本の話は、読んでない人には
意味不明ですよね
でも
書きたい
「山月記」に出てくる
虎の変身した李徴は進士に合格したものの
出世はしなかった詩人です
傷つき懊悩する中で発狂し
気がついたら虎になって山林を疾駆する虎になっていた
という話です。
世に埋もれた逸材は
虎を抱えて生きているのでしょう
私はこんな風に優れた人を思ったのではありません
そこらにいる
ごくごく凡人にも
とても多いです
私の父はそうでした
幼くして孤児になってしまったために
学業への道は全く開かれてなく
失われた自分の機会をいつまでもくよくよ
怨念を持って生きて死んでしまった。
そういう父に育てられたのですから
私だって
そうとう
虎を抱えています。
おぞましいものとして
ストーカーの犯罪が報道されるたび
自分の中の
しつこいところ
こだわるところを恐れる気持ちがあります
中国の詩人
この
鬱々とした思いの中をさまよう詩人が多いのは
科挙というものの副産物でもあるかもしれない。
話が飛ぶようですが
佐伯泰英氏の文章と高橋義夫氏の文章の違い
ちょっと関係します
佐伯泰英の場合 宮本武蔵のような不敗の主人公が
恨みをたぎらせてる敵を
皆打ち据えてしまう。
水戸黄門の「この紋所」なの。
高橋義夫氏の「ゆけむり・・」の場合
主人公は若者のコロの決闘で打ち負かしてしまった相手が
恨みを育み力を蓄えて
果たし状を突きつけてくれけれど
その決闘は二人の間で決着はつかない
二人ともなだれに巻き込まれてしまう。
そういう描き方をするところが好きです。
「山月記」は
全体が詩であり
その情景は
絵を見ているように脳裏に描かれていきます
こういうのって
芸術なんだろうなあ
どうです?
読みたくなったでしょう?
朗読?
できたら素敵です。
花てぼさんが読んでくれるかもしれません