、ヒットラーを支持してしまったドイツの大衆は、結局第二次世界大戦で心身ともに傷つき、その愚かな判断を大いに悔いることになったと解説。その背景には、しっかりと安倍首相(当時)の写真を掲げ、安倍・自公政権に投票することは、ナチス・ドイツを支持した戦前のドイツ大衆と同じだと云わんばかりの番組構成であった。

私はあそこまで露骨な情報操作、イメージ操作をやっている番組を他に知らない。ある意味、最も先鋭的な反日自虐番組であり、その番組の司会者として君臨したのが他ならぬ関口スターリ・・・じゃなくて関口宏であった。

あぁ誤解なさらぬように。関口宏はかつてのTVスターであると書こうとしただけですから。

それはさておき、私は政治的には対極の立場ですから、尚更この番組は大切だと思っていました。なにしろ腐れ左翼の本音を知れる機会が激減している。あの手の輩は、表に出しておいた方が良いのです。なまじ世に出る機会がないと、コソコソと碌でもないことをやらかす姑息な輩なのです。

またあのような反日自虐番組があると、自分たちはまだまだ世の役に立てると勘違いしてくれます。いわばガス抜きの場として存在価値がある。現実を見ずに、脳内お花畑で平和の舞いに酔い痴れていたいだけの人のオアシスですから、是非とも今後も続いて欲しいものです。

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歴史は繰り返す

2023-10-30 08:59:19 | 社会・政治・一般

teacupからgooにブログを引っ越してきてから一年半となる。

この一年ほど、teacup時代の記事の訂正を地道に続けている。なぜか引っ越し時に文字の誤変換というか、文字化けが生じていたからだ。「ポ」とか「恐怖」なんて文字がおかしくなっている。

これでは引っ越した意味が薄れるので、仕方なく手作業で修正している。現在、ようやく2014年7月まで訂正を終えているが、まだまだ先は長い。ちなみに本文の修正は出来るが、コメント欄の修正ができないのが一寸不満だ。

でも昔の記事を読み直すのも結構楽しい。ただ、読んでいるうちに気が付いた。2014年ってウクライナ上空でマレーシア旅客機がロシアに撃墜された年であり、欧米とロシアの間に緊張が生まれた年でもある。同時にパレスチナのガザにイスラエル軍が侵攻した年でもある。

少し寒気がした。

ウクライナは本来、豊かな土壌を持つ穀倉地帯を有し、ロシア正教の活動も活発で中世まではロシア民族の棲む土地の中でも恵まれた土地であった。特に黒海沿岸は温暖で、夏などは暑いほどでありロシア貴族の避寒地となっていた。

そしてその恵まれた環境故にロシア帝国に侵略され、支配され同化政策が数百年推し進められた歴史を持つ。また地政学的にも重要な位置を占めることは、日本ではあまり認識されていない。西欧をユーラシア大陸から突き出た半島だと看做すと、ポーランドからベラルーシそしてウクライナはその半島の付け根に該当する。

すなわちユーラシア大陸の北東部の支配者であるロシアにとって、半島(西欧)からの防衛線がポーランドからウクライナまでと考えられている。実際、ナポレオンの時もヒットラーの時も、この絶対防衛線が侵略を阻止してきた。ロシアにとっては欠くべからざる重要拠点だ。

2014年の時は軍事行動こそなかったが、民間旅客機の撃墜という人道的な冒涜ということで当時の欧米が過剰に反応している。そして、そのタイミングでイスラエル軍のガザ侵攻である。もちろんイスラエル軍にとってはハマスというテロ組織への報復攻撃である。

欧米、とりわけアメリカとしてはイスラエルを支援せざるを得ず、ロシアとの対立は先延ばしにせざるを得なかった。

歴史は繰り返すという。ウクライナの人々の悲劇はこれからも繰り返されるのだろうかと悲観的な予測とならざる得ない。私はどちらかといえば平時はウクライナに対しては批判的なのですが、これじゃあウクライナの人たちがぐれるのも無理ないとも思う。

これで贈賄や裏経済、犯罪組織などが正当化されるとまでは言いませんけどね。

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天災と自己責任

2023-10-27 09:08:55 | 社会・政治・一般

戦後最大級の噴火被害、それが御嶽山の噴火であった。

2014年9月27日のことであった。その被災者が映した動画がTV画面に映された時、こりゃ無理だぁと思ったことは良く覚えている。

その後の報道で、既に二か月近く微細な火山性震動が報じられていたが、特に入山規制などはなかったそうだ。そうだろうと思う。御嶽山は標高こそ3千メートル級だが、山頂近くまでバスで登れる観光用の山だと認識されていた。実際、私も高齢になったら登ってみようかね、程度の認識であった。

だからこそあのような噴火は予想外であったのが山を登る人たちの常識であったと思う。実際、御嶽山は観光地として有名で、本来は子供から老人まで気楽に登れる珍しい3千メートル級の山として知られていた。

地震列島として知られる日本でも、あの辺りは地殻の異動が生じやすく、地震の頻発地帯との認識はあったが、御嶽山の噴火を警戒する空気は皆無であったと思う。だからこそ死者58名、不明者6名といった未曾有の噴火災害となってしまった。

家族をはじめ大切な人を失った遺族の悲しみは当然だが、ここでおかしな訴訟が持ち上がった。国は二か月以上微細な火山性震動があったのだから、入山規制をするべきであったとして損害賠償訴訟がなされた。そして、その判決が先週出された。

予想されたことではあるが原告敗訴であった。大切な家族を失った人たちにはお気の毒には思わないでもないが、基本山に登ること自体リスクを孕んだ行為である自覚が足りない。

たとえ噴火がなくとも大規模震災による広範囲な落石や斜面の崩落だってあり得る。いや、予兆などまったくなくとも災害に襲われる可能性があるのが山だ。私自身、そんな経験を幾度となくやっている。

大学4年の夏だ。就職を決めていた私はガイド付きの黒部渓谷の遡行ツアーに参加した。晴天に恵まれて、快適に沢登りを楽しんでいた。しかしツアーガイドが無線で上流の山小屋と交信して雰囲気は一転した。20キロ以上離れた上流で短時間に大雨が降り、下流が急激に増水すると警告された。

ガイドはパーティーの皆に説明してツアーは中止、急遽稜線に向かって沢を離れることになった。不満を漏らす人もいたが、ガイドに一喝されてしぶしぶ登りだす。登るといっても、ダム建設業者が利用していた凄まじい急な登り道である。

まだ若かった私も喘ぎながら沢筋から50メートルほど登った時だった。パーティーの一人が大声を上げるので沢をのぞき込むと沢が太く黒い。物凄い勢いで増水していて、背筋が凍り付いた。そこからは無言で先導するアシスタントガイドに付いて必死に登る。

200メートルほど登って安全な場所で休憩した時は息も絶え絶えであった。信じがたいことに眼下では、濁流が荒れ狂っていた。もし沢筋に残ったら命はなかったと断言できる。老齢のツアー客をアシストしていたガイドの方も無事到着して、再び上流の山小屋と無線で連絡を取っている。

まだ数日は水は引かないと予想できるので、この先は稜線沿いに安全なルートで移動するとのこと。もう誰も不満を漏らす人はいなかった。一応書いておくと、天気予報では終日快晴との報であり、今朝出発するときの山小屋でも晴天予想であった。ちなみに私たちは全く雨に降られていない。

ただ上流で雨が一時的に降ったとの無線連絡だけが、エスケープした根拠であり、ガイドの方の判断が適切であったからこそ助かった。山の天気はかくも変わりやすく危険でさえある。

もしツアー客の一人が、気象庁が正確な予報を出さなかったから危険な目にあったと訴えたとしたら、間違いなく敗訴だろうし、なにより山仲間に馬鹿にされるだろう。山を舐めるな、とね。

自然は怖い、完全な予測なんて誰も出来やしない。だからこそ生きるため最大限の努力が必要なのが山だ。多分、海だって同じだろう。

私は自己責任が安易に使われ過ぎることを危ぶむが、それ以上に自己責任と覚悟のない安直な生き方が嫌いです。

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フリースクール批判

2023-10-26 09:31:49 | 社会・政治・一般

はじめに言っておくと、私はフリースクールには問題が多いと思っている。

しかし、そのフリースクールを生み出した土壌は、小・中学校や高校が時代の流れに合わせた教育を行えなくなっていたからだと理解している。この問題は非常に根深い。文部省と日教組の軋轢は、教育現場を荒れさす大きな原因なのだが、これは一教師に解決できる問題ではない。

また家庭の躾がなされていない子供が、横暴な親から学校に丸投げされて、教師たちをストレスの泥沼に落としている。また一人っ子育ちの教師たちも問題が多い。

以前から書いているが、子供たちを制御できない未熟な教師がとるのは、お友達戦略だ。子供たちと同じ土俵に下りてきて「ボク、友達だよ、なんでも相談してね。そのかわりボクの言う事を聞いてね~」と媚を売る。

いじめっ子と呼ばれる子供にとって、この似非友達教師くらい便利な道具はない。この自信なさげなダメ大人を味方につければ、気に食わない奴をいじめ放題である。そしていじめっ子の親は、元いじめっ子であることが多いから、いじめられた子供とその親なんて歯牙にもかけない。かくして学校ぐるみのいじめが成立する。

そして教育委員会は、教師を守る気はあるが、子供を守る気はない。各市町村の学校担当者は、日教組という労働組合と揉めるのを嫌がる。なにせ日本でも最大クラスの圧力団体なのだから。更に文部省は「いじめ問題」を気に掛けるが、しょせんデスクワークなので提出された報告書が形式に則っていれば、それで問題なしだと判断する。

ちなみに滋賀県の大津市のいじめ事件が日本中の話題に上がり、文部省がようやく(嫌々か・・・!?)重い腰を上げて、いじめの基準を現実に近いものと変えたら、たちまち全国から数万件のいじめがあることが判明しる始末である。

以来、山形のマット圧殺事件や、旭川の凍死事件など陰惨ないじめ事件が細々と報じられるようになったが、未だ解決には程遠いのが実情だ。

9月のことになるが、あの市ぐるみでいじめを隠蔽しようとした大津市のある滋賀県の東近江市の小椋市長が、偉そうにフリースクール批判をやらかした。

フリースクールには批判されても仕方ない部分があることは、私も認めざるを得ない。しかし、なぜにフリースクールが生まれ、フリースクールに通う子供が増えたかといえば、それは従来の教育現場が、いじめ被害者などに対して適切な対応が出来ていなかったからに他ならない。

本当に非難し、改善が必要なのは学校という教育現場であり、躾もできない馬鹿親であり、事なかれ主義に毒された役所である。教育を政治の道具としてしか考えない日教組と、それを問題視しないマスコミ様である。

ご存じの方もいると思うが、いじめ問題を最初に報じるのは決まって雑誌やネット媒体である。記者クラブでふんぞり返る新聞記者やTV局の記者が、いじめ問題に先鞭をつけることは、ほとんどない。その癖、プライドだけは高いので雑誌の後追い記事を書くのを嫌がる。

結局、政府がなにもしてくれない現実が、フリースクールを生み出した。それなのに本末転倒な主張をする人間が、首長になって賢しげにフリースクール批判をしているのだから、醜悪としか言いようがありませんね。

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鯖の味噌煮

2023-10-25 09:23:29 | 健康・病気・薬・食事

子供の頃は好きではなかったのに、年を重ねるにつれ好きになった料理がある。それがサバの味噌煮である。

より正確に言えば、子供の頃は味噌汁も好きではなかった。しかし出されてものは残さず食べるように躾けられた。これは祖母仕込みであり、逆らうことはあり得なかった。

一人暮らしをするようになり、減塩を中心とした食事療法を実行すると必然的に味噌を使う料理は減る。ちなみに30年ほど前の減塩味噌は、あまり美味しくなかったことも一因ではある。

それから20年以上経ち、医者から減塩の指示は無くなったが、もう塩分の濃い料理は受け付けなくなっていた。お刺身でさえ、醤油を少し付けるだけで食べている。

転機は9年前の心筋梗塞による入院生活であった。もちろん減塩低カロリー食であったが、美味しい献立が多かった。そのなかに鯖の味噌煮があったが、薄味でありながらしっかりと味噌の香りが残り、かつ鯖の臭みも消えていた。多分、鯖の味噌煮を美味しいと思ったのは30年ぶりだと思う。

幸いにして銀座の街は、美味しい魚料理を出す割烹料亭が散在しており、プロの料理人が作る美味しい鯖の味噌煮を堪能できた。ただ、それらの割烹料亭は小さい店が多く、大半がコロナ禍による売り上げの大幅減には耐えられなかった。

今年、銀座から神田の街へ事務所を引っ越した時、美味しいお店がどれだけあるのかが結構な不安材料であったのはスタッフには内緒だ。でも神田の店は銀座に劣らず古い街で、刺身や寿司ならば値段相応のお店がけっこうあった。強いて言えば、副菜の味というか作りは、さすがに銀座のほうが上に感じていた。

また焼き魚や煮魚も、贅沢を云わなければ十分満足のいく店が幾つかあった。でも、やはり銀座には少し劣る。そう思っていたらあった、あった。鯖の味噌煮の美味しいお店。

はっきり言って店の外観からは、想像もつかない味だった。50代と思える料理人はともかく、焼きに煮込みにと忙しそうなもう一人の料理人は70代らしい。カウンター席のみで、7人が限界。しかも12時半には品切れとうか、売り切れになって客を断る。

多分、これ以上の客数は年齢的に捌けないのだと思うが、出される料理は別物。出されるマグロの切り身は新鮮で張りがある。これは市場に店主自ら足を運んで選んで仕入れているのだと思う。そのせいか、人気のマグロ定食は売り切れが早い。

一方、私が頼んだ鯖の味噌煮は、味噌は薄口だが匂いけしの生姜が姿を見せない繊細な仕事ぶり。しかも骨は丁寧に除いてあり、崩れるほどには煮込まないが、口に入れた時に柔らかく崩れる触感は料理人の技量の高さを裏付けている。

このレベルの鯖の味噌煮は、銀座でもあまり多くないと思った。見た目はまったく名店には見えないかれど、出される料理の質は高い。これは掘出物だと、ニヤニヤしながら昼時を待っている食いしん坊の私です。

コメント (2)
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