『終わりの日の預言』転載!!第14弾
正覚院 義敬(本名;矢野 敬二郎氏) 著
さて、預言は字義通り読むだけでは、なかなかよく解らない。これは、ヨハネの黙示録でも同じである。解釈を与えられて初めて『ああ、そうか。』と分かるような気がする代物である。その解釈も、必ずしも確定的とは言えず、覚束なきがごとくである。
と言うのは、悟りなくして理解できないよう語られるからであろう。悟りとは、理解力のことである。言い換えれば、我が心の覚醒の程度を言う。覚醒とは洞察力の高い状態を言う。さらに言い換えれば、同調能力を言う。どんなに高度な話も、チューニング出来なければ、無線が通じないように通じない。
であるから、分からなくても仕方がないし、そのうち分かるようになる事もある。そのような類である。信仰も同じである。元々、理解を超えたものを仰ぎ信じることから始まる信仰であるから、当然と言えば当然である。理解できるから信仰が始まるのではなく、信仰するから理解が深まるのが筋である。信仰を奨める意図はないが、預言を理解すると言うことは斯く考えることが出来る。
『終わりの預言』は、黙示録でもある。しかし、イザヤ書、エレミヤ書と違うのは、今すぐにも起こり得ること、今起きていること示唆している。前記両書が遙かな昔から遙かな未来を預言して語られていることとは、決定的な違いである。その他は語る生ける主なる神は、同一である。そして、そのコンセプトにおいて、ほとんど違いはない。
私は、この預言を通じて、イザヤ書、エレミヤ書が今を語る預言であることを確信した。そして、生ける主なる存在が、今に生ける主であることに感動した。それは、まさに福音であった。
【転載開始】
平成18年1月5日、主は言われた。
「わたしが与えるものをあなたがたは集め、わが手を開けばあなたががたは良い物に満ち足りる。
わたしが顔を隠せばあなたがたは恐れ、息吹を取り上げればあなたがたは息絶え、元の塵に帰る。」
平成18年1月10日、主は、主の民に言われた。
「彼ら(ある教会に属する者たち)はキリストの名を語っているが、わたしに背を向け、かたくなになり、聞き従わなかった。
わたしは忍耐し、わたしの霊を送り、預言者によって勧めたが、彼らは耳を貸さなかったので、諸国の民の手に渡す。」
平成18年1月30日、主は言われた。
「神に逆らう者らの雄牛は常に子をはらませ、雌牛は子を産んで、死なせることはない。
彼らはわたしに、それを拒まないでくださいと願う。
神の鞭(むち)が彼らに下ることはないと思っている。」
平成18年(2006年)2月6日、主なる神は言われた。
「別の戦いが『ガト族の地』でもあった。主の民に敵対する者が出てきて主の民を辱めたが、エリエナイとハナンエルが彼らを討ち取った。これら4人は「ガト族の地」にいた者の子孫で、エリエナイとハナンエルの手によって倒された。
災いだ、姦淫の酔いどれの誇る冠は。その麗しい輝きは、肥沃な谷にある丘を飾っているが、しぼんでゆく花に過ぎない。姦淫の酔いによろめく者よ、見よ、主は強く激しい力を持っておられる。主は、激しく降る雹、破壊をもたらす大風、御手をもって地に投げ倒す。」
平成18年(2006年)2月10日昼、主なる神はシムラトに言われた。
「『主なる神は生きておられる。』」ことを、もしあなたが告知し始めなかったら、追う者たちが「夜明けのとき」までその兄弟を追い続けたことだろう。
平成18年(2006年)2月17日昼、主なる神は言われた。
「謀る者が神殿に行くと、神殿の扉は閉じられていた。謀る者は言う。『神殿で会おう。』神殿の扉を閉じよ。聖所の扉を閉じよ。主の民は家の門と扉を閉じよ。民を襲いに来る者がある。夜、襲いにやって来る。」
平成18年(2006年)2月18日夕、主なる神は言われた。
「主に逆らう者らは国の権力者に倒され、地方に散らされることになった。彼らは偶像を慕い、死者にささげた供え物を食べた。この行いは主の怒りを招き、疫病が彼らの間に広がった。
しかし、S・Sの婦人は身ごもり、預言者が告げたとおり翌年の同じ頃、子を産んだ。彼女は言った。
『御覧ください。主が約束をなさって以来、主は約束どおり私を生き永らえさせてくださいました。今日、私は生きて子を得ました。』」
平成18年(2006年)2月22日、主なる神は言われた。
「力を奮い起こし、勇敢な者となれ。あなたがたは、わたしが油を注いだ主と共にある。
わたしが油注いだ者は律法に忠実に行動した。しかし、彼の民を称する者たちは、わたしに背いてしまった。教皇も司祭も、彼らの先人も、わたしの律法に従
わず、度重なる命令にも戒めにも、耳を貸さなかった。わたしが与えた国と豊かな恵みの中にありながら、わたしが与えた諸国の民と共にありながら、彼らはわ
たしに仕えようとはせず、不正と悪行を改めようとはしなかった。」
平成18年(2006年)3月2日、主なる神は言われた(2月22日の続き)。
「こうなったのは、主の民が、彼らを偶像崇拝の地から導き上り、偶像崇拝者の支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬ったからである。」
平成18年(2006年)3月3日、主なる神はエリエナイに言われた。
「ソタイは、えり抜きの神の戦士から成る神の軍隊の助けを得て戦いに臨み、敵も戦士を集めて戦いに備えた。主の民は過越に際して、酵母入りのパンを食べ
てはならない。7日間、酵母を入れない苦しみのパンを食べなさい。あなたがたは偶像崇拝の地から急いで出たからである。こうして、あなたがたは偶像崇拝の
地から出た日を生涯思い起こさねばならない。7日間、主の民の家中どこにも酵母があってはならない。祭りの初日の夕方屠った肉を、翌朝まで残してはならな
い。また今年は7年目の律法の朗読の年である(『申命記31・9~13)。
謀る者が神殿に行くと、神殿の扉は閉じられていた。謀る者は言う。「神殿で会おう。」神殿の扉を閉じよ。聖所の扉を閉じよ。」
平成18年(2006年)3月5日、主なる神は言われた。
「天地は滅びても、わたしは滅びることがない。すべては衣のように朽ち果てる。時が来れば、すべては替えられる。しかし、わたしが変わることはない。わたしの歳月は終わることがない。わたしの僕らの末は住むところを得、子孫はわたしの前に固く立てられるであろう。
わが民よ、主をたたえよ。あなたの内にあるものはこぞって、聖なる名をたたえよ。」
平成18年(2006年)3月7日、主なる神は「失われたイスラエル」に告げて言われた。
「見よ、今日、あなたがたは奴隷にされている。あなたがたの先祖に与えた土地、その実りと恵みを楽しむように、与えた土地にあって、見よ、あなたがたは奴隷にされている。
その土地の豊かな産物も、わたしがあなたがたの罪のために立てた諸国の支配者のものとなり、あなたがた自身も、家畜も、この支配者たちの意のままに、あしらわれている。あなたがたは大いなる苦境の中にある。
これらすべてを顧みて、あなたがたは誓約して、書き留め、あなたがたの祭司の捺印を添えよ。捺印した者は主の神殿にその名を刻まれる。」
平成18年(2006年)3月8日、主なる神は言われた。
「4本の角のうちの1本からもう1本の小さな角が生え出て、非常に強大になり、南へ、東へ、更にあの『麗しの地』へと力を伸ばした。これは天の万軍に及ぶまで力を伸ばし、その万軍、つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし、踏みにじった。」
主が授けられた書の中にこう記されているのを見い出すならば、気づくであろう。
イスラエル(主の民)は第7の月の祭の期間を仮庵で過ごさなければならず、「失われたイスラエル」にこれを知らせ、次のような布告を出さなければならない。
「山に行き、オリーブの枝、野生オリーブの枝、ミルトスの枝、なつめやしの枝、その他の葉の多い木の枝を取って来て、書き記されているとおりに仮庵を作りなさい。」
わが民は出て行き、枝を持って来て、各自の家の屋上、庭、神殿の庭、門の広場に仮庵を作った。こうして捕囚の地から帰った人とその会衆は、皆で仮庵を作
り、そこで過ごした。「日本」の地で、国の初めからこの日まで、このような祝いを行ったことはなかった。それは、まことに大きな喜びの祝いであった。
平成18年(2006年)3月23日夕、主なる神は「キリスト者」をかたっている者らに向かって言われる。
「『ある教会に属する者たち』はエリエナイをねたみ、ハナンエルをねたんだ。
『キリスト者』を語っている者たちよ、聞け。
わたしの民は、そのまことに貴い兄弟たちに協力するものであり、神の僕によって授けられた神の律法に従って歩み、主の戒めと法と掟をすべて守り、実行することを誓い、確約する者である。
わたしの民は、この地の民が安息日に商品をはじめ、いかなる種類の穀物を持って来て売ろうとしても、安息日と他の聖なる日には買わない。 わたしの民は7年ごとに、あらゆる負債を免除する。
ケルビムの上に座す主の民の神、わたしだけが天と地を造った神である。」
平成18年(2006年)3月24日、主なる神は「キリスト者」をかたっている者らに向かって言われる。
「彼らがわたしに尋ねても、わたしは答えない。彼らはわたしの僕エリエナイに、『あなたがたには、わたしたちの教会の護りが必要だ。』と言ったが、それはかつてイスラエルの王アハブがしようとしたことと同じであった。
アハブの妻イゼベルが彼に、「どうしてそんなに御機嫌が悪く、食事もなさらないのですか。」と尋ねると、彼は妻に語った。『イズレエルの人ナボトに、彼
のぶどう畑をわたしに買い取らせるか、あるいは望むなら代わりの畑と取り替えさせるか、いずれにしても譲ってくれと申し入れたが、畑は譲れないと言うの
だ。』
主なるわたしは天を傾けて降り、密雲を足もとに従える。護りが必要なのは、彼らの方であった。わたしの護りを得ない彼らは、『荒らす憎むべきもの』に捕らわれた。彼らは偽預言者に率いられ、間もなく竜と獣、すなわち反キリストを迎える。
捕らわれるべき者は、捕らわれて行く。」
平成18年(2006年)3月27日、主の御使いが「キリスト者」をかたっている者らに向かって言われる
「主に感謝をささげて御名を呼べ。」
平成18年4月6日、わたしエリエナイはある幻のゆえにぼう然となり、理解できずに、務めに戻って何日か疲れ果てていた。
その幻はこうである。「大阪で、再び主に逆らう一族との戦いがあった。このときは、主の民が彼らを打ち倒した。大阪で、また彼らとの戦いがあったとき、
ハナンエルがガト族(ガト族は主の民であったが離反した)の巨人を打ち倒した。巨人は巨大な槍を持っていた。別の戦いが大阪にあるガト族の地でもあった。
彼らは、堕天使と人が交わって産まれた巨人の子孫とガト族との間の子孫で、手足の指が6本ずつ、併せて24本ある女が出て来て、主の民を辱めたが、ハナン
エルとわたしが討ち取った。これら4人は、主の僕とその仲間の手によって倒された。わたしたちは、主がすべての敵の手から、また彼らの手からわたしたちを
救い出された日に、次の言葉をもって主に歌をささげた。主はわたしの岩、砦、逃れ場。・・・」
平成18年4月21日、神の霊が御子とケルビムと共に、主の聖所にあった。ケルビムは、主が命じられるとどこにでも進む車輪と共にあり、その頭上に水晶
のように輝くものがあり、主の御座があった。それはケルビムの頭上に高く広がっていた。水晶のように輝くものの下に4つの生き物の顔を持つ4体のケルビム
がいて、それぞれの6つの翼のうちの一対の翼がまっすぐに伸びて互いに触れ合い、他の一対の翼は体を覆っていた。ケルビムはその顔の向きで預言者たちに時
を知らせるのである(わたしたちはこれによって「終わりのとき」を知る)。
主は言われた。「過越に、主の契りの朗読に集った者は、エリエナイ、ハナンエル、シムラト、エダヤ、ソタイである。ソタイは、地の支配者たちの意のままに、あしらわれ、大いなる苦境の中にいる。」
平成18年4月26日から5月1日にかけて、主は言われた。
主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。金にまさり、多くの純金にまさって望ましく、蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも
甘い。この地の権力者たちは、こう言い放った。「この地の権力者の言葉を聞け。彼にだまされるな。彼はお前たちを救い出すことはできない。わたしたちは彼
の敵を救う。わたしたちの中には白髪の老人もある。」
神に従う人は悪を行う者を憎む。
平成18年6月5日、主は言われた。
「主なるわたしは宣言した。『わたしはあなたたちにカナンの地を、嗣業として継がせよう』と。
わたしはまた言った。『異国の地へ移って寄留している失われたイスラエルには、難を免れ生き残り、地に残りうる者はほとんどいない。彼らはそこに住むことを切望しているが、少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない。』
わたしは声をあげて言う。 『わたしの矢は飛び交い、稲妻は散乱する。わたしの叱咤(しった)に海の底は姿を現し、わが怒りの息に世界はその基を示す。
わたしは高い天から御手を伸ばしてあなたたちをとらえ、大水の中から引き上げる。敵は力があり、あなたたちを憎む者は勝ち誇っているが、なお、わたしはあ
なたたちを救い出す。』」
平成18年6月6日、主はわたしに言われた。
「あなたはその昔、言った。『民が富めば、裏切り、主など何者かと言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、神の御名を汚しかねません。』しかし、もはやその心配はない。
あなたはかつて、言った。『聖所の門を守り、見張ります。聖所に入ることが赦されていない者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があるでしょうか。』
わたしが命じたにもかかわらず、彼らが聖所を犯すならば、それをした諸国の民は滅ぼされる。しかし、あなたたちがそれによって滅ぼされることはない。」
平成18年6月6日、主はわたしに言われた。
「『たとえモーセとサムエルが執り成そうとしても、わたしはこの民を顧みない。わたしの前から彼らを追い出しなさい。』とわたしが言ったとき、わたしはあなたに手を延べ、言った。『立って、平野に出て行きなさい。そこでわたしはあなたに語る。』と。
わたしはあなたを捕囚の地から連れ出し、語った。
わたしの道を求める者に、わたしの道と、世の『終わりの日』の幻の解釈を聞かせよ。聞く耳のある者は、聞いて悟るがよい。」
(この後、わたしエリエナイは7月9日まで毎週、主の神殿の会堂で、主の道と、世の「終わりの日」の幻の解釈を説いた。)
平成18年7月5日、主は言われた。
「わたしに尋ねたいならば、尋ねるがよい。わたしは答える。
わたしに尋ねる者は、わたしの答えに満ち足りることができる。」
平成18年7月10日、わたしが主の神殿の会堂で、主の道と、世の「終わりの日」の幻の解釈を説き終えると、主は言われた。
「これを聞いて行う者は、苦難の日に主なるわたしがあなたに答え、ヤコブの神、イエスの父なる神の名があなたを高く上げ、聖所から助けを遣わし、あなたを支える。
わたしはあなたの供え物をことごとく心に留め、あなたのささげる献げ物を快く受け入れ、あなたの心の願いをかなえ、あなたの計らいを実現させる。
あなたがたがわたしの勝利に喜びの声をあげ、あなたがたの神の名によって旗を掲げることができるように。わたしが、あなたの求めるところを、すべて実現させる。
今、あなたは知った。わたしは油注がれた者に勝利を授け、聖なる天から彼に答えて、わたしが右の手による救いの力を示すことを。
力を誇る者もあり、財産を誇る者もあるが、あなたがたは、あなたがたの神、主の名を唱える。前者は力を失って倒れるが、あなたがたは力に満ちて立ち上がる。
主なるわたしは、勝利を与え、呼び求めるあなたがたに答える。」
平成18年7月13日、主はわたしエリエナイに言われた。
「かつてペルシャのクロス王は、銀と金の器、家財、家畜、高価な贈り物をもって、わが民イスラエルを支援した。彼らが帰還した地イスラエルで生まれる息
子、娘、この地で彼らを産む母、彼らをもうけた父について、わたしはこう言う。彼らは弱り果てて死ぬ。嘆く者も、葬る者もなく、土の肥やしとなる。彼らは
剣と飢饉によって滅びる。その死体は空の鳥、野の獣の餌食となる。あなたはその地に入るな。嘆くために行くな。悲しみを表すな。わたしは彼らから、わたし
の与えた平和も慈しみも憐れみも取り上げる。身分の高い者も低い者もその地で死に、彼らを葬る者はない。彼らのために嘆く者も、体を傷つける者も、髪をそ
り落とす者もない。死者を悼(いた)む人を力づけるために、パンを裂く者もなく、死者の父や母を力づけるために、杯を与える者もない。」