飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

ゲームの達人さんについて!!②

2008-04-22 21:46:43 | 日本

ゲームの達人さんについて!!

 達人さんの言わんとするところ.....


 
詳細にブログを読んだので、達人さんの言わんとするところを、我流で解釈してみたい。Photo

 やっぱり、小石牧師と絶縁するのは本当らしい。何故か? 経緯について、細かいところは承知していないが、簡単に言うと路線対立だろう。これはしょうがない。方や信仰者、方やプラグマティスト。牧師と軍人である。別な表現をすれば、高野山僧侶と比叡山の僧兵である。

 こんな言い方をすると、こっぴどく叱られるかも知れないが、出家僧と出家をやめた侍の違いであって、やむを得ない。三島由紀夫に傾倒する氏の思いはよく解るし、また、牧師の託身の精神も理解できる。託身なくして信仰は成立しない。

 私自身はどうかというと、達人さんに傾倒するが、託身の凄さを捨てきれない。でも、出来得ない自分を認識しているので、信仰者たり得る事がない。

 同時に、宗教の起源と、その陰謀性について大いに共感を持つが、覚者の存在、メシアの実在についても信を持つ。但し、盲信(妄信)と狂信を拒否する。宗教の起源は、むしろ、覚者・メシアによって成立し、覚者・メシアが昇天して後、信者に巣くうサタンとその眷族によりねじ曲げられ、支配と隷従に都合が良いように陰謀術策を用いて改変されたと考える。Love

 聖書には、数多くの改変がある。マリア信仰などその典型であるし、処女生誕などは、誠に怪しい。が、さりとてイエスが覚者であったとの否定には繋がらないし、ゴーダマが仏陀として悟りを得たことの否定には繋がらない。要は、その悟りの高低、深浅(真賎?)である。イエスにおいては、垂訓の透明度である。律法は強制、隷従を促しているモノではない。指針を示すモノである。故に律法に殉ずる者は、奴隷というわけではない。自由意思の選択である。

 真の宗教には、自由がなくてはならない。その自由ということは、放縦の自由ではなく、心性の自由である。心性は神性に繋がる。言い換えれば、自我の自由ではなく、真我(アートマ(ン))の自由でなくてはならない。善我(良心)の自由であっても悪くはないが、宗教とはその次元を異にするように思う。

 人間に共通するモノは、真我(内在する神性)であり、善我(良心)である。自我は千差万別、百人いれば百様、まさしく唯我独尊の世界であって、まとまる道理がない。しかし、世界はそれを許しているからこそ、百花繚乱の相を呈しているのである。個性は独尊なのであって、それは与えられたモノである。守られたモノである。

 問題は、その個性に放縦の自由を主張する者、もしくは、心性の自由をすり替えて、それを扇動する者、そして、それを餌に支配を試みる者である。これがサタンであり、悪党である。

 しかし、それらの者も同じ力により、生かされている存在である。

 達人さんは、聡明で、人情に篤く、義侠心に富んでいる。しかも勇気がある。大好きである。多くの教示を願いたい。だから、心配である。何時までも颯爽とブログで登場されることを願っている。


ゲームの達人さんのこと!!

2008-04-22 10:03:36 | 日本

ゲームの達人さんのこと!!

 ゲームの達人さんが、生き返った。うれしい。

 

   


 何がともあれ、祝福したい。まだ、しばらくお付き合いできる。氏のブログは、半分ぐらいしか読んでない。早く読んでおかないと、又、何時配信停止になるか、勝手に死んでしまうかもしれない。勝手に死んじゃあダメですよ。達人さん。!

 人間は、勝手に生きているんじゃあない。生かされているんです。死んでも生きなきゃならないのが人間です。死んでも生かされる。死ねないんです。何処でどのように生きるかが問題なだけだ。この世で生きるか、あの世で生きるか。あの世の何処で生きるかだけ。だから、生かされている。

 だったら、観念するのが、早道だ。諦観するしかない。諦観したら、出来るだけおもしろ可笑しく、自分も含めて人を楽しませることも仏道だ。そう思って、頑張っておくんなさいまし。達人さん。頼りにしてますよ。楽しみにしてますよ。

 話題変わって、

 2ちゃんねるに『ゲームの達人』というスレッドが立てられ、3月16日頃からチャットが開始されている。有名なんです。達人さんは。有名税は、うざったいだろうけれど、しょうがない。その中で、いろいろ言いたい放題書かれている。
 私の観るところ、攪乱そぎ落とし作戦だと思う。どうせ頭逸協会(!)かなんかのから騒ぎだと思うが、そんなこと気にしないこと。どうせ、から騒ぎだけが専門の眷族に過ぎない。フリーチベットの自作自演妨害デモ要員までも行かない。

 真相を暴くと言うことは、悪事を止めるための必要条件である。街灯が明るいと言うことは、犯罪防止の重要な要件であるのと同じである。


終わりの日の預言!!⑰

2008-04-22 08:43:15 | 預言

『終わりの日の預言』転載!!第17弾
正覚院 義敬(本名;矢野 敬二郎氏) 著


 しばらく、時が開いたが、預言の世界に戻る。とうてい預言について、解釈したり、説教できる器ではない。が、何となく分かる。喩えや状況の細やかなことはさっぱり、憶測の域を出る者ではないが、要は、何に従い、何を杖とするかと言うことである。ともすると人は、創られた事を忘れ、創られた世界を我が物のように、勘違いし、その中に恰も支配する者のように振る舞う。B0086362_10484485

 創られ、生かされているのである。生かされる場を与えられているのである。また、その中で、使役されているのである。使役というと語弊があるかも知れないので、使命を持たされているのである。そして、それが真の喜びであるはずである。が、それを忘れる。

 恰も自ら現れ、自ら世界を創り得るとの錯覚に陥る。そして、その世界を支配し君臨することが、儚き悦びであるとの錯覚を持つ。そのために我こそ選ばれたる者であるとの自己欺瞞に陥る。我がために主が存在し、主は我を贖うべき存在であるとの誤認識に立つ。これが反逆である。こうなるとなかなかその自縛から逃れることが出来ない。

 そして、サタン(蛇)はささやきかける。『そうだ、そうだ。そのための人生ではないか。誰がその自由を奪うことが出来よう。そなたこそ、神が与えたもうた、被造物の特権、神のごとく創りたもうたそなたの尊厳、やがて、神の御座より高く立つことこそ、そなたの目的使命である。』と。

 それが転落の始まりである。

 

 

 【転載開始】

主は言われた 1999

平成19年4月5日朝、主は言われた。

  「3人は竜の陣を突破し、イエスの城門の傍らにある命の井戸から水をくみ、持ち帰った。3人は、ダビデの3勇士のようであった。竜は言った。『イエスは、 彼らに、神が必ずあなた方を救い出してくださる、決してあなた方が敵の王(サタン)の手に渡されることはない、と言って神に依り頼ませようとするが、そう させてはならない。』と。そして働きかけた。『イエスの言うことを聞くな。わたしと和を結び、降伏せよ。そうすればお前たちは皆、自分のぶどうといちじく の実を食べ、自分の井戸の水を飲むことができる。やがてわたしは来て、お前たちをお前たちの地と同じような地、穀物と新しいぶどう酒の地、パンとぶどう畑 の地に連れて行く』と。かつてアッシリアの使いが来て、ヒゼキヤとイスラエルに同じことをしたのを知らないのか。背く者らは、偽りのパンとぶどう酒の地に 連れ去られた。
 今この時、わたしは、かつてソタイと呼ばれた者によってあなた方が被った苦難のすべてを、取るに足らないことと見なさない。」


 平成19年4月10日朝、主は言われた。
「弱い者に目をとめ、賢く振る舞う者は幸いだ。わたしは災いの日に、彼を救い出す。わたしは彼を守る。そして、彼を生かす。彼は地にて祝福される。そし て、彼の敵どもの心のままに彼を渡さない。わたしは、彼が弱って床の上に伏すとき、彼を支える。すべての彼の病の中で、彼の寝床から、彼は再び立ち上がっ て歩けるようになる。」
 昼になって、主はまた言われた。
「エリエナイは自身の家に住むようになり、わたしは周囲の敵をすべて退けて共に住まい、彼に安らぎを与えた。」


 平成19年4月11日朝、主は言われた。
「『サムソンは手で蜜をかき集め、歩きながら食べた。また父母のところに行ってそれを差し出したので、彼らも食べた。しかし、その蜜が獅子の死骸からき集めたものだとは言わなかった。』
 かつて士師サムソンがしたことの意味を、知恵ある者は考えるがよい。わが僕のなした事で、意味のないことは何もない。」


 平成19年4月12日朝、主は言われた。
「『サムソンは父母と共に、ティムナに向けて下って行った。ティムナのぶどう畑まで来たところ、1頭の若い獅子がほえながら向かって来た。そのとき主の霊 が激しく彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた。しかし、彼は自分の行ったことを父母には言わなかった。』
 なぞを解くために求める者はこう言うがよい。
 『主よ、あなたは、あなたは私からあなたの憐れみを閉ざし給うな。あなたの慈しみとあなたの真実が常に私を守るように。なぜなら悪が私を囲んで、数え切 れません。わが咎(とが)が私に追いついたため、私は何も見ることができなくなっています。その数は、わが頭の髪よりも多いので、わが心も私を見捨ててい ます。主よ、私を救い出すことを欲し給え。主よ、わが助けのために急ぎ給え。わが魂を滅ぼそうと求める者たちが、恥じるように、また辱(はずかし)められ るように。私の災いを喜ぶ者たちが後方へ退くように、そして辱(はずかし)められるように。私を嘲(あざけ)る者たちが、彼らの恥の結末におののくよう に。』」
 夜になって、主はまた言われた。
「知恵ある者はこう言うがよい。『むなしいことや偽りの言葉を、私から遠ざけてください。私を貧乏にも富裕にもしないでください。私に適する量のパンを味わわせてください。』と。
 多くの牧者がわたしのぶどう畑を荒らし、わたしの所有地を踏みつけ、わたしの喜びとする所有地を、荒廃した荒れ野としている。彼らは、あるいは貧しさを誇り、あるいは富裕さを誇っている。」


 平成19年4月13日朝、主は言われた。
「主の民の子孫だが、その氏族に従うと、反逆の民の氏族。彼はエリエナイの言葉を密告した。彼はエリエナイに脅迫の手紙をよこした。城壁を築くために、エリエナイは扉を取り付けさせた。そして、彼をそのなすがままに任せた。」


 平成19年4月14日の安息日の朝、御使いが言った。
「背いた者が敷いた物に触れた人は皆、汚れる。また、それを持ち運ぶ人も、命の水で身を清めなければならない。その人は、その時まで汚れている。」
 しかし、御使いが命の水の川の水かさを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。御使いは私 に、「人の子よ、見ましたか」と言って、私を川岸へ連れ戻した。背いた者は川の向こう側にいて、水の中に入ることができなかった。
 主の言葉が私に臨んだ。
「わたし自身が、背いた者の着物の裾(すそ)を顔まで上げ、その恥をあらわにする。」


 平成19年4月15日(日)朝、主はエリエナイに言われた。
「今、あなたたちの神、契約に基づく真実を貫くわたしは、あなたたちを見舞ったあらゆる艱難を些細なことと見なさない。あなたが捕囚された時から今日ま で、主の民の教区長、総督から見舞われた艱難を。あなたたちを襲ったことのすべてにおいて、わたしは正しく行う。わたしは真実を尽くしたが、彼らが悪に 走ったのだから。」


 平成19年4月17日朝、主はエリエナイに知らせられた。
「あの背いた者が、かの山に行って自分のために碑を建て、そこからある場所に下った。」



 
平成19年4月19日朝、主はエリエナイに知らせられた。
「今日、あなたに示されたのは神からの霊。かつて門主が、仕える僕どもに、神の霊に通じている者を探し、連れて来るようにと命じた。従者の1人が答えた。『わたしが会った者は、勇敢で、戦術の心得もあり、それにふさわしい者です。』
 わたしは、あなたを彼のもとに送った。あなたは彼のもとに行き、彼に仕えた。彼はあなたを大層気に入り、あなたを取り立てた。
 しかし、彼は行くべき道をはずれ、その罪の咎(とが)を招いた。しかも彼は悔い改めようとはせず、その罪を隠すためにあなたを利用した。
 長年にわたって、わたしは彼らを耐え忍び、わたしの霊により、あなたを通して、彼らに警告を与えたが、彼らは耳を傾けようとはしなかった。わたしは彼らを地の諸民族の手に渡した。
 しかし、わたしは深い憐れみによって、彼らを滅ぼし尽くすことはせず、彼らを見捨てることはしなかった。
 そして今、わたしはあなたたちの神、わたしは契約に基づく真実を貫く神、わたしは、あなたたちを見舞ったあらゆる艱難を些細なことと見なさない。あなた が捕囚された時から今日まで、主の民の教区長、総督から見舞われた艱難を。あなたたちを襲ったことのすべてにおいて、わたしは正しく行う。わたしは真実を 尽くしたが、彼らが悪に走ったのだから。
  彼らは帯が腐るように腐り、全く役に立たなくなった。」
 主の言葉がわたしに臨んだ。主はこう言われた。
「かつて門主や、主の民の教区長に災いが臨んだように、わたしはソタイの傲慢とかつての神殿のはなはだしい傲慢を砕く。
 祭壇から香が上るとき、主の御使いも、その祭壇の香と共に上った。 ソタイには、主の御使いは再び現れることがない。彼はそのとき、それが主の御使いであったことを知る。彼は、『わたしはどんな罰でも受けますと言ってし まったから、死なねばなるまい。死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせる。』と言うであろう。」
 昼になって、主はエリエナイに言われた。
「わが叱咤に海の底は姿を現し、わが怒りの息に世界はその基(もとい)を示す。
 わたしは高い天から手を伸ばしてあなたをとらえ、大水の中から引き上げる。」


 平成19年4月24日朝、主は言われた。
「かつての聖所監督とその補佐。かつて彼らは、わたしに誓った。『そのまことに貴い兄弟たちに協力するものであり、神の僕モーセによって授けられた神の律 法に従って歩み、わたしたちの主、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約するものである。』と。捺印した者は、かつての監督。かつての 主の町に住んだ者よ。それは供え物のパンのため、日ごとの穀物の献げ物のため、日ごとの願い望みの献げ物のため、安息日、新月祭、祝祭日のため、奉納物の ため、主の民の罪を贖う贖罪の献げ物のため、すなわち神殿におけるすべての務めのためである。
 『“主は我々を救い出してくださる”と言っても、惑わされるな。神は、自分の地を支配者の手から救い出すことができたであろうか。』と言うか。
 彼らがわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの所有地を踏みにじった。わたしの喜びとする所有地を、打ち捨てられた荒れ野とした。
 野のすべての獣よ、食べに来るがよい。」


 平成19年4月28日(土)、主は言われた。
「かつての聖所監督とその補佐は恥辱を受けねばならない。お前がその姉妹たちを慰めるために行ったあらゆる行いのゆえに、恥辱を負わねばならない。お前の姉妹たちは、以前のソドムの行いの姿に戻り、以前の姿に戻るであろう。お前も以前の姿に戻るであろう。」


 平成19年4月29日(日)、主は言われた。
「ミディアン人の女と一緒に殺されたイスラエル人の名は○○○といい、一族のうちの家族の指導者であった。」


 平成19年5月2日、主は言われた。
「『父母にはこれが主のご計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。当時、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。サ ムソンは父母と共に、ティムナに向けて下って行った。ティムナのぶどう畑まで来たところ、1頭の若い獅子がほえながら向かって来た。そのとき主の霊が激し く彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた。しかし、彼は自分の行ったことを父母には言わなかった。』

 扉を硬く閉ざしなさい。守備態勢を取り、各自が自分の持ち場と、各自が自分の家の前を守るようにせよ。
 町は2方向に広がっていくはずであったが、その中に住むわが民は少数で、そこに彼らの家屋は建てられてはいなかった。エリエナイはわたしの指示を受け て、そこに祭司と民を集め、登録させようとしたが、会堂司は自らバビロンに捕らわれた。バビロンの会堂を逃れて、上ってきたのは、シムラト、エダヤ、ハナ ンエル、エリエナイである。彼らは、それぞれ自分の町に帰ったものである。聖所は彼らと共にある。」


 平成19年5月3日、主は言われた。
「わたしはあなたたちから遠ざからない。なぜなら苦難が近く、助ける者がないからだ。多くの雄牛たちがあなたを囲み、強い獣たちがあなたを包囲する。獅子は彼らの口をあなたに向かって大きく開き、引き裂こうとして、吠える。」
 主はまた言われた。
「わたしの義を、あなたはあなたの心の中に覆い隠しておくことなく、わたしの真実とわたしの救いをあなたは語った。大いなる会衆に、わたしの慈しみとわた しの真実を、あなたは隠さなかった。主なるわたしも、わたしの憐れみをあなたから閉ざすことなく、わたしの慈しみとわたしの真実が常にあなたを守る。」


 平成19年5月7日、主は言われた。
「門よ、お前たちの頭(鴨居)を上げよ。永遠の扉よ、また上げられよ。すると栄光の王が入る。
 栄光の王は誰か。力強く勇ましい、主。戦いの勇士である主。
 門よ、お前たちの頭(鴨居)を上げよ。永遠の扉よ、また上げられよ。すると栄光の王が入る。」


 平成19年5月9日、主は言われた。
「反逆者らは各々、香をもって、聖所の入り口のところに立った。彼らは反逆者コラとその仲間のようになる。」


 平成19年5月10日、主は言われた。
「反逆者2人は会って話し合った。彼らはあなたに危害を加えようと企(たくら)んだ。」


 平成19年5月11日(金)、主は言われた。
「大勢の群衆が来てイエスに従うであろう。女は男の子を産んだ。子は成長し、主は彼を祝福した。主の霊が、町と町の間の地で、彼をかき立てるであろう。」


 平成19年5月13日(日)、主は言われた。
「反逆者の祭壇から香が上っても、主の御使いは再び現れることがなかった。彼はそのとき、かつてあらわれたのが主の御使いであったことを知った。彼は、 『わたしはどんな罰でも受けますと言ってしまったから、死なねばなるまい。死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせる。敵は力があり、わた しを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される。』と空しいことを言う。」


 平成19年5月14日朝、主は言われた。
「民の指導者は『主の神殿』の領域に住んでいた。残りの者は1人が神殿の町に住み、祭司が他の町に住んでいた。彼らの名は主の『命の書』に記されていた。しかし、ソタイは主に反逆し、その名は主の『命の書』から削られた。」
昼になって、主はまた言われた。
「あなたたちは、あなたたちの道を守りなさい。あなたたちの前にいる悪しき者に対して口にくつわをはめ、あなたたちは、あなたたちの道を守りなさい。」


 平成19年5月15日朝、主は言われた。
「第6の月の25日、52日目に城壁を完工した。敵がそれを聞き及んだとき、異邦の民は計略した。彼らの道は、鷲の道。岩の上の蛇の道。そして女と男の道。姦淫する女の道。彼女は食べて、その口をぬぐい、『私は悪いことをしなかった』と言う。」
 昼になって、主はまた言われた。
「その女は、自ら率いる者らと共に攻撃をかけ、他の者にもけしかけて襲い、打ち滅ぼすであろう。」
 夕になって、主はまた言われた。
「わたしのものを盗んだ者が塵(ちり)に戻ったとき、わたしは彼にこう言おう。『どこからあの土地と家を手に入れたのか。まさか盗んだのではないだろうな。わたしから盗んだものを手に入れる者は、いのちを失うということを、お前は知っていながら盗んだのだ。』」


 平成19年5月17日朝、主は言われた。
「わたしはこの姦淫の女にもこう告げる。この女は塁壁の中で犬の群れの餌食になる。かつては民の指導者の立場にあった反逆者に属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば空の鳥の餌食になる。」


 平成19年5月20日(日)、祭司シムラトとその子エダヤが参詣し、五旬祭の祭礼が執り行われた。
 平成19年5月22日朝、主は言われた。
「天は神の栄光を語っている。そして大空は神の両手の業(わざ)を告げている。昼は昼に言葉を語り、夜は夜に知識を示している。話す事も、言葉もなく、そ れらの声が聞かれなくても、それらの響きはすべての地に出で、またそれらの言葉は地の端まで出でる。光(イエス)のために、神はその中に幕屋を置いた。光 は、新郎のようにその幕屋から出て来る。彼は、勇士のように、道を走ることを喜ぶ(神に向かって道を走る勇士のように、真髄の教えが語り伝えられることを 喜ぶ)。その熱から隠れるものは何もない。
 主の教えは、完全な魂を回復させる。」
 夜になって、主はまた言われた。
「悪から離れよ、かつ善を行え。平安を尋ね求めよ、かつそれを追い求めよ。わたしの目は義人たちに向いており、わたしの耳は彼らの叫びに向いている。」
 深夜になって、主はかつてソタイと呼ばれた者のことについて言われた。
「祭司は贖罪の献げ物をささげ、皮膚病を患った人の穢れを清める儀式を受ける者のために贖いの儀式を行う。その後で、清めの儀式を受ける者は全焼の献げ物 をささげる。祭司は、全焼の献げ物と穀物の献げ物を祭壇の上にささげる。祭司が彼のために贖いの儀式を行えば、彼は穢れから清められる。もし、彼が貧しく て、これらの献げ物に手が届かないならば、彼は賠償の献げ物にする1匹の雄の子羊を用意し、さらに穀物の献げ物にする油を混ぜた上質の小麦粉10分の1エ ファと、1ログの油を用意する。さらに、2羽の山鳩か2羽の子鳩のうち彼の手が届く方をも用意する。その一方は贖罪の献げ物とし、もう一方は全焼の献げ物 とする。
 しかし、彼は言った。『わたしは大きな工事をしているので行けません。中断して出かけたのでは、どうして工事が終わるでしょうか。』 彼は同じことを4度も言ってきたが、わたしも同じように返事を繰り返した。
 彼は4度、わたしに逆らったが、わたしはその度に彼を憐れみ、許そうとした。しかし、彼はその度に罪から清められようとはしなかった。」


 平成19年5月23日朝、その事件(彼の疫病災害と彼の災いからわたしたちが逃れたこと)の後、主はエリエナイとハナンエル、そして祭司シムラトとその子エダヤに向かって言われた。
「それは供え物のパンのため、日ごとの願い望みの献げ物のため、安息日、新月祭、祝祭日のため、奉納物のため、主の民の罪を贖う贖罪の献げ物のため、すなわち聖所におけるすべての務めのためである。
 かつてソタイと呼ばれた者とその妻に対して、わたしは数々のしるしと奇跡を行った。彼らがあなたたちに対して傲慢にふるまったことを、わたしは知っていたからである。こうして、わたしは自らをあらわした。」
 昼になって主はまた言われた。
「除酵祭についての正しい解釈はこうである。除酵祭の7日間、あなたの境界の中のどこにもパン種が見られてはならない。祭りの第1の日の夕方あなたが屠る肉が、夜を越すことがあってはならない。」


 平成19年5月28日昼、主はシムラトに言われた。
「シムラトよ、あなたはエダヤを呼び、あなたがたは共に会見の幕屋の中に立った。わたしは彼に顔を向けた。シムラトよ、あなたとエダヤが共に会見の幕屋の中に立つと、わたしは幕屋の中で、あなたがたに現れた。わが霊は、幕屋の入り口の上にとどまった。」


 平成19年5月30日朝、主は大祭司ハナンエル、祭司シムラト、エダヤ、それに神の子の指示に従ってそれぞれの任務を伝えたエリエナイ、すなわち感謝の賛美をする彼ら同僚たちに言われた。
「あなたたちの供え物をすべてわたしは心に留める。またあなたたちの願い望みの献げ物を受ける。あなたの心に従ってあなたに与える。またすべてのあなたの 計画を満たす。あなたたちの義を、わたしは喜び叫ぶ。我が名によって、あなたたちは勝利の旗を掲げる。主なるわたしが、あなたのすべての求めを満たす。今 こそ、あなたは知る。主なるわたしは油注がれた者を勝利させることを。我が右手の力強い救いの業(わざ)によって、我が聖なる天からわたしはあなたに答え る。」


 平成19年5月31日朝、主はシムラトとエダヤに言われた。
「シムラトの手にエダヤを委ねたのはわたし。わたしは神、エダヤがシムラトの胎内にいたときから、エダヤはわたしにすがってきた。わたしはあなたを遠く離れない。なぜなら苦難が近く、助ける者は我が民の他にはいないからだ。」
 主はまた言われた。
「かつてソタイと言われた反逆者がこう言った。『この大きな祭壇の上で、願い望みの献げ物と日々の献げ物をささげ、ぶどう酒の献げ物を注いでやれ。それを祭壇に振りかけてやれ。青銅の祭壇はわたしが伺いを立てるのに用いる。』 
 わたしは神、わたしは契約に基づく真実を貫く神、今わたしは、あなたたちを見舞ったあらゆる艱難を些細なことと見なさない。あなたが捕囚された時から今日まで、国の支配者、門主とその一味、主の民の教区長、総督から見舞われた艱難を。」