昨日 下館美術館の最後のギャラリートークだった
お話は何が言いたいのかわからない
絵を見てわかることのその奥を話してはもらえなかったという
不満があった
高齢の絵描きさんは
とかく
絵画について 言葉で話すのは嫌がる
という
それは
言葉が持つ意味と 表現と
それがわけて考えられているからではないかというのよね
あと
絵画を描く作家も修行中の学生も
自分独自のもの
というとらえ方にこだわっている
どういう主張に惹かれて描くか というようなことを言ったら
恥 みたいなのか?
そういう話の中で
胸中の丘壑って 表現主義と似てないかと思っていたので
東洋でも 表現主義的な考え方をするんじゃないか
蘇軾は そういう考えだったのじゃないか
と聞いてみた
中国でもそうした思想が出てきたのは
11、12世紀以降からじゃないか
禅宗が入ってきてからじゃないかという
蘇軾が11,12世紀とは思わなかった
唐の時代も宋の時代もごちゃんまぜだ
そうか
唐と宋って 禅宗以前と以後と よく考えてみたくなった
それに 庭! あれって胸中の丘壑だよな
形式的に なにか 言語に置き換えられる思想の体現のように思い込んでいたが
・・・
禅宗も よくわかんないのよ
でも
キャラリートーク というのがあって
色々新しいことがわかってきた
わたしたちも やらされるんだわよ
前回は 意味不明だった