遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

茨城南  震央

2011-03-22 16:13:52 | ただの記事

そういう地震がよくある

さっきもあった

その前のはそうたいして揺れないで ゆらゆら ぐらいだったが

新しくした携帯は「緊急地震速報!緊急地震速報!」と

騒いだ

 

でも

次!

何も言わないのに

ガタン!ときた

なんだこりゃ?

これがさっきの  茨城南  震央

というやつ

 

よ~~く見た

グーグルアースも使ってみた

 

クッキーママの家のそばだ!

私はこれまで

茨城南って 守谷の方かと思ったが

ここも 茨城南なんだ

 

それで

ドっカンと上下に来るのか

 

地震速報と騒がないくらい小さかったが

クッキーママんち うちよりもっと ガッタンとしたに違いない

クッキー!大丈夫だったかい?

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茨城産ホウレンソウ北海道産ジャガイモのスープ

2011-03-22 13:21:59 | 食べ物

Img_0626

どうだ!  元気取り戻した

片付け再開

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遠いから歩く

2011-03-22 11:10:35 | ただの記事

市堀玉宗様のブログでこの言葉を教わりました

「遠いから歩く」というより、「遠いから歩ける」

 

市堀様は能登半島の地震で全壊したお寺のお坊様で

たくさんの方とご縁を結んで再生を果たされた方です

 

出会いの中からありがたいものをくみ取って

生き抜いていく

そういうのって 東洋独特なのかしら?

はい ありがたく 遠いので 歩いてきました

 

どうしても送金しなければならない用があり

郵便局に行ってまいりました

3547歩でございました

 

地震当日 皆さん歩いてお帰りになるのを見て

「皆 健康になっちゃうかもよ」などと

不謹慎なことを申していた者もおりましたが

 

足が痛いから歩かない私も

歩いてきました

 

もうダメ 痛い! と 休憩

でも意外とガングリオンは 痛んでこない

Img_0623 相変わらず ガソリンを求める車の列

結構毎日だから

この先のガソリンスタンドは

毎日入手してるんだね

なんかルートがあるのかね

 

歩くとなると

ちょっと怖いです

さて 郵便局で聞いたら義捐金送金できるというので

少し送りましたら

口座から引き落とすというので

今月口座から落ちるお金が うんざりするほどあるので

手持ちのお金で送りたいと

少しだけ

 

お若いかた 奥様の分と二口

たいそうな金額を送ってました

恥ずかし

 

また倹約できたらね

 

帰り道

いい香りが漂ってきた  白い沈丁花

Img_0624

追記

せっかく歩いていくので

リュックしょってって

スーパー ○○に寄った

玉ねぎとセロリがほしかったからね

見たら 群馬産と茨城産のホウレンソウ

一束百円で売ってた

ちょっと安心した

 

茨城の人は これって 絶対絶対安心!?

こんなのおいて不見識ではない?

などと思う人はいないと思う

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茨城産 ほうれん草青菜なめこ高野豆腐入り味噌汁

2011-03-22 08:20:27 | 食べ物

Img_0622

どうだ!
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シモーネ・マルティーニ

2011-03-22 05:33:55 | 美術史

Simone

受胎告知

シモーネ・マルティーニはチマブーエより50歳くらい若い

この人の絵は

私は好みだ  いつものように色と階調と

 ↓は トゥールーズの聖ルイ  トゥールーズの聖ルイ  ??

この間読んだオクタシ二アに関係あるなこりゃ

Toulouse

それはさておき これらの関係で調べるうち

アッシジは1997年に大地震で文化財にも大きな被害が出た

阪神大震災の後で

文化財の修復 耐震などについて 日本とは深い関係を作ったようだ

 

2007年にも大きな地震があったらしい

 

そのころのブログに行きついてみたら

ヨーロッパの人は地震のとき日本人とは反応が違う

恐怖は 日本人より激しいものがあるそうだ

日常的に地震を感じながら生きてないからだろう

 

そう考えると

あの時日本にいた外国人はさぞ恐ろしかっただろう

早々に帰国したがるのも無理はない

それも被災地の食糧を奪ってはいけないからだというのもあるそうだし

 

大阪に大使館を移した国もあるようだけれど

どうか

あちらで大きい地震が来ませんように

 

そうだよ

それが心配

今度の地震がどのくらいひずみを生んだのか

他の または次の地震のきっかけになってしまうのか

他の原発も心配だ

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災害ボランティア

2011-03-22 04:42:26 | ただの記事

バジルさんの記事からの引用です

彼女のお知り合いからのメールだそうです

 

被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ

     ~僕の浅はかな経験談~

阪神大震災が起きたとき、僕は高校3年生で、しかも

センター試験の翌日だった。

遠くから沢山のトラックが走ってぃるような、不気味な音が

夢うつつに聞こえ、気がつくと家全体が揺れていた。

父親にたたき起こされて玄関を開け、ガスを閉めてテレビを

つけると、阪神高速が倒壊していた。

家が揺れた恐怖と、テレビの実感の無さと、街中の静けさが

記憶に残っている。

     

その日は登校してセンター試験の自己採点を行い、二次試験の

ための面談をしなければならなかった。

僕は迷ったが、結局自転車で出発した。大阪城の掘から水が

溢れだしていた。    

学校に着くと全てがいつもどおりで、来ていない生徒もいたが、

先生は特に何も言わなかった。

粛々と自己採点し、粛々と面談が行われた。僕たちの仲間に

三宮と西宮に住んでいる友人がいたのだが、さすがに登校は

していなかった。昼休みに仲間3人で、二次試験が終わったら

ボランティアに行こうと話をしていた。

    

下校時刻になって、担任の物理教師がおもむろに話だした。

「今回の震災で我が校の教師や生徒も被災者となり、登校

できない人がいます。センター試験が終わり、受験生としての

役目を終えた人もいると思います。

あなた方の中には、正義感や義侠心に駆られて現地に乗り込む

人もいるでしょう。それは、間違ったことではありません。

正直に言えば、あなた方が役にたつことはありません。

それでも何かの役に立ちたいという人は、これから言う事を

よく聞いてください。

    

まず食料は持って行き、無くなったら帰ってくること。被災地の

食料に手を出してはいけません。

寝袋・テントを持っていくこと。乾いた床は被災者のものです。

あなたがたが寝てはいけません。

作業員として登録したら、仕事の内容がどうであれ拒否しては

いけません。

集団作業において途中離脱ほど邪魔なものはないからです。

    

以上の事が守れるのであれば、君たちはなんの技術もありません

が、若く、優秀で力があります。

少しでも役にたつことがあるかもしれません。

    

ただ、私としては 今は現地に行かず受験に集中し、

大学で専門的な知識や技術を身につけて、10年後20年後の

災害を防ぐ人材になって欲しいと思います。」

言葉の端々はは忘れましたが、教師が言いたかったことは今でも

はっきり憶えている。

    

結局、僕たちは、物理教師の言ったとおり、なんの役にも

立たなかった。配給のパンを配ったり、お年寄りの移動に

付き添ったり、避難所の廻りを掃除したり、雑用をさせてもらったが、

持っていった食料は5日で尽きた。風呂には入らなかったが、

防犯上困るということで、避難所のなかで寝た。

   

生活のインフラ整備や瓦礫撤去などは消防や自衛隊が 

あ然とするぐらい力強く、迅速に問題を解決していった。

僕たちの存在は 宙に浮き 遊び半分で来たボランティア

ごっこのガキ扱いをされていた。

実際手ぶらで現地に入って、汚い仕事を嫌がるような若者は

たくさんいたし、そいうグループと僕たちが能力的に大きな差が

あったかというと、とてもそうとはいえなかった。

      

僕たちが強く現地で学んだことは「何かして欲しい人」がいて

「何かしてあげたい人」がいても、事態は何も前進しないということ

だった。人が動くためには「人を動かす人」が必ず必要になる。

社会人なら常識として知っている事さえ、僕たちは知らなかった。

    

僕たちは現実に打ちひしがれて現地を離れ、浪人をへて

京都大学生になった。そして被災地への情熱も無くなっていった。

結果的に、ハリボテだったのだ。

正直に告白し、反省する。僕たちは神戸への気持ちを、

たった一年間も持続させる事さえ出来なかった。

    

今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かを

したい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。

でも慌てないでほしい。今、あなた方が現地で出来ることは、

何ひとつ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。

今は募金と献血ぐらいしかないだろう。それでも立派な貢献だ。

胸を張って活動してほしい。そして、是非その気持ちを一年間

持ちつづけて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が

残っているのなら、活躍出来るチャンスが見えてくるはずだ。

仮説住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、

震災直後よりも深刻な問題を解決するために、NPOなどが

立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ない

けど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を

必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える

大きなきっかけになるかもしれない。

     

結局僕は紆余曲折を経てGISの技術者になり、専門分野は

違っていても、多少なりとも防災の分野に寄与できる立場に

辿り着いた。

あの頃よりも、少しは人の役にたてるように 

なったんじゃないかと考えている。

 

私も愚かな母親で

個展のために仕事を離れた息子に

次の展覧会の絵が終わったら

コメしょって寝袋しょって手伝いに行けば?

なんて言って

そういうことをしても今は迷惑なだけだ

いろいろ説明された

 

そういうことか

 

やっぱりなるべく倹約してお金を出すのが一番だな

そしてまた大きな余震が来ても

物がひっくり返らないように

ちゃんと片づけることだな

 

 

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余裕があるときの反応

2011-03-22 00:37:09 | ただの記事

以下は科学的知識の足りないおばさんのたわごとです

テレビで茨城のお野菜大丈夫か不安です

という人を見て

そんなこと言えるのは余裕があるんだねえと思った

私だって

核実験やるような国のチーズはやめとこ!

思ったときもあったもの

別にその国のチーズでなくたって

いっぱいあるし

って

 

でも

首都圏が水 野菜なしでやっていけるの?

放射性物質が検出されるのは

当然でしょう?あれだけの事故なんだから

 

正しい知識を広めてくれないと

ただただ不安をあおるだけだ

 

私は畑で採れたものをよく洗って食べるからいいよ

田舎の人は売れなくなった野菜を

廃棄しろと言われたって

みんなで食べちゃうんじゃない?

 

首相は国民の目の前で食べて見せればいいんだ

水も飲んで見せれば

 

ただ未来の長いものから順に

安全極まりないものは回してあげましょうね

って

セシウム137の半減期が30年として

これから未来にわたってこの汚染を引き受ける

若者を守らなくちゃ

 

私は これまでの汚染の影響が出る前に

命は終わると思ってるから

なんの関係もないと思う

20歳前の子は絶対守らなきゃって思う

チェルノブイリの教訓はそうじゃなかったのか?

 

健康に直ちに害はないというなら

若い人に関東東北以外の野菜を回してあげましょうね

とか

子供が飲むミルクは

厳しくチェックをしたものを

って

どうしてならないんだろう

まして  水なんか パニックが起きるよ!

チェルノブイリで起きた汚染は

日本だってまぬがれなかったんだから

セシウム137は  黄砂に乗ってもやってきてたじゃないか

しかもそれは  自然な状態でも生成される放射性物質だったりもしたみたいだし

 

日本という国を よその宇宙にでも疎開させる余裕のある国家なのかい!?

大気に守られた地球を出たら放射能だらけだよ!

全く!

 

夕方から眠くなって 眠っちゃっていま目が覚めたのです

テレビは見てません

ネットニュースでちょっと見た

 

少し働くかな

 

 

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