ピンクの椿は
どうしても美味しい和菓子を思い浮かべてしまう
あるでしょう
こういうお菓子
何を見てもおいしそう
これはもう
焼いて食べるしかない
ピンクの椿は
どうしても美味しい和菓子を思い浮かべてしまう
あるでしょう
こういうお菓子
何を見てもおいしそう
これはもう
焼いて食べるしかない
この本は 入門書だから たいしたことが 書いてあるわけじゃなく、 ちょっと分かりにくい。 mぽおいもし もし、 私が 今の記憶を持ったまま 生まれ変わるなら なりたい自分、 やってみたいことって 沢山あるが 本命は 「芸術療法」 かもしれないな
芸術と芸術療法と
どう違うか。
芸術が自由への魔法の鍵だとすると
芸術はそれを享受する人も
自由な世界へいざない
芸術療法は
それを施される人を自由な世界へいざなおうとする。
その両者の間の壁ったって
微妙。
山下清の絵 ガザの少女の絵 芸術療法でもあり
芸術でもある。
この本を読んで 思い出した小さいときの記憶 忘れるといけないから書いておく
小さい子にとって
出会う世界は
過酷だよね。
過酷さ加減なんて
客観的に決められるものではない。
それをどうやってしのいでいるか。
子供の技術。
私は妄想の世界に逃げていて
わが娘も
「私が現実逃避していた頃」と
夢見る少女時代を呼ぶから
みなそうかと思うが
多分人によって違うのだろう。
戦火にさらされている子供と
飽食の子供と
同列に語れないにせよ
子供が置かれている危機ということでは
命や人格が過酷な歩みを始めている。
健康な、育ちの環境を整えるために
食 住居 安全 基本的なことを整えるのが先
ではあるけれど
人間は心を持って生きていくから
これをどう生き抜いていくのか
研究されているのかな?
私が幼子だったときは
明らかに現実と妄想の間を言ったり来たりしてしのいでいた
スイッチがあって
切り替える自分の主体性には自信があって
妄想の中に漂っていても
現実を見張るもう一人がいて
大人の目からはそれを見えないように
スイッチを握っていた
と思っていた。
母にはそれが傍から見えていたのかどうか
私が母として
どのくらい娘が漂っている様を見ていたのか
怪しい
可愛いからほほえましく愛らしく思ってはいても
実は
恐ろしいことだってあるわけだから。
う~~
意味不明?