遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

胸中の丘壑

2011-03-06 18:34:06 | 現代美術

昨日 下館美術館の最後のギャラリートークだった

お話は何が言いたいのかわからない

絵を見てわかることのその奥を話してはもらえなかったという

不満があった

高齢の絵描きさんは

とかく

絵画について 言葉で話すのは嫌がる

という

それは

言葉が持つ意味と 表現と

それがわけて考えられているからではないかというのよね

 

あと

絵画を描く作家も修行中の学生も

自分独自のもの

というとらえ方にこだわっている

どういう主張に惹かれて描くか  というようなことを言ったら

恥  みたいなのか?

 

そういう話の中で

胸中の丘壑って 表現主義と似てないかと思っていたので

東洋でも 表現主義的な考え方をするんじゃないか

蘇軾は そういう考えだったのじゃないか

と聞いてみた

中国でもそうした思想が出てきたのは

11、12世紀以降からじゃないか

禅宗が入ってきてからじゃないかという

蘇軾が11,12世紀とは思わなかった

唐の時代も宋の時代もごちゃんまぜだ

そうか

唐と宋って  禅宗以前と以後と  よく考えてみたくなった

 

それに  庭!  あれって胸中の丘壑だよな

 

形式的に なにか 言語に置き換えられる思想の体現のように思い込んでいたが

・・・

禅宗も よくわかんないのよ

 

でも

キャラリートーク というのがあって

色々新しいことがわかってきた

 

わたしたちも  やらされるんだわよ

前回は 意味不明だった

 

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情報があふれる時代にどう暮らす?

2011-03-06 05:20:50 | ただの記事

この間あたりから 話題になってる 村上隆のツイッターで

大騒動  という話を聞いた

前から彼が一部世界では総スカンを食ってるという話を聞いて

どうやらそれを楽しんで受けて立ってるのが

村上隆か?

とも思い

よくわからないけれど

 

いろいろな人の事件

うっかり

ツイッターに手を出して

炎上してしまった  という話も聞く

ネットの世界は恐ろしいかもしれない

 

巷のおばさんのブログに

そう神経質になることはない

と高をくくっていたが

恐ろしいかもしれない

一昨日 東都三股の図のせいで

あっという間にアクセス499になった

何?

と思ったが 東都三股の図がちょっと話題になっただけで

人々がうろうろ検索で群れた というのを目の当たりにした

私のブログは 一度鍵を付けて以来

アクセスは限られて せいぜい30くらいよ

ツイッターだと

あっという間に2000 3000意見が押し寄せる

 

そんなの読んでられないよ

 

で  村上隆が ひょいとブロックをかけたんだろうか

それについて あれこれ書いてるツイッターをやってる人の記事があった

ブロックを掛けたのは なんでだ? 何が面白くなかったんだ?

と思ったみたい

手に負えない作用を及ぼすのが ネット情報の飛び交う世界だ

 

たぶん カンニング問題も IT進化に対応できなかった

老人側の

パニック症候事件に違いない

ブロックを掛けるための人身御供に上がったのがかの青年だ

 

そういうような事態が渦巻いたら

繊細な私には手に負えない

 

もちろん ツイッターなんて怖いものはやらないが

 

ブログのおかげで素敵な人に出会っているけれど

前よりもっと引きこもりたくなることが起きるのも

この世界だな

子供に  ちゃんと教育するプログラムを作らないと

 

やってるんだろうか?

コメント (2)
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