私の娘は塾というところに行きたがった
テストで点は
取れないし
ともかく勉強法もよくわかんないし
自分ひとりじゃうまくいかないのだから行くんだ
と言って
塾に通った
私の考え方と塾の先生の考え方が相対立するということは分かっていて
わたしを塾の先生には
絶対あわせないように
画策していた
今思うと 自分というものをよく知り
親や塾の先生の考え方も理解し
策動できたのだから
結構頭は働くのだったな
と
今にしては 思う
塾に行って 成績はどんどん下がったが
彼女は自分なりにゲットするものはあったらしく
これで いいのだ
と思っていたようだ
学校の先生は 今はどうか知らないが
昔は塾に教わらなきゃ勉強法がわからんようではどうしょうもない
受身の勉強は身につかない
というような考え方をする人が多かった
でも
現実には途方に暮れている 学校に適応できない子はいっぱいいるわけで
こなしきれない宿題を前に
うなだれて涙を流している子が居れば
助けてやりたいとは思うのが人情だよなあ
こういうお助けメソッドに カルトがある
という話をちらっとした
子供をどういう風に育てるか
ということにも関係あるだろうし
近頃 子供に創意工夫 自分で考える力がつかない教育ではないか
ということと関係もある
今思うと
創意工夫 自力で考える子供というのは
その芽を摘むことはできない
そういう風に人間はできている
という気もするけれど
でも テレビが大量に付和雷同する人間を作っているのは現実だし
カルトは無くならないなあと思う
? 婆の考える種でもないけど