ナツさんのお母様が95歳で大往生なさった
その記事を読んで
ほんとうに
悠々とあちらの世界へいらっしゃったと思った
私の身の回りでなくなった方に
そういう方はいない
結構すさまじい亡くなり方をしてる
この田舎のおじさんは
おばさんに
「死ぬのが怖い」と訴え続け
おばさんに慰められつつ
89歳で
死ぬ間際は穏やかに亡くなった
お姑さんは
勝気な人で
絶対回復して病院から帰ってみせる!
と言ってたけれど
かなわず亡くなった
私の母は
肉体は苦しくて
とてもかわいそうだった
亡くなって
寂しかったけれど
死は母を苦痛から救ってくれたと思った
認知症になり
恐怖はなく穏やかにいつくしまれて
老衰で亡くなる
というのは
美しいことだと思った
死のプログラムが生物にセットされてる
と言う記事を読んで
それは
畏敬の念を抱かせるシステムだと思う
そういうことを人は神と感じるのかもしれない
自然の中には
驚くべきシステムが
きっともっともっとあるに違いなく
自然界にあることは
ちっぽけな人間の
それも知恵の足りない私では
知ることが出来るのもほんの一部だろうし
いつでも
びっくりさせられる
畏敬の念を抱くときもあるし
感激したり
喜びとなったりするのだけれど
神とは
私は思わない
自然の一部でいることが
気に入ってる
せいぜい100年ぐらいしか生きない
弱小の種族だから
1000年も生きる樹木からすると
ちっぽけなりに幸せな気もするし
西洋のことはよく分からないのだけれど
西洋の人の信仰は
絶対者としての神という
絶対と言うのが特徴なのかなあと思うことがある
私には信仰心がない
神を感じたりしないし
神秘体験はしないし
そうは言っても子どものときのように
すべての宗教がカルトに見えるような拒絶感もなくなってきているけれど
身近な人たちの考え方は
自分が修行する感じとか
自分の身をお任せしてしまうようなゆりかごに身をゆだねるような感じとか
絶対と言うより
ゆらゆらしている感じがする