ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

美味しんぼ 原作・雁屋哲/作画・花咲アキラ

2021-05-31 11:57:00 | 
良くも悪くもバブルの申し子であった。

20世紀末、日本列島は気が付いたら紙幣が舞い散るバブル景気に浮かれていた。

その原因は2つある。一つはそれまで不当に安く抑えられていた円のドル換算が、市場の実態に合わせたものになったことだ。これは輸出振興のために円ドル為替レートを政策的にコントロールしていた日米当局が、遂に我慢の限界を超えてしまったためである。

アメリカは以前から円が不当に安すぎると不満を抱いていたが、冷戦の最重要拠点としての日本列島の地位を認めていたために我慢していたが、自動車と鉄高フ対米黒字輸出に耐えかねてのプラザ合意の結果でもある。

結果、日本は大蔵省とその代弁者のマスコミ様のいうところの円高不況に陥るどころか、史上空前の円高好況に沸く。円高は輸出にはマイナス効果が大きいが、輸入にはプラスに働く。

輸入した物資サービスを全て輸出に充てるなら、プラスマイナス0だが、既に高度成長を達成した日本国内での消費需要が多く、結果的に安く輸入された原油、食料などがその需要を十二分に満たした。

だが、その円高差益によりもたらされた膨大な利益は、原油や鉄鉱石などの産業用資材や、食料品だけでは物足りず、結果的に株式市場と不動産市場に空前の大好況をもたらした。

余談になるが、この時大幅な規制緩和を推進し、新たな市場開拓をしておけばバブルによる異常な好況は防げたと思うが、霞が関にその知恵はなく、永田町は金に酔い痴れるだけだったことが、後の長期不況の要因となる。

そんなバブル景気ではあったが、間違いなくこの時代になり、日本人はそれまでの貧しいながらも抑制された生活から解放され、うたかたの豊かさを享受することになる。

それまで高値の花であった高級車、高級酒、ブランド衣服、ブランド宝飾品などが、円高を足がかりに日本市場へなだれ込んできた。同時に、この頃から急速に高級レストランが持て囃されるようになった。

懐石料理や寿司、フグ、海鮮などの和食はもちろん、フレンチ、イタリアン、中華の高額なレストランに庶民が足を運ぶようになった。大トロやトラフグ、キャビアと目が飛び出るような高額な食材が、日本全国に広まった。

美食ブームが俄かに巻き起こり、半端な知識をひけらかす自称グルメが雨後の窒フ子の如く増殖した。当然に勘違い、マナー違反などの迷惑行為も増えてしまった。

「お客様は神様」とはあくまでお世辞であって、店からすれば良い客筋、好ましからぬ客筋は確かに存在する。知らないだけなら一時の恥じだが、学ばず愚かさを繰り返す自称グルメに辟易した料理人、飲食店オーナーも少なくなかった。

そんな時代背景に大ヒットしたのが表題の漫画であった。

もっとも私はバブル景気の最盛期を闘病で潰しているので、グルメブームとは無縁であった。そんな私にその一端を教えてくれた漫画でもあった。でも途中から読むのを止めている。

多分、主人公の山岡が同僚の栗田と結婚した頃だと思う。その頃から嫌な敵役であった海原雄山が、妙にイイ人めいた雰囲気を醸し出したのが嫌だったからだと思う。

やはり悪役は憎まれ役であって欲しいし、それがないと事。の無い料理に思えてしまう。そう、私は美食を至高のものと考える傲慢不遜な海原が好きだった。

もっとも私自身は食べること、料理をすることは好きだが、別に粗食でも構わないし、美味しい食事よりも楽しい食事を重んじている。だからグルメとは程遠い。まぁ銀座で働いているので、そこそこ美味しいものは食べているが、それが至高の喜びだとは考えていない。

だからこの漫画も偶に読む程度で十分だと思っている。実際、美味しいものは、偶に食べるからこそ美味しい。毎日美食三昧では舌は肥えても、知性は鈍化するとさえ思っている。

つまりあまり熱心な読者ではない。そんな私でも最終話は読みたいと思っていた。多分、山岡と海原の和解になるだろうと思っていた。あんまりネタバレはしたくないので、ここは予想に留めておく。

まぁ最後まで読み切ってみて、名作ではあると思うが、傑作の枠には入れたくない。原作者の雁屋氏の偏見が途中から妙に鼻に付くからだ。でも、日本全国に美食ブームを引き起こした功績は認めたい。

この作品がきっかけで、本当に美味しい料理とは何かを問うようになった人は少なくないと思うからである。グルメとは縁遠い私だが、世間の評判とかグルメ本に頼るのではなく、自分の目で見て、匂いを嗅ぎ、舌で味わい、歯ごたえを楽しむことで、食事はいくらでも楽しくなる。

また、その逆も然りであろう。その意味で、全国に俄かグルメを生み出した罪はあれども、本当の美食への入り口として、この作品の功績は大だと私は評価しています。

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未完のベルセルク

2021-05-28 11:44:00 | 日記
今から二十数年前のことだ。

当時、長期の病気療養中であった私は、少し精神的におかしくなっていた。もっともそのことを自覚しつつも、特段心療内科へ通うようなことはせず、一人悶え苦しんでいただけだ。

生きているけど、生きている実感の乏しい毎日。ただ薬を飲むために食事をとり、一日の大半を寝て過ごす。自分が生きていることは分かるが、将来がまるで見えない絶望に、生きている価値を見いだせない毎日。

そんなある日、コンビニの雑誌コーナーで手に取った雑誌に掲載されている漫画に圧唐ウれた。それは主人公ガッツの初めての親友であり、ライバルでもあった鷹の団のリーダー・グリフィスの変わり果てた姿であった。

王の娘と密会していたことが露呈し、嫉妬に狂った王の命令により凄惨な拷問を受け続けたグリフィスの姿に衝撃を受けるガッツ。その場面を読みながら、私は魂の奥底で奇妙な共感を覚えていた。

舌を切られ、手足の腱を切断され、皮膚をはぎ取られた生きる屍と化したグリフィスの姿に、病み衰えた我が身を対比させていた私は、この漫画から目を離せなくなった。

その後、グリフィスは長年の仲間である鷹の団を生贄に差し出して異形の魔物として復活する。贄となりながらも生き延びたガッツの復讐の物語、それが希代のダークファンタジーである「ベルセルク」である。

あまりに凄まじいこの作品は、日本のみならず世界でも高い評価を受けている。特にヨーロッパにおける評価は極めて高い。舞台が中世ヨーロッパと似た世界観なので、共感できるのであろう。

ちなみに私が一番好きなのは「ロスト・チルドレン」の章です。使徒との凄惨な戦いの後の清々しい朝に、もう逃げ出すのではなく、留まって生きることを決断する少女ジルの健気な姿は、今も鮮烈に記憶に残っています。

登場する魔物たちの強大さ、残虐な戦いとは別に、普通の人間の普遍的な生き方にも敬意を払う作者の健全さがあるからこそ、この壮絶な漫画は強い印象を残すのだと思うのです。

ただ近年、連載の中断、休載が多いことが気になっていた。でも、作者が亡くなるなんて予想していなかった。まだ50代ですから、早過ぎる死としか言いようがありません。

私はその長い闘病生活のなかで、この漫画が完結するまでは、なんとしても生き延びたいと決意していたのです。それだけに、作者の訃報はあまりに痛い。我が身を引き裂かれるような辛さがあります。

この壮大なダークファンタジーは、このまま未完のままで終わってしまうのか。

おそらく白泉社のヤング・アニマル編集部は今も悩んでいるでしょう。看板漫画でもありますし、読者の要望も相当にあるでしょう。

しかし、あの壮大なストーリーと緻密な絵柄を描ける後継の漫画家はいるのか?

高校の友人であった森恒二(ホーリーランド)か、同級生でアシスタントでもあった技来静也(拳闘暗黒伝セスタス)あたりが候補に挙がりそうですが、いずれにしても、いや、誰にしてもあの物語を引き継ぐのはキツイと思う。

読者としては、誰が引き継いでも納得できない気がするけど、物語の続きは知りたい読みたいという二律背反の悩み(苦笑)。

でも今は、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。よくぞ、あの物語を描いてくれましたとの感謝を込めてね。

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軽トラックの生産終了

2021-05-27 11:33:00 | 経済・金融・税制
私は毎年、確定申告の時期になると、関東近辺の農家を訪問して、挨拶がてらに申告資料を預かってくる。

そこでビックリしたこと。

都市近郊農家ではあるが、けっこうな広さの農地があり、そこで活躍するのが軽トラックである。駅で待ち合わせ、農家の方の運転するクラウンで、そのお宅に訪問した時のことだ。

到着して、車を降りて、車を車庫に納車するのを待つ。すると、車庫には入れず、庭にそのまま置いている。車を大事にする方なので、ちょっと不思議に思って、車庫を見たら驚いた。

なんと、軽トラックが4台も置いてある。しかも、そのうち3台は新車だ。少なくとも昨年はなかったし、資産台帳にも載せていない。つまり最近、購入したのだろう。

数時間後、一通り話し合いを終えて、3台も同じ軽トラックを買った経緯を訊いてみたところ、その答えに驚いた。

その軽トラックはホンダのアクティなのだが、なんとこの春で生産中止であり、後継の車は作られないそうだ。その軽トラックがないと、農作業に支障が出るため、予備も含めて3台一気に購入したそうだ。

軽トラックは他のメーカーでも販売しているが、その農家の方に言わせると、一番バランスが良いのがアクティだそうだ。その農家では収穫した農作物の運搬以外にも、キウィイやブドウ、梨などの収穫の時、その軽トラックの荷台に上がって作業する。また発電機を積んで水の散布をする際にも活躍している。

だから、軽トラックは必需品であり、余分に買っておいて車庫にしまってあるそうだ。そのせいで、クラウンが青空駐車の憂き目にあっている。普通ならクラウンが屋根付き車庫であり、軽トラックが青空なのだろうけど、農家にとっては後車のほうが大事だそうだ。

なるほどねぇと思いつつ、農家の方の軽トラ愛に感心してしまった。

ご存じの方も多いと思うけど、現在日本で一番売れているのは軽自動車である。私が若い頃は100万円前後で買える格安の小型車との認識であった。しかし、現在の軽自動車は下手すると300万近い値段がする。

なのに、200万円以下の小型車よりも売れている。理由はいろいろあるが、なんといってもドライバーのためにギリギリ最低限の仕様でありながら、最大限の技術で使いやすく作られていることが大きいと思う。

その一方で、軽自動車は自動車メーカーにとって、極めて難しいジャンルである。とにかく利幅が薄い。一台売っても、メーカーの利益は10万程度だと聞いたことがある。

そのため、トヨタや日産は軽自動車は自分で作らず、スズキやダイハツにOEM生産を委託している。乾いた雑巾を更に絞ると言われるトヨタでさえ、軽自動車で採算を採るのは難しい。ついにホンダは諦めたのか?

実際問題、本田のアクティはマニア的な人気は高いが、それほど販売台数の多い軽トラではない。スズキのキャリーやダイハツに大きく水を開けられているがのが実情だ。日本一売れているN-BOXならいざ知らず、年間2万台に満たないアクティでは赤字販売だ。

ただ、件の農家の方は力説する。アクティはエンジンが車体中央部に配置されて、バランスが良く、不整形地でも安心して走れる。農道のフェラーリの異名は伊達ではないのです、と。

やっぱり凝るねぇ、本田は。こんなマニア的人気に支えられてきたが、やはり農業人口の減少が地味に影響しているそうだ。6月で生産終了なので、お好きな方はお早めに、だそうです。

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バカのあぶり出し

2021-05-26 12:02:00 | 社会・政治・一般
基本的に日本人は真面目だと思う。

でも、時々疑いたくなるのが自分の正しさを確信している連中の不真面目さだ。ここで朝日新聞やTBSなどを想起するのは正しいが、他にもデンと控えている。

それも飛び切りの大物が。それが永田町及び霞が関のお偉いさんである。

三度目の緊急事態宣言後、連日感染者が1000人を超えている。政府は必死に「皆さんの自覚が大切です」などとほざいているが、自覚がないのが自分らだと気が付いていない。

現在、夜20時ぐらいからの通勤電車の混雑がひどい。当たり前である。夕食を外食で楽しんでいる人たちが、20時以降に帰宅する電車に集中するからだ。

三度目の緊急事態宣言前には、これほど混まなかった。なぜなら飲食店の閉店が21時だったので、帰宅時間も分散したからだ。

つまり、緊急事態宣言が、密の状態を作り出している。感染者が増えるのは当然なのだ。私のみたところ、感染源は飲食店というよりも、帰宅する人たちを乗せた電車やバスが怪しい。

みんなマスクをしているが、マスクでは感染は防げないのは周知の通り。密を作らないようにするのが最適解なのだが、緊急事態宣言がそれを妨げる。

だから私は最近、夜遅くまで残業している。基本、夕食は自宅で作って食べているが、帰路の電車の混雑がひどく、あれでは感染しても止む無しだと思うからだ。

こんなの、混雑する駅と電車、バスを直に見ていれば誰でも分かるはず。でも政府のお偉いサンや、エリートであられる記者様は自家用車かハイヤーだから分からないのだろう。

こんなアホな政府やマスコミの言うことを信じる国民も、バカといえばバカである。自分で見て、聞いて、その頭で考えろ。

もしかしたら、新型コロナウィルスの拡散は、バカをあぶり出すための神の配剤なのかしらん?
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季節のない街 山本周五郎

2021-05-25 14:49:00 | 
日本人は人情話が好きだ。

それを否定する気はない。困った人を助ける美徳を否定する気もない。でも助ける余裕がなければ、助けることも出来ない。だからこそ、貧しい人が、より貧しい人に身を削って助ける人情話が人気が出る。

私は一時期、けっこう貧乏な時期を子供時代に経験している。ただし、母に仕事はあったし、賃貸とはいえ家もあった。一応鉄筋コンクリ造りだから、暑さ寒さは十分しのげる。

ただ余裕はなかったように思う。小学生の頃、母と妹たちと旅行に行く時は、国民宿舎か安い民宿が普通だった。ホテルとは縁がなかったが、それを惨めに思ったことはない。

ただ食堂などで、私たち家族が普通の定食を食べている隣で、豪勢な舟盛りの刺身を食べている家族を少し羨ましく思ったことはある。でも、母の稼ぎでの精一杯の旅行の雰囲気を壊すような無作法をしたことはない。

貧しいながらも少しだけ余裕があったから、貧しさを惨めに思うことはなかった。いや、正直に言えば、我が家よりもさらに貧乏な家庭がある事を知っていたからこその心の余裕だったと思う。

私が子供時代を過ごした三軒茶屋の街は、けっこうな繁華街であり、学生も多く賑やかなところであった。でも、ちょっと裏通りに入り、入り組んだ奥に行けば長屋というかバラック小屋が散在していた。

ドブ川であった蛇崩川沿いには、古いアパートに紛れて、壁に無理やり据え付けたような箱があり、なにかと思ったらそこに人が住んでいてビックリしたことがある。少し大きめの犬小屋というか倉庫みたいな家だが、雨風が凌げれば、とりあえず暮らしていくことは出来たらしい。

中学生になる頃には、華やかな繁華街にもうす汚い一面があることも知った。飲み屋から出る空の酒瓶を集めて、残った僅かな酒を飲む人たち。泥酔して路上に寝転ぶサラリーマンを介抱するふりして財布の中味をくすねる人もいた。

酒とパチンコを覚えた高校生にもなれば、銭湯で知り合った近所の人たちから、人情話とは逆の狡すっからい話を聞くことも珍しくなかった。たまにパチンコで大勝すると、その稼ぎで同じパチンコ屋の常連さんと一緒に安い焼き鳥屋に行くこともあった。

勝率の良かった私だが、妬まれぬようにする知恵くらいは持っていた。それをやらないケチなパチンコ打ちは、いずれ嫌がらせを受けることを見聞きしていたからこそ知った知恵である。

はっきり言えば、貧乏人は狡すっからい。自らを卑下するような姿勢で人に接するが、内心はどうやって金を引き出すかを狙っている。自分よりも強い相手には、とことん下手に出る。でも弱いと分ったら、浅ましいまでに強気になる。

貧乏人は親しげに接してくるが、決して気を許せない危なさがある。悪気もなく、ほとんど条件反射で他人のものをかすめとる。見つかると、逆切れするか、逃げ出して誤魔化す。

そして、その翌日には何もなかったかのように接してくる。その姿に吐き気を催すような不快さを味わったことは何度もある。厭だと思いつつも、あの手の貧乏人との付き合いを断ち切るのは難しい。表面的には良き隣人として接してくる悪知恵をもっているからだ。

だから高校卒業と共に、その街から引っ越すことになり、ようやく悪縁を断ち切れた。以来、付き合いはまったくない。

そんな私だけど、人情話は嫌いではない。ただ無条件には信じがたいのは、ひどい貧乏人と接してきた時間があったからだ。人情話がまったくあり得ない話でないことは知っているが、その百倍、逆の話が現実にあることも知っている。

それでも人情話を信じたい気持ちは残っている。表題の著者である山本周五郎は、きっと私以上に汚い現実、こすっからい現実、不快な現実を知っているはずだ。それでいてなお、人の他人を慮る人情を信じたいのだと思う。

過酷なビジネスの現場に身を置いていると、人情話なんてと吐き捨てたくなることがある。そんな時こそ読んでおくべきなのが山本周五郎だと私は考えております。

コメント (2)
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