この頃 娘のツイッターから 仏像ボットというのがあるのを知って
フォローしてみた
われながらすごいな
ほとんど知ってることばかりだ
なんで私こんなに仏像のこと(っても表層的なことだけど)
知ってるんだ?
それで
頭のなかが仏師について学習した頃にときどき戻っている
定朝様式と運慶についていろいろ考えたことが
戻ってきた
定朝の仕事が巨人的に残って
平安後期は 定朝様式一色
それでなきゃもう時流に合わないというか
そういう雰囲気だったころ
関東では 野趣あふれる田舎作がつぎつぎ生まれてたんだ
それと運慶がどういう関係だろうか
と妄想したのだった
芸術にとって大切なのは 革命的なことだ
新しい価値観美の基準というようなんものを
生み出せなかった芸術家って ありえないんだ
というのが若いころは好きな考え方で
だから 運慶が好きでもあったのだけど
その運慶を生み出したものに
関東で 中央と離れたところで制作していた仏師たちとの交流から
何が生どうかかわったのだろうか
と妄想するのは 趣味にあったんだけど
実は
運慶はお父さんを通して
定朝様式は叩き込まれてきた
これの元になった
大日如来像
お父さんの康慶の指導下で作られたものだ
これを見に行ったとき 若者の運慶が学び取っていったのは
定朝の世界だ
というのは理屈は分からないけれど ひしひし感じてしまった
浅はかな考え方では平安後期の仏像彫刻は
もう 定朝様式一辺倒 パターン化 様式化の一途
それはスポンサーの貴族が
芸術の保護者としては保守的でマイナスにしか働いてなかった
という風に
これまたパターン化して理解していたけれど
定朝の仕事は脈々と受け継がれ
運慶の中で(本というと別パターンで快慶のなかでも)
変貌を遂げて 新しいものとして生まれたじゃないか
と
伝統と革新と合わせて 考えたのだけど
今の時代にも
いつの時代にも
同じことが起きている
私が思い描いた平安後期の貴族みたいな
硬直した芸術のオピニオンリーダーを
気取るものはいつの時代にもいるのだものな
そう思うと
巷の 大した仕事はできなくても
市民芸術家だって それなりに意欲がわくものがあるな
と思った