遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

本当はマーク・ロスコを載せたかったけれど

2011-03-10 20:53:49 | 現代美術

05 ロスコの画像は著作権の関係で

載せられない

それで

見られる画像を

漁っていて

クルト・シュビッターズに出会った

これは

エール大学付属美術館

 

下のアドレスの画像を

左にクリックし続ければ

マーク・ロスコの作品にも会える

http://artgallery.yale.edu/pages/collection/popups/pc_modern/enlarge5.html

 

これらは

http://art.pro.tok2.com/R/Rothko/Rothko.htm

このページから行った

 

ニューヨーク近代美術館のもいろいろある

 

ロスコの絵は 見ていると

心が震える

 

ロスコのものの見方は

たとえば

佇んでいると 視野の周りから滲みこむように見えている

心を満たしている見えるもの

そういう

模糊としたものを感じる

そういうものが見えるようになりたいと

手がかりは光の移ろいのなかだ

そういう感じがする

 

今日

朗読で

「大橋さんはどちらかというと  動 なんですね

静であるべきところも 動になってしまうきらいがある」というようなご指摘を受けた

 

モノの見方も

そう

物事はすべてに同じ力加減で焦点を当ててみるのではない

揺らぎがあるままに見る

そういうものの見方が できればな と思うようになってきた

http://www.nga.gov/cgi-bin/tsearch?oldartistid=27000&imageset=1

これは  ワシントン・ナショナル・ギャラリー

こういう抽象じゃないロスコの絵は

初めて見た  震えた

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春の朗読会のチラシができた

2011-03-10 19:34:16 | 朗読

お近くの方お出かけください

20110416

このチラシは朗読ページに貼っておきますので

いつだっけ?

と思ってくださる方は

そちらでご確認ください

コメント (4)
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朗読講座で

2011-03-10 16:02:49 | 健康・病気

今日いいことを教わった

体を声を出す楽器と考えて鍛えるとき

軟口蓋 声帯を支える筋肉

横隔膜の筋肉

これを

どうするんだっけ?

鍛えたり緊張させたり

あくびをかみ殺すようにするんだって

それでそこが意識できるわ

 

Img4441_3 あと

お風呂で

声は出さず

息を強く吐き出しながら

お風呂のお湯を波立たせる

それは

なかなかできないものですって

 

おなかがタプタプしてるから

私なんか

すぐ大波になると思ったが 

そんな甘いもんじゃないらしい

ちゃんと

腹筋を動かせなきゃ

波は立たないらしい

 

しかも

その運動は

体重にいいって!

ウェストができるかもしれない!

やるしかない!

私の朗読の問題点は

息を漏らさに用にしなくちゃ

それと

どうも動的な朗読すぎるんですって

政敵に行かなければいけないところも

動 が  うるさいらしい

人格が現れちゃうなあ

 

頑張ろ!

 

あと 武蔵は結局私に確定申告

やらせた

カードを見失ってじたばたしてたが

出てきたと騒ぎ

やっぱりカードに書いてある有効期限がまだすぎてないから

電子証明が期限が別だとは思えず

僕のは期限がまだずっと先まである!

とえばってた

ふつうそう思うよ

 

ためしに調べたら

武蔵のカードの電子証明期限が切れるのは  明日だった!

それ!!

完了 送信終了 

なぜか彼は税金がいっぱい帰ってくる

分け前をよこせと 恐喝した

私は先に死ぬんだからね

確定申告の時だけは

先に逝った私を惜しむだろう

(今日  全く家事労働をしない旦那の話を聞いた

彼女が死んだあと 困るんだよ

と皆で行ったが

家事労働に関しては

わが家は  たぶん 私がいないほうが片付くし

何事もよかろう)

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日本語の話

2011-03-10 06:18:50 | ただの記事

日本語の面白いところは

含まれる情報量がとても多い言語なのか

改めて思った

こういうブログの記事だって

どこの誰だかわからなくても

おおよそ

どういう人か読むうちにわかってくる

 

それは書いている内容だけではなく

口調などでも

 

私のブログも考えてみれば

軽薄な口調で お里が知れる

若者言葉を軽薄に真似るから

その手の子供がいたりその手の子供を相手の職業だったとばれる

どこを見ても

裕福なご家庭の専業主婦ではないと

ばれる

 

ということは

頭がよければ

成りすましを演じることもできる

 

すごいよ

落語家は

成りすましの名人

会話だけでそういう表現ができるのは

日本語ならではなんだな

会話文だけでどれだけ延々と続いても

女か男か  主人か家来か

日本語はわかるもんな  それがすごいことだと思ったが

若者の言葉は  だんだん 男女わからなくなってる

「原宿なう」  じゃこの子が男か女かわかんない

 

「やべ!」と言ったら昔は男だったが いまわからん

でも  若者だと分かる 老人が使えば軽薄な奴だと分かる

ああ面白!  こういう風に いをつけないのも軽薄さを表してる

 

ああ

なんでもばれる  ブログかな

 

コメント (2)
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