飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

終わりの日の預言!!⑤

2008-04-01 08:30:04 | 預言

『終わりの日の預言』転載!!第5弾
正覚院 義敬(本名;矢野 敬二郎氏) 著

 この中で、オモシロイのは警察・検察の取り調べと、被告人と弁護士との人間模様、そして、著者を除く被告人とその取り巻きの人間模様である。淡々と書き連ねているが、その情景が手に取るように分かる。義とは何かを如実に示される。確かに現在失われているのは、この義である。義とは何か。? 正義の義。義務の義。そして、道義、教義、仁義、いわゆる仁・義・礼・智・信の義である。簡単に言うと『正しさ』という事であるが、これが失われている時代を如実に示される。

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 警察・検察に義が失われて嘆かわしいと感じていたが、その具体的有様を見せられる。弁護士とて同じである。何のための権力か、何のための智慧か、何のための信仰か、それは義=正しくあらねばならないと言うことである。

 義は贖義は贖(あがな)えられる。何という勇気づけられる預言であろう。

 まず、このことに感動しない人はいないであろう。しかし、義すらも何かを忘れてしまったような人々が多いことか。今の世は、義ではなく、『利』が優先されて、事が運ばれていく。『理』ではない、『利』である。どうすれば得をするかという『利』が、判断基準の根底にある。そこに冤罪が生まれ、詐欺が横行し、盗み、かすみ取られる事件が多発する。最大の不義は偽善である。偽善による政治、偽善による経営、偽善による戦争が横行している。不義は正されると思う。

 そして、義は(あがな)えられる。著者は義に熱き故に、この預言が下ったモノと思われるのは、間違いであろうか。
          

【転載開始】

主は言われた 1998

 平成10年(1998年)に入り、私は明らかになった事実を記したものを3月31日付「上申 書」として提出するため、弁護士にそれを託した。ところが弁護士はこれを提出せず、「これを提出するのであれば弁護をやめる。」と言ってきた。私は、「や めてもらって結構です。」と弁護士に告げた。すると弁護士は、「それなら、せめて名古屋満願寺住職の証拠調べ公判が終わるまで待ってほしい。」と言うの で、この「上申書」はひとまず僧侶・信徒らに預けることにし、その公判が終わる6月に裁判所に提出することにした。
 僧侶・信徒らはこの「上申書」の内容を知って大騒ぎとなった。門主は弁護士を介して私に「上申書の内容は認めるから。」と言ってきた。門主は僧侶には、 「事実を明らかにすることは私にとっても不利になるから裁判所には提出できない、だから裁判所に提出しないで僧侶・信徒に宛てて出したのだ、と言い、また 僧侶に宛てて手紙を出し、「奴は長期拘留で頭がおかしくなった。かわいそうに病気だ。」と内外に触れ回って、私への同情を装いつつ、上申書に記載されてい ることから人々の目をそらさせようとしていた。このやり方(2枚舌)も、サウルとまったく同じであった。
 そして6月9日、私は「上申書」を裁判所に提出した。

 平成10年7月15日朝、「声」が、旧約聖書の次の場面を読むようにと私に指示した。
 かつてイスラエルの王となったダビデが国を治めていたとき、アブサロムという人が民心の情を巧みにつかんで民に、「ああ、私が責任者であったら、あなた 方の訴えや申し立てを聞き入れることができるのに。あなた方の不満は当然である。」と言ってつけ込み、不満をもつ人々からダビデに対するあらゆる情報を集 めた後、自ら王位に就いたことを人々にふれ回り、勝手に王になった。ダビデはあえて従者たちと共に宮をひきはらい、王宮を去る。ダビデたちが去った王宮に アブサロムは入り、ダビデたちを滅ぼすための謀りごとを企てる。しかし自ら企てた陰謀のために彼は自滅し、国はダビデのもとに戻った。

 7月17日、本覚寺管長Sが僧侶たちを集めて説法し、「奴は辞任し、弁護士は全員、弁護を降りた。今日から自分が明覚寺管長である。信徒の布施を自分に集めよ。そうしないと横領で訴えるぞ。」と脅した。私は断食に入った。そして「声」が彼らのことを私にこう告げた。
 「いわれのない憎しみの言葉は、飛び回るすずめのようなもので止まらない。愚か者の舌に説法があるのは、とげのある杖を手でつかんでふり上げ、自身とま わりに集まる人を傷つけるだけである。犬が帰ってきてその吐いた物を食べるように、愚か者はその愚かなことを繰り返す。」

 「声」は私たちに対して、こう告げた。
 「あなた方は弱った手を強くし、よろめく足を健やかにせよ。心おののく者に告げよ。『強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなた方の父は報いをもって臨 み、来られて、あなた方を救われる』と。そのとき、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。足なえは鹿のように走り飛び、おしの下は喜び歌う。砂漠 に水が湧き出で、乾いた地が水の源となる。その道は聖なる道ととなえられる。汚れたままでその道を通ることはできず、愚かな者はそこに入ることはない。あ がなわれた者たちはその道を通ってわがもとに帰ってきて、その心に悠久の喜びをいただき、彼らの父を賛美しつつ来る。彼らは楽しみと歓喜とを得て、悲しみ と嘆息とは逃げ去る。」

 やがて本山主管から、門主が僧侶たちに宛てて出していた手紙が差し入れられ、主管の「啓示どおりです」との手紙が添えられていた。
 門主は、「現弁護団が矢野に確認をとり現弁護団が判断の上、明覚寺代表印は手元に戻り、明覚寺の実質支配権は取り返した。立場は逆転した。」「勝負あった。」などと書いていたが、私は弁護士から了解を求められておらず、盗んだのである。
 これまで門主・私・名古屋満願寺の僧侶Tの3人合同で進められていた裁判は、私のみが分離されることになり、4人の弁護士が2人づつ分かれて弁護するこ とになった。私は合同のままで事実を明らかにしたかったが、門主はそれを恐れて私を分離させた。破門になったのは私だけではなかった。私に同調する僧侶は すべて破門された。

 8月9日、「声」は私にこう告げた。
 「恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなた方の戦いではなく、わたしの戦いだからである。彼らの所に攻め入りなさい。この戦いには、あな た方は戦うには及ばない。あなた方は進み出て立ち、あなた方と共におられる方の勝利を見なさい。父はあなた方と共におられる。」
 私は幻で、彼らがそれぞれの謀略によって互いに滅ぼし合って全滅するのをみた。
 そして私は、その「声」の主が誰であるかを知った。「声」の主は、仏ではなかった。聖書にしるされている「主なる神」であり、神の御子「イエス」であり、主なる神や御子に遣わされてそれを伝えていた御使いたちであった。
 それを知ったとき、主なる神は私にこう言われた。

 「わたしは恵みのときにあなたに答えた。わたしは救いの日にあなたを助けよう。」【続く】