お手数ですが、ちょっとクリックいて頂けますか。
目標だけは大きく掲げ、いろんな基本対策や将来の準備に忙しかったが、
89年前半は大した実績の伸びは見られなかった。
この時期、直入のサーキットを着工した。
約1年の順備期間を経て、2月に本社の決済も通り、4月14日に起工式をやっている。
カワサキにとっては規模は小さいが、一般のライダーを視野に入れた日本でも初めてのコンセプトのサーキット建設であった。
兵庫県では中町にセントラルサーキットの認可が下りて平井さんが担当、関東にも幾つもの候補が上がっている。
益子町やいわき市などであった。
サーキット建設はこの頃から経験したが、みんないろんな思惑があって、なかなか一筋縄ではいかない。
認可も難しいことが解ってきた時期である。
話は幾らでも沸いてきた。
88年10月、レースOB会で盛り上がったレースは、
ルマン24H耐久で、カワサキは優勝こそ逃がしたが、フランスチームが2位、日本から参加した宗和、多田、塚本組が3位に入る健闘を見せた。
レースに力を入れると宣言してのスタートを幸先よく飾った実績であった。
4月24日のことである。
事業部のほうもいろいろと多事多難ではあったが、以前のような危機的状況は脱して一段落であった。
上のほうの人事も微妙な時期で、田崎さんにニューヨーク事務所の話があり6月に事業部を離れたりしている。
4月末にZEPHYRが発表されたが、当初はそんなに期待もしていなかったのに順調に数を伸ばした。
5月になってやっと前年対比を上回ったのである。
5月末実績M/C 41398、J/S 3940、合計45338台。
まだまだ、7万台には程遠い数字であった。
4月1日にケイスポーツシステムと言う新会社を設立して、レーススポーツ対策、ユーザー対策を開始した。
特ににKAZE対策は、各営業所に担当者を設置して積極的に対応した。
1月にJCBと提携して新会員証としたのだが、JCBはひどく乗り気で常務さんが対応してくれたりしていたのだが、5月になると副社長さんが出てきて赤坂で食事をご馳走になったりした。
その頃はまだ気づかなかったが、若い層、それもバイクやジェットスキーに興味のある層、カードを初めて作るる人が多いなど。
JCBにとっては我々が思う以上に魅力があったのである。
こんなJCBの対応はその後もずっと続いて、
我々も努力して、2000人の会員からKAZE会員5万人になった頃には、
KMJの社員カードを全てゴールドで対応してくれたりしたのである。
こんな89年前半を過ぎて後半は、ゼファー、ジェットスキーの快調で一気に台数も上がっていくのである。
7万台の準備期間としては順調であったと言えるだろう。
目標だけは大きく掲げ、いろんな基本対策や将来の準備に忙しかったが、
89年前半は大した実績の伸びは見られなかった。
この時期、直入のサーキットを着工した。
約1年の順備期間を経て、2月に本社の決済も通り、4月14日に起工式をやっている。
カワサキにとっては規模は小さいが、一般のライダーを視野に入れた日本でも初めてのコンセプトのサーキット建設であった。
兵庫県では中町にセントラルサーキットの認可が下りて平井さんが担当、関東にも幾つもの候補が上がっている。
益子町やいわき市などであった。
サーキット建設はこの頃から経験したが、みんないろんな思惑があって、なかなか一筋縄ではいかない。
認可も難しいことが解ってきた時期である。
話は幾らでも沸いてきた。
88年10月、レースOB会で盛り上がったレースは、
ルマン24H耐久で、カワサキは優勝こそ逃がしたが、フランスチームが2位、日本から参加した宗和、多田、塚本組が3位に入る健闘を見せた。
レースに力を入れると宣言してのスタートを幸先よく飾った実績であった。
4月24日のことである。
事業部のほうもいろいろと多事多難ではあったが、以前のような危機的状況は脱して一段落であった。
上のほうの人事も微妙な時期で、田崎さんにニューヨーク事務所の話があり6月に事業部を離れたりしている。
4月末にZEPHYRが発表されたが、当初はそんなに期待もしていなかったのに順調に数を伸ばした。
5月になってやっと前年対比を上回ったのである。
5月末実績M/C 41398、J/S 3940、合計45338台。
まだまだ、7万台には程遠い数字であった。
4月1日にケイスポーツシステムと言う新会社を設立して、レーススポーツ対策、ユーザー対策を開始した。
特ににKAZE対策は、各営業所に担当者を設置して積極的に対応した。
1月にJCBと提携して新会員証としたのだが、JCBはひどく乗り気で常務さんが対応してくれたりしていたのだが、5月になると副社長さんが出てきて赤坂で食事をご馳走になったりした。
その頃はまだ気づかなかったが、若い層、それもバイクやジェットスキーに興味のある層、カードを初めて作るる人が多いなど。
JCBにとっては我々が思う以上に魅力があったのである。
こんなJCBの対応はその後もずっと続いて、
我々も努力して、2000人の会員からKAZE会員5万人になった頃には、
KMJの社員カードを全てゴールドで対応してくれたりしたのである。
こんな89年前半を過ぎて後半は、ゼファー、ジェットスキーの快調で一気に台数も上がっていくのである。
7万台の準備期間としては順調であったと言えるだろう。