雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台へ挑戦,価格体系

2008-04-02 04:43:32 | 7万台の挑戦の時代
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販売店との契約や価格体系は約束事である。
然し、なかなか守られないのも当時の業界の常であった。

御願いをするほうが、譲歩してしまうのである。
台数を望むとそれは『値引き』に繋がる。
このままの状況で7万台を望むと、『大値引き』になってしまう。

自然に無理なく売れる仕組みが必要なのである。

本来『台数が売れて実益がある』のは販売店のほうで、それ売るほうの人たちはサラリーマンなのに、台数を望む立場が逆転することが多いのである。

そんなことで、『価格体系の抜本的な見直し』に着手した。



88年11月4日に『89年度価格体系の検討に当たって』と題して次のように問題点を指摘している。

現状の問題点
1.特約店側から見て不明確である
2.契約台数との関連がない
3.多店舗店優位の価格体系になり過ぎている
4.販売政策との関連がない
5.値引きが多すぎる
7.末端価格とマージンとの関連がない
8.当年度の実績が当年度に反映されない
9.部品の価格体系が不明確である

と指摘している。

これらの問題点を 『すべて解決するような価格体系』 を造ることをMUST条件として取り組んだ。
翌年度契約に間に合うように、12月中に策定することが必要であった。

『そんな上手い具合に行くかな』と、
社内のほうがが半信半疑で社内を納得させるための時間が多く掛かったが、
当時の本社スタッフ、井川、冨永、南、森君などと連日徹底的に議論した。

一端納得してからはホントに上手くスムースに仕上がった。
あの頃、本件を担当してくれた井川、南君には大感謝である。



価格体系は契約の一つであるから、
一括契約A、B 拠点契約A、B、Cの5つの価格体系を提示し
、特約店はどれでも自分のリスクで選べるようなものに仕上げた。

当時の価格体系では、最高の出来だったと思う。
ユニークであったし業界のどこにもない画期的なものだった。
これで、幾ら台数を打っても大丈夫という価格の基盤が出来たのである。



10月からの3ヶ月間は、翌年度の契約などを控えての順備期間である。
社内の纏めも、社外の対応も結構忙しかったが、当時の本社スタッフがホントによく機能してくれた。

12月末の決算業務などは五百井、原水君らが殆どやってくれた。
私は、企画、広報、レース、各販社との対応に集中していた。


大阪の橋下さんのような心境であった。
ただ、みんながホントによく動いてくれたのである。
会社の雰囲気は1ヶ月で変わったことが実感できていた。

コメント (2)
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