ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

戦乱の時代

2022-04-28 11:59:45 | 社会・政治・一般
商売という名の電車は止まれない。

止まった時は、商売が破綻した時である。これは資本主義にも当てはまる大原則である。特に市場経済は常に動いていることが求められる。それが常態であり、それが必須でもある。

転石苔むさずと云うとおり、市場経済は動いているからこそ健全である。止まらずとも動きが鈍くなれば、市場経済は不健全化する。言い換えれば、市場経済は不安定であるからこそ健全であり、変動が常態でもある。

だから変化を怖れてはならない。

ところが日本のような官僚主導社会は、本質的に変化を嫌がる。変化が必然だと頭で分かっていても、変化する前の状態に安住したがる。その一例が85年のプラザ合意後の円高である。

大蔵省を中心に盛んに円高不況を叫び、多額の税金を投入しての為替操作を目論んだが無駄に終わった。官庁の記者クラブが主導する大マスコミ様は、官庁の面子を潰すことを怖れて報じなかったが、円高は不況どころか空前のバブル経済を生み出した。

バブル経済を悪いことだと思い込んでいる人がいるが、それは誤解である。日本の場合、円高で国内に蓄積された巨額の資金が、不動産と株式市場にしか活かされなかったことが問題であった。

あの時、既得権保持に躍起になる勢力を黙らせ、大規模な規制緩和と新たな市場形成に成功していたのならば、バブル経済はあれほどのダメージを残すことはなかった。

今、円高に匹敵する大きな波が日本を襲おうとしている。それが資源不足である。すなわち原油、食料、水といった現代社会に必要不可欠な資源が足りなくなりつつある。

既に日本では大幅な原油高、食料品高騰に襲われている。これは始まりに過ぎず、今後更に加速化すると思われる。幸い、日本は水資源だけは恵まれているのだが、原油と食料品は輸入頼りであるため、この先大幅なインフレーションに突入する可能性が高い。

原油は既に多くの産油国でも枯渇が心配されつつある。ウクライナ危機は世界の食料危機に直結する。そして、もう一つの食糧輸出大国であるアメリカでも、水不足からの灌漑能力の低下による食料生産の大幅減少が予測されつつある。

繰り返すが、この流れは始まりであって、しかも長期間にわたる。決して短期間で収まるものではない。世界経済の再編成どころか、既成国家の枠組みさえ揺るがしかねない事態である。それは21世紀後半には、日本のみならず世界中で勃発すると私は予測している。

つまり、21世紀は原油、食料、水を巡っての戦乱の時代となる。

で、現在の日本政府がやっているのは、石油元売りへの補助金である。これで解決する訳がないが、これしか出来ないのが日本の優秀なお役人の限界である。

ちなみに食料に関しては無為無策。小泉のバカ息子が農政改革だと言ってながら、相手にされなかったのは茶番で済ませていい。でも耕作放棄農地の問題は放置され、農業人口は減る一方である。

水に関しても、水道事業の民営化により事実上の地方の過疎地を放棄するしかやっていない。本来は豊かな水資源大国なのだが、外資に水源周辺を買い漁られていることは放置である。

僅かに膨大な海洋資源の探索を細々とやっていることだけが救いに思える。でも、大マスコミ様は積極的に報じる気はないらしい。まァ記者クラブでの大本営発表で満足しているので、地方の現場を取材する気はないのだろう。

これが日本の現状である。まァ私が生存中は本格的な危機に陥ることはないと思うが、半世紀後の日本の惨状を思うと憮然たる気持ちになる。

政治家がワイドショー受けばかり狙う馬鹿ばかりなのは以前からだが、マスコミの取材報道能力が低下しているのも頭が痛い。そして、それ以上に日本を主導してきた官僚たちが陳腐化して、世界の変化に対応できなくなっている。これが最大の問題だろう。

こんな予想、外れて欲しいのですがねぇ。
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空母艦隊

2022-04-27 13:45:03 | 社会・政治・一般
日本人が考える日本と、海外の方から見える日本は違うことは良くある話。

時として、外国の方の視点は、私たち日本人が気が付かなかったりするものがある。だから興味深く思っているが、時としてうんざりすることもある。

それがお隣の半島のお方々が報じる日本である。なんでも2030年代後半には、10万トン級の空母を二隻、日本は保有する予定であるらしい。現在、改装中の二隻の軽空母と合わせて4隻の空母艦隊を保有するそうだ。

聞いてねぇよ。

防衛省内で検討はしているかもしれない。しかし、空母を保有する計画があるとは思えない。第一、10万トン級の空母となると、絶対にアメリカ政府の内諾が必要となる。搭載する戦闘機もアメリカ製しか選択肢がない以上、アメリカが認めない限り、日本が空母を保有することはありえない。

現在、軽空母として改装中の二隻も、当然にアメリカの内諾を得たというか、アメリカの勧めもあってのもの。だからこそ、改修前の事前検査から、搭載するF35Bという垂直離発着機の訓練まで全てアメリカで行われている。

だが10万トンくらすの空母となると話が違う。はっきり言うが、今の日本の防衛費では賄いきれない巨額な財政負担となる。もし、日本がこのクラスの大型空母を保有するとしたら、アメリカが財政負担の軽減を狙った場合だけだ。

そして、オバマからトランプ、そして現行のバイデン大統領もそれを認める可能性は低い。何故なら、在日米軍の駐留費用を増額させればいいだけだからだ。

私自身は日本に空母艦隊は不要だと考える。むしろ潜水艦隊の整備をこれまで以上に進めるべきだと思っている。日本海軍の役割は、従来ソ連の太平洋進出にたいする抑制であった。基本、日本の潜水艦は待ち伏せして、ソ連艦隊を迎撃することに特化している。現在は対シナ路線に変更しつつあるが、やはり従来の潜水艦戦略で十分だと思われる。

第一、空母艦隊はその建造、訓練、装備配置、そしてメンテナンスに巨額の負担が必要となる。今後、高齢化社会と少子化を迎えて、経済規模が徐々に縮小していく日本経済では、到底負担しきれないはずだ。

では、なぜに南コリアのマスコミは、日本が大型空母を保有することを目指しているなどと報じたのか。

国防に限った話ではないが、この国では序列意識が根底にある。本来、中華(世界の中心)である我がコリアが他国に劣る立場にあることは受け入れがたい。特に劣等国であるべき日本が、ウリナラの上位にあることは容認しがたい。

だから、日本が軽空母を持つならウリナラはそれ以上、すなわち空母をもつべきだ。そう考える人はかなり居るらしい。本来ならば半島国家として国防に必要な戦力とは何かを考えて、持つべき武器を決めるべき。

実際問題、南コリアの国防を真面目に考えると、空母どころか軽空母さえ不要。揚陸艦を二隻持っているけど、その一番艦の独島は、ヘリコプター搭載さえままならぬ欠陥船であり、その欠陥を改善しないまま二番艦を作っている。その惨状を無視して、本格的な空母を持ちたいなぞとは片腹痛い。

ただ、あの反日反米の大統領は、けっこう本気で空母保有を夢見ていた。ところが今年、新たな大統領になる御仁は、親米路線であり、空母保有には否定的だと伝えられる。これに焦っている空母建造推進派は、「日本が持つのだから、我々にも必要」だと紙面にぶち上げたのが実情だろう。

はっきり言って、いい迷惑だ。

日本に本格的な空母なんて必要ないです。それ以上に半島国家にも不要だと思いますけどね。
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フェイクニュース

2022-04-26 14:41:17 | 社会・政治・一般
インターネットという情報媒介手段を得たことで、人々は驚くほどに情報入手が容易になった。

だが同時に情報の良し悪しを判断することが難しくなった。その典型がフェイクニュースと呼ばれるものだ。そして、このフェイクニュースには、私はけっこう怒っています。

駅や美術館などの公共施設に設置してある、あの赤い箱の中にはAEDという医療機器が入っています。Automated(自動化された) External(体外式の) Defibrillator(除細動器)の略であり、日本語では「自動体外式除細動器」と言われています。
けいれんし血液を流すポンプ機能を失った状態(心室細動)になった心臓に対して、電気ショックを与え、正常なリズムに戻すための医療機器です。平成16年7月より医療従事者ではない一般市民でも使用できるようになりました。

日本においては、交通事故で亡くなる人よりも、心室細動と呼ばれる心臓疾患で亡くなる人のほうが多いのが実情です。この心室細動は、治療が早ければ早いほど治癒率も高く、遅くなればなるほど致死率も高い。いわゆる突然死の多くが、この心室細動によるものだとされています。

だからこそ、これまで医師にしか使用できないとされていたAEDが、誰にでも使えるように法改正されて、駅などの公共施設に設置されるようになりました。音声ガイダンスに従えば、誰でも救命治療が出来る優れた医療機器です。

ところが、このAEDを使って男性が女性を助けようとしたところ、痴漢行為とみなされて賠償金を支払ったという話が、ツイッターなどで拡散しました。女性が意識不明になって倒れても、男性は痴漢扱いされる可能性があるから見捨てようという声があがり、それに同意する男性が増える有り様で、けっこう話題になりました。

結論から言うと、この話はデマです。投稿主は問題提起のつもりでツイッターに発言を流したと後になって発言しています。また弁護士等の司法関係者も、救命医療行為に係る場合、痴漢認定される可能性はほぼないと公言しています。

にもかかわらず、今でもこのデマは拡散し続けており、フェイクニュースであると分かっていても、それを認めず、デマだけが拡散しているようなのです。

これは私の私見ですけど、このデマを最初に流した人も、またフェイクだと知りつつ未だに拡散している人も、おそらくは痴漢の冤罪に憤慨している男性であろうと思います。緊急時の救命行為と、性犯罪を結びつける非常識さはともかく、無実の立証が難しい痴漢冤罪への怖れと怒りが根底にあるからこそ、未だに拡散しているのでしょう。

どこかずれていないか。

私は今年の三月に、手術により除細動器を体内に埋め込んでいる。既に二回、私はこの除細動器により心臓の異常から助け出されている。だから、この医療機器が役立つものだと痛感している。

だからこそ、このフェイクニュースに腹が立つ。突然死の可能性のある心臓発作は、AEDを活用することでかなり防ぐことが出来るのです。くれぐれも、デマに騙されないようにしましょう。
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ロシアは弱いのか

2022-04-25 11:32:24 | 社会・政治・一般
ロシアは弱い。

そんな記事を見かけることが増えた。たしかにウクライナ侵攻の現状をみれば、そのように感じるのだろう。分からなくもないが、正直馬鹿だと思う。歴史感覚がゼロとしか言いようがない。

昔からロシアは攻めて弱いが、守って強い国だった。ロシアの民はそれを分かっていて、攻められないためにこそ軍備を増強してきた。実際、モンゴルやタタールなどの騎馬民族の襲来により支配された以外は、攻められても撃退してきた歴史をもつ。

あの軍事の天才ナポレオンを撃退し、電撃戦のナチス・ドイツも撃退している。粘り強く、諦めを知らず、その守り強さは驚異的だといって良い。

今回のウクライナ侵攻だって、少し見方を変えれば、攻めるロシアと守るロシアでもある。ウクライナの民は民族的独自性は薄く、ロシアの親族だといって良い。ナポレオンの時も、ナチス・ドイツの時も戦場の最前線として守り抜いたお国柄である。

なにせ10倍の兵力を持つ敵(ロシア)とも戦い、容易には負けない粘り強さを持つウクライナ(元ロシア)である。

で、誰だロシアが弱いなんて言っているのは。

ついでだから書いておくと、ロシアが経済制裁に積極的な日本に怒り、次は北海道だなんて論調を張る馬鹿がいる。冷戦の最中、今よりもずっと軍事力が強かったソ連でさえ、北海道侵攻は企画こそしても実行の気配は皆無であった。

当たり前である。北海道は海を渡らねばならず、渡海作戦は攻める側が守る側の10倍以上の戦力を必要とする。ソ連の極東軍区には、それだけの数の兵力はなかった。今は旧ソ連時代よりもはるかに兵力は少ない。

実際、先日日本を威嚇する目的でか、わざわざロシア海軍の戦闘艦やらミサイル艦やらが宗谷海峡など日本近海を通過したが、その船体はサビだらけで塗装が剥げている惨状である。

はっきり言って、まるで威嚇にならず、むしろ失笑を買うありさまである。で、次は北海道侵攻だと?

言うのは勝手ですけど、あまりに馬鹿すぎる。それを無批判に報じるマスコミの程度の低さも失笑ものですけどね。
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リーグ戦の導入

2022-04-22 12:02:59 | スポーツ
一回戦負け。

嫌な言葉だ。スポーツをやっていた人ならば、この一回戦負けを経験したことのない人は少なくないと思う。負けた経験と悔しさは、勝った経験と喜びに勝るとも劣らずに大切だと思う。

長い人生において勝ち続けることはあり得ないし、負けた後の生き方次第で、その人生が変わることも良くある事。挫折して立ち直れなくなる人もいるが、多くの場合、負けたことを糧として再び立ち上がる生き方を学ぶ。

その意味でも、スポーツとりわけクラブ活動を良いことだと考えている。学校教育の一環としてのスポーツと、大会参加には相応の価値があると思う。

しかしながら弊害もある。学校教育の一環である以上、どうしたって学業優先となる。だから公式試合が多過ぎることは望ましくない。そのため野球でもサッカーでもトーナメント制が主流となる。

トーナメント戦では、一回戦で半数が敗退し、二回戦で更に半減する。このやり方が主流だが、野球は連日試合が可能だが、サッカーはそうはいかない。どうしても長丁場になってしまう。

実を云えば、世界の多くの国ではユース年代のサッカーは、クラブチーム主体である。日本のように学校教育の一環である部活としてサッカークラブは、世界的には珍しい。

特にサッカー強国といわれる国々では、ユース年代において重要視されるのが公式試合である。トーナメント制の試合もあるが、リーグ戦も盛んである。地域すなわち州とか県単位でのリーグ戦は、街のクラブチームにとって重要なイベントとなる。街全体が地元のチームを応援するのだから、学業よりも優先されるのは当然となる。

特にドイツでは毎週リーグ戦があるし、地域内でのトーナメント戦も盛んである。公式戦という真剣勝負の場が数多く提供されるがゆえに、ドイツのサッカーは強い。

日本では練習試合でも真剣にやれば、同様の効果があると建前を口にする教育関係者が多い。しかし、勝敗にこだわる公式試合とは、やはりプレッシャーが違う。この厳しい重圧のなかで技量を磨けるからこその真剣勝負である。

実のところ、日本の学校関係者でもトーナメント制の弊害を問題視し、地域リーグのような形でのリーグ戦を提唱する人も少なくない。しかし、現時点では建前論が強く、なかなか導入されていないのが実情だ。

ドイツを例に挙げたが、ブラジルやフランス、スペインなどサッカーの強豪国では、トーナメント戦と並んでローカル・リーグ戦が盛んである。おらが街のチームを応援する気風は、このローカル・リーグ戦で養われる。街全体がチームを応援するのだから、そのプレッシャーは選手だけでなく、コーチ陣にも強い影響を与えている。

日本ではJリーグが地域代表としてのプロチームを作るように育ててきたが、サッカー強豪国に比べると、まだまだ地域の応援熱は未熟である。どうしても教育の一環としてのスポーツ意識が重要視されるため、地域の代表としてのスポーツチームが育ちにくい。特に越境入学を認めている私立高が多いので、なおさら地域の代表としての意識が根付かない。

私は教育の一環としてのスポーツを否定はしないが、地域振興の一環としてのスポーツを育てる必要があると考えています。
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