ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

公文書改竄に思うこと

2018-03-30 12:00:00 | 社会・政治・一般
日頃、役人に対して批判的な私ですけど、森友学園への土地払い下げに絡む、公文書改竄の件に関しては、いささか気の毒に思っています。

この公文書改竄を生み出した土壌は、実は3年間の民主党政権から産まれたものだと思うからです。

口先批判ばかりの野党政治家が集結した民主党が、紛いなりにも3年間、政権を維持できたのは、財務省の勝事務次官(当時)が民主党政権を支えると公言し、それを実行していたからです。

これは財務省だけでなく、他の官庁も追随していたことは確かであり、この霞が関の風見鶏的行動があってこそ、民主党政権は行政を滞らせずに政権を運営できたのです。

もちろん、その結果、官庁主導の政治が行われた結果、必然的に前例踏襲の悪癖から抜け出せず、行政の硬直化が随所で目立った。なにより東日本大震災における即応的、効果的な対応が十分に出来ず、復旧を遅らせてしまったのは痛かった。これで有権者は民主党政権を見放した。

民主党が衆院選で歴史的大敗を喫すると、これまで民主党を応援してきた官僚たちは不安に囚われた。なにせ、政権の座についたのは、自民党と公明党の連立政体であり、実務家揃いであり、民主党政権下と同様な行政主導の運営は望めないからだ。

それどころか、首班はかつて霞が関に足を引っ張られてのストレスから退陣した安倍晋三である。役人の遣り口を知り抜いている党人政治家として復活した安倍首相を誰よりも恐れたのは、他ならぬキング・オブ・霞が関の財務省であった。

籠池というペテン師に引き回された安倍総理とその奥さんだが、私は当初から森友問題で安倍首相が強気なのは、籠池らからの違法な利益供与を受けていないからだと考えていた。

その一方、安値で払い下げされた土地に関しては、この問題をこじらせて安倍首相から睨まれるのを浮黷驫ッ僚たちは、安倍首相からの明確な指示なんぞなくても、手早く済ませようと画策したのだろうと思う。

消費税の増税を何度も引き延ばしてきた安倍首相とのトラブルを誰よりも恐れたのは、他ならぬ財務省であろう。佐川・前国税庁長官などは、森友問題でこれ以上安倍首相との円滑な関係を阻害されるのを恐れていたことは、ほぼ間違いない。

だからこそ、公文書から政治家の名前を消し、政権とのトラブルを避けたかったのと想像できる。安倍首相からの明確な指示があったはずだと野党とマスコミは思い込んでいるが、安倍首相とのトラブルを避けたいが故の公文書改竄であったのではないかと思う。

民主党政権を支えた勝・財務省事務次官(当時)だが、おそらく民主党をイデオロギー的に支持していたわけでなく、行政を素人政治家たちに壟断されないよう、止むに止む無く民主党を支えたのだと思う。

ただ、その陰で財務省主導の構造改革を刷り込ませたが故に、必然的に緊縮財政となり、景気を冷え込ませた。結果的にこれが民主党政権への有権者の期待を大きく損ねることになった。

与党に返り咲いた自民党との円滑な関係構築を第一に考えた財務省が、安倍首相が関わった森友への払い下げを契機に関係改善を狙ったと考えるほうが自然だと思う。もっともプライドの高いエリート官僚はそれを認めないとも思いますけどね。

民主党を支えたが故に、自民党から睨まれ、挙句に森友問題で担ぎ出されてしまった佐川・前国税庁長官もお気の毒としか言いようがない。きっと野党(現・民進党、立憲民主党など)の立場でで賢しげに自分を尋問する議員たちを、さぞかし蔑んでいると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜桜

2018-03-29 11:59:00 | 日記
桜の木の下には死体が埋まっていると書いたのは、「檸檬」で知られる梶井基次郎である。

結核により31歳の若さで亡くなった作家だが、その感性の鋭さには驚かされる。もっとも、冒頭の一文を始めて読んだ十代の頃には、正直あまりピンと来なかった。

満開の桜のあまりの美しさから、それを怪しく感じたが故の一文だとされている。でも、私にはさっぱり理解できぬ感性だと、十代の頃は感じたものだ。

でも、今なら少し分かる気がする。

今週のことだが、私用で遠出をして深夜に帰京した。車を駐車場に入れて、自宅まで徒歩で帰宅するのだが、星の煌めく美しい夜であったので、少し遠回りしてみた。一昨年から工事をしていた玉川上水沿いの新道路もだいぶ出来上がり、川沿いの桜がほころんでいたので花見のつもりでもあった。

道路工事はほぼ終了しているが、まだ街灯などは電気が通っていない。そのせいで、えらく薄暗いのだが、その夜は雲一つなく、星が輝く以上に、月が輝いていた。それゆえに、道路沿いを歩く分には不自由は感じない。でも、少し川沿いの林の中に入ると、中は真っ暗だ。

東京はネオンや街灯が多く、郊外に出ても、そうそう暗闇はない。だから、工事のせいで街灯が消えている玉川上水沿いは、まるで山奥の雰囲気さえ漂っていて、それが妙に懐かしかった。

山登りを断念してから、早30年以上、夜更けの山奥の暗さを感じたのは、本当に久しぶりだ。薄暗い玉川上水沿いの道を歩くと、やがて満開の桜の並木が見えてきた。

月の輝きを受けて、暗闇に白く輝く桜の花は、壮絶なほどに美しい。同時に今までに感じたことのない怪しい空気を感じた。この違和感はなんだろうか。

夜の暗闇を背景に、ぼんやりと輝いて見える桜並木の美しさは、電燈などの人工の照明ではなく、月の輝きを受けたものだ。都会では滅多にお目にかかれない光景であることは間違いない。

LED電灯などでライトアップされた夜桜とは、どこか違って見えたのは、決して私の錯覚ではあるまい。梶井基次郎が観た桜は、きっと月の光に照らされた満開の桜ではないかと思う。

漆黒の夜空に、月の光を受けて輝く満開の桜には、どこか狂気を感じさせる浮「美しさがあると思います。背筋が凍るといった浮ウはなかったのですが、どこか心を不安にさせるような浮ウに、私はしばし足を留めて、逃げたい気持ちを抑えて立ちすくんでしまいました。

これは桜に限りませんが、自然が見せてくれる美しさには、どこか人の心を惑わす浮「魅力がある気がしてなりません。私が我に返った時は、既に丑三つ時であり、十数分立ちすくんでいたことに驚いたものです。

眠気は吹っ飛んでしまい、急いでその場を立ち去ったものです。なぜかその時、振り返ってはいけないと思い、意地でも前を見つめて、足を速めたことが妙に記憶に残っています。

春は、どこか人を惑わすようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銃規制と自由

2018-03-28 12:49:00 | 社会・政治・一般
先週末の欧米の報道で、特に目立ったのはアメリカの銃規制を求めるティーンエイジャーたちのデモであった。

世界の先進国の大半は、市民が武器を持つことには制約があり、アメリカのように銃で撃たれる危険性が低いのが普通だ。それゆえに、世界的にも関心が強いニュースなのだろう。

このデモを口火にとして、トランプ大統領の銃規制への弱腰ぶりを批難する姿勢の報道が目立っていたように感じた。欧米のマスメディアの反トランプ姿勢が透けて見えて興味深い。

実際問題として、歴代のアメリカ大統領の大半は、銃規制に消極的であり、別にトランプが突出している訳ではない。

率直に云って、アメリカがこのような若者たちのデモに同意して、銃規制を強化する可能性は、低いと私は考えている。せいぜい、少し規制を強化する程度でお茶を濁す程度だろう。

それは、端的に云えば、銃に撃たれない平和な生活よりも、自分が大切だと思うものを自ら守らんとする自由の方を重んじるのがアメリカだからだ。

これは法治の確立した先進国にあって、かなり異質な考え方である。アメリカという国は、自らの権利を力で勝ち取ってきた国である。その事を誇りに思っている国である。

自ら大切だと思うものを、自ら銃を取り、傷つきながらも戦い、勝ち取ってきた。権利とは与えられるものではなく、自ら勝ち取るものであると幼少時から叩き込まれてきたのがアメリカだ。

自由とは与えられるものではなく、自ら戦って勝ち取り、それを守るためにも戦うことを矜持としてきたのがアメリカである。海を挟んでの隣国である日本は、このことをよくよく理解しておく必要がある。

太平洋戦争を決断した当時の日本政府は、太平洋の支配権を確立すれば、アメリカは日本の権利を認めるだろうと考えたが、その結果(真珠湾攻撃)は、アメリカ人に戦いを決断させただけであった。

アメリカは勝ち得た権利を、決して安易には手放しはしない。むしろ戦って自らの自由と権利を守るのがアメリカである。この好戦的な国民性を決して忘れてはならない。

19世紀以降、最も好戦的な国家がアメリカである。そのことを決して忘れてはいけないと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スリードッグナイト

2018-03-27 12:53:00 | 音楽
寒い夜、高地で羊たちと夜を過ごす羊飼いの若者は、隣に牧羊犬を置いて眠る。

でも、あまりに寒い夜は、両脇に二頭、犬を置いて眠る。そして、それでも凍えるような夜には、自らの身体の上にもう一匹犬を載せて、3匹の犬と共に夜を過ごす。

私が小学生の頃に、教会のシスターから教わった話だ。そのシスターがピアノを弾きながら歌ってくれたのが、「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」という曲であった。

その曲を大ヒットさせたバンドが「スリー・ドッグ・ナイト」であった。実はかなり変ったバンドで、1970年前後に活躍していたが、オリジナル曲よりも、無名の作品をカバーして歌って大ヒットさせることで知られている。

男性ボーカル3名を中心としたバンドであり、私にとってはビートルズよりも先に名前を知った欧米のャbプスバンドであった。三匹の犬と夜といった名前が、あまりに印象的であったからでもある。

先日、久しぶりに休日、のんびりと新古書店で本漁りをしていた際、CDコーナーで見つけてしまい、思わず買ってしまった。

あの頃は、欧米のャbプス、ロック、イージーリスニングは新鮮な快感であった。日本の歌謡曲や演歌が嫌いであった訳ではないが、まったく違う音楽の世界に引き付けられた。

でも、小学生の頃は教会でしか聞くことが出来なかった。中学に入り、誕生日にラジカセを買ってもらい、それからドップリと欧米の楽曲にはまったのだが、今も記憶に残る曲は、それほど多くはない。

スリードッグナイトもその一例であった。今日日の日本で、このバンドを覚えている人がどれだけいるか知りませんけど、多分一度は聞いたことがあると思いますよ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パーフェクトキル A・J・クィネル

2018-03-26 12:06:00 | 
シリーズ化されていることが悩ましい。

「燃える男」で人気が出た冒険小説家クィネルであるが、その後の作品を読むと、案外と波がある。デビュー作の「燃える男」の出来が良すぎたせいもあるが、この水準を常時維持出来てはいないと思う。

そのせいか、どうかは知らないが、「燃える男」の主人公を再び登場させたのが表題の作品である。不遇な家庭から逃げ出し、傭兵の世界で半生を過ごし、燃え尽きたかに思えた主人公を甦らせた女の子を惨殺した犯人への復讐。

そのありきたりのストーリーであるにも関わらず、「燃える男」が絶大な人気を得たのは、主人公の人物造形によるところが大きい。たしかに魅力的な人物である。もちろん欠点もあるのだが、その欠点さえも物語を盛り上げる材料になる。

この主人公あっての本作であると断言できる。面白いかと問われれば、面白かったと断言できる。

ただなァ~、シリーズ化されていると知ると、いささか考え込んでしまう。

この主人公の傭兵時代のあだ名は「寒い夜の恐普vである。殺人機械として完璧な兵士であった。そのせいか、心の一部がどこか凍てついている。その氷結した心を溶かすには、どうしてもある動機が必要となる。

その動機故に、この主人公は幸せな生活を維持できないのではないかと思えてしまう。美食の楽しみも知っているし、獅「酒も良く知っている。本気になれば、かなりモテる男でもある。それなりに人生を楽しめるはずなのに、それが十分に出来ない男でもある。

そんな主人公をシリーズ化してしまうことに、私はどうしても躊躇いを感じる。決して幸せになれない男が主人公って、どうなんだろう。そんな疑問が脳裏をかすめている。

まァ、あまり期待せずに三作目以降を楽しみにしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする