雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台への挑戦、89年前半

2008-04-22 05:20:33 | 7万台の挑戦の時代
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目標だけは大きく掲げ、いろんな基本対策や将来の準備に忙しかったが、
89年前半は大した実績の伸びは見られなかった。

この時期、直入のサーキットを着工した。
約1年の順備期間を経て、2月に本社の決済も通り、4月14日に起工式をやっている。
カワサキにとっては規模は小さいが、一般のライダーを視野に入れた日本でも初めてのコンセプトのサーキット建設であった。

兵庫県では中町にセントラルサーキットの認可が下りて平井さんが担当、関東にも幾つもの候補が上がっている。
益子町やいわき市などであった。
サーキット建設はこの頃から経験したが、みんないろんな思惑があって、なかなか一筋縄ではいかない。
認可も難しいことが解ってきた時期である。

話は幾らでも沸いてきた。


88年10月、レースOB会で盛り上がったレースは、
ルマン24H耐久で、カワサキは優勝こそ逃がしたが、フランスチームが2位、日本から参加した宗和、多田、塚本組が3位に入る健闘を見せた。

レースに力を入れると宣言してのスタートを幸先よく飾った実績であった。
4月24日のことである。



事業部のほうもいろいろと多事多難ではあったが、以前のような危機的状況は脱して一段落であった。
上のほうの人事も微妙な時期で、田崎さんにニューヨーク事務所の話があり6月に事業部を離れたりしている。

4月末にZEPHYRが発表されたが、当初はそんなに期待もしていなかったのに順調に数を伸ばした。
5月になってやっと前年対比を上回ったのである。
5月末実績M/C 41398、J/S 3940、合計45338台。
まだまだ、7万台には程遠い数字であった。



4月1日にケイスポーツシステムと言う新会社を設立して、レーススポーツ対策、ユーザー対策を開始した。
特ににKAZE対策は、各営業所に担当者を設置して積極的に対応した。
1月にJCBと提携して新会員証としたのだが、JCBはひどく乗り気で常務さんが対応してくれたりしていたのだが、5月になると副社長さんが出てきて赤坂で食事をご馳走になったりした。

その頃はまだ気づかなかったが、若い層、それもバイクやジェットスキーに興味のある層、カードを初めて作るる人が多いなど。
JCBにとっては我々が思う以上に魅力があったのである。

こんなJCBの対応はその後もずっと続いて、
我々も努力して、2000人の会員からKAZE会員5万人になった頃には、
KMJの社員カードを全てゴールドで対応してくれたりしたのである。

こんな89年前半を過ぎて後半は、ゼファー、ジェットスキーの快調で一気に台数も上がっていくのである。
7万台の準備期間としては順調であったと言えるだろう。
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今年のON ANY SANDAで出会った人たち

2008-04-21 06:16:22 | M/Cレース
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今年もON ANY SANDAは三木アネックスパークで晴天に恵まれて開催された。

3週連続で60おじさんとご一緒である。
第一日曜は『どこ竹の竹とんぼ教室』の生徒の一人。
第二日曜は『MFJ全日本モトクロス』の招待客の一人だったが、
第三日曜は『ON ANY SANDA』の主役の一人としての登場であった。

彼の行くところ人が集まり、サインをせがまれたりして、昔の山本隆に戻った一瞬であった。

彼のパドック周りには人の輪が出来て賑やかだった。
ヴィンテージモトクロスの次は亀岡トライアルランドで5月にヴィンテージトライアルに挑戦すると言う。
そのトライアルランドを経営する森さんもこの輪の中にいた。

マシンのゼッケンNOは、ハンドルネーム通りの『060おじさん』である。
ファンの一人が特別に作ってくれたとか

昼休みに談笑している4人は、左から山本の少し後のカワサキのファクトリーを支えた立脇三樹夫君。その当時のメカニック、今もファクトリー現役の河野君、先週に続いてお会いできた。
そしてこのイベントの立役者貴嶋君と山本隆君。
昼休みには、山本、立脇のサイン入り写真も配られて人気を集めた。
後ろのゼッケン3のマシンは、立脇君の当時のファクトリーマシンである。


写真を貰ってきた。ゼッケン3番、F81Msに乗る山本隆。
『時としてこんな具合に後輪が流れ出す。ライダーは逆ハンを切って修正しマシンを立て直す。舌打ちするひまもない』とモーターサイクリストはコメントしている。
赤タンク時代でなくて『ライムグリーン』の成熟の山本である。
昨日はこんなにかっこよくはなかったが、午後トップを走った。

少しだけ、若い頃の片鱗を残してトップを走った。

そのスタート前、1台1台、マシンの紹介がある、和やかである。
紹介をしているのが主催者高下隆次さん。
レース名は『浅間』、出場資格はマシンか、乗り手が『旧ければいい』とか誰かが言っていた。


MFJの全日本もいいがこんなレースも楽しい。
全てがボランテイア仲間の運営で和やかで、仲間意識が随所に見られるいい1日であった。

もっといっぱい写真を見たい方はこちらをどうぞ。
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橋下さんの涙

2008-04-21 05:25:48 | 大阪維新の会、橋下徹氏
橋下さんに対する市長村長からの集中砲火、テレビで見たが大変だったと思う。

こんなに文句を言われて耐えるのは大変だと思う。
それに耐えて、初志貫徹するのはもっと大変である。


個別の市長村がその補助金や、廃止候補の施設がその存続を訴えたいのは当然であるとは思うが、
より大きな見地での大阪に対する、或いは行政の『発想や行き方に』に対してどう思っているのだろうか。

あのニュースを見て、府民からの反応はその殆どが橋下さんに味方したようである。
府民たちは個別問題よりはより大きな流れの変更に賛意を示しているのだと思う。
そういう意味で末端は良く見ていると思う。

今の大阪の方向は、誰が見ても従来の行政を改革しようという意気込みが感じられる。
『従来の行政のやり方』はどう考えてもおかしい。
『裏金』一つを見ても、その対応の仕方を見ても、普通ではないのである。

そんな状況を、改革しようとせずに『ただ困る、困る』では末端は納得しないのだと思う。



橋下さんの涙は、自分の言葉に対する感涙であることは誰が見ても明らかである。
いろんな発言をした市長たち、発言の内容があまりにもお粗末である。

あんなことでは小学生のいじめ問題など言えないのではないか。
典型的な『いじめの構造』である。
少なくとも首長である。反論でももっと次元の高いところからのものであって欲しい。

府民がこんなに多く賛意を示すのに、市町村長の中に賛同者がいなかったのは何故だろう。
その辺が不思議である。
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今朝のスポーツ記事から

2008-04-20 08:53:56 | スポーツ
スポーツシーズン幕開けである。

今朝のスポーツ記事から、
『走る名古屋』ストイコヴィッチ監督になって首位独走、スーパーサブ杉本3連発とある。日本代表候補にも入ったと言うが知らない。
サッカーの底辺も厚い。

広島高橋39歳巨人を相手に完封。
この人のことも知らなかった。

韓国の李大統領の来日時の晩餐会に神戸の韓国代表金南一が招待されているとか、
なぜかこの人のことは知っていた。名ボランチである。

水泳日本選手権、北島も女子の中西も日本新記録。
オリンピック本番でもメダルが狙える。
日本の水泳陣も強くなったものである。
それにしても、代表選出の基準解りやすくていい。
マラソンもこんな風にすればいい。

石川遼、粘って首位タイ。
女子ゴルフよりも記事の扱いが大きい。
当然だと思うが、今までは違っていた。

今から,ON ANY SANDAに出かけるが、夕方帰ってテレビを見るのが楽しみである。
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後期高齢者医療制度

2008-04-20 05:40:00 | 発想$感想
後期高齢者医療制度は長寿医療制度と名前を変えたようだが、その評判は到って悪い。

名前をちょっと変えるぐらいではとてもダメである。
名前も依然として『後期高齢者』と呼ばれており『長寿』などとは一向に呼ばれない。
中味が長寿医療制度などと言うには程遠いからだと思う。


私自身が75歳、これに該当するのだが、『突如としてそうなった』という感じである。
これに対する説明の周知に欠けていたと言わざるを得ないだろう。

上にリンクした内容を読んでみても、何となく世の中の状況は解るが、
『自分がどうなるのか、どんな位置にいるのか』既に通知を受けてはいるのだろうが、よく解らないのである。

先日もちょっと感想を書いた。


私は、こんな話はいつも、『決まったことだから仕方がないか』と諦めて納得するほうである。
今回もそう思っているのだが、これほど解り難いことは今までにも例がない。

『現状の問題点は何』
『だからこのような制度を』
『現状を改善するためには』
『何故75歳からを特別に分けて』
『何故75歳以下は関係ないのか』

など、当事者がよく分かっていないのである。
当事者だけでなく市役所の担当に聞いてみてもそんなに解っているとは思えない。

コンセプトを明確にせずに、物事を進めた結果だけが出てきている。
野党だけでなく、与党からも異論が出ているようである。

それにしても、
私は従来どのように幾ら負担していた保険料が、今回幾らでどのように負担するのか。
多分通知は来ているのだと思うのだが、『全然解っていないのである』

認識不足と言われようが、それが現実である。
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7万台への挑戦、事業本部方針

2008-04-20 04:25:03 | 7万台の挑戦の時代
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89年2月、この頃の資料を眺めていたら、『こんな時代もあったのだ』としみじみ思ったりする。

2月2日付けで当時のCP事業本部が『平成元年度、生産合理化計画』なるテーマで本社にこんな書類を出している。

何故生産合理化計画に国内の販売ばかりが書かれてあるのか、不思議に思うほどである。


『重点課題』

国内市場を事業部の柱とするよう中期的に育成強化する。
数値目標として、平成3年に7万台、400億円としている。
現状は47000台、270億円である。

『背景及び基本的な考え方』

アメリカ市場中心に展開してきたが、円高時代に突入し円高に有利に働く国内市場の構造的な改革を図り中期的に販売指向型体質を目指す。

『その対策の方向』

国内最重点の車種開発を行なうとともに、販売網の強化のほか。
ユーザー対策としてのソフト会社の設立、直入サーキットなど。

イメージ向上のための『ソフト面の強化の具体策』として、KAZE、ソフト会社、情報システム、レーススポーツ活動を上げている。

推進責任者 高橋本部長、副、小生となっている。
高橋さんも相当の決意だったのが伺える。


時代背景は、今とよく似ている。
国内市場の充実は、円高時代には事業部の経営安定に一番寄与するものである。
こんな時代もあったことも、思い出して国内市場は頑張って欲しい。

レースの第1戦が幸先よく1,2フィニッシュの優勝である。
今年は商品も新しく250など上市されて、期待できそうである。

新しい時代に見合った周辺ソフトの充実こそがいつの時代にも、販社には求められるのだと思う。


当時はその核として4月1日にソフト会社の設立を目論んだ。
別に組織は、なんでもいいのだが、『差別化した仕組みを造る努力』は必要だと思っている。

当時、第1線で活躍した若手諸君が今中枢である。
是非頑張って欲しいと思っている。

環境問題など時代は二輪車に追い風である。
そんな動きに敏感に対応すればと思ったりもしている。

時代を読む目。
遊びの商品を売っているのだから『遊び心』は何にも増してMUSTだろう。






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999942の803

2008-04-19 04:29:22 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
4日間続けてアクセス順位が1000位以内に入った。

今朝は、『999942のなかの803位』
粗っぽく言うと、100万の中の1000位だから、結構気分がいい。

突如として1000以上のアクセスがあって300位ぐらいになったことはあるのだが、それはたった一日だけだった。



今回はずっと400近いアクセスが続いて、4日間も1000位以内に定着している。
きっかけになっているのは、『ダートヌポーツ』である。
その『ダートヌポーツ』のホッパーさんが、先日の全日本モトクロスをアップした。

流石、本職である。かっこよく纏めてある。写真もいい。



その他毎日支えて頂いているブログやホームページのお陰である。
やはり二輪の世界がべ-スである。順不同に幾つかを。
へっぱくおやじのウダウダ
服部カワサキ
名西カワサキ
モトショップセキ
MURASHIMA
スズキの中野さんのホームページ
激突ホンダvsカワサキ
ON ANY SANDA
などなどいろいろである。
こんなのもあった。




一般のブログからも結構多い。いつもご紹介している、
武雄市長物語や三木の方のブログからのアクセスも多いのだが、
たまにはこんな有名ブログからのアクセスもある。



これは『宿坊翡翠之荘』という大分直入町の今は有名な旅館だが、
当主の首藤文彦さんはよく知っていて、スタートした頃、直入でレースやジェットスキーで遊んでいた岩城洸一君などと一緒によく泊まった旅館である。
このブログの元はこちらである。武雄の三湯物語に関したブログの一節からである。
そんなことをブログに書いたら、それを見た人が訪ねてくれたりするのである。




こんなことから、ブログの広がり繋がりを感じるのである。

アクセス人数とともに、『pv』と言うのがある。
『何ページ見たか』ということだろう。1日1000pvを越えると多いと思うのだが、

gooではなくて、今一番日本でユーザーが多いというブログに、マーケッテングの意味で毎日いろんなブログから1通転写してアップしている。

テーマによって増減するのも面白い。
これは絶対数が多いからか、このところずっとpvは1000を越えている。
ところが、パソコンによるアクセスは50に満たないのである。
携帯からのアクセスが殆どなのかも知れぬがその数値は解らない。

gooでは携帯からのアクセスもカウントされているのかどうか。
その辺が解らない。

アクセス解析もいろいろだということだけ、よく解っている。

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雨上がりの庭のバラ

2008-04-18 12:43:03 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
雨が上がった。

4月も20日に近く、薔薇は日々成長する。
雨上がり、小さな水滴が美しい。
もう小さな蕾をつけた。


このあたりのつる薔薇も毎日枝を伸ばす。
一帯が薔薇で埋まるのももう直ぐである。

もっこうバラの蕾は膨らんで、少し黄色くなりかけている。
もう何日かで咲くかもしれない。

今年は初めてブログで薔薇の成長を追っかけている。
そういえば、まだ昨年の今頃はブログに写真の貼付など出来なかったのである。


雨上がりの庭、薔薇の写真を撮ってみた。
少し大きな写真でどうぞ。クリックすると大きくなります。
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武雄市のブログ

2008-04-18 05:35:43 | 樋渡啓祐さんのこと
大阪府の橋下さんのファンにも最近なったが、
武雄市の樋渡啓祐さんには、ずっと以前から注目している。

武雄市のホームページには幾つものブログが掲載されている。
一番中心になっているには、勿論市長樋渡啓祐さんが毎日アップする『武雄市長物語』だが、そのほかにも幾つものブログがある。

他の市でも、ブログが掲載されているところもある。
然し、それが行政の正規の仕事として毎日アップされているとは思えない。
『余分の仕事、仕事ではなく趣味のレベル』
『やってもやらなくても何の評価に関係しない余分の仕事』のレベルである。
広報として、当然やるべき『与えられた仕事』という認識がないのである。




そんな中で、武雄市のブログたちは異色である。
こんなブログがある。


武雄よかとこブログ
昨年7月かいぼー先生など数人の市民が武雄市のいろんな風景を写真で紹介している。
樋渡さんも、はいぴーというハンドルネームでジョインしておられる。
町毎のカテゴリが出来るほどの充実ぶりである。
余談だが、この中のメンバーの一人である『オットマン』さんには、無理を言って『ひょこむ』にジョインして頂いている。
いつの日か、何かが出来ればと思っている。

武雄温泉楼門朝市
昨年9月19日にスタートを切った。
武雄温泉の楼門朝市は樋渡さんもずっと力を入れて育ててこられた。
この『楼門朝市』を取り上げたブログである。
この朝市は1週間に1回である。
ブログも1週間に1回かと思ったらそうではないのである。
9月19日にスタート以来、毎日アップされ続けて、たった3日ほどしか抜けていないのである。
スタートして1ヶ月続いたのでもビックリしたのに、6ヶ月経っても毎日である。

元気たけおっ子物語
これも力を入れておられる食育のテーマである。
これは昨年の5月からである。
地味なテーマではあるが、地味にずっと続いている。

がばいたけおのユニバーサルデザイン
これはブログと言うべきか、ブログもその一部ですが、ユニバーサルデザインについての広報である。広報の見本のような広報だと思っている。

TAIZO+TAKEO
昨年4月、営業部戦略課のスタートと一緒にスタートした。
これも秋の実施のTAIZO+TAKEO展にあわせて、非常に力を入れられた。
12月末まで途切れることなく続いた。

武雄のわっかもん
ある意味、私が一番注目してきたブログである。
2006年にスタートしている。
ブログがメインでなくて『わっかもんプロジェクト』の活動の報告記録のブログだから仕方がないのかも知れぬが、山あり谷ありのブログである。
市民参画や役所の若手たちが幾つものプロジェクトを立ち上げている。
樋渡さんがそれを育てようと言う気持があちこちに見られる。
気長に優しい樋渡さんの気持が見えて、それに注目しているのである。


武雄市長物語
これは樋渡さんの、ブログでこれらブログたちの中心になっている。
これらがみんな繋がりあって、武雄独特の市民参画などが実現し続いている。

ある意味、SNS的なブログたちである。
市長就任2年、2年の歳月に、いっぱいの実績である。
市長も職員も市民もみんな頑張っている。
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大阪のホームページ

2008-04-18 04:58:21 | 大阪維新の会、橋下徹氏
大阪府のホームページが面白い。

以前がどうだったのか解らないので比較は出来ないが、多分橋下さんのなってから変わった部分は多いのだと思う。

特に記者会見の部分とその質疑応答の部分は非常に面白い。
記者への発表75分、記者会見37分が動画で見れるようになっている。

それを聞けばどんな調子で、どんな態度の語り口か直ぐ解る。
一言で言えば、『自分の言葉で、本音が語られている』

それを全部聞くのは、2時間近く掛かるので、少し聞いてあとはそれを文字に纏めたものを一応全て目を通してみた。


最近新聞やマスコミでは、大阪の記事満載である。
然し、全てを伝えられないのは当然である。
このホームページでは全てが見れる。要領よく読むと30分ぐらいで全部見れる。
少なくとも『言っている全体像』が解る。

少々褒めすぎかも知れぬが、『私が期待した通りの橋下さん』がそこにいる。


間違いなく、大阪府の改革は進み、物事は目指す方向で実現すると思う。
そう感じるものがそこにある。
関心のある方は一度全てに目を通してみて欲しい。

特に、行政にいてそこで給料を貰っている人は、日本の同じ行政の中にもこんなところが出てきていることをご自身で確かめて欲しい。

『忙しくてそんな時間がない』と言われる方がおられると思うが、そんなマーケッテングマインドのなさが、『おかしな行政』に繋がっているのだと思う。


私が推す理由を幾つか並べると、

『正直である』『誠実である』『マケッテングマインドがある』『差別化、個性化が出来ている』
『厳しいが部下、組織への思いやりがある』『リーダーの素質が身についている』
『スポーツマンらしく明るい』『謝り方がすっきりしている』などなどである。


一度ご覧になってみてはと思うのである。


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だんすりーからの写真

2008-04-17 06:31:08 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
だんすりーからこんな写真が送られてきた。

だんすりーとはアメリカにいる私の娘のハンドルネームである。
孫3人を連れて、ベッカムに所属するLAギャラクシーのサッカークリニックに行ってきたらしい。

3人ともサッカーをしている。
サッカーはそんなに上手くはないが、娘に似て物怖じしない。
娘は私に似ているのかも知れない。

6月7日のサッカー試合のハーフタイムショーに上の二人が出場することになったので観に来ないかと言うのである。



行けるわけはないが、これを言ってきたのは『ひょこむ』の中のでのメッセージである。
アメリカにいるが『ひょこむ』のメンバーである。招待をすると言ったら直ぐ入った。
『だんすりー』はそのハンドルネームである。

これも経緯があって、初めは『だんご三兄弟の母』と言っていたのだが、60おじさんに『かわいいのにダンゴ三兄弟は可哀想だ』とか何とか言われて、その意味を残しながら『だんすりー』に改名したのである。


アメリカの生活も3年目に入って、結構楽しそうである。
毎年7月から、日本に遊びに来て保険の関係などで2ヶ月間は『三木市民』になる。
今年も7,8月2ヶ月間、我が家の台風シーズンである。

昨年、一昨年はそのあと家内がアメリカについていって、1ヶ月ほど私は自由な身になっていたのだが、今年はどうなるのだろうか。
何も特にやったりはしていないが、毎日『ひょこむ』は覗いているようだ。
兵庫県を中心のひょこむも、カリフォルニアのアーヴァインに簡単に繋がっているのである。


アーヴァインはカワサキのKMCがあるすぐ近くなので、孫の学校の友達には何人もカワサキに勤めている人の子供さんがいる。
あの辺りは私もよく知っている。いいところである。

孫たちもアメリカでのびのび育って欲しい。
昨年は日本に帰って来て、小学生のクセに英検2級に合格した。
考えてみれば、英語は単なる言葉であって『学問』ではないのである。
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後期高齢者保険制度など

2008-04-16 08:09:27 | 発想$感想
この3月75歳になった。後期高齢者の仲間入りをしたことになる。
なったばかりだから通知なども、来るのだが全部きているのかどうかも解らない。
保険証だけは届いた。

家には98歳の母がいる。
二人いるのだが同時に届かない。

届いて書類を読んでももう一つよく解らない。
先日届いた書類について市役所の担当者に電話で聞いてみたが、要領を得ない。
あまり解っていないのである。
『解らないでしょう』といったら『難しいですね』と正直な返事が戻ってきた。

少しアタマの働きは落ちていることは認めるが、平均値だと思っている。
そんな後期高齢者たちにあんな難しい書類を送っても、読むことも、読んで理解することも難しい。
現実離れしていると思う。

今朝の新聞も第一面トップ記事だが、『年金天引き』と言うが、どういうことなのか今までも天引きされていたような気もする。
大体、こんなことに抵抗してみてもなるようにしかならぬと思っているので、『関心を持たない』のがいけないのだろう。
何時まで経っても解らないのである。



後期高齢者保険ではないが、昨日年金の調査票が母に届いた。
『重要』、『親展』とあるが、母に見せてもダメなので開いてみた。
中は年金の支払い期間があり間違いないかの確認で記録する票が入っている。
問い合わせ番号があるので電話をしたら、その電話からはつながりませんと言う。
『ヒカリ電話からはダメ』なのである。
有料電話で掛けなおした。

対応に出たかたといろいろ話をした。
『親展は解るが、98歳の人は解りませんよね』
『電話、何故ヒカリではダメなんですか。有料では怒る人もいるでしょう』
『そうなんです。返送封筒が小さくて入らないという人もいます』
結構仲良くなっていろんな面白い話も聞いた。
『ところで、この仕事は給料いいのですか』
『そんなことありません。先日、そんなことが言われて迷惑しています』

怒って掛けてくる人が、大部分でストレスが溜まるようである。
私は、普通の楽しい会話を楽しんだ。

それにしても、アタマのいいお役人も末端の状況がイメージ出来ていないと思う。
回収率ばかりが気になるようである。

『私や家内にはまだ届いていませんが、来るのですかね』
『全員にお送りするはずです』

この書類を見る限り、書類を見てこの記録があっているか違っているか判断できる人は少ないと思う。
結局、回答率だけが目標のように思う。

『政治家の一言』も高くつくものだ。それが正直な実感である。
年金をあまり文句もなく受け取っている人にとっては面倒なだけである。
それも若し独りなら、返事も出来ないのではないだろうか。




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どこ竹の堀池さん

2008-04-16 05:06:28 | みっきぃふるさとふれあい公園
4月6日の日曜日、三木で『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』を開催した。

どうなることかと思っていたが、大成功であった。
昨夜はその反省会と今後どのように進めるか検討会を持った。

三木の一般市民、議員さん、市役所の人たち10人ばかりが集まって議論した。
『喧々諤々』と言っていいいいトークであった。
ホンネで話も出来ない議論など、時間の無駄だと思っている。


私は、この話終始一貫『ひょこむ』というSNSと『どこ竹』といういい仕組みが核にならない限り上手く廻らないと思っている。

いろんな人の集まりである。一堂に会することもママならない。
命令権や権限も無い。
そんな中で『竹とんぼ』を作り、飛ばして子供たちと遊ぼうというのは、口では簡単だが現実には従来の動きでは実現しないと思っている。

ただ、一般にネット社会になったとはいえ、SNSなど経験した人はごく僅かであるから、それを理解してもらうのはなかなか難しいのである。


ただ、今回のイベントが上手く行ったのは、こんな『ひょこむ』と『どこ竹』のシステムのお陰であるが、それを動かした人たちがあって始めて機能したのである。
特に先生役で終始引っ張って頂いた、『どこ竹』の堀池さん以下の先生方のお人柄と熱意が大きかったと思っている。

とても、普通ではああは行かないのである。

堀池さんの書いておられるブログにもそれは現れている。
このイベントについて、三木についてこんな風に書いて頂いた。
新しい順にご紹介してみよう。


まず、帰りにご案内した、三木の金物神社、金物博物館などについて。
紹介の内容と、写真を見てもきっちりされているのがお解かりいただけると思う。

次は、廣野ゴルフと金物のまち三木。
三木市の広報から、お礼状を出さないといけないような三木の紹介である。

どこ竹を教えに来て頂いて、逆に『三木で地域SNSひょこむを学ぶ』
と紹介して頂いた。

そして、『三木市ではじめての親子竹とんぼ教室』


ご一読頂くと、どんな方でどんあ風に活動をされるのか容易に想像できると思う。
三木の今後の活動も、こんなどこ竹と一緒に進むのが一番手っ取り早いと思っている。
竹とんぼが作れる方はいっぱいいる。然しきっちりと教え方や拡げ方の仕組みを造れる人は殆どいない。

『どこ竹』『ひょこむ』二つともいい仕組みである。
基本はそれを造り、動かす人のコンセプトの確かさが『物事を実現に向かわせる』のだと私は信じている。
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吉田純一君と小池百合子さん

2008-04-15 09:05:02 | カワサキ単車の昔話
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家に二輪車新聞とベタータイムスが今でも送られてくる。

衛藤誠さんと森田伊活さんがわざわざ送って頂いているのである。
お二人とも二輪業界の機関紙誌では重鎮である。

最近贈って頂いた二つの記事に、東京モーターショーでの小池百合子さんと吉田純一全国オートバイ協同組合連合会会長との対談記事が出ていた。

二輪車の駐車場問題や二輪は省エネ環境に優しい乗り物というような話題であったようである。
環境問題がやかましく言われる現代、二輪は本当に環境に優しいだけでなく、いろんな意味でいい乗り物なのである。
その機能と価値がもう一度見直されてもいいと思う。


小池百合子さん、総理大臣候補とも言われたりする大物である。
その人と対談している吉田純一会長、我々カワサキの仲間ではいつまで経っても『純ちゃん』で通っている。

今朝のアクセス解析に、こんなのがあった。

多分、『ベタータイムスか吉田純一』からの検索だろう。
カワサキの二輪関係者で『純ちゃん』が今一番有名人かも知れない。
thiraiさんが神戸営業所長時代そこにいた。
後、大阪で販売店を始めて、根っからの世話好きでいろんな人の面倒を見ながら、今は全国の販売店連合会長である。

国会議員の先生方とも一緒に二輪業界のために動いている。
時代は厳しいが二輪に追い風だと思う。

駐車場問題などの逆風もあるが、それを上手く追い風に使っていけばと思っている。
『純ちゃんの』出身母体の『カワサキ』も是非一緒になって、応援して欲しいと思っている。

小池百合子さんなどと言う大物が応援団についているのですから。


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7万台への挑戦、ジェットスキー

2008-04-15 05:06:21 | 7万台の挑戦の時代
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89年2月に当時の事業部から『カワサキのパーソナルウオータークラフトの事業展開について』という一文が出ている。
多分、鶴谷将俊君(現川重商事社長)が纏めたものだと思う。

そこにはジェットスキーの歴史なども纏められている。抜粋をしてご紹介をしながら当時を振り返ってみたい。




『1973年に開発商品化されて74年よりアメリカ市場でのみ販売されてきた。』

アメリカ以外の市場の開拓を目指したのは、鶴谷君がオーストラリアの社長から復帰して、ジェットスキー担当として専念した85年8月以降のことである。
当時、ジェットスキーを扱う組織も担当者も明石にはいなかったのである。
そういう意味で彼は、アメリカ以外の地区のジェットスキー販売の先駆者である。



『昨年度(88年)はアメリカを中心に5万台の販売に達したものと推定される。
日本、豪州、欧州では対前年比150~250%の増加率となっている。
この間、78年にはアメリカにIJSBAのレース協会が設立され、日本でも84年にはJJSBAが設立された。
昨年のアメリカの最終戦レークハバスでは世界各地域からチャンピオンが派遣され文字通り国際レースが展開された。
また、9月に開催されたソウルオリンピックに際しては、組織委員会の要請によりオリンピックスタジアムのすぐ前の漢江において、開会式と並行して世界4カ国の代表ライダーによるデモンストレーションが行なわれた。』

とジェットスキーが世界的に認められ新しい水上スポーツとして広がりつつある兆候と分析している。
85年8月から僅か3年ほどであったが、世界の事情は様変わりしていた。

前述したように、新しく世界市場に臨もうとしたときは、事業部にその担当部門もなく企画室企画部で担当をした。
ジェットスキーに乗れる人もいなくて、たまたまジェとスキーのレースをやっていた福井昇君を発動機から移籍してもらって始めたプロジェクトであった。

当時の鶴谷君以下藤田、宇田川、福井君その上司であった故武本君たちの努力の賜物であったし、JJSBAをはじめカワサキ以外の西部自動車や大南君などなど社外の先駆者たちのご尽力も大きかったと思っている。

そんなジェットスキーも事業部の主力商品の一つに成長して、今後更に積極的な展開を図るとしている、

その第一は
商品開発の幅広い展開である。

そして第二は
この水上モタースポーツが社会に定着するよう安全操縦の推進、ゲレンデの確保など積極的な環境対策である。

第三は
『遊びの開発』ならびに多様化の推進であった。
レースの展開とともにジャンボリーの開催などイベント展開も計画展開することとし、遊びに必要なアクセサリーの開発なども積極的に行なう。

そして最後に
販売網の整備強化を上げている。



こんな事業部の基本方針に呼応して、JJSBAのレース協会の強化育成、
遊びの開発のための専門会社KSSの設立、販売網強化のためのジェットスキー専門の販売会社、当時これを担当していた。
ジェットスキーはカワサキにとって珍しく業界トップメーカーであったのである。

ヤマハさんと一緒に設立したウォータークラフトの安全協会もカワサキが会長役を引き受けたのである。



7万台の販売を目指した国内市場の於いて、その内訳は
M/C 63000台、 J/S 7000台だったのである。

この文書が出た時期の実績は3000台であった。倍増以上を目指す目標であった。
この丁度2年後、ジェットスキーの売上はピークの9270台を記録した。
M/Cとあわせて7万台を達成したのである。

いい時代の幕開けであった。
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