徒然雑感 by おとぼけの父上

R中学のソフトテニスコーチ、エスパルスの応援、その他何でも、日々の雑感を記録していきます。

お袋の3回忌

2012-07-01 23:02:56 | 認知症
平成22年7月12日に亡くなったお袋。
もうすぐ2年が経つ。
早いものだ。
宝泰寺で法要を行ってから、ホテルアソシアで払いの席を設け、
故人を偲んだ。

こういうようなときしか親戚が集まらないという事実もあり、
懐かしいひと時を過ごした。

そこで、お袋の姉妹である叔母さまとの話の中で、
従兄弟の上杉洋史君の事で前から疑問となっていた質問が出来、
少し嬉しかった。
内容をここに書いていいかはわからないので、
詳しい話は出来ないが。

AKBのファーストシングルを作曲した従兄弟。
最近は彼の曲をAKBが発売する事がないが、
再び発売されることを期待している私。

法要も払いの席も無事終了。
次は7回忌。
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感傷的な夜

2010-10-22 08:23:09 | 認知症
今日も実家に寄ってきた。
ポストにたまるチラシや郵便物を取りに行くのが目的。
お袋が亡くなってから無人の実家。
お袋が認知症となり片づけが出来なくなってから、
色々なものが部屋の隅に積み重なり、
その後、私が保険の証券を探すのに若干ひっかきまわしたので、
決してきれいとはいえなくなった部屋。
暗い中入って行って電気をつけた瞬間、
なんとなく殺伐とした部屋。
チラシとかダイレクトメールとか、
積み重なった中からそういう物をゴミ袋に入れる作業中、
お袋のノートなどがあったので、つい読みこんでしまう。
断片的にしか書かれていない日記なぞ、
少しずつ進行していった認知症の症状が偲ばれてくる。
5年以上前にお袋と一緒に買い物に行って、
「私が連れて行ってくれたのがうれしかった。」
なんて書いてあると、
もっと色々なことをしてあげればよかったなあと、なんとなく悲しくなってしまった。

こういうことは後で気がつくこと。
ほとんどの方がそう思っているのではないか?

公開先に立たず。

こういうことは別の形で、
別の人に返していくしかないのかな?
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四十九日を終えて

2010-09-05 19:54:53 | 認知症
お袋の四十九の法要は無事終了した。
その後、香典のお返しを発送。
ただ一つ、わが社の社長の分は郵送せず、
ご自宅にお届けすることとした。

社長と私の関係はと言えば。

もともと、クラスは全然違うけれど、
私の兄貴と社長は慶応大学の同級生。
因みに社長の奥さまも慶応。
兄貴の奥さまも慶応。
(ワタシモデス ハイ)

そして、社長の仲人が私の両親という関係。
さらに、15年ほど前には、同じ営業所の所長と部下の関係でもあった。
そのため、お袋の葬儀にはご夫婦そろって参列して下さった。

だから我々も礼を尽くそうと、奥様と相談の上、
社長だけはご自宅に届けることとした。
昔、一緒に仕事をした時代に、
みんなで、ご自宅訪問してバーベキューをしたこともある。
それ以来の訪問?
その時はツインもお邪魔した。
その時の記憶はツインも鮮烈に覚えているようだ。
当時はカールというプードルを買っていた。
今は、シュナイダー?とか言う老犬を飼っていらっしゃる。
もう歳で耳が聞こえないと言っていた。

社長は海外出張中だった。
すっかり忘れていたが。
翌日なら帰って来るという話。
まるで、いない時をねらっているようなタイミングとなってしまった。
奥様は相変わらず、清楚で品のある、素敵なセレブだった。
もう、ご自宅にお邪魔することもないかもしれないが。
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実家のお話

2010-08-13 08:10:25 | 認知症
ここのところ、
お袋の生命保険の請求の件でバタバタしている。
昨日も実家で、証券を探していた。
生前、というか、アルツハイマー判明前は、
几帳面できっちりしていたお袋。
しかし、今の実家は、小テーブルの上は、
書類やチラシや雑誌が山積み。
その間に土地や建物の権利書が紛れていた。
アルツハイマーの方特有の取り繕いで、
暫く判らなかったけれど、
本当は大分前から何が重要で何がどうでもいいのか、
判らなくなっていたのかな?
証券は一部見つかったが、
見当たらないものは、紛失でやるしかない。
まだまだ他にもやることは多い。
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お袋の雑事

2010-08-04 20:57:36 | 認知症
今日は休暇の初日。
市役所に提出するお袋の死亡届こそ、
葬儀屋さんが代行してくれたが、
年金、後期高齢者医療制度の清算、
そして、介護保険の清算等、あちこち回って、
食事時間を含めて朝、9時前から午後1時を回ってしまった。
さらに、保険会社への死亡の通知。
書類の請求。
なんだかんだで17時までかかってしまい、
もうぐったりの一日だった。
帰りにHISや日本旅行、
近ツリ、JTB。
あちこちの旅行会社を見て回って、
ハワイ行きのカクヤスツアーを探してみた。
実際には行けそうもないが。
そういう夢を見て、現実逃避を図っていた。
それにしても、各社の社員の対応は千差万別。
私が入って行っても見向きもしないし、
活気もない近ツリ。
にぎわっているので、誰も見向きもしなかったJTB。
その中で、HISは、対応が凄く良く、
私の質問にも、的確に答えてくれたし、
何より、一番可愛かった。
男にとって、これが大事?
(セクハラで訴えられそうだが)
やはり、大手は違うし、
今回もし行けなくても、
行ける時には頼もうと思うからなあ。

写真はHISの事務所横から見た、
新静岡センター建設中の様子。
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ガンバレ自分!

2010-07-30 07:04:14 | 認知症
先日、数年前に亡くなった兄貴の、
奥様と話す機会があった。
義姉には節目節目にお袋ことを報告はしていたが、
詳しい話をしていなかった。
お袋が亡くなった後、ブログを遡ってみて下さり、
おとぼけの父上も大変だったんだねえと、
改めてねぎらいの言葉をいただいた。
正直、私にとって「大変」という感覚が無く、
あっという間に日々が過ぎ去ってしまい、
お袋に対し、大したことが出来なかったことを、
むしろ後悔していたのだが、
義姉の言葉を聞いて、
少し、自分でも自分のブログを読み返してみた。
すると、言葉で読み返す、昔の思い出?
すっかり忘れていたが、
あんなこともあった、
こんなこともあった。
そう、人間てやっぱり忘れてしまうんだよね。
読んで、思い出すことがいっぱい。
ブログに書いていなかったら、
ほとんど忘れてしまい、
ところどころ、何かのきっかけで思い出すだけだったろう。


ブログをやっていて良かったとそう思った。


文章で自分を振り返ると、
自分のことを言うのも変ではあるが、
確かに大変だったなあとちょっと思った。

世の中にはもっと大変な人がいる訳で、
自分だけが大変とは全く思わないが、
グータラな私がこれだけやったのなら、
お袋も少しは許してくれるのだろうか?

例えば、兄貴だったら、
もっとかゆい所に手が届く?
そんな対処をしていただろう。
兄貴が先に亡くなり、
グータラな私が残ってしまったのが、
お袋の不運の始まりか?
いやいや、
親父が亡くなったのが不運の始まりなのだが。

私なりに精一杯やったけれど、
本当はお袋のアルツハイマーが判明してからではなく、
その前から、同じように対処してあげたら、
ひょっとすると、アルツハイマーにならなかったかも知れない。
私のその負い目は多分一生消えないのだろう。

それを背負って生きて行くことが、
私が出来る唯一の贖罪である。
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久しぶりに病院へ

2010-07-27 23:03:32 | 認知症
先日、仕事中、突然電話が。
出てみれば、静岡市立病院からだった。
タオルの忘れ物があるので取りに来て欲しいとのことだった。
仕事の帰りにタオルを取りに行った。
毎日のように通った病院。
お袋の入っていた病室にはすでに別の患者が入っていた。
何となく感傷的になる。
色々なことを思い出しながら、
下りのエレベーターを待っていると、
お袋の主治医が偶然通りかかった。
全然気付かなかったが、
主治医の方から、私のところまでやってきてくれた。
通り一遍のあいさつ?を交わした。

別に先生にも、病院にも恨みはない。
お袋の認知症状が進んでしまった事も仕方ないと思っている。
病院が、医療が、医師が、万能でないことは解っている。
ひょっとしたら、違う病院に入院したら、
違う結果になったかもしれない。
そういうことを含めて運命なんだと思う。
明らかな、医療ミス?でない限り、
受け入れるしかないと思っている。

合掌。


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お袋の様子 7月12日

2010-07-19 17:50:19 | 認知症
家に着いたのは、22:00頃だった。
さあ、何をするか?
そう思っているところへ、病院から電話。

容態が急変しました。
至急、病院へ来て下さいと言われた。

そう言えば、親父の時も同じような連絡が、
お袋から貰って、
東京から、日赤病院へかけつけたなと、
そんなことを思い出した。

多分ダメか?

この時覚悟を決めた。
それでも、何とか持ち直して欲しいと思い、
奥様と二人で駆けつけることに。

もう少し冷静でいられたら、5人全員で駆けつけたものを。

病室に入ると、ヘルパーさんがたたずんでいた。
お袋に対し、非常に親身に接してくれたヘルパーさんたち。
最後に、亡くなる瞬間に立ち会うこととなったOさん。
申し訳なかったが。

我々がついたときは、
酸素マスクから酸素を出したまま、
死亡の判定をしていないだけで、
すでに呼吸はしていなかった。
お医者さんが部屋に来て、
22:30死亡確認と宣言。
お袋の78歳の生涯が閉じることとなった。

22:00までは生きていたはず。
30分の間にお袋は力尽きた。
覚悟はしていた。
でも、持ち直す確率もそんなに低いとは思っていなかったし、
むしろ、経管栄養をはじめられれば、退院出きるはず。
その前に力尽きる確率は40%?
それも、1ヶ月くらい先?
そう勝手に思っていたのだが。

亡くなったことから、慌てて、子どもたちをタクシーで駆けつけさせる。
その間に本当は病院の処置をしてもらおうと思ったが。

先日、奥様のおばあ様が亡くなった時、
湯灌をしていただいたと言うことで、
お袋にもやってもらうことにした。
すると、
そういう場合は病院では何の処置もしないと言うことであった。
そこで、ケンカしてもしょうがないので、
受け入れた。

そして、子どもたちも駆けつけ、悲しい対面をした後、
病院を後にすることとなった。

これからは、忙しい慌ただしい時間が始まった。
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お袋の様子、 7月12日

2010-07-18 17:45:19 | 認知症
喪に服してしばらくブログを中断すべきなのか?
それとも悲しみに引きずられないように、
一刻も早く再開すべきなのか?
正直どちらが正解なのか解らない。

ただ、私がこのブログを始めたのは、
子どもたちに、私が何を考え、何を感じて、何を思ったのか?
そういうことを直接伝えられないからこそ、
いつかこのブログを読んで感じて欲しい。
そう思ったから。

だからこそ、今回の事もなるべく早く書き記そう。
忘れないうちに。
もし批判があればそれは私個人が甘んじて受けよう。

過去のブログはでお袋の話は7月7日までしか書いていなかった。

8日、9日はそれほど変わりはなかったはず。
熱はずっと、36度台。
熱が上がらないことを嬉しく思っていた。
しかし、ヘルパーさんの日誌を見れば、
この頃から、痰がひどかったことと、寝ていることが多かったこと。
特に、金曜日以降は起きている姿を見なかった。
それが前兆と言えば前兆だった。
徐々に、動きも大人しくなり、
拘束も外された。

日誌を読み返せば、土曜日の夕方から、
目が覚めたとの記述はない。
ずっと眠っていたのか?
意識がなくなったのか?
今となってはもうどちらでもいいが。

月曜日の朝、私がいつも通り、出勤前によれば、
眠ったまま。
36度2分。酸素99%。
数値は非常に向上。
いい傾向なのに、なんとなく衰弱?
当時、そんな言葉が浮かんだ。
何故かはわからないが。

大きな声で呼びかけても反応しない。
ひょっとするともうだめか?
そんな弱気な気持ちが起きるが、
それでも、経管栄養を開始出来れば復活できる。
それだけが呪文のように浮かぶ。
看護婦さんが来て、若干話をする。
衰弱してきているので、
今日明日で何か起きるとは思えないが、
でも、いつ何が起きても不思議ではないと言われる。
覚悟しとけと言うことか?
そう思った。

会社で仕事をしていると、10:30頃だったか。
病院から電話が入った。
一瞬びっくりするが、
話の内容は、朝、看護師さんから聞いた話の繰り返しだった。
違う看護師さんからだったので、
引き継ぎが上手くいかず、
まだ、私に言っていないと思ったらしい。
逆にいえば、病院にとっては、
それだけ、伝えなければいけない重要事項と言うことか?
そう思いたくない気持ちも強く、
わざと無視することにした。

夜、仕事が終わり、病院に行こうか迷う。
迷った末に行かないこととした。
それが若干、後悔と言えば後悔。
拠り所は、看護師さんの、
「今すぐどうこうなるとは思えない」との言葉。
行くと、亡くなってしまうとのかすかな予感。
過去に、親父方の伯父のお見舞いに行って、
亡くなる場面に遭遇してしまった事が思い出された。

でも、ヘルパーさんの日誌にも、
12日の22:00までは、
バイタル異常なし。抗生物質点滴開始となっている。
そこまではそれほど異常がなかったことが分かる。
もし私が行っても、20:00前。
そのまま帰っていただろう。

いい訳だが。

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取り敢えずご挨拶

2010-07-16 04:33:56 | 認知症
母が亡くなり、お通夜、葬式、払いの席。
よく判らないのに、やることは山積み。
もちろん、家族は手伝ってくれるが、基本的には、私がやらなくてはいけない。
忙しくて、悲しんでいる暇がない。
お通夜の挨拶は大失敗だった。
そこが、私らしいが。
今はお通夜の後。夜通し線香を絶やさないよう、代り番こに見張り?
その合間に投稿している。
人が亡くなるということは、本当は重大なこと。
しかし、今は無事、儀式を終えることで頭が一杯。
人生とはそんなものか?
もうすぐ夜があける。
最後の一踏ん張り。
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皆様の心遣いありがとうございます

2010-07-13 04:01:02 | 認知症
平成22年7月12日午後10:30。
母は力尽き旅立ちました。
皆様から沢山の励ましをいただき、本当にありがたく、
ここに厚く御礼申し上げます。
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お袋の様子 7月7日

2010-07-08 05:38:40 | 認知症
昨日は七夕。
そうはいっても夜空を見上げる余裕はなかった。

11:00、主治医と面談した。
まず、白血球の数値が基準値を大きく上回り、
しかも、オーバーレンジで上下動を繰り返している。
肺炎自体は治まったと聞いている。
では、何が原因なのか?
今のところ不明だと言うこと。
さらに、一時期痰が出なくなったのに、
最近は痰が激しい。
吸引の回数もそして量も多い。
何かがおかしいのだろう。

さらに、CRPの数値もかなり高い。
(●検査の目的
 体内に炎症が起きたり、組織の一部が壊れたりした場合、血液中に蛋白質の一種であるC-リアクディブ・プロテイン=CRPが現われます。このCRPは、正常な血液のなかにはごく微量にしか見られないため、炎症の有無を診断するのにこの検査が行われます。
 同じく炎症があることを示すものに赤血球沈降速度(赤沈)がありますが、CRPは赤沈よりも反応が速く、また消失も速いため、急性炎症の場合、炎症の強さと長さを判断するのに最も鋭敏な指標となっています。
●基準値
 定性法(CRPの有無を調べる方法)では陰性(-)が正常。ごくわずかでも炎症がある場合には弱陽性、炎症の強さに応じて強い陽性反応を示します。最近では定量法(一定の量のなかに含まれる量を調べる方法)で判断するのが一般的になっています。この場合1デシリットルの血液のなかにCRPが0.3ミリグラム以下であれば正常と考えられます。
●異常値の場合に考えられる主な疾患
 陽性反応が強い場合は、結核などの感染症、膠原病、リウマチ熱、心筋梗塞、肝硬変、敗血症、悪性腫瘍など。弱陽性の場合もウイルス性疾患、急性肝炎、脳炎、内分泌疾患などの疑いがあります。

これらの数値が下がり、
再び経管栄養が始まり、落ち着けば、即転院出来るとは言われた。
しかし、こういう数値が変わらなければ、
あるいはさらに悪化すれば、
衰弱を見守るしかないとも言われた。

今は個室で、24時間ヘルパーさんをつけている。
ヘルパーさんは夜だけでOKとなった。
しかし、結構翁声を出しているお袋。
大部屋では迷惑がかかるので個室のままとなった。
に中は見守る人がいなくなるが、
その辺は看護師さんたちの良識を信じるしかない。
お袋には申し訳ないが。

今後、数値の改善のめどがたっていないことに変わりはないが。

今日、伯父が(お袋の兄)が肺炎で入院したとの連絡があった。
高齢な伯父叔母。
みんな、早く治って欲しいが。
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淋しいけど退去

2010-07-05 07:26:02 | 認知症
日曜日、今までお世話になったケアクオリティ樹寿さんから、
退去することとなった。

レンタカー借りて荷物を引き取り、実家へ戻した。
もっとお世話になりたかった。
本当に廻り合う人はいい人ばかり。
ありがたいことだ。
だからこそ淋しさもひとしおである。

その前に、東京から叔母二人がお見舞いに来てくれた。
以前、樹寿さんまで来てくれたけど、
その時より痩せて、しかも話がほとんど成立しない状況に、
きっとがっかりしたことでしょう。
未だ退院の目処は立たず、また先生に確認しなくては。
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お袋の様子 6月30日

2010-07-01 06:33:24 | 認知症
先週の金曜日から始めたはずの経管栄養。
しかし、金曜日に行った後、熱が出たり、
数値が悪化?(具体的には不明)
先生からは、
「状況はよくないので、改善されるまで中断」
そう言われている。
そして、土日月火、相変わらず点滴だけの毎日。
熱は上がったり下がったり。
昨日の夜は36度7分だった。
どの数値が悪いのかよくわからないが。
当たらしく転院予定の瀬名病院には、まだ紹介状が届いていないらしい?
これもまだ未確認だが。
その後のお袋の様子は特に進展なし。
よくもならないし悪くもなっていないように見える。
しかし、あくまでも素人判断。
入院は間もなく1ヶ月になろうとしている。
早く良くなって欲しいし、
もちろん現実問題としての費用の問題も馬鹿にはならない。
払えない状況ではないし、
ダメージとなる訳でもないが、
だからと言って、無限にある訳でもない。
何より、ベットに寝た切りのお袋が一番つらいのではないだろうか?
それでも、お願いしているヘルパーさんの質が高いことが本当に良かった。
もちろん、特別なことをしてくれている訳ではない。
私が望むこと以上のことをしてくれている訳ではない。
ただ、普通に接してくれていること。
それだけで本当にありがたい。
昨日も、おむつが足りなくなっていないか?
タオルは?
調べていたら、タオルがきれいにたたまれていた?
コインランドリーで洗ってくれたのか?
ヘルパーさんに尋ねたところ、
家に持ち帰って洗ってくれたそうだ。
なんか、泣きそうになってしまった。
契約外の行動だと思う。
でも、本当にありがたい。
始終話しかけてくれているし、
そのやり方も、他人行儀ではない。
私も、そして、お袋も恵まれていると思う。
感謝の念は尽きない。

そう言えば、先日サプライズがあった。
以前お袋がもう少し元気だったころ、
デイサービスでお世話になっていた「まごころの家」のSさん。
偶然、来てくれて、顔を合わせていたのに、私が全く気がつかなかった。
いつも、ユニフォーム姿、
化粧っ気のないお姿しか見ていなかったので、
私服で素敵なメイク。
別人としか思えないほどきれいだった。
ごめんなさいSさん。
お袋ことを話すと、お見舞いに行きたいと言ってくれた。
ありがたいことだ。
こうして私はいつも幸せな気分になれるのである。
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お袋の様子 6月27日

2010-06-28 05:55:35 | 認知症
土曜日、疲れてしまって病院に行けなかった。
日曜日、病院へ行くと・・・・

経管栄養を金曜日から始め、少しは効果が出たか?
そう思って病院に行ったのだが、
土日は流動食の注入を行っていないとのこと。
看護婦さんの話では、先生の指示らしい。
様子見ということか?
さらに、熱が上がったり下がったり、
なかなか安定していないようだ。
そして、酸素吸入は鼻への管で行っていたが、
昨日は酸素マスクに代わっていた。
酸素の数値はまあ、安定しているらしいので、
それほど気にすることもないかもしれないが。
そして、ややゼイゼイする呼吸と、
少し咳が出ていること。
なんか、前より悪化している気がする。
土曜日に、主治医ではなく、インターンのような若い先生が、
ヘルパーさんに対し、余り状態はよくないと言ったらしい。
それは、血液検査の数値のことやレントゲンの結果らしいが。
それが、日曜の午前中は、全然問題ないと言われたとのことで、
土曜日のコメントは何だったのだろうか?
ただ、私から見るお袋の状態は、
決していい状態ではなく、
すぐに転院とはいかないかもかもしれない。
経管栄養も、月曜から再開するのかは不明。
すっきりしない感じである。

もう少し、状態がよくなり、栄養が取れ、
咳もなくなり、
熱も下がり、
晴れて退院。
そして転院。
それを期待したい。

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