ここのところの
ロコモ騒動で
改めて自分を構成している素材について考えた
泳ぐとか動かすとか
それで流れるものを感じていたけれど
ロコモで問題は踏ん張る力だ
この便座スクワットをやってみて
足の筋肉に踏ん張る力が衰えてるのを
うんと感じた
うちのおばさんも
その力が弱い
働き者で
お百姓仕事が出来るのになぜか
おじいさん
お姑さんのことを思い出すと
素材としては
老境に入るとその筋肉が弱いほうかもしれない
それで転びやすいのだわ
私が親からもらった
筋肉は
そんなに弱くないはずだ
母は意外に蹲踞(そんきょ)の姿勢が平気だったもの
武蔵の姉三人のうち二人はやはり足は弱い
でも一人強い人がいる
階段を上ったり降りたりが激しい仕事を
まだやってる
私の10歳年上だよ
労働が鍛えた筋肉だ
ともかく
人はどうでもいいや
自分のこと
踏ん張る力を鍛えなきゃ
で
ナツさんのブログに行ったら
お掃除のことが出ていて
頭を殴られた感じがした
いくら反省しても
ごみ屋敷が治らない我が家
でも考えると
あまり反省しても
あれもこれもちゃんとした人になろうとすると
好きなことが出来なくなるから
やめた
自分という素材に合った暮らし
これがいい
反省もほどほどにしよう
今日は里山アトリエなので
寒いから白菜鍋を作ってもって行き
フーフー食べながらやる
食べたい人はおわんとお箸持っといで