読み終わった春江氏の本は
外交官だった方の書いたものだからだろうか
政治的な力学的な判断が出来ないと
分かりにくい
物事を
私は判断できないのです
どういう立場に立てばよいのかぐらぐらする
結局すべての社会現象を
生活者としての視点でしか考えられない
自分のいる場所に閉ざされているともいえる
今まで考えたことがない場所から物事を考えてみるというのは
嫌いじゃないのだけれど
政治的なことを考えるとき
素朴ではいられない
自分の立っている場所というのが大事だもの
私の場合
そこが
とても卑近な場所にある
政治家はそうは行かないだろう
力関係で勝負の駆け引きがあって
ねえ
ボクシングの試合で
相手の顔から血が出たら泣いちゃうようじゃ駄目だからね
私は泣いちゃうのよ
だから
外交官はきっと
大変なんだろうなあ
いつ足元を掬われるかわからない場所にいる
そういうところで
正確に状況を読んで判断して行動する
守るべき一番大事なものは何か
軸がぶれないで立っている
政治家には
こういう確信が必要だろう
あたしは無理
何時も何が本当か分からなくなる
心を鬼にするのも難しい
少し
心がホックリしたくて
この本に戻った
これは
短編集です
この中の
「百日紅」というのは
一人高齢の父親が火事で焼死するところから始まる
父親を一人ふるさとにおいて
主人公は家には寄り付かない息子でした
父子とも医師
この話のテーマはこの父親の死を通して
アナログな医療の優位性について身にしみていく話なのだけれど
(患者の生身に触れて医療に携わることが
機械やITに頼る現代医療に比べてどうなのだということ)
私がガンと来たのは親子のこと
この息子が父親を避けたのは
母親の死の後すぐに後添いをもらい
親子とはいえ
別家庭なわけで
疎くなっていったのだけれど
ここのところ
親の介護について
ブログでも色々問題は出るのでね
親を介護している側の話だけれど
介護してない立場というのもある
親元に寄り付かない子供
これって
うっかりするとそうなる
傍にいなければそれで過ぎてしまうというのはあるな
若い側は恐ろしく忙しいということもあるし
うちのおばさんも
働いているときは
盆暮れに田舎で会ったことはない
盆暮れに帰らなければならない人のために
勤務を交代してあげてたそうだ
田舎にはわれらのお姑さんが必ず通ってたから
安心していたし
お姑さんが一人でこられなくなってからは
私達がお供をしたし
おじさんが(このおじさんもやもめで子なし)弱ってしまって困る頃には
おばさんが仕事を退職して
面倒を見た
おばさんが退職する前には
民生委員さんが回ってくれたり
近所の人がおかずを届けてくれたりした
それでも近い親戚からはひどい言われようではあったな
親を田舎に放置するということ
ちょっと深く考えたい
私は多分放置される親になるわけだからね