飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

率直な健康対策・・・特に増え続ける癌、透析について・・・

2015-10-07 15:31:09 | 健康・病気

癌が増える・・・
透析が増える・・・
なんでだろう?!
増えているのか?
増やしているのか?
それが問題だ・・・?!

 

ズバリ、言いにくいことから書いておこう。

保険医療体制の弊害である。

つまり、

医療機関が、癌を作り、透析患者を生み出している。

理由は、

最も確実に儲かるからだ。

 

こう書くとと、極端論者と思われがちであるが、

敢えて、そう書きたくなるのは、以下の理由である。

 

(先に、誤解を避けるためにアンカーを置いて措きたいが、

透析以外に、生命保持が困難な難病患者も存在する。

その緊急避難の為に、保険適用、高額医療制度を否定する者ではない・・・。)

 

さて、

透析患者の推移である。

 

まさに、天井知らずというのはこの事である。

勿論、これには高齢化が深く関わっているが、

何故、これだけ医療法が普及して、患者が減らないかという事だ。

 

 

透析導入原疾患も、

保険適用開始時代から大きく変化しているのが、見て取れる。

 

 

つまり、

こういう事を言いたいのである。

先の透析を不可欠としている難病患者は別にして、

生活習慣病である「糖尿病」その他の患者も、

今は、

容易く透析に導入されている実態がある。

 

それは、

高額医療だからである。

昔、一回4万円(昭和60年代)もした透析が、月1万円前後で受けられる。

一般的に、月40万円以上はする医療費が、月1万円で受けられる。

その為に、

所定の医療機関では、安易に透析に導入している傾向があるという事である。

透析を始めたら、ほとんど一生ものである。

何故なら、

本来の腎不全の原因の治療ではなくなるからだ。

 

(腎不全の解決策については、この稿では省く。)

 

所定の医療機関に於いては、これ程、安定した患者は他に居ないだろう。

年間400~500万円の固定患者が確保できる訳である。

しかも、単年ではない。

5年、10年と続く・・・。

 

これが、年々、増加の一報を辿る透析患者の推移の原因だ。

 

さて、

一般論であるが、

医療診断・医療技術の進展は、当該疾患の減少に繋がらなければ、

本物ではない。

医療薬についても同じである。

どうして増え続けて、減少に転じないのであろうか?

それは、透析が腎不全を改善できないからである。

腎不全に依る生命維持の危険は避けることを目的とした

対症療法に過ぎないからである。


 

癌の治療に至っては、

さらに看過できないものがある。

「切る、焼く、盛る」と言われるが、

保険適用の3大療法である。

言うまでもなく、3大療法と言うのは、「手術、放射線、抗がん剤」である。

そして、

常に付きまとうのは、余命いくばくの問題だ。

 

人間は、必ず死ぬものであるとは言え、

余命宣言されて気持ちの良いものではない。

その時、いかなる医者とは言え、

その3大療法を施して、はっきりと余命を宣言できないことである。

否、寧ろ、3大療法に依る余命縮減が危惧されている。


 

何故なら、

いずれの治療法も、免疫を著しく減退させるからだ。

当の医者自身が、その療法を望まないことからはっきりしている。

癌の最良の治療法は、

他にある点については、この稿では割愛するが、

治療機関は、保険適用である3大療法に固執する。

それは、

莫大な治療費が自動的に転がり込むからだ。

 

しかも、

倫理的に許されないのは、

それを勧める医療者自身が自分にはそれを適用したくないという本心がある。

しかしながら、

その選択が、医療機関には高額医療となる。

抗がん剤に於いては、

ほとんど確実に死期を早める。

早めない場合でも、ほとんど確実に死期を迎える。

そして、

塗炭の苦しみを味わうのは、患者自身であって、医者ではない。

その事を観ている医者は、

そうした医療を自身には望まないのである。

 

勿論、自身の身内にも望まない。

 

これ程、良心に反した医療行為が許されてい良いものであろうか?

 

許すも許さないも、

それに固執するのは、

3大療法が保険適用であるからである。

患者は高額医療制度があるから、保険適用であれば、少額負担で済むが、

医療機関には、それこそ高額医療費が転がり込む。

いずれの治療法でも数百万、あるいは一千万単位である。


 

この事をつぶさに見ないで、

医療費増大と、がん撲滅対策にはならないだろうが、

残念ながら、その逆を行っているのが現状だ。

 

率直な健康対策について書いて置きたい。

そもそも病気は、

生活習慣から来る。

生活が、中道を外れ、いずれかの一方に偏るからである。

自律神経と言うものがあるが、

自律神経は、副交感神経、交感神経の二つのコントロール下にある。

つまり、

一般に、肉体は自律的に中道を保っているのである。

 

それぞれ、内分泌、ホルモン、さまざまな機能は、

そのコントロール下において働き、又、それをコントロールしている。

これは医者でなくても容易に洞察できる。

若い時は、新陳代謝は旺盛で、

厳しく運動をし、あるいは、多少の暴飲暴食をしても許容範囲は広い。

 

年齢を重ねれば別である。

同じ事が、大きくストレスにもなれば、

過剰にもなる。

その事を考えて、養生を考えなければ、ウソになろう。

それが生活習慣が、変化しなければならない道理である。

それをすれば、治らない病気はないと推断できる。

病気は、そのズレの信号であると考えれば、有難い話で、

その信号を症状として、消し去ろうとするのが対症療法であると考えれば、

自ずから、対応策が違ってくる。


 

誤解を招かないために、ここでもアンカーを打っておきたいが、

対症療法を否定する者ではない。

救急医療は、対症療法でそれはそれで救われる。

しかし、一時的であるべきで、

原因療法ではない事を銘記しておくべきだろう。

 

原因療法は、結果と因果関係を調査する事から始まる。

何でもそうである。

原因があるから結果が生じる。

医者ではないから、

病気と病因については詳しくはないが、

それも同じである。

 

今、病因について詮索する医者が少ない。

病因について詳しい医者なら、名医であろう。

こんな言い方をすると悪いが、

それに無頓着な医者は、「やぶ医者」である。

「やぶ医者」とは、病因が見通せないからつけられた名前である。

藪の中では、見通しが効かない。


そういう意味で、過日記事にした安保徹先生等は、名医である


最後にまとめである。

 

健康のためのフィットネスは、適度な運動、リラックス、適正な食事である。

これを欠いたとき、

人間は時として病気になる。

しかし、

その病気を機会に、バランスを取り戻すことが出来る。

治らない病気はないものである。

不治の病などと言って脅す医者の言う事は、

聞いてはならない。

 

一生飲み続けなければならない薬など、

病気を治す薬ではない証拠である。

同時に、

治らない療法などは、決して受けてはならないものである。

そう宣言されたら、

見切りをつけて、

自分で治す途を探すことが最善だ。

 

自分で治す方途は、

食い改め、

生き革め、

思い改めしかないと思う。


自らが変われば、状況は必ず変わる。

状況が変わるのを待っていても、

決して変わることを保証できない。

当然の論理だ。



病気は、変わることの呼びかけであると考えれば、

千載一遇のチャンスと見える。

病気を経ないで変わることが出来る者は、

賢人であろう。

我ら凡人は、

そうは行かないから、時々病気をする。

しかし、それはチャンスである。

 

変わるためのチャンスである。

 

※記事と脈絡はないが、面白いので掲載!宣伝動画だが、宣伝でもない。

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