幻想文学って読んでみるか と 思って
前に友人にもらった古い雑誌を開いた。
おや
書評欄に
瀧口修造に関して書いてある表題が
「名人伝の黄昏」だ
書いた人は伊藤敬(この人がどんな人か
けんさくするとあちゃ~~という事件がぼろぼろ)
瀧口修三ってシュールな絵を描く絵描きだと思ってた
こういうデカルコマニーの絵
ところが
詩人としてのほうが有名らしく
名声雲のごとくだったらしい
そして口をつぐんだ人らしい
(ランボーみたいだなあ)
それが
後続の「前衛芸術家」たちの知的怠慢の口実に
その神格化がすすんだ
と言うのです
それで
「名人伝」を反射的に思い出してしまうと言うのです。
確かに
勉強に飽きると
「名人伝」の「不射の射」をモジってはギャグっていた若者たちの中に私もいた。
(名人の域に達するともはや弓を取らず
弓の何たるかも忘れはてると言うお話なのです。)
前にも書いたけれど
読み取りは色々
勿論 怠慢を自嘲して 「不射の射」をもてあそぶことはあるけれど
それに堕するとは思えないけれど
ネット上の若者は大真面目にけなしているし
う~~む
それで
客観視しすぎの読みはよくないと先生は仰るのだな?