こんなものが廃棄されてあったので
拾ってきた
早速 乗って行ってみる
そこは昭和23年ごろの池袋だ
私はバスケットに花柄のお弁当箱を入れて
箸とスプーンを入れてそれを持った幼稚園に通っている
こういう感じのもの
私の通った幼稚園は池袋幼稚園といって
今の芸術劇場の裏あたりだった
我が家から幼稚園まで行く道端には
麦畑やトウモロコシ畑が広がり
池袋駅の線路の周りには鉄条網の柵がめぐらせてあった
その外側には雑草が生い茂っていた。
当時私が住んでいたのは
長屋で6畳一間しかなく
南と東を土間が囲んで
東の土間に台所があった
便所は共同で強烈なにおいのする
お釣りの来るぼっとん便所だった。
そこは池袋より北のほうに川越街道を越えていったところで
バラック建ての町工場などがあり
そうい町工場(ライターを製作していて輸出され景気がよかった)の
おじさんとおばさんが両親とは知り合いで
そこの家の2,3歳年下の女の子とよく遊んだ。
そこの工場には 結構おきゃんな女工さんなどがいて
ぽんぽん端切れのいい乱暴なことばづかいで話していた。
さて時は流れて55年ぐらい後 私は
最後のご奉公をその町で2年間勤めた。
最寄り駅は北池袋。
だから幼稚園のとき住んだところよりさらに北に少し行った所
割合小さい住宅がひしめく町で
池部あたりのビル群になってしまったあたりとは違って
下町風のところである
あるとき
町のお祭りに行ってみた
昼間は制服やジャージの中学生が
すっかり いなせな 町のあんちゃんになってて
小さい子の面倒なんか見ている
お祭り広場には子供が楽しむ遊びやゲームが用意されていて
小学生ややっと中学生になったくらいの子達は
次々と遊びのはしごをしたりしている
そのうちおみこしがやってきて
上気した顔でかついでいるのはいくらか体も大きくなった
中学生たちだ
なんとなく
私が幼稚園時代見た
町工場のあの雰囲気が残ってるような気がした
勿論住民は変わって
外国人も沢山住んでいる町にはなっているけれど
東京の街は良く俯瞰してみると
まだゴチャゴチャ古い家がひしめき合っているところがあって
そういうところの若者の仲間意識みたいなものには
ちょっと共通するにおいがあると思う
もうその池袋を離れて6年になるので
変ってしまったかもしれないけれど
意外に若者らしい若者たちの残る町だなあと思ったものだ
私は小学校入学前にその町から世田谷に引っ越してしまった。
そのまま住んでいれば
池袋第5小学校に入学したはずで
ブログ友の久さんは先輩と言うことになる
松谷みよ子さんもだ